SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第三十九話 宮田司郎 宮田医院/第一病棟診察室 第二日/〇時四十九分三十三秒

 屍人と化した恩田美奈を追った宮田司郎は、第一病棟の診察室に戻っていた。求導師の牧野慶と、美奈の妹の恩田理沙が待っているはずなのだが、姿が見えない。三十分ほど前、美奈と思われる屍人が、この診察室へ向かっているのを幻視で確認している。襲われたのでなければ良いのだが……。

 

 入口のドアが開いた。振り返ると。

 

「――先生」

 

 看護師の服を着た女が立っていた。恩田美奈の姿をしている。しかし、美奈は屍人化が進み、今は醜い化物と化しているはずだ。ならば、妹の理沙か。

 

「理沙さん、無事でよかった」

 

 なぜ看護師の服に着替えたのは判らないが、ひとまず触れないでおいた。「牧野さんの姿が見えないのですが、ご存じないですか?」

 

「お姉ちゃんが、先生を探してます」

 

 宮田の質問とは関係の無い答えが返ってきた。

 

「理沙さん?」

 

「どうして、お姉ちゃんの所に行ってあげないんですか」

 

 理沙が、一歩近づいてきた。

 

「私も、早く美奈さんを楽にしてあげたい。しかし、今どこにいるのか……」

 

「あたし、先生が許せません」

 

 また一歩近づく。

 

「理沙さん、どうかしたのですか?」

 

「お姉ちゃんを一人にして……お姉ちゃんを悲しませて……先生が許せません」

 

 さらに一歩、近づいた。

 

「理沙さん。しっかりしてください」

 

「早く、お姉ちゃんの所へ行ってください」

 

 両手を、前に突き出した。

 

 その手が、宮田の首に伸びる。

 

 宮田は小さく舌打ちをすると、逆に、両手で理沙の首を掴んだ。

 

 そのまま、力を込める。

 

 理沙は抵抗しない。全てを受け入れるかのように、目を閉じ、されるがままになっている。

 

 やがて、理沙の全身から力が抜けた。両手がだらりとぶら下がり、がくんと、足が折れた。

 

「……さすが双子だな。死に顔までそっくりだよ」

 

 宮田は、さらに力を込める。

 

 理沙の目から、涙がこぼれ落ちた。

 

 赤い、血のような色をした、涙。

 

 顔から生気が失われ、死を宿した肌の色へと変わる。

 

 理沙は、目を開けた。

 

 耳障りな金切り声で笑い始める。

 

 そして、再び宮田の首に手を伸ばした。

 

「――くそっ」

 

 理沙の首から手を離し、突き飛ばす。うかつだった。いま殺せば、当然、相手は屍人と化す。

 

 屍人と化した理沙は、また、高らかに笑い、宮田に向かって来た。

 

「やれやれ」

 

 宮田はネイルハンマーを取り出すと、容赦なく理沙の頭に打ちつけた。膝をついたところに、さらにもう一度打ちつける。倒れた理沙は、そのまま動かなくなった。美奈の時と違い、特別な感情は沸かなかった。双子の妹とは言え、宮田にとっては、所詮、今朝会ったばかりの女だ。それよりも、美奈と、そして――あまり気は進まないが――牧野を探さなければ。宮田は診察室を出た。

 

 ――助けて。

 

 突然、声が聞こえた。

 

 女の声だった。美奈か? 一瞬そう思ったが。

 

 ――助けて。

 

 美奈の声ではない。理沙でもない。だが、初めて聞く声ではないようにも思う。遠い昔、この声を聞いたような覚えがある。

 

「誰だ?」

 

 周囲を見回すが、薄暗い廊下には誰の気配もない。

 

 ――ここへ来て……この村を……救って……。

 

 村を救う? 宮田は小さく笑った。それは私ではなく、牧野の仕事だ。

 

 まあいい。今は得体の知れない声よりも、美奈と牧野を見つけなければ。目を閉じ、幻視で病院内の気配を探った。何体かの屍人の気配を見つけた。ほとんどの屍人は視点が低く、四つん這いで歩いている。蜘蛛屍人だ。宮田は、屍人については村の誰より詳しかった。赤い水を一定量体内に取り込むと人型の屍人になり、そこから、海送り・海返りの儀式を行うことで、さらに屍人化が進む。蜘蛛屍人は、男のみがなる屍人の姿だった。それに対し、女は犬型の屍人になる。さらに、条件は不明だが、まれにトンボのような羽を持ち宙を舞う屍人になる者もいるし、極めて数は少ないが、知能が高く、他の屍人を操る頭脳屍人(ブレイン)とでも呼ぶべき存在になる者もいる。これらの進化した屍人は、頭脳屍人を除き、人型の屍人よりも身体能力が向上している。だが、よほど数が多くない限り宮田の敵ではない。やっかいなのは、中庭にいる猟銃を持った人型屍人だ。幸い建物内に入って来る様子はないので、放っておいて大丈夫だろう。さらに幻視を続ける宮田。蜘蛛屍人が単独で行動することはない。どこかに頭脳屍人がいるはずで、恐らくそれが美奈だ。しばらく幻視を続けた宮田は、ようやく美奈らしき者の視点を見つけた。天井に張り付き、室内を見下ろしている。いくつものベッドが並んだ広い部屋だが、どこの部屋かまでは判らない。ただ、宮田はその部屋に窓が無いことに気が付いた。地下だろうか? 地下はこの第一病棟にある。行ってみよう。宮田は階段へ向かった。

 

 しかし、地下へ向かう階段の前には扉があり、鍵がかけられていた。診察室にいくつか鍵があったから、それで開けられるかもしれない。一度診察室に戻ることにした。

 

「――先生」

 

 診察室の前へ戻ると、ドアが開き、看護師の姿をした屍人が出てきた。もう復活したのか。向かって来る屍人に対し、容赦なくハンマーを振るう。再び倒れた屍人には目もくれず、診察室へ入る。机の引き出しにあった鍵束から『地下室』の札が付いた鍵を取り、階段へ戻った。鍵穴に差し込み、回すと、静かに扉が開いた。ライトで照らしながら階段を下りた。

 

 地下には三つの部屋があった。倉庫とボイラー室、そして、霊安室だ。手前の部屋から順に確認していく。倉庫、ボイラー室と、誰もいない。残るは霊安室だけだ。宮田はハンマーを強く握りしめると、霊安室のドアを開けた。

 

 しかし、霊安室には棺桶がひとつあるだけで、動く者の姿は無かった。美奈がいるのは地下ではないのか? もう一度幻視を行う。美奈は変わらず窓の無い部屋の天井に張り付き、室内を見下ろしていた。いくつものベッドが並んでいる広い部屋――いや、それは、ベッドにしては少し横幅が狭いように思えた。人一人が横になるのが精一杯の幅だ。それはベッドではなく、手術台であることに気が付いた。ならばこれは手術室か? だが、この二十七年まえの宮田医院はまだ小さい建物で、手術室は無い。どういうことだ? さらに観察を続ける。部屋は壁も床もタイル張りにされてある。そして、いたるところに誰のものとも知れない大量の血が飛び散っていた。もっとも、タイル張りなので簡単に洗い落とせるだろう。まるで、最初から周囲に血が飛び散ることを想定しているかのようだ。

 

 ――これは、拷問室か?

 

 そう思った。ならば、見つからないのも納得がいく。隠し部屋になっているのだろう。驚きはしなかった。現代の宮田医院の建物にも、隠し部屋はいくつもある。当然、拷問用の部屋も。

 

 幻視をやめる宮田。隠し部屋がどこにあるのか見当もつかない。そう簡単に見つけられるとは思えなかった。やっかいなことになった。

 

 ――庭へ。

 

 また、あの女の声が聞こえた。

 

 庭へ来いということだろうか? そこに隠し部屋があるとでも? 判らないが、どうせ手がかりはない。ならば、言う通りにしてみよう。

 

 霊安室を出ようとした宮田だったが、ふと、部屋に一つだけある棺桶が気になった。

 

 その棺桶は木の板を組み合わせただけで、装飾ひとつほどこされていない地味な物だった。ここが霊安室でなかったら、ただの木の箱だと思っただろう。蓋には五寸釘が打ち込まれていた。霊安室にあるということはまだ葬儀は終わってないはずだが、なぜ、すでに釘が打たれてあるのだろう? ちょうど、釘を抜くことができるネイルハンマーを持っている。宮田は、釘をひとつひとつ引き抜き、棺桶を開けた。

 

 中には、黒いビニールシートにくるまれ、ロープで縛られたものが入っていた。大きさは一七〇センチほど。恐らくは遺体だろうが、奇妙なことに、胸と思われる部分に太い鉄の杭が打ち込まれていた。宮田は、杭を持ち、引き抜いた。五十センチほどの長さで、先はまだ鋭く尖っている。何かの役に立ちそうなので、持って行くことにした。

 

 さらに中を調べようとしたとき、棺桶が大きく揺れた。遺体が動いたのだ。特に驚きはしない。今は遺体が動くことは珍しくないのだ。なるほど、と、納得する宮田。これは遺体ではなく屍人なのだろう。ならば、棺桶に入れられ、杭で打たれ、蓋を釘で打たれているのも納得がいく。殺してもよみがえる屍人をとりあえず無力化するには、こうやって拘束するのが一番だ。

 

 これが屍人ならば、これ以上調べる必要もないだろう。宮田は遺体を放置し、霊安室を後にした。

 

 謎の声は庭へ来いと言っていたが、それにはひとつ問題があった。庭には、猟銃を持った屍人がいる。これが狭い場所ならば忍び寄って気付かれる前に倒すこともできるが、庭はそれなりに広く、身を隠すような場所もあまりない。屍人も周囲を警戒しており、気付かれずに接近するのは難しいだろう。蛇ノ首谷(じゃのくびだに)で公衆電話を使って猟銃屍人を誘い出した時のような策が必要だ。何かないだろうか? 宮田は幻視を使って庭の屍人を観察する。庭の中央には二十七年前の院長――宮田の祖父に当たる人物だが――の石像があり、屍人はその周りを歩いているようだ。時折立ち止まり、第二病棟の外壁をじっと見ている。そこに、鉄製の小さな扉があった。最近の建物に設置されることはまず無くなったが、高層階から一階の集積場にごみを運ぶためのダストシュートだ。

 

 幻視をやめた宮田は階段を上がり、二階から渡り廊下を進んで第二病棟へ移動した。途中、何体かの蜘蛛屍人と遭遇したが、ハンマーで問題なく撃退する。ダストシュートの投入口までやって来た。さきほど中庭の屍人が見ていた鉄の扉と繋がっており、ここにごみを入れれば、一階まで落とすことができる。

 

 牧野は、何か使える物はないかと、近くの部屋を探す。入院患者用の部屋に脳波測定器が置かれてあった。最近の物は小型化が進んでいるが、二十七年前の物だからかなり大きく、重量がある。これは使えそうだ。宮田は測定器を抱え、ダストシュートのそばまで運んだ。続いて、入院部屋から椅子を持ち出し、踏み台にして天井の蛍光灯を一本外した。

 

 宮田はダストシュートの投入口を開けると、蛍光灯を放りこんだ。がちゃん、と、割れる音が鳴り響く。庭にいる屍人にもその音が聞こえたようだ。警戒しながらダストシュートへ向かって来る。そして、ダストシュートの扉を開けると、中に頭を突っ込み、覗きこんだ。投入口からもそれが確認できる。宮田は、屍人の頭めがけ、脳波測定器を落とした。頭蓋が砕ける音と、屍人のうめき声が聞こえた。動かなくなる屍人。これで大丈夫だ。宮田は階段を下り、庭へ出た。

 

 宮田を導くような謎の声を信用するならば、どこかに隠し部屋への入口があるはずである。と、言っても、庭には先代院長の石像くらいしかない。周囲を観察すると、地面に何かを引きずったような跡があった。ここか? 宮田は石像を押してみた。石像は二メートルを超える大きさで、重量は五トンを超えると思われるが、少し力を込めただけで、ずるり、と、簡単に動いた。石像の下からは、地下へと続く階段が現れた。思った通りだ。階段を下りる。いくつもの部屋が並んだ細い通路だった。部屋の入口は扉ではなく鉄格子になっている。各部屋は二畳ほどの狭さで、粗末なベッドと小さな机、そして、トイレがあるだけだ。牢獄、それも、地下牢と呼ぶのにふさわしい場所だ。

 

 宮田は特に驚きもせず廊下を進む。このような牢獄は、現代の宮田医院にも存在する。到底病院とは思えない設備だが、むしろ、これこそが宮田医院の真の姿だと言っていい。

 

 宮田医院は、表向きは羽生蛇村唯一の病院だが、その裏では、神代家や眞魚教に逆らう者を捕え、拘束し、時には密かに処分するという役割を担っている。宮田が他者を倒す術に長けているのはそのためだ。幼い頃から、医学だけでなく、暗殺術や拘束術、拷問術などを徹底的に教え込まれた。羽生蛇村において、宮田医院は非合法な行為を秘密裏に行う『闇』の存在であり、村人に神の教えを説き、人々を導く『光』の存在である教会とは対極にあると言える。

 

 廊下を進む宮田。最も奥まった場所に両開きの鉄扉があった。ノブに手をかけ、大きく息を吐いて扉を開けた。タイル張りの広い部屋に、いくつもの手術台が並んでいる。幻視で見た美奈の視点と同じだ。美奈が、いる。

 

 どさり、と、天井から美奈が降ってきた。

 

「……先生……会いたかった」

 

 見にくいこぶだらけの顔を向け、口元に笑みを浮かべる。

 

「私も会いたかったよ、美奈」

 

 同じように笑みを返した。

 

「先生……こっちへ来て……」

 

 美奈が、シャベルを振り上げた。

 

 一瞬、美奈の言う通りにするべきかと思ったが。

 

 ――村を、救って。

 

 また、あの声が聞こえた。

 

 宮田は。

 

 ――すまない、美奈。

 

 ハンマーを美奈の頭に打ちつけた。容赦はしなかった。

 

 動かなくなった美奈を抱き、手術台へ寝かせた。

 

 この部屋には、もう一人、いる。ずっと、宮田に呼びかけていた者が、いる。

 

 部屋の奥を見る。

 

 鉄製の椅子に、骨と皮だけの遺体が座っていた。

 

 目と口に布を巻きつけられてあり、首、腰、両足、左腕が、ベルトで固定されてある。それで、この椅子が人を拘束するための物であると判った。遺体に目立った外傷はなかった。拘束され、そのまま放置された末に死んだのだろう。視界を奪われ、助けも呼べず、ただ放置されるのは、どんな拷問よりも苦痛かもしれない。唯一、右手は拘束されていなかった。何か持っている。二体の人形のようであった。

 

 宮田は遺体に近づいた。

 

 遺体の手が、ゆっくりと動いた。

 

 ほう、と、感心する宮田。こんな木乃伊(ミイラ)のような姿になっても、屍人は動くことができるのか。

 

 木乃伊は、右手に持つ人形を宮田に差し出す。受け取れということか。宮田は人形を手に取った。土をこねて人型にし、焼き上げた人形・土偶だ。二十センチほどの大きさで、一方の人形には剣、もう一方には盾の紋様が掘りこまれている。

 

 ――これは、宇理炎(うりえん)か?

 

 宇理炎とは、かつて村の郷土資料館に重要文化財として保管されていた物だ。発祥や年代は不明だが、戦いを司る精霊を模した形状と考えられ、武功を祈願する古代の祭祀(さいし)に用いられた呪具ではないかと推測されていた。宮田が実物を見るのはこれが初めてだ。今、郷土資料館には写真が展示されてあるだけだ。と、いうのも、宇理炎は、二十七年前の土砂災害の前日、何者かによって盗まれたのだ。その宇理炎が、なぜこんな所にあるのだろう? この木乃伊は、宇理炎を盗んだ者なのだろうか? だから捕えられ、拷問され、そして、異界に巻き込まれた――そういうことだろうか? だが、ただの泥棒を宮田医院の者が捕え、拷問するというのもおかしな話だ。

 

 ――村を……救って……。

 

 また、声が聞こえた。

 

 この宇理炎を使って村を救えということだろうか? だが、どう見てもただの土偶で、武器にはなりそうにもない。

 

 それに。

 

「村を救うのは私ではなく、牧野の仕事だ」

 

 木乃伊に向かって言った。自分は羽生蛇村の『闇』の存在。村人を導き、救うのは、村の『光』の存在である眞魚教の教会がやることだ。

 

 ドアが開いた。振り返ると。

 

「……先生……お姉ちゃんの所へ……」

 

 看護師の格好をした理沙の屍人がいた。

 

 両手を前に出し、フラフラと近づいてくる。

 

「……やれやれ。しつこい女だ」

 

 宮田はハンマーを振るった。

 

 そして、倒れた屍人を、美奈の隣の手術台に寝かす。

 

 そろそろ美奈はよみがえるだろう。屍人である限り、何度でもよみがえる。永遠に苦しみ続けることになる。

 

 屍人になる前の理沙と約束した。美奈を、今の苦しみから救う、と。

 

 部屋を見回す。ここは拷問部屋だ。さまざまな、拷問用の道具がある。

 

 宮田は、美奈と理沙を手術台に縛り付けた。

 

 

 

 

 

 


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