SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十九話 恩田理沙 宮田医院/第二病棟一階廊下 初日/二十二時五十二分五十七秒

 恩田理沙は宮田医院の第二病棟一階の廊下を、ゆっくりとした歩調で歩いていた。あと一時間ほどで日付が変わる時刻。月明りさえ届かない院内の廊下は薄暗く、割れたガラスの破片や崩れ落ちた天井の瓦礫がいたるところに散乱しており、むやみに動き回るのは危険だった。院長の宮田先生からも、動かないように言われている。だが理沙は、ライトの明かりで足元を照らし、ゆっくりと進んで行く。

 

《――理沙》

 

 自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

 周囲にライトを向けるが、誰もいない。さらに廊下の奥へと進む。

 

《――理沙》

 

 また聞こえた。

 

 少し前から、断続的にこの声が聞こえている。いや、聞こえている、という表現は正しくないかもしれない。それは、耳で聞こえたというよりは、頭の中に直接響いたという感じの声なのだ。

 

 このことを宮田先生に伝えた方がいいだろうか? そう思うが、先生は、北にある第一病棟の診察室で、眞魚教の求導師・牧野慶と、何か重要な話をしている。恐らく、村で起こっている怪異についての話だろう。理沙は退席するようにお願いされた。どんな話をしているのかは気になる。部屋にいなくても、幻視の能力を使えば聞くことは可能だろう。だが、そんな盗み聞きのようなマネをするのは気が引けた。理沙は、大人しく近くの部屋で待っていたのだが、自分を呼ぶ声が聞こえ、部屋を抜け出し、一人でこの第二病棟へやって来たのだ。

 

《――理沙》

 

 また、頭の中に響く声。

 

 若い女性の声だ。知らない声なら無視したかもしれない。しかしその声は、聞き慣れた、親しみのある声だった。だから、放っておくことはできなかった。危険だと判っていても、声の主を探さずにはいられなかった。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 ライトで廊下の奥を照らし、呼びかける。

 

 そう。この声は、間違いなく、理沙の双子の姉、美奈の声だ。昨日の夜からずっと行方不明になっている美奈。その美奈が、この病院にいる。あたしを呼んでいる。

 

 この声は、美奈が直接あたしの頭の中に呼びかけているのだ――理沙は、そう思っていた。驚きはしなかった。いま、村では原因不明の怪現象が起こっている。幻視や治癒能力の向上と言った特殊能力が宿っているのだから、テレパシーのような能力が使えても不思議はない。

 

 それに、そもそも美奈と理沙の二人には、子供の頃からこういった不思議な能力があった。

 

 例えば、美奈が転んでひざにケガをすると、理沙も同じ場所が痛んだりする。

 

 例えば、理沙が街で迷子になっても、誰よりも早く美奈が見つけてくれる。

 

 例えば、理沙が好きになった人は、美奈も好きになってしまう。

 

 大人になるにつれ、このような現象は少なくなったが、完全に無くなったわけではなかった。理沙は、高校卒業後村を離れ、東京で暮らしていたが、ふと、美奈のことが気になり、電話をすると、風邪をひいて寝込んでいたということがあった。逆のこともある。理沙が仕事先の人間関係で悩み、落ち込んでいると、美奈から電話があり、話を聞いてくれた。美奈と理沙は元々もひとつの存在であり、双子として産まれ、育った今でも、言葉では説明できない不思議な感覚で繋がっている――理沙は、そう思っていた。

 

 だから。

 

《――理沙》

 

 また、声がした。

 

 美奈はこの病院にいる。あたしを呼んでいる。

 

 あたしを、必要としている。

 

 そう、確信していた。

 

「お姉ちゃん?」

 

 もう一度、廊下の奥の闇に向かって声をかけた。

 

「……理沙」

 

 声が聞こえた。

 

 今度は、頭の中ではなく、ちゃんと、耳で聞こえた。

 

 闇の中に、人の気配がする。

 

 理沙は、足元を照らしていたライトを、少しずつ廊下の奥へ向ける。

 

 誰かの足が見えた。

 

 細い足だった。女性のものだ。床には割れたガラスの欠片や瓦礫が散乱しているのに、裸足だった。

 

 足が一歩、こちら側に向かって、動いた。

 

 息を飲む理沙。

 

 その肌の色は、どす黒い、血の気を失った、死体のような色をしていた。すでに、何度も見た肌の色だった。

 

「……理沙」

 

 名を呼び、また一歩、近づいてくる。

 

 ライトを上げる。看護師の服を着ていた。だが、それは白衣とは呼べそうになかった。泥と血が混じったようなシミがいたるところにあり、黒ずんでいる。胸に、ネームプレートが見えた。『恩田美奈』と書かれてあった。

 

「理沙」

 

 さらに一歩、近づいてくる。

 

 理沙の肺が、酸素を求めて激しく動く。呼吸が、少しずつ荒くなる。これ以上は見たくない。知りたくない。すぐに背を向け、逃げ出せば、何も見ず、何も知らずにいられるだろう。それが最善の選択のように思える。

 

 だが、ライトを上げる手を止めることはできない。姉がそこにいる。それを確認しなければいけない。たとえ変わり果てた姿になっていたとしても、それを認めるのが怖くてしょうがないとしても。

 

 ライトが闇を照らす。闇に、顔が浮かび上がる。

 

 息を飲む理沙。

 

 浮かびあがった姉の顔は、姉ではなかった。

 

 屍人と同じ、生気を失った肌の色。だがその顔は、もはや人のものではなかった。かろうじて人の形を成しているのは輪郭と口だけで、額と思われる部分から、長いこぶのようなものがいくつもぶら下がっていた。目と鼻は、そのこぶの中に埋もれていた。親でさえ、その醜い姿を娘だと思わないかもしれない。

 

 だが、双子の妹である理沙には、判る。

 

 あの醜い化物が、姉の変わり果てた姿だと、判る。

 

 だから、叫んだ。

 

 恐怖ではない。

 

 姉が、もう姉ではなくなった現実を、受け止めたくなくて。

 

 ただ、叫んだ。

 

 叫ぶことで、目の前の姉を、この現実を、否定することができると信じて。

 

 だが、もちろん、叫ぶことでは何も変わらない。

 

 それでも理沙は、叫んで、叫んで、叫び続けて。

 

《――理沙》

 

 また、頭の中に声が響いた。逃げて、と、言われた気がした。いや、違う。こっちへ来て、と言ったのか? 判らない。美奈は近づいてくる。逃げろと言っている。こっちへ来てと言っている。判らない。どっちが姉の言葉だ。姉は何を言っているんだ。判らない。双子なのに、姉の気持ちが判らない。

 

 それで理沙は、悟った。

 

 目の前の姉は、もう、姉ではないのだと。

 

 もう、美奈とは、繋がっていないのだと。

 

 もう、双子では、なくなったのだと。

 

 理沙は振り返り、走った。

 

 あれはもう、姉ではない。

 

 屍人だ。

 

 だから、逃れるために、走った。

 

 右側の壁に扉がある。北の第一病棟に通じており、診察室に宮田先生と牧野求導師がいる。知らせなければ。病院内に、屍人が侵入したことを

 

 だが、ドアが開かない。さっき理沙が通った時は開いたのに。

 

 屍人が近づいてくる。

 

 何度ドアノブを回しても開かなかった。周囲を見回す。ドアの反対側に階段があった。駆け上がる。二階の北側の壁にもドアがあり、そこからも第一病棟に行けるはずだが、そのドアも開かなかった。屍人が階段を上がる足音が聞こえる。近づいてくる。この宮田医院の建物は二階建てだ。二階の廊下を逃げるしかない。だが、廊下を少し進んだところで防火扉が下ろされており、閉ざされていた。ノブを回すとわずかに十センチほど開いたが、壊れているのか、それ以上は開かない。これでは通れない。

 

「――理沙」

 

 屍人の声が耳に届いた。振り返る。屍人が迫っている。

 

 扉に体当たりをする理沙。わずかに扉が動いた。何度か肩を打ちつけると、隙間は三十センチほどに広がった。これなら通れるかもしれない。理沙は、隙間に身体を滑り込ませた。少し引っかかったが、なんとか通り抜けることができた。

 

 だが、奥へ逃げようとして立ち止まる。この先にも気配を感じる。屍人がいる。逃げられない。

 

 どん! 背後の防火扉が叩かれた。扉の隙間から、ナース服を着た屍人の醜い顔が見えた。こちらへ来ようとしている。隙間を通り抜けようとしている。認めたくはないが、元は双子の姉だ。自分が通り抜けられたのだから、姉にも通り抜けられるだろう。逃げ場はない。そう思った。

 

 だが。

 

 姉は、扉の隙間を通り抜けられないでいた。

 

 何度も体をよじるが、顔がこちら側に来ただけで、身体は向こう側だ。

 

 やがて屍人は顔をひっこめた。諦めたのか、気配が遠ざかり、階段を下りる足音が聞こえる。一階へ下りて行ったようだ。

 

 助かった――安堵の息を吐く理沙。だが、なぜ自分が通れた隙間を、あの屍人は通れなかったのだろう? 考える。もしかしたら、姉は太ったのかもしれない。そう言えば、ずっと仕事先での人間関係がうまく行かず、悩み、食欲が減退していた理沙に対し、美奈は、職場で好きな人ができたとかで、かなり幸せそうだった。その差が出たのかもしれない。

 

 背後の脅威はひとまず去ったが、前方の脅威は去っていない。複数の気配を感じる。屍人がいる。目を閉じ、幻視を行った。すぐに、人ではない者の視点が見つかった。だが、これは屍人なのか? 疑問が湧く。視点は異常に低く、床のすれすれにある。どうやら、四つん這いで歩いているようである。ときどき視界の隅に左右の手――というよりは、前足と呼ぶべきか――が映るが、鍵爪のように細長く伸び、床を引っ掻くように歩いている。呼吸は荒い。屍人のような獣の呼吸ではなく、笛を吹いているような高い呼吸音だ。

 

 その視界に、若い女性の姿が映った。

 

 同時に、身体が大きく震える。

 

 目を開ける理沙。廊下の奥に、四つん這いの格好で素早くこちらに向かって来る屍人の姿が見えた。いや、本当に屍人なのかは判らない。服を着て、かろうじて人の姿をしているものの、顔中に細く短い毛が生え、かつて目があったと思われる場所には黒く濁った半球体が飛び出しており、その周りにも、小さな半球体がいくつもくっついている。鼻は無くなり、口があったと思われる場所には、鎌のような二つの触覚が飛び出していた。その姿は、どこか蜘蛛を想像させる。

 

 蜘蛛の姿をした屍人は、耳障りな金切り声をあげると、さらに近づいてくる。逃げなければ。だが、後ろには姉の屍人がいる。周囲を見回し、近くにあったドアを開け、中に入った。入院患者の部屋のようだ。蜘蛛屍人は近づいてくる。反射的にドアを閉めた。鍵を閉めれば知能の低い屍人には開けられないかもしれない。が、病室であるためか、中から閉める鍵は無かった。部屋を見回す。廊下同様荒れ果てた部屋の中にはベッドが一台あるだけだ。病院のベッドなので高さがあり、下に潜り込んでもまる見えだ。隠れる場所はない。逃げ場は無くなった。どん、と、ドアが叩かれる。少でも屍人から遠ざかるため、奥へ逃げる理沙。窓があった。ここは二階だ。飛び降りられない高さではない。頭から落ちさえしなければ死ぬことはないだろうし、骨折くらいならすぐに治るはずだ。理沙は、決意して窓を開けた。だが、眼下に猟銃を持った屍人の姿が見えた。ダメだ。飛び降りることもできない。

 

 ドアは、どんどんと叩かれる。どうすることもできない理沙。

 

 しかし。

 

 それ以上のことは起こらない。

 

 ただ、ドアが叩かれる。それだけだった。

 

 やがて、ドアは静かになった。幻視を行うと、蜘蛛型屍人は廊下の奥へと歩いていた。諦めたのだろうか? ドアに鍵はかけていない。ノブをひねれば、簡単に開くはずである。屍人の知能は低いが、ドアを開けられないほどではないはずだ。実際、屍人がドアを開ける所は何度も見た。考えられることは、あの蜘蛛のような屍人は、人型の屍人よりもさらに知能が低いということだ。なぜあのような姿に変貌したのかは謎だったが、ひとまず助かった。

 

 しかし、まだ安心はできない。再び幻視を行う。廊下には二体の蜘蛛型屍人がいた。一階には美奈の屍人がいる。中庭や裏庭にも何人かの屍人を見つけたが、幸い、北の第一病棟にはまだ侵入していないようである。宮田先生と牧野求導師は、第一病棟一階の診察室にいる。幻視で様子を探る。村で起こった怪異について話し合っており、屍人の侵入には気付いていないようだった。早く知らせないと。理沙は幻視越しに先生に呼びかけたが、その声は届かない。残念ながら、幻視は相手の声を聞くことはできるが、こちらの声は届かないのだ。先生達の方から自分を幻視してくれればいいのだが、真剣な表情で話し合っており、期待できそうにない。直接診察室へ行くしかないだろう。

 

 この宮田医院は、北の第一病棟と南の第二病棟に分かれており、東西二ヶ所の渡り廊下で結ばれている。この第二病棟の二階からも第一病棟へ行くことは可能だが、西の渡り廊下はドアに鍵がかけられていて開かなかったし、美奈の屍人が今も近くを徘徊している。東の渡り廊下の扉は開け放たれていたが、二体の蜘蛛型屍人が巡回している。これでは身動きが取れない。なんとかしなければ。理沙は、蜘蛛型屍人を幻視し続ける。しばらく様子を探っていると、だんだんと屍人の行動パターンが判ってきた。この第二病棟二階には三つの部屋があり、理沙を襲おうとした蜘蛛型屍人は、理沙の隣の部屋の前に立ち、前後を振り返りながら警戒している。もう一体の蜘蛛型屍人は、理沙がいるこの部屋の前から、二つ奥の部屋までを何度も往復している。廊下を進むのは無理そうだった。やはり、窓から飛び降りるしかないのか。もう一度窓の外を見る。猟銃を持った屍人は建物に背を向けて外を見張っている。頭上には注意してないが、飛び降りたらさすがに気付かれるだろう。飛び降りても死ぬような高さではないが、すぐに走り去ることができるとも思えない。逃げる前に撃ち殺されてしまうだろう。いったい、どうすればいいのか。

 

 ――あれ?

 

 理沙は、窓の外のすぐ下に、三十センチほどの幅でコンクリートの(はり)が飛び出しているのを見つけた。少し狭いが、十分な足場になりそうだ。足場は病棟外壁の左右に渡っており、伝って行けば、隣の部屋、さらにその隣の部屋まで行けそうだった。これは使えそうだ。この足場を伝ってふたつ隣の部屋まで行けば、後は蜘蛛型屍人の隙をついて渡り廊下に出て、第一病棟へ行くことができる。窓の下の猟銃屍人は頭上の警戒はしていない。よし。理沙は窓を開け、慎重に足場に下りた。壁にピッタリと背をつけ、横歩きでゆっくりと進んで行く。隣の部屋の窓の前を通り抜け、さらに奥へ進む。一番奥の部屋の窓は開け放たれていた。中に入ろうと窓枠に手を掛ける理沙。

 

「――――!」

 

 思わず声を上げそうになり、慌てて手で口を塞いだ。

 

 部屋の中に蜘蛛型屍人の姿があったのだ。幸い背を向けており、気付かれることはなかったが、驚いて危うく落ちるところだった。危なかった。足場を渡るのに夢中で油断していた。気を付けないと。幻視で部屋の中の様子を探る。部屋のドアは開け放たれており、蜘蛛型屍人でも中に入ることができたようである。蜘蛛型屍人はしばらく部屋の中を見回していたが、やがて廊下に出て、巡回に戻った。今度こそ大丈夫だ。理沙は窓枠を乗り越えて中に入った。蜘蛛型屍人はまだ近くにいるはずなので、少し様子を窺うことにした。入口のドアを閉める。これで蜘蛛型屍人は入って来られないはずだし、恐らく開いていたドアが閉まっていることにも疑問を抱かないだろう。

 

 部屋を見回す。さっきまで隠れていた部屋と同じ、入院患者の部屋だ。パイプ式のベッドが一台置いてあるだけだ。ベッドには汚れたシーツがかけられてあり、その中央が少し膨らんでいる。下に何かあるようだが、理沙は特に気にすることなく、廊下の屍人の様子を探ろうとした。

 

 その時。

 

 ガタガタと音をたて、ベッドが揺れた。

 

 驚いてベッドを見る理沙。

 

 シーツが、中央の膨らみを中心に、大きく波打っていた。

 

 その動きに合わせ、ベッドが揺れている。

 

 シーツの下で、何かがうごめいている。

 

 不思議と、恐怖は感じなかった。すでに何度も化物に襲われ、恐怖の感覚が麻痺し、今さらその程度では驚かない……というのもあるが、理沙は、そのうごめく者に、温もりのようなものを感じていた。ドクンドクンと、脈動している。それは、心臓の動きに似ていた。理沙の感じている温もりは、生命の鼓動のようなものかもしれない。

 

 理沙は、誘われるようにベッドに近づき、そっと、シーツを取った。

 

 だが――。

 

 ベッドの上に、動くものは何もなかった。

 

 そこにあったのは、木彫りの彫像だった。木の板の表面を削り、浮き彫り細工をほどこした物。レリーフと呼ばれる美術品だ。

 

 レリーフには、二人の人物が浮き彫りにされていた。一人は剣を、もう一人は盾を持っている。

 

 理沙は、その美しさに思わず息を飲んだ。美術品としての美しさではない。浮き彫りにされた男の美しさに目を奪われたのだ。いや、その人物を男性だと思ったのは、理沙が女性であったからかもしれない。男性が見れば、きっとこの人物は女性に見えるだろう。見た者すべてを魅了する――そんな、妖しげな美しさを持った人物だ。

 

 天使――。

 

 そう思った。これは、天使のレリーフだ。

 

 理沙は、しばしその美しさに見とれる。

 

 が、屍人の甲高い唸り声を聞き、我に返った。美術品に見とれている場合ではない。それに、これ以上このレリーフを見ていたら、心まで奪われてしまいそうだった。理沙はレリーフをベッドの上に戻し、シーツを掛け直した。

 

 もう一度幻視をして、廊下の様子を探る。ちょうど、巡回している蜘蛛型屍人が部屋の前を通り過ぎ、西側へ向かったところだった。今がチャンスだ。後は、隣の部屋の前に立っているもう一体の蜘蛛型屍人の隙を突いて渡り廊下へ行くだけだ。視点を切り替える。様子を探り、屍人の視点が理沙の部屋の扉から離れた瞬間、ドアを開け、素早く廊下を走り抜けた。渡り廊下に出る。うまく行った。そのまま渡り廊下を走り抜け、北の第一病棟へ入った。こちらの建物内に屍人はいない。診察室にいる宮田先生の所へ向かうだけである。理沙は、急いで階段を下りた。しかし。

 

 ――そんな!?

 

 階段を下りたところで、理沙は立ち尽くす。

 

 診療室へと向かう廊下は防火扉が下ろされてあった。鍵がかけられてあるのか、押しても引いてもビクともしない。これでは診察室へ行けない。ここまで来たのに引き返すしかないのだろうか? だが、他に診察室へ向かう方法があるだろうか? 思いつかない。どこもドアに鍵がかけられていたし、屍人がうろついている。でも考えろ。何か、先生に危険を知らせる方法はないか……。

 

 防火扉のそばの壁に、火災報知機が設置されてある。

 

 ――これだ!!

 

 理沙はボタンを押した。けたたましい警報音が病院中に鳴り響く。

 

 幻視を行う。異変に気付いた宮田先生が、廊下に飛び出す姿が見えた。牧野求導師もその後に続く。

 

 ――良かった……これで、先生が助けに来てくれる……。

 

 理沙は、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。

 

 

 

 

 

 


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