SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第三十六話 須田恭也 田堀/廃屋中の間 第二日/一時十一分十一秒

 大きな物音で、恭也は目を覚ました。

 

 

 

 

 

 

 何かが壊される、あるいは、倒れる音だった。そう遠くではない。恐らく、この廃屋の中だ。

 

 隣で眠っていた美耶子も身体を起こす。

 

「……あいつらが、来た」

 

 つぶやくように言った。

 

 あいつら、とは、屍人のことだろう。目を閉じ、幻視を行う恭也。すぐに二つの気配を見つけた。包丁を持った屍人と、拳銃を持った屍人が、台所付近の廊下を歩いている。どうやら、台所の勝手口から侵入したようだ。夕方、恭也たちもそこから入った。屍人に侵入されないよう、内側に物を置いて開かないようにしていたのだが、蹴り破られてしまったようである。

 

 恭也はそばに置いてある火掻き棒を取る。刈割から持ってきたもので、恭也の唯一の武器だ。ここに来るまで何人もの屍人と戦った。屍人と戦うことにもう抵抗は無い。しかし、包丁や鎌を持った屍人相手には火掻き棒で十分だが、さすがに拳銃を持った屍人相手には分が悪い。まして二対一ともなると、撃退するのはまず無理だろう。

 

「一度、どこかに隠れよう」

 

 美耶子に言う。眠る前に家の中は探索してある。恭也がいるのは一階の中央にある部屋で、正面の障子から出て右側へ行くと、玄関、そのそばには客間があり、さらに奥へ進むと、二階へ上がる階段、トイレ、そして、台所がある。屍人が侵入したのはこちら側だ。反対の左側にもいくつかの部屋があり、その奥には納戸があった。隠れるならそこがいいだろう。恭也は美耶子を連れて部屋から出て、家の奥へ向かった。

 

 納戸は四畳半ほどの狭い部屋だ。木製の引き戸に鍵は無く、立てこもることはできそうにない。屍人がドアを開けないことを祈るだけだ。納戸の中に入る恭也。奥へ進もうとすると。

 

「――うわっ!」

 

 バリバリと木の板が割れる音と共に、恭也の右足がガクンと沈んだ。床板を踏み抜いてしまったようだ。古い家屋だから腐っていたのだろう。

 

「おい。大きな音をたてるな。ヤツらに気付かれる」美耶子が引き戸を閉めながら言った。

 

 幸い屍人はまだ離れた場所にいる。気付かれれてはいない。恭也は足を抜いた。床には、直径五十センチほどの穴が開いてしまった。

 

「そこ、気を付けて」目の見えない美耶子を気遣う。

 

「お前みたいなグズと一緒にするな」

 

 美耶子は小さくジャンプして穴を飛び越えた。

 

「あ……」

 

 穴は無事飛び越えた美耶子だったが、困ったような表情でポケットを探り始めた。「……どうしよう……」

 

「どうしたの?」

 

「いや……なんでもない。それより、ヤツらはどうしてる?」

 

 恭也は幻視を行った。拳銃を持った屍人は玄関の隣の客間へ入ったようだ。もう一体の包丁を持った屍人は、廊下を進んでこちらへ向かって来る。納戸の前まで来た。もし戸を開けられれば、戦闘は避けられない。包丁を持った屍人一体ならば勝ち目は十分にあるが、この狭い納戸では、リーチの長い火掻き棒は不利かもしれない。冷静に状況を分析しながら、火掻き棒を握りしめ、じっと様子を窺う。幸い、屍人はしばらく戸を見つめた後、何もせず引き返して行った。安堵の息を洩らす恭也と美耶子。これでしばらくは安心だ。だが、いずれは気付かれるだろう。なんとか脱出しなければ。恭也は幻視を続ける。包丁を持った屍人は、玄関と納戸の間をウロウロし始めた。もう一体の拳銃を持った屍人は、客間でじっとしている。廃屋に侵入した屍人はその二体だけだが、他にもう一体、(なた)を持った屍人が庭をうろついていた。中に入って来る様子は無い。これはチャンスだ。拳銃屍人が客間にいる間に包丁屍人を倒せば、台所の勝手口から脱出できるだろう。外の鉈屍人は隠れてやり過ごせばいい。それで行こう。

 

 恭也は美耶子にこのまま隠れているように言い、一人、納戸を出た。火掻き棒を強く握りしめ、大きく息を吐く。廊下を徘徊する屍人が恭也に気付いた。包丁を振り上げ、向かって来る。恭也も火掻き棒を構える。できるだけ速やかに、そして、静かに倒さなければならない。大きな音をたててしまうと拳銃屍人に気付かれる可能性もある。そうなると勝ち目は薄い。

 

 屍人が恭也の間合いに入った。素早く火掻き棒を振るう。頭部に打ち付けた。怯み、後退りする屍人に、さらに二度、打ちつける。そのまま倒れ、動かなくなるのを確認した恭也は、拳銃屍人を幻視する。変わらず客間でじっとしていた。廊下の物音には気付かなかったようだ。恭也は納戸に戻り、美耶子を連れ、廊下を進んだ。足音を殺して客間の前を通り、階段の横を通り抜けた。拳銃屍人は気付かない。このまま脱出できる。そう思ったのだが。

 

「――――!?」

 

 トイレのドアが開き、中から鉈を持った屍人が出てきた。そんな! いつの間に中へ!?

 

 屍人が現れると同時に、鼻が曲がるような異臭がした。見ると、屍人は体中糞尿にまみれている。この家のトイレは汲み取り式だった。まさか、トイレの中を通って侵入したのだろうか? 台所の勝手口は開いているというのに。

 

 屍人がこちらに気が付いた。鉈を振り上げ、向かって来る。恭也も火掻き棒を構える。しかし、ここで戦うわけにはいかない。すぐ後ろの客間にいる拳銃屍人に気付かれる可能性が高いし、何より、気持ち的にコイツとは戦いたくない。

 

「――ダメだ。逃げよう」

 

 美耶子の手を引き、廊下を引き返す。だが、さっき倒した包丁屍人がよみがえる頃だ。この狭い場所で挟み撃ちにされるのは危険すぎる。玄関は木の板が打ち付けられて封鎖されているから、逃げ場は二階しかない。恭也は階段を上がった。

 

 二階には部屋が三つある。恭也は廊下を進み、手前と中の部屋の戸を開けた。こうしておけば、追って来た屍人が部屋の中を確認するはずである。時間が稼げるし、時間が経てば屍人は自分が何をしていたかを忘れるだろう。恭也はそのまま廊下を進み、一番奥の部屋に隠れた。二階へ上がって来た屍人は、恭也の狙い通り、戸が開いていた一番手前の部屋に入り、中を見回した。誰もいないことを確認した屍人は廊下に出てきた。そして、思った通り、何をしていたか忘れ、そのまま階段を下りて行った。

 

 これでまたしばらくは安全だが、改めて脱出方法を考えなければならない。幻視を行う。新たに侵入してきた鉈屍人は、一階に戻ると、客間前から台所前を徘徊し始めた。先ほど恭也が倒した包丁屍人はすでによみがえり、客間の前から納戸の前を徘徊している。拳銃屍人は相変わらず客間だ。これは、脱出が非常に困難になった。廊下で鉈屍人と戦えば拳銃屍人に気付かれる可能性が極めて高い。ヘタをすると包丁屍人にも気づかれて、三対一になってしまう。完全に勝ち目はないだろう。いったい、どうすれば……。

 

「――恭也」と、美耶子が呼んだ。「ここから脱出できないか?」

 

 窓を指さす美耶子。この家の窓はすべて板で封鎖されていると思っていたが、そこだけは板が張り付けられていなかった。外は木組みのベランダになっている。二階程度なら飛び降りることができる高さだ。だが、目が見えない美耶子はどうだろうか?

 

「大丈夫だ」恭也の心の中を読んだように言う美耶子。「恭也が先に飛び降りて、あたしを受け止めてくれればいい」

 

 簡単に言ってくれるな。二階の高さから飛び降りる女の娘を受け止めるのは、かなりの力が必要だろう。あまり自信はないが、それが最も安全な脱出方法であることは間違いない。やるしかないだろう。恭也はベランダに出て木組みの手すりを乗り越え、飛び降りた。

 

「――いいか?」

 

 続いて手すりを乗り越えた美耶子が見下ろしている。恭也が両手を広げると、ためらうことなく飛び降りた。美耶子は小柄で華奢な身体をしているが、それでも、恭也の想像以上の衝撃だった。支えきれず倒れてしまう。

 

「おい。ちゃんと受け止めろ。それでも男か」文句を言いながら立ち上がる美耶子。

 

「うるさいな。そっちが重いからいけないんだろ?」

 

「な……バカを言うな! あたしは太ってない!」

 

 顔を真っ赤にして否定する美耶子を苦笑いで見つめる。まあ、何にしてもうまく脱出できた。庭に屍人はいない。後は門から出るだけだ。

 

 しかし。

 

「……まずい。拳銃を持ったヤツが、外に出てきた」

 

 美耶子が幻視で確認したようだ。恭也も幻視を行う。拳銃屍人が台所の勝手口から外に出たところだった。周囲を見回した後、こちらに向かって来る。

 

「早く逃げよう」

 

 立ち上がろうとする恭也だったが、右足に鈍い痛みが走り、うまく立てなかった。美耶子を受け止めた時、痛めてしまったようだ。

 

「……あたし、そんなに重かったか?」心配そうな顔で見つめる美耶子。恭也の足を心配しているのか、自分の体重を心配しているのかは判らない。

 

「まあ、折れてはないと思うから、少し休めば大丈夫。どこかに隠れよう」

 

「判った。近くに離れがあるから、そこがいい」

 

 美耶子に肩を借り立ち上がる。少し歩いたところに、美耶子の言う通り離れがあった。入口に鍵はかかっていない。中に入り、戸を閉ざした。

 

 拳銃屍人は庭を徘徊し始めた。幸い離れには興味を示さず、そのまま通り過ぎた。

 

 改めて離れの中を見回す恭也。六畳間で、小さな机とタンスがあるだけの部屋だった。

 

 ただ、壁に、鎌が刺さっていた。

 

「なんだ、これ?」

 

 足を引きずって鎌の所へ行く。柄を持ち、引っ張ってみたが、かなり深くまで刺さっているようで、ビクともしなかった。

 

「――気にするな」

 

 美耶子が静かに言った。

 

「え?」

 

「座って、早く足を直せ」

 

「あ、そうだね」

 

 何か知っているような口ぶりだったが、美耶子の言う通り、今は早く足を直した方がいい。言われた通り恭也は座り、足の回復を待つ。数分で痛みを感じなくなった。

 

「よし。もう大丈夫。行こう」

 

 恭也は立ち上がり、幻視で屍人の様子を探る。包丁屍人と鉈屍人は廃屋の中だ。拳銃屍人は庭を徘徊しているが、一体だけなので隙を突くのは容易だ。恭也と美耶子は、拳銃屍人が離れの前を通り過ぎたところで庭に出て走り、門から敷地の外に出た。

 

 

 

 

 

 


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