SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十八話 前田知子 蛭ノ塚/水蛭子神社 初日/十七時五十四分五十一秒

 遠くで、銃声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 蛭ノ塚にある水蛭子神社。その、社殿の中で、前田知子は恐怖に身体をこわばらせた。今の銃声は、屍人が村人を撃ったのだろうか? それとも、村人が屍人を撃ったのか? 判らない。どちらにしても恐ろしいことだ。昨日までみんなでのんびりと暮らしていたのに、なぜ、こんな銃声が頻繁に鳴り響く危険な村になってしまったのだろう?

 

 六時間ほど前、猟銃を持った屍人に襲われた知子。求導師の牧野が静止するのも聞かず、恐怖のあまり逃げ出した知子は、なんとか屍人を振り切り、この社殿に隠れたのだった。

 

 外は多数の屍人が徘徊しているが、社殿の中にいる知子に気付くことはなかった。神社は神聖なものであり、屍人にとってもそれは同じなのだろう。中に誰かが隠れているとは思わないようだ。

 

 だが、社殿の扉は木を組んで作った格子式のもので、外からは丸見えだ。いつまで隠れていられるかは判らない。

 

 ――お父さん、お母さん。

 

 昨日のことを思い出し、知子は嗚咽を洩らす。

 

 昨日、知子は些細なことで両親とケンカしてしまい、家を飛び出した。知子が毎日つけていた日記を、両親が勝手に読んだのだ。些細なこと……いま思えば、本当に些細なことだ。日記には、両親はもちろん友達や他の誰にも話していないことをたくさん綴っていた。主に、好きなクラスメイトのことだ。それを勝手に見られて、恥ずかしいという思いは今もある。しかし、それだけのことだ。知子にしてみても、本当に心の底から怒っているというわけではない。家を飛び出したものの、本気で家出をしようと思ったのではなく、ただ、ちょっといなくなって親を心配させてやろうと思っただけだった。それが、こんな事態になるなんて。お父さんとお母さんは無事だろうか? 心配しているだろうか? 村のあちこちを訪ね歩き、屍人に襲われていないだろうか? もし、屍人に殺されてたりしたら、もう、二度と会えないのだ。あんなくだらないことでケンカをしたまま会えなくなるなんてイヤだ。

 

 お父さんとお母さんに会いたい。

 

 会って、昨日のことを謝りたい。

 

 胸に、強い想いが湧いてくる。

 

 涙を拭い、立ち上がった。このままここにいても、助けは来ないかもしれない。求導師様が助けてくれると思っていたが、今のところその気配は無い。それも仕方ないだろう。求導師様と言えど生身の人間。銃や刃物を持って襲ってくる化物が大勢徘徊しているのに、どこに隠れているかも判らないあたしを一人で探すのは無謀だ。それで求導師様が襲われてしまっては元も子もない。賢明な求導師様のことだ。助けを呼びに行ったのだろう。でも、あたしなんかのために求導師様の手を煩わせるなんてもってのほかだ。村はいま大変な状況だ。求導師様には、他にしなければいけないことがたくさんあるはずだ。そもそも、あたしがこんな状況になったのは、求導師様の言うことを聞かず勝手に行動したからだ。自分のせいでこうなったのだから、自分で何とかしなければいけない。

 

 知子は目を閉じ、外の気配を探った。すぐに、自分ではない別の者の見ている映像が浮かび上がる。求導師様が言うには、これは、羽生蛇村に伝わる『幻視』という特殊能力だそうだ。この能力を使って、ここから脱出してみよう。

 

 この神社の境内から脱出する道は三つ。社殿右の泉の前を通って宮田医院のある比良境方面へ行くか、正面の階段を下って県道に出るか、社殿左の祠から神主様の家の方へ行くか、である。残念ながら、どの道も屍人が見張っている。比良境方面の道にいる屍人は猟銃を持っており危険だ。仮に、何らかの方法で突破できたとしても、比良境への道は高い崖に阻まれており、知子の力で登るのは無理だろう。脱出するなら正面の階段か神主様の家の方へ行くしかないが、正面の階段も猟銃を持った屍人が見張っているし、左の祠の前にも鎌を持った屍人がいる。いずれも注意深く周辺の様子を窺っており、見つからずに脱出するのは難しい。何か、ヤツらの注意を引きつけることはできないだろうか? 幻視をやめ、社殿を見回す。すぐに、良いことを思いついた。社殿の扉の前に吊るされてある参拝用の鈴を鳴らせば、ヤツらの注意を引きつけることができないだろうか? 屍人は音に敏感に反応するから、たぶんうまく行くだろう。だが、それだけでは不十分かもしれない。鈴に異常がないことを確認したら、ヤツらはすぐに元の場所に戻るだろう。もうひとつ、ヤツらの注意を引きつけるものが必要だ。鈴の下には賽銭箱がある。長年風雨にさらされていたためか、ボロボロで、今にも壊れそうだ。

 

 ――これだ。

 

 知子は用心深く外に出た。賽銭箱を押してみる。かなり重かったが、なんとか知子の力でも動かすことができた。

 

 ――蛭子様、ごめんなさい!

 

 賽銭箱を地面に落とす。ボロボロだった賽銭箱は、衝撃で簡単に壊れた。中のお賽銭が地面にばら撒かれる。

 

 よし。続いて知子は、ひもを揺らして鈴を鳴らす。周囲に鈴の音が鳴り響いた。目を閉じ、素早く幻視を行う。周囲の屍人は音に気が付いたようだ。うまく行った。知子は神社の裏に回り、身を隠した。しばらくすると、正面の階段にいた猟銃を持った屍人と、左にいた鎌を持った屍人が現れた。地面にばら撒かれたお賽銭に気付くと、駆け寄って拾い始めた。狙い通りだった。知子は、屍人のそばを慎重に通り抜ける。気付かれたら襲われる前に走り抜けるつもりだったが、屍人はお賽銭をかき集めるのに夢中で、全く気付くことはなかった。社殿正面の階段まで来て、急いで駆け降りる。屍人はまだお賽銭を集めている。こんなにうまく行くとは思わなかった。

 

 県道の脇に立つ鳥居まで下りた知子。ここから西へ向かえば比良境を脱出できる。しかし、まだ安心はできない。再び幻視を行う。県道をしばらく進んだ先に、拳銃を持った屍人が見張りをしていた。残念ながら鈴の音はここまで届かなかったようだ。屍人はこちらに背を向ける格好だが、いつ振り返るかもわからない。ひとまずどこかに身を隠そう。周囲を見回す。鳥居のすぐそばに廃車同然の古いパトカーが停められてあった。ドアを引いてみると、カギはかかっておらず、簡単に開いた。運転席に入る。幻視をすると、知子が心配した通り、拳銃屍人はこちらを振り返っていた。幸いうまく隠れることができたため、気付かれることはなかった。

 

 あの拳銃屍人をどうにかしなければ脱出することはできない。何か方法はないだろうか? すぐに思いついたのはパトカーで屍人を撥ね飛ばすことだが、相手が屍人とは言えそんなことをするのは気が引けるし、そもそも中学生の知子に運転の技術は無い。県道の南側は切り立った崖で、はるか下には赤い海が広がっている。道にはガードレールすらない。少しでも運転を誤れば転落してしまうだろう。パトカーを運転するのはあまりにも危険だ。何か別の方法を考えよう。屍人を陽動する物でもないだろうか? 知子はパトカー内を探った。助手席のサイドポケットに新聞紙が入っていた。この三隅地方で広く読まれている地方新聞紙・三隅日報だ。役に立ちそうにもないが、その日付を見て、手に取らずにはいられなかった。昭和五十一年七月三十一日とある。二十七年前日付だ。やはりここは、二十七年前に土砂災害で消滅した比良境なのだろうか? 日報では、謎の光柱現象についての記事が載っていた。三十日未明、眞魚川水門付近に巨大な光の柱が現れた、というものだ。

 

 この光柱現象は、羽生蛇村に古くから伝わる自然現象のひとつだ。地上の明るい光が空中の氷層に反射して起こる現象とされている。村では、災いをもたらす巨大な海龍が現れる前兆という言い伝えがあり、この光柱現象が確認されると、数日以内に大きな災害が発生すると言われている。実際、この日報が発行された数日後、村は大きな土砂災害に見舞われた。こういった大災害前の謎の自然現象は世界中で報告されているが、多くの場合、科学的な関連は不明だ。

 

 知子は日報を元の場所に戻した。重要な情報かもしれないが、屍人相手には役に立ちそうもない。他に何かないか? ダッシュボードを開け、中を探っていると、知子の肘が、何かのスイッチに当たった。

 

 途端に、サイレンが鳴り響く。

 

 また、あの謎のサイレンだろうか? 一瞬そう思ったが、パトカーのサイレンだった。サイレンを鳴らすスイッチを押してしまったようだ。マズイことになった。周辺の屍人に気付かれる。幻視を行うと、案の定、県道に立っていた拳銃屍人がこちらに向かって来ていた。

 

 ……いや、これは、逆にチャンスかもしれない。

 

 知子は、入った時とは反対の助手席側のドアを開け、外に出た。そのままパトカーの陰に身を隠し、様子を窺う。拳銃屍人はパトカーの前までやって来ると、じっと運転席を見つめ、何か考えている。しばらくして、ドアを開けた。サイレンを止めようと、スイッチをいじっている。幻視で周囲を窺う知子。神社の境内にいる屍人は今だお賽銭を集めるのに夢中で、サイレンの音にも気付いていない。

 

 知子は静かにパトカーから離れ、走った。道の先には、もう屍人の気配は無い。うまく行った。これで、しばらくは大丈夫だろう。

 

 ――お父さん、お母さん、無事でいて。

 

 知子は、上粗戸へ向かって走る。

 

 

 

 

 


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