SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第四十話 牧野慶 宮田医院/地下実験室 第二日/四時四十四分三十九秒

 宮田医院の地下牢の廊下で、牧野慶は呆然と立ち尽くしていた。宮田医院にこのような場所があることは知っていたが、実際に見るのは初めてだった。牢獄は狭く、薄暗く、いたるところに黒い虫が這いずり回っており、とても人が生きていく場所には思えない。ここに入れられた者は、人としての尊厳を奪われるに等しい、そう思えて仕方がない。いや、実際に尊厳は奪われるだろう。ここは、刑務所とは違う。この牢に入れられた者は、自分の足で歩いて外に出ることは、決してない。

 

 廊下の奥の部屋からは女性のものと思われる悲鳴が断続的に聞こえて来る。闇に潜む怪物が息絶える時の声を思わせる。断末魔の悲鳴と呼ぶにふさわしい不気味な悲鳴だ。それが、何度も聞こえる。それだけ多くの者の命が奪われているのか、あるいは、死に等しい苦しみを何度も繰り返し与えられているのか。

 

 扉の前に立つ牧野。開けたくはない。宮田医院の地下牢は、村の暗部とも言える場所だ。眞魚教の求導師である自分が関わるような場所ではない。だが、求導師である以上、確認しなければいけないという使命感もある。しばし迷い、牧野は覚悟を決め、ゆっくりと、扉を開けた。

 

 二つの手術台に、二体の屍人が拘束されていた。一体は醜いこぶだらけの顔をした恩田美奈の屍人で、もう一体は、妹の理沙の姿をしていた。ああ。理沙さんも、屍人となってしまったのか。

 

 宮田は、二人のそばに立ち、カルテに何かを記入していた。奇妙なのは、彼の足元に転がっているものだった。マネキン人形のものと思われる手や足がいくつも転がっている。赤いペンキのようなものが雑に塗られ、まるで血のようだった。ペンキは、床や壁にも飛び散っている。

 

 宮田がこちらを見た。

 

「……ああ、牧野さん。ご無事で何より」

 

 小さく笑う宮田。心のよりどころが見えない、感情の無い笑顔だった。

 

 恐る恐る部屋に入る牧野。「宮田さん……これは……一体……」

 

「理沙さんと約束しましたからね。美奈を救うと」

 

「そう、でしたね。しかし……」

 

「でも、できないんですよ」

 

「――――」

 

 意味が判らず、言葉を失うしかない牧野。

 

 宮田の顔から笑みが消えた。「どうやっても、美奈を救うことが、できないんです」

 

「それは……どういう意味ですか……?」

 

「言葉通りですよ。美奈を救う手段が、私には思いつかない。見てください」

 

 宮田はカルテを差し出した。

 

 受け取った牧野は、宮田の表情を伺いつつ、カルテを見た。赤いペンキはカルテにも飛び散っており、大部分が読めない。わずかに読める部分だけ目を通していく。……大腿静脈切断……前肘部切開……腹部切開……頭部切開……体内に見られる赤い液体に赤血球存在せず……別種の結晶……治癒と再生………。

 

 牧野は顔を上げた。「これは、どういうことでしょうか……?」

 

「ですから、書いてある通りですよ」宮田は無表情なまま答える。

 

「すみません。医学には疎くて」

 

「仕方がないですね」宮田は、理沙の手術台の上に置かれていたネイルハンマーを手に取った。「実際に、やって見せましょう」

 

 そして、ハンマーを振り上げると。

 

 理沙の顔に、打ちつけた。

 

 あの、何度も聞こえた断末魔の悲鳴が上がる。

 

 理沙の鼻は潰れ、顔は陥没し、血が飛び散った。

 

 宮田はもう一度ハンマーを振り上げると、また、理沙の顔に打ちつけた。最初よりも少し上部、目の部分だ。鼻のあった部分と同じように大きく陥没する。血が飛び散ると同時に、小さな球体のものが床に落ち、牧野の足元まで転がって来た。それは、理沙の眼球だった。苦痛に満ちた視線を向けているように思えた。もう片方の目は、宮田の足元に転がっていた。宮田は、まるで害虫を殺すかのように、それを踏み潰した。さらにハンマーを打ちつける。今度は口に当たった。折れた歯が床に散らばった。さらに、何度もハンマーを打ちつける。悲鳴はただのうめき声に変った。血が飛び散り、肉片が飛び散り、最後には脳が飛び散った。それでも、宮田はハンマーを振るい続ける。何度も何度も打ち付ける。理沙の頭が形を失っていく。やがて、頭はただの肉塊と化した。宮田はようやく手を止めた。

 

 そして、理沙の返り血を浴びた顔を、牧野に向けた。

 

「……こうやって、完全に頭を潰しても……」

 

 大きく息をつくと、今度は美奈が縛り付けられた手術台を見る宮田。その下の床には、大きなのこぎりが転がっている。それを拾い、美奈の首に当て、そして、引いた。静脈が切れたのだろうか、飛び散る血の勢いは、理沙の時とは比べ物にならない。悲鳴も、理沙の時とは比べ物にならない。のこぎりは部屋に備え付けてあった物だろう。すなわち、二十七年以上前のものだ。刃は錆び、多くが欠け、切れ味は決して良くないはずだ。それを、引いては押し、引いては押しを繰り返す。肉が斬り裂かれる。血飛沫が飛び、悲鳴が飛ぶ。やがて、肉を斬り裂く音は、何か硬い物に刃が当たる音に変った。さらに力を込めてのこぎりを引く宮田。がり、ごり、と、その硬い物を斬っていく。骨を斬っているのだと牧野が気付いた時、のこぎりの刃は、美奈の首の半分以上まで埋もれていた。悲鳴は、いつの間にか無くなっていた。さらにのこぎりを引く。やがて、胴から切り離された頭が、ごとり、と、音をたて、床に転がった。

 

 宮田が牧野を見た。「……こうやって、首を斬り落としても……」

 

 再び大きく息をつき、視線を理沙に移した。頭を潰されたはずの理沙だったが、いつの間にか、元の美しい顔――もっとも、血の涙を流し、深い緑色の肌をしているが――に、戻っていた。

 

 宮田は美奈の方を見る。美奈の首の斬り口から、細長い触手のようなものが何本も生えていた。それが、床に向かって伸びていく。まるで、失った(あるじ)を探しているかのようだ。うねうねとうねりながら床を探った触手は、やがて主――美奈の頭部を見つけた。絡みつき、引き寄せる。そして、元の場所まで持ってくると、首の斬り口と、頭部の斬り口を合わせ、触手は体内に引っ込んだ。首の傷が消えてゆく。美奈の首は元通りになった。

 

 宮田は大きくため息をついた。「……すぐに再生しちゃうんですよ」

 

「宮田さん……あなた、自分が何をしているのか判っているんですか……」震える声の牧野。

 

「もちろん、判ってますよ。美奈を救おうとしてるんです。ついでに、理沙さんもね。でも、できないんです。どこを斬り刻んでも、どこを叩き潰しても、すぐに再生してしまう。参っちゃいますよね。これじゃあ、医者なんて用ずみだ」

 

 自嘲気味に笑った。

 

 それで、ようやく牧野は気が付いた。床に転がっている手足は、マネキンではない。床や壁を濡らしている赤い液体は、ペンキではない。美奈と理沙から斬り離された手足、そして、血なのだ。

 

 宮田は続ける。「しかし、因果なものですよね。私は子供の頃、医者として、純粋に村の人の命を救いたかった。でも、父や母から教えられたのは、命を救うのとは真逆の、人を殺すための手段だった。そんなことはしたくなかったんですが、逆らえなかった。でも、今、その人を殺す手段を使って、美奈を救うことができると思ったのに……。今度は、殺すことができないんですよ。私は、一体何のためにこの村に存在するのでしょう。もう、判らなくなってしまいました」

 

 牧野は、憎しみを込めた眼を宮田に向けた。「よくもこんな酷いことを……美奈さんも……理沙さんも……村の大切な住人なのに……」

 

 宮田の顔に、一瞬、激しい怒りが宿った――ように見えた。

 

 だが、すぐに感情の無い顔に戻る。あるいは、気のせいだったのかもしれない。

 

「牧野さん、酷いのはあなたですよ」低い声で言う。

 

「……え?」

 

「私がこんなことをするのは、これが初めてではない。もう何人も、村の人に、同じことを繰り返してきました。知らないとは言わせませんよ? すべて、神代家と、教会のためにやって来たことですからね」

 

「わ……私がやれと言ったわけじゃない……全ては、神代の命令で……」

 

 宮田は、また自嘲気味に笑う。「まあ、今さら別に構いませんけどね。あなたは村人を導く求導師。私とは対極の場所にいるんですから。ああ、そうだ。牧野さんに渡す物があったんだった。誰だか知らないんですが、この部屋にいた女の人に、村を救ってくれって、託されたんですよ」

 

 宮田は懐から何かを取り出そうとしたが。

 

 牧野は後ずさりする。「……やめろ……あんた……狂ってるよ」

 

「ですから、酷いことを言わないでください。私はあなたのために――」

 

「狂ってる!」

 

 牧野は拷問室から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 


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