村に、サイレンが鳴り響く――。
宮田医院第一病棟の診察室で、恩田理沙は、サイレンの音を聞きながら窓の外を眺めていた。屍人と化した姉を宮田が撃退してから一時間以上経った。屍人の後を追った宮田は、まだ戻らない。
姉を救ってください――屍人を追う宮田に向かって、理沙はそうお願いをした。救う、とは、美奈を今の苦しみから解放させてあげることだ。あのような醜い姿となり、苦しむ姉を見るのは心が痛んだ。宮田先生ならば、美奈を苦しみから解き放つことができるだろう。
「求導師様、これで良かったんですよね……」
理沙は窓の外を見つめたまま、求導師の牧野慶に訊いた。
「良かった、とは?」
「姉は、屍人になって苦しんでいた。宮田先生なら、姉を苦しみから救ってくれますよね」
「そう……だね……」
牧野の返事は歯切れが悪い。いっそ、気休めでもいいから「大丈夫」と言い切ってくれれば、理沙の気持ちも少しは楽になるのに。
だが、仕方ないだろう。屍人を苦しみから救う方法は、牧野にも判らないのだ。理沙にできることは、宮田を信じて待つことだけだった。
「理沙さん。もう遅いから、少し休んだ方が――」
がつん! という音がして。
小さなうめき声と共に、牧野が床に倒れる音がした。
驚いて振り返る理沙。
部屋の中に、屍人と化した美奈がいた。
両手に大きなシャベルを持っている。それで、牧野を殴ったようだ。
美奈は、意識を失った牧野には興味を示さなかった。ただ、理沙を見つめている。
「――理沙」
近づいてくる。
「お姉ちゃん……やめて……」
後退りする理沙。背中に壁が当たる。逃げ場はない。
「理沙」
姉が呼び掛けて来る。また一歩近づく。
殺される――そう思った。どうにかして逃げなければ。
だが美奈は、シャベルを投げ捨てた。殺す気など無い――そう言っているかのように。
近づいてくる美奈。目の前に立った。逃れられない。
《理沙――》
姉の声が、頭の中に直接響いた。
姉が、いくつものこぶが垂れ下がった醜い顔を、理沙の顔に近づける。
その瞬間――。
――寂しい。
美奈の感情が流れ込んできた。
同時に。
いくつもの思い出が、浮かんでは消えていく。
両親に抱かれる双子の赤ちゃんが見える。あれは、生まれたばかりのあたしたちだろうか?
ランドセルを背負い、手を繋いで走る姿が見える。小学校へ向かっているのだろうか?
こたつに隣り合って座り、勉強している姿が見える。中学のテスト前だろうか?
憧れの先輩を遠くから見つめる姿が見える。高校の部活の時だろうか?
電車に乗り、旅立つ理沙を、ホームから見送る美奈が見える。就職が決まった時だろうか?
たくさんの情景が見え、消えていく。美奈の――いや、姉と自分の、二人の人生。
そして――。
宮田先生が、両手を伸ばす姿が見える。
その、手が。
美奈の首に触れる。
先生の手に、徐々に、力が込められてゆく。
苦しい。息ができない。
先生は、手を離さない。
やがて――。
――――。
――ああ、そうか。
そうだったんだね、お姉ちゃん。
やっと、判った。
お姉ちゃんは、苦しんでなんていなかったんだ。
ただ、寂しかっただけなんだ。
ただ、先生を探していただけなんだ。
あたしに、その寂しさを、判ってほしかっただけなんだ。
ゴメンね、お姉ちゃん。あたし、双子の妹なのに、そんなことにも気付けなかったんだ。
理沙は――。
知らず、涙を流していた。