須田恭也は軽トラックを降り、ライトを正面の暗闇へ向けた。警官が横たわっている。その頭の付近に、赤黒い液体がじわじわと広がっていた。あれはまさか、血だろうか?
先ほど、いきなり銃を発砲してきたこの警官から逃れるため、恭也は工事現場に駐車されてあった軽トラックに乗りこんだ。まだ十六歳の恭也に運転の知識は無く、アクセルをおもいっきり踏み込んだままサイドブレーキを解除してしまい、軽トラックは勢いよく走り出した。そして、進路上にいた警官を跳ね飛ばしてしまったのだ。
「あ……あの……大丈夫……ですか……?」
恐る恐る声を掛けるが、警官は、まるで死んだように動かない
――死んだように?
恭也の背中を冷たいものが走った。俺はいま、車で人をはねたのだ。とんでもないことになった。事故とは言え、人を一人殺してしまったかもしれない。だが、これは俺が悪いのだろうか? 相手はいきなり発砲してきたのだ。逃げなければ、撃たれていただろう。逃げる方法は他に無かった。こうするしかなかったのだ。いや、今はそんなことはどうでもいい。助けを呼ばなければ。一一〇番通報か? それとも、救急車か? 判らない。どうすればいいのか、何も判らない。
――と。
地面が、小さく揺れている。
――地震? そう思った瞬間、揺れは大きく、耐えがたいものになる。とても立っていられない。尻餅をついて倒れる恭也。
揺れは大きかったが、すぐに治まった。ぽつり、と、顔に水滴が当たった。途端に、水滴が次々と降り注ぎ、恭也の顔を、地面を、倒れた警官を、濡らす。雨が降り始めたようだ。
恭也は気づかない。先ほどまで雲ひとつ無かった星空が、一瞬にして、闇よりも暗い黒雲に覆われたことに。
恭也は気づかない。降り注ぐ雨が、血のように深い朱色であることに。
恭也は気づかない。自分が、決して戻ることができない世界に、迷い込んでしまったことに。
突然。
周囲に、獣が鳴き叫ぶような声が響き渡った。
再び、頭を引き裂かれるような痛みに襲われる恭也。
獣の鳴き叫ぶ声は、高く、大きくなる。それにつれて、恭也の頭の痛みも耐え難いものになっていく。
獣の鳴き叫ぶ声――いや、これは、サイレンの音か?
サイレン。危険を知らせるための音。さっきの地震のためか? それにしても、あまりにも大きな音だ。まるで、地の底から天に向かって危険を知らせているかのような――。
サイレンはしばらく鳴り続けていたが、徐々に小さくなっていく。
それにつれ、恭也の頭を襲う痛みも、治まっていく。
やがて、サイレンの音は聞こえなくなった。
雨は降り続いている。
頭を上げた恭也が目にしたのは、ゆっくりと立ち上がる、警官の姿だった。
――良かった! 生きていた!! とは思わなかった。
その顔は、どす黒い、まるで生気を感じない色をしていた。墓からよみがえった死者のような顔色だ。そして、両目からは、赤い液体を流していた。血の涙――恭也は、そんなことを思った
警官は、あの不気味な笑い声を上げながら、恭也に銃口を向けた。
今度は、逃げ出すこともできない。
銃声が鳴り響く。
同時に、胸に、焼けた鉄の塊を押し付けられたような痛み。
――撃たれた、のか。
胸を見ると、溢れ出した血が、服を染めている。
地面が揺れている。また地震か? いや、揺れているのは地面ではない。自分自身だ。足に力が入らない。フラフラと、後ろに下がる恭也。
ずるり。また、何かに足を取られ、浮遊感。
空が遠ざかっている。自分は、崖下に落ちているのか。
そう思った瞬間、全身に激しい痛みが走り。
恭也は、意識を失った。