宮田医院・第一病棟診察室の扉がゆっくりと開いた。恩田理沙が小さく息を飲む。屍人か? 宮田司郎は机の上のネイルハンマーを持ち、構える。
だが、幸い入ってきたのは屍人ではなかった。眞魚教の修道服を着ている。求導師の牧野慶だ。
宮田はネイルハンマーを下ろした。「牧野さん。ご無事で何より」
「宮田さんこそ、よくご無事で」牧野は安堵の表情で言った。そして、その顔を理沙にも向ける。「えっと……美奈さんも、無事だったんですね」
「あ、いえ。あたし、美奈の妹の、理沙です」理沙は、ペコリと頭を下げた。「求導師様。お久しぶりです」
「ああ、そうか。そう言えば、双子だったね」
「はい。先生達と同じです」笑顔で言う理沙。彼女も高校を卒業するまでは村にいたから、宮田と牧野が双子であることは知っているはずだ。
宮田は牧野の姿を見た。いつも着ている求導師の衣装で、手には何も持っていない。屍人がうろつく村を、武器も持たずにここまで来たのだろうか? いや、まさかな。
「牧野さん、お一人ですか?」
宮田が何気なく訊くと、牧野は、大きく息を飲んだ。「――なぜ、そんなことを訊くのです?」
「いえ、求導女の八尾比沙子さんは、一緒ではないのかと思いまして」
「ああ、そういうことですか……」牧野は、なぜか安堵した表情になった。「いえ、一人です。私も、八尾さんを探しているのですが……」
「そうですか……まあ、彼女のことだ。恐らく無事ですよ」
「そう思います。それより――」牧野は、少しためらった後に言った。「前田さんの所の娘の、知子ちゃん、見ませんでしたか?」
「知子ちゃん? いえ、見てませんが」
宮田は理沙を見た。首を振る理沙。彼女も見ていないらしい。
牧野に視線を戻した。「知子ちゃん、一緒だったのですか?」
すると、牧野はまた大きく息を飲んだ。目が宙を泳いでいる。明らかに、動揺している。
「牧野さん? ひょっとして、何かあったのですか?」なんとなく想像はついたが、宮田はあえて訊いてみた。
牧野は観念したような表情になった。「……はい。知子ちゃんと途中まで一緒だったのですが、蛭ノ塚の神社近くで屍人に襲われ、はぐれてしまったんです。探したのですが、見つからなくて……」
宮田には、それが嘘だとすぐに判った。牧野は双子の兄であり、彼の考えていることは、手に取るように判る。恐らく、はぐれたのではなく見捨てたのだろう。この腰抜けのやりそうなことだ。
「大変だ。すぐに探しに行きましょう」ネイルハンマーを持って診察室を出ようとする宮田だったが。
「いえ、それは危険です」牧野が止めた。「ヤツらは、銃を持ってますし」
宮田は牧野を怒鳴りつけたい衝動に駆られた。銃を持っているから危険だ? だからなんだ? そんな危険な場所に、一人でいるかもしれない十四歳の少女を放っておいてもいいと言うのか? 貴様、それでも求導師か。
だが、その言葉はなんとか胸の内に留まらせる。求導師はこの村では絶対的な存在であり、自分ごときが何か意見するなどできるはずもない。
「それに――」と、牧野は続ける。「知子ちゃんとはぐれた場所の近くは、よく探したんです。でも、見つかりませんでした。きっと、一人で逃げたのでしょう。彼女は、機転の利く子ですから」
怒鳴りつけたい衝動は何とか抑えた宮田だったが、今度は殴りつけたい衝動に駆られる。この男は、自分の身の安全のことしか考えていない。なぜ、このような男が村人を導く存在であるはずの求導師をしているのだろう。このような状況だ。もう、立場など関係ない。宮田は本当に牧野を殴ろうと、拳を握りしめた。
しかし。
「――それより、看護師の美奈さんは、どうしたのですか? 一緒ではないのですか?」
牧野の言葉で、宮田の拳が振るわれることはなかった。じっと、牧野の目を見る。全てを見透かしたような目だ。まるで、美奈がもう無事でないことを知っているかのように。いや、恐らく知っているのだ。自分に牧野の考えていることが判るように、牧野にも、自分が考えていることが判るはずだ。
「……美奈さんとは、はぐれてしまいまして」そう言うしかなかった。「理沙さんと一緒に探しているのですが」
「そうですか……無事だといいですね」
勝ち誇ったように言う牧野。いや、そう聞こえたのは宮田だけだろう。理沙には、本当に美奈のことを気付かっているように聞こえたはずだ。
認めたくはないが、やはり、私とこの男は双子だな……そう思う。
……まあいい。知子のことは気がかりだが、牧野が言うことも一理ある。牧野と知子がはぐれたという蛭ノ塚へ徒歩で行くのは数時間かかる。今から探しに出たところで同じ場所に留まっている可能性は低い。どこにいるのか判らないのに探しに出るのは確かに危険だ。かわいそうだが、無事を祈るしかない。
それに。
知子には申し訳ないが、信者一人を救うために、牧野を危険な目に遭わすわけにはいかない。今、村で起こっている怪異は、この男が儀式に失敗したのが原因だろう。その責任を追及しなければならない。そして、可能ならば、この怪異を鎮めなければ。残念ながら、それができるのは、村でこの男だけなのだ。
宮田は心を落ち着かせるため、一度、大きく息を付いた。
そして、理沙を見る。「理沙さん。牧野さんと重要な話があるから、少し、席を外してもらえないかな?」
「あ、はい。判りました」
「すまない。院内はまだ安全だが、なるべく近くの部屋にいるように。何かあったら、すぐに知らせるんだ。いいね?」
理沙は頷き、そして、牧野にぺこりと頭を下げると、素直に診察室を出て行った。まあ、この場にいなくても幻視を行えば会話の内容は筒抜けになるだろうが、それは仕方がない。
「さて――」宮田は牧野を見た。「昨晩何があったのか、詳しく聞かせてもらえますか?」
牧野は、忌々しそうな目を宮田に向けていた。