SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十五話 竹内多聞 蛭ノ塚/水蛭子神社湧水 初日/二十時四十一分十八秒

 蛭ノ塚で調査中の竹内多聞が水蛭子神社裏の泉に戻ってみると、教え子の安野依子は、泉の近くにある東屋にいた。どこから調達したのか、カセットコンロとやかんでお湯を沸かし、それを、じーっと見ていた。奇妙なのは、やかんの注ぎ口にアルミホイルが巻きつけられてあり、それがへの字に曲げられ、その先にコップが置かれていることだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……何をしている?」

 

「ああ、先生。お帰りなさい」安野は振り返った。「遅かったですね。調査の方は、どうでした?」

 

「ボチボチと言ったところだ。それより、それは何だ?」

 

「コレですか? あまりにものどが渇いたので、水を飲もうと思いまして」

 

「この村の水は決して飲むなと言ったはずだが?」

 

「そうなんですけど、さすがにずっと飲まないのはいけないと思うんです。真夏ですから、こまめに水分補給をしないと、熱中症になっちゃいますからね。だから、考えたんです」

 

「何をだ」

 

「お湯を沸かして、水蒸気を集めるんです。見てください」安野は、やかんの注ぎ口に巻きつけてあるアルミホイルを指さした。「沸騰して発生した水蒸気は、このアルミホイルの中で冷えて水に戻り、下のコップに溜まるわけです。不純物は取り除かれた純粋な水なので、これなら飲んでも大丈夫なはずです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……安野」

 

「はい」

 

「悪くないアイデアだ」

 

「でっしょー? これ、テレビで見たサバイバル術なんですよ」安野は、コップを取り、竹内に差し出した。「さあ、先生。飲んでください」

 

 コップには半分ほど水が溜まっている。東屋の中で沸かしたものだから雨水が入る心配はないはずだが、どういうわけか、水は真っ赤なままだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……安野」

 

「はい」

 

「とりあえず、お前が飲んでみてはどうだ?」

 

「いえ、あたしはあんまりのどが渇いていませんし」

 

「さっき、『あまりにものどが渇いた』と言っていたようだが?」

 

「そうでしたっけ? まあ、気にしないでください。先生は調査でお疲れでしょうから、遠慮せずにどうぞ」

 

「お断りだ。どう見ても、飲めるようには見えん」

 

「……やっぱり、先生もそう思いますか?」

 

「当たり前だ」

 

「ですよねー。実は、あたしもそう思います」安野は、コップをポイッと投げ捨てた。「でも、おかしいですね。科学的には、これで飲めるはずなんですけど」

 

 こんな現在と二十七年前の村が混在し、死んだ者がうろついているような場所で、科学的もへったくれもないだろうに。まあ、何事も試してみる姿勢は大事だろうが。

 

「しかし、困りましたね、先生」安野は顔を傾けた。「食事はともかく、さすがに水は摂らないと、数日ももたないですよ?」

 

「それに関しては、恐らく大丈夫だ」

 

「なぜです?」

 

「今、我々は治癒能力が飛躍的に向上している。水を飲まなくても死にはしない。のどは渇くだろうがな」

 

「なんだ。それなら、安心ですね」

 

「それより、やかんやコンロなど、どこで調達したんだ? ここを動くなと言ったはずだぞ」

 

「あ、はい。えーっと。そこの、神社の中で見つけました」泉のそばの社殿を指さす安野。

 

 社殿の中にコンロとやかんがあった? 疑わしい限りだが、あるわけがないとも言い切れない。

 

「まあいい。それより、変ったことはなかったか?」

 

「あ、はい。えーっと。別に、何もありませんでした。静かなものでしたよ」

 

「途中、幻視での連絡が取れなかったようだったが?」

 

 幻視での連絡とは、十五分ごとにお互いを幻視するというもので、それにより、連絡を取り合うことができるのである。安野が発案したことだったが、連絡が取れたのは最初の一時間くらいで、すぐに音信不通になったのだった。

 

「あ、はい。えーっと。あたしも、何とか連絡しようとしたんですよ。でも、先生が遠くに行ったからか、全然繋がらなくて」

 

「私は、ここからあまり離れていないがな」

 

「そうなんですか。視界ジャックの能力って、案外範囲が狭いんですね」

 

 あっけらかんとした口調で言う安野。疑わしい限りだが、幻視は未知の能力だ。有効範囲など、竹内にも判らない。

 

「それより、先生の方はどうだったんですか?」話題を変える安野。「何か、判りましたか?」

 

「まあな。県道の橋の下で、サイレンに導かれるように、屍人たちが海に入る所を見たんだが――」

 

 竹内は、見てきたことを説明した。

 

 羽生蛇村には、古来より伝わる、『海送り』という民俗行事がある。旧暦の大みそか、黒装束に身を包んだ村人が、一年の罪や穢れを祓い清めるため、眞魚川に身を沈めるのである。海の向こうにある常世と呼ばれる理想郷へ向かうための儀式とされている。これを、屍人が行っていたのである。村の伝承が本当ならば、屍人は、より常世に近づいた存在になって帰って来ると思われた。

 

「あ、それ、知ってます」安野が手を挙げた。「『海還り』ですね?」

 

「ほう? よく知っているな。誰かに聞いたのか?」

 

「あ、はい。えーっと。いえ、人から聞いたのではなくて、村に来る前に、事前にインターネットで調べたんです」

 

 この閉鎖的な村で海送りや海還りのことをインターネットに載せているとは考え難い。疑わしい限りだが、まあ、村も少なからず村おこし的なことをやっているようだし、無いとも言い切れない。

 

「まあいい。それで、五時間後、屍人が海から上がって来たんだが……」

 

 竹内が言いかけたとき、近くで、獣が吠えるような声が聞こえた。

 

「……くそ。追って来たようだ」銃を取り出し、構える竹内。「安野、少し下がってろ」

 

「はーい」

 

 子供のように手を挙げて竹内から離れる安野。竹内は銃を構えたまま、じっと待つ。

 

 しばらくして、四つん這いの獣が現れ、竹内に向かって走って来た。

 

 だが、事前に銃を構えていた竹内は動じない。十分に引きつけ、引き金を三度引いた。銃声が響き渡る。一発は外れたが、残りの二発は命中した。獣はうめき声を上げながらその場に倒れた。

 

 動かなくなった獣のそばに立つ竹内。四つん這いで走って来た獣だったが、農作業用の服を着ており、その姿は人間のものだった。いや、かろうじて人間の姿かたちを保っている、と言った方が良いかもしれない。顔は、眼球が大きく剥き出し、口元には牙が覗いていて、頭には触角のようなものが生えている。

 

「これが、海から還って来た屍人の姿だ」竹内は、忌々しげに言った。「いや、もしかしたら、これこそが屍人の本当の姿なのかもしれん。海送りや海還りは、常世へ旅立つための儀式。それを繰り返すことによって、より常世に近づくことになる。つまり、儀式を繰り返すことにより、少しずつ完全な姿へ変貌していくのかもしれないな」

 

「へぇ。そうなんですか」安野は無感情に言った。

 

「……驚いていないようだな?」

 

「はい。犬屍人さんですよね? さっき、あたしも崩れた橋の所で見ました。他に、クモみたいな屍人さんと、羽根の生えた屍人さんと、タラコみたいなのがいっぱいくっついた屍人さんがいます」

 

「ここを動くなと言ったはずだが?」

 

「あ、はい。えーっと。間違えました。橋の所じゃなくて、ここで見たんです。先生を待っていたら、あいつらがやって来たんです。なんとか隠れてやり過ごしましたけど」

 

「さっきは、『何も無い、静かなものだった』と言っていたようだが?」

 

「あ、はい。えーっと。そうでした。報告を忘れてました。先生を待っている間、変わった屍人さんたちがいっぱい来ました」

 

「さっきから、『あ、はい。えーっと』というのが多いようだが?」

 

「うるさいですね。細かいことを気にする男は、女の娘にモテませんよ?」

 

「ほっとけ。貴様が心配することではない」

 

「それより先生。これからどうするんですか?」また話題を変える安野。「海還りを終えたってことは、こんな進化した屍人さんが、周りにたくさんいるってことですよね? どうやって調査を進めるんですか?」

 

 ふうむ、と、竹内は唸る。竹内はここに来るまでに、何度か進化した屍人と戦った。安野の言う通り、犬のような屍人の他に、蜘蛛のような屍人と、羽根の生えた屍人がいる。どの屍人も野生の獣のように身体能力が向上しているが、知性は低下しているように見えた。しかし、どういうわけか統率を持って行動しているように思える。何の目的もなく、ただ襲ってきているのではなさそうだった。と、いうことは、どこかにヤツらを支配している者がいるのかもしれない。

 

「……安野」

 

「はい」

 

「さっき、タラコみたいなのをいっぱいくっつけた屍人を見たと言ったな?」

 

「はい。なんか、ほわんほわん言ってて、電波みたいなもの発してる雰囲気でした」

 

 そいつが頭脳(ブレイン)か? そいつを倒せば、あるいは――。

 

 竹内は銃を確認する。弾は、予備も合わせてあと九発しかない。ヤツらと戦うには心許無い。まずは武器の調達が必要だ。この神社を下りた先にパトカーが停められてあった。運が良ければ何かあるかもしれない。

 

「安野」

 

「はい」

 

「ヤツらを支配している者、いわば、頭脳屍人(ブレイン)とでも言うべき者がいるはずだ。そいつを見つけ出し、倒す。お前は、どんな時も私の言うことを聞いて行動しろ。いいな?」

 

「言われなくても、あたしはずっと先生の言うことを聞いてますよ?」

 

 よくもぬけぬけとそんなことが言えるものだ。まあいい。早く行動を開始しよう。

 

「ところで先生」と、安野。

 

「なんだ?」

 

「この神社に奉られている『蛭子(ヒルコ)様』って、古事記に登場する蛭子神ですよね?」

 

「そうだな。蛭子は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に産まれた最初の神だが、醜い姿で産まれたため、(あし)の船に乗せられ、海に流されたとされている」

 

「ブサイクだからって我が子を捨てたんですか? ヒドイ話ですね」

 

「まあ、神話に登場する神などそんなものだ。それで、海に流された蛭子神が流れ着き、神として奉られたという話は、兵庫県の西宮神社や和田神社(わだみや)を始め、日本各地に存在する。どこも、海岸に流れ着いたとされているが、この羽生蛇村の伝説は、ちょっと変わっている」

 

「何がです?」

 

「海ではなく、そこの泉に流れ着いたとされている」多聞は、そばの赤い泉を指さした。「村に伝わる『水蛭子神社縁起(みずひるこじんじゃえんぎ)』によると、子供が泉で水を汲もうとしたら、泉から人魚が現れて、『我は蛭子命(ひるこのみこと)。泉の水を以て酒飯を作り、私に奉じよ』と言ったそうだ。その子供の話を聞いた村人は驚いて社殿を作り、蛭子を奉ったそうだ」

 

「へぇ、そうなんですか。でも先生。この村って、海が無いのに、蛭子神が流れ着いたとか、海送り海還りの儀式とか、やたらと海に関連するイベントが多いですよね?」

 

「イベントではないが、まあそうだな」

 

「今、村は赤い海に囲まれてます。やっぱり、アレが関係してるんでしょうか?」

 

「まだ確証はないが、恐らく間違いないだろう」

 

「と、いうことは、いま村で起こってる怪奇現象って、ずーっと昔から続いてる、ってことですか?」

 

「……そうかもしれんな」竹内は、つぶやくように言った。

 

 安野の言うことは、恐らく正しい。海送り海還りは江戸時代に書かれたとされる村の記録に登場するし、蛭子神の神話に関しては少なくとも千年以上前にさかのぼる。これらの行事や風習ができた原因にあの赤い海関連しているのならば、村の怪異は、千年以上前から続いていることになる。羽生蛇村の歴史は古い。村に伝わる古文書によると、一三〇〇年前の天武時代に、神代の祖先がこの地を切り開いたことが村の始まりとされている。その際、来訪神を迎え入れたとか、逆に来訪神を怒らせてしまった、という説があり、それが、眞魚教の始まりとされている。

 

 竹内は、村で起こっている怪異は、神の怒りに触れたからではないか、と考えている。

 

 この怪異が、一三〇〇年前から続いているのならば。

 

 村人は、神に何をしたのだろう?

 

 一三〇〇年とは、神にとってはわずかな時間でしかないのかもしれない。しかし、人にとっては、途方もなく長い時間だ。

 

 それほどまで長く続く神の怒り。一三〇〇年前、村人は、神に対し、どんな罪を犯したのだろう?

 

「――ところで先生」と、安野。「さっきから、ずっと気になってるんですけど」

 

「なんだ?」

 

 安野は、社殿の向こう側にある祠付近を指さした。「あそこに、頭にタラコをいっぱいくっつけてほわんほわん言ってる屍人さんがいるんですけど、先生が言う頭脳屍人(ブレイン)さんって、アイツのことですかね?」

 

 なに!? 慌てて安野が示した方を見る。彼女の言う通り、頭からタラコのようなこぶがたくさんぶら下がった屍人が、こちらの様子を窺っていた。

 

 しかし、竹内が見た瞬間、頭脳屍人は逃げ出し、闇の中に姿を消してしまった。

 

「あらら。逃げられちゃいましたね。残念でした」あっさりとした口調の安野。

 

「……安野」

 

「はい」

 

「いつから気付いてた?」

 

「えーっと。先生が、蛭子神について解説し始めたころからです」

 

「なぜ早く言わない」

 

「それは、せっかく先生が気持ちよさそうに解説しているので、邪魔しちゃ悪いかなー? と思ったんです」

 

「普段は空気を読まないんだから、変なところで気を使うな」

 

「……どういう意味ですか。あたしほど空気を読める人もいないでしょうに」

 

 どの口がそんなことを言うのか。まったく。

 

 まあ、逃げられたものは仕方がない。どの道銃弾が乏しい今は、倒せたかどうか判らない。まずは、最初の予定通り、武器を調達することにしよう。

 

 竹内は目を閉じ、周囲の様子を探った。パトカーは、神社の社殿正面の階段を下りた鳥居のすぐそばに停められている。近くには屍人と思われる者の視点がいくつか確認できた。いずれも視点が低い、もしくは、空を飛んでいる。安野の言う犬屍人と羽根屍人だ。武器を調達するまでなるべく戦闘は避けたいところだが、犬屍人はともかく、空から見張っている羽根屍人の視界を掻い潜るのは困難だろう。残りの弾薬でなんとかするしかない。竹内は、安野を連れ、正面の階段を慎重に下りた。鳥居まで来たところで、目視で羽根屍人の姿を見つけた。県道の上空を飛び回り、パトカー付近を見回っている。その手には拳銃が握られていた。もし、飛び道具が無い状態で狙われたら、手も足も出ないだろう。無駄弾は撃てない。竹内は鳥居の陰から慎重に狙いを定め、そして、引き金を引いた。三度、銃声が鳴り響く。一発が羽根屍人の脇腹に命中したが、残りは外れてしまった。屍人は一瞬ぐらりと揺れたが、すぐに体勢を立て直し、こちらに銃口を向けてきた。一発で倒すのは無理か。さらに三度、引き金を引く。そのうちの一発が何とか命中し、屍人は、どさりと地面に落ちた。ふう。と、息を付く暇もなく。

 

「先生。西から、犬屍人さんが来ます」

 

 安野が言った。マズイ。竹内の銃の装填数は六発だ。つまり、今の羽根屍人で撃ちつくしてしまった。リロードするしかないが、その隙に犬屍人に襲われてしまう。

 

 と、安野が鳥居の陰から飛び出した。

 

「おーい! こっちこっち!」

 

 向かって来る犬屍人に両手を振る。オトリになるつもりか? 何という無茶を。だが、(とが)めるよりも屍人を倒す方が先決だ。銃に弾を込め直す竹内。竹内の持つ銃はリボルバー式のものだ。リロードには時間がかかる。間に合うか……。

 

 獣走りでやって来た犬屍人は、安野に跳びかかった。間に合わない!

 

 だが、安野は犬屍人の攻撃をさっとかわすと、パトカーに乗り込み、バタン、と、ドアを閉めた。ガラス越しにあっかんべーをする安野。犬屍人がさらに跳びかかるが、ドアに阻まれ、その攻撃は届かない。ドアを開けるかガラスを割るかと思ったが、犬屍人は前足でドアを引っ掻くだけだった。まるで、本物の犬のようだ。知能が低下し、ドアを開ける知恵が無くなったのだろうか。

 

 竹内は残りの三発の弾を中に込めると、パトカーとじゃれ合うのに夢中の犬屍人に銃を向けた。じっくりと狙いを定め、引き金を引く。今度は一発で倒れた。

 

「やったぁ。さすが先生です」パトカーから出てくる安野。

 

 大きく息を吐く竹内。「まったく……無茶をするヤツだ」

 

「まあ、いいじゃないですか。それより、コレ、パトカーの中で見つけたんですけど、使えますか?」

 

 安野が取り出したのは拳銃の弾が入った箱だった。警察で使用されているものなら、38SP弾だろう。竹内の拳銃に使用できるものである。

 

「一応、よくやったと言っておこう」箱を受け取る竹内。中には三十発の銃弾が入っていた。これで、しばらくは大丈夫だろう。

 

「それで、先生」

 

「なんだ?」

 

「さっき逃がした頭脳屍人さんですけど、どうやら、あっちの民家のそばにいるみたいですよ?」

 

 東へ続く県道を指さす安野。竹内の古い記憶によると、確かこの先には神主の家があったはずだ。幻視を行う。安野の言った通り、電波を飛ばすような音を出している屍人の視点を見つけた。頭脳屍人で間違いなさそうだ。

 

 竹内は銃に弾を込め直す。「よく見つけた。今度は逃がさないように、慎重に行くぞ」

 

「はーい」いつものように手を上げて応える安野。

 

 竹内は安野を連れ、県道を進んだ。すぐに神主の家が見えてきた。相手に悟られぬよう、ライトを消し、近づいていく。頭脳屍人は家の裏にいるようだ。それ以外にもう一体、庭に、鎌で草刈りをしている屍人がいた。進化する前の人の姿をした屍人だ。幸い草刈りに夢中でこちらに全く気が付かなかったので、背後から容赦なく撃ち殺した。後は頭脳屍人だけだ。幻視で見る限り、頭脳屍人はライトを持っているだけで、武器は持っていない。そう言えば、さっき竹内に姿を見られた頭脳屍人は一目散に逃げ出した。ここまで竹内達は沢山の屍人と遭遇したが、こちらの存在に気付いて逃げだした屍人は初めてだ。案外、臆病なのかもしれない。だが、逃げ足は速かった。ここでまた逃がすと厄介だ。確実に仕留めなければ。

 

「……安野」

 

「はい」

 

「私はこれから家の裏に回り、すみやかに頭脳屍人を仕留めて来る」

 

「判りました」

 

「そのためにはヤツに気付かれないようにしなくてはいけない。お前が一緒だと、騒がしくて気付かれる可能性が極めて高くなる」

 

「なんでですか。あたしは、いつも静かにしてますよ」

 

「そうだな。間違えた。屍人と戦うのは危険だ。私のカワイイ教え子を、危険な目に遭わすわけにはいかない」

 

「そんなカワイイ教え子を、危険な場所に八時間以上も放置していたのは先生です」

 

「うるさいな。細かいことは言う女は、男にモテないぞ?」

 

「ほっといてください。先生が心配することではないです」

 

「とにかく、邪魔だからいや危ないからお前はどこかに隠れていろ」

 

「なんか納得いきませんけど、先生の言うことには従う約束なので、判りました。近くに倉庫みたいなのがあったので、そこに隠れてます。先生。ガンバってください」

 

 安野はスタコラと走って行った。なぜこの近くに倉庫があることを知っているのかは疑問だったが、今は頭脳屍人を倒すことが先決だ。竹内は銃を構え、民家へ近づく。民家の左側から回り込んだ。角を曲がれば頭脳屍人がいるはずである。幻視で確認すると、油断なく周囲を見回し、警戒していた。先ほどの草刈り屍人のように、背後から忍び寄って射殺、というワケにはいかなさそうだ。竹内も拳銃の扱いにはそれなりに慣れてきたが、まだまだ素人の域は出ない。うまく行くか……。慎重にタイミングを計り、相手が背を向けた瞬間、銃口を向けて飛び出した。だが、すぐに気付かれる。竹内のいる場所とは反対側へ走り出す屍人。狙いは定まっていなかったが、竹内は引き金を立て続けに三度引いた。一発が肩に命中し、体勢を崩すことはできたが、倒すことはできず、またすぐに走り出す屍人。竹内はさらに二度引き金を引いたが、屍人はすでに民家の角を曲がった後だった。くそう! 後を追う。民家正面の庭に戻ってくる。頭脳屍人は庭の外に出ようとしていた。銃を構える竹内。残る弾は一発。竹内の腕で逃げる者を相手に命中させることは難しい。また逃してしまったか……諦めかけた時。

 

 バタン、と、屍人が倒れた。

 

 銃は撃っていない。屍人が勝手に倒れたのだ。

 

 地面に倒れバタバタともがく屍人。そのそばには。

 

「――うわお。こんなにキレイに引っかかるとは思いませんでした。頭脳屍人なんて言っても、所詮は屍人さんですね、先生」

 

 倉庫に隠れているはずの安野がいた。

 

 よく見ると、地面には草を束ねてアーチ状に結んだワナがいくつも作られていた。竹内も子供時代にイタズラで作ったことがある。単純だが効果は高く、一説によると、ベトナム戦争でアメリカ兵を苦しめたブービートラップのひとつでもある。銃撃戦のさなかでは単純に転ばせるだけでも大きな効果を生むが、転んだ先に竹やりなどのもうひとつ別のワナを仕掛けることで、より高い効果を得ることができる。

 

「先生、心の中で解説している場合じゃないです。早く頭脳屍人さんをぶっ殺してください」

 

 安野の言葉で我に返り、起き上がろうとしている頭脳屍人の後頭部に銃口を当て、引き金を引いた。

 

「やりましたね、先生」安野は目を閉じた。他の屍人の様子を探っているのだろう。「……他の屍人さんも、動かなくなってるようです。先生の読み通り、このタラコ屍人さんが、ヤツらを操ってるみたいですね」

 

「それはいいが、なぜここにいる? 隠れていろと言っただろう」

 

「それはそうなんですが、先生のことが心配で。それに、先生だって、あたしが言うことをきかないのは、いい加減身に染みて判ってるでしょう?」

 

 ついに開き直りおった。まあ、安野の言う通り、コイツが言うことをきかないのは判っていたことではある。

 

「それで、これからどうするんですか、先生」悪びれた様子もない安野。

 

「もう少し付近を調査する。屍人が全滅して、調べやすくなったからな」

 

「判りました。じゃあ、あたしはここで待機してます。頭脳屍人さんがよみがえりそうになったら、すぐさまぶっ殺しますので、先生は調査に集中してください」

 

 確かに、それならこの辺り一帯の進化した屍人も全員よみがえらないから、調査はしやすいだろう。

 

「判った。お前に任せる」

 

「了解でーす。では先生、行ってらっしゃいませ」おでこに手のひらを当て、敬礼する安野。

 

 竹内は再び神社に戻ろうとしたが、庭を出たところで、安野を振り返った。

 

「どうかしましたか、先生?」首を傾ける安野。「安心してください。今度こそ、ここを動かず、ちゃんと見張ってますから」

 

「まあ、それもあるが……安野」

 

「はい」

 

「あまり無茶はするなよ」

 

「判ってますってば。先生の言いつけを守らないことはあっても、危険なことはしません。だって――」

 

 ふと。

 

 安野の表情から、笑顔が消えた。

 

 そして。

 

「――こんなところで、死にたくないですからね」

 

 つぶやくように言った。

 

 だが、すぐにいつもののほほんとした安野に戻る。一瞬だったから、気のせいかもしれない。

 

 竹内は、安野と別行動をしていた八時間の間、本当はなにがあったのかを訊こうと思った。

 

 だが、やめておいた。一見ちゃらんぽらんな性格の安野だが、根はしっかりしている。心配には及ばないだろう。

 

「では先生、ガンバってくださいね」

 

 両手の拳を握って胸の前でブンブン振る安野を残し、竹内は村の調査を再開した。

 

 

 

 

 

 


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