SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十二話 須田恭也 田堀/廃屋中の間 初日/十八時〇三分〇三秒

 村に、サイレンが鳴り響く――。

 

 

 

 

 

 

 教会には戻らず、刈割を後にした須田恭也と神代美耶子は、徒歩で田堀地区までやって来た。田堀は二十七年前の土砂災害で消滅した地域のひとつで、近年の区画整理により数軒の民家が建てられたものの、基本的には何も無い地域のはずだった。

 

 しかし、恭也たちが訪れてみると、古い民家が立ち並ぶ住宅街となっていた。屍人も多数生活しているようである。恭也の予想した通り、ここも、二十七年前の田堀となってしまったようだ。

 

 村から出るにはまだかなり歩かなければならないが、刈割からここまで十二時間近く歩き通しで、それ以前にもかなりの距離を歩いており、恭也は疲労していた。体力には自信がある自分ですら疲れているのだから、目の見えない美耶子はさらに疲労しているだろう。もうすぐ陽も暮れる。恭也は幻視で屍人のいない廃屋を見つけ、そこで休むことにした。広い敷地に建つ二階建ての古い日本家屋で、庭には倉庫や離れと思われる別邸もある。玄関の扉は鍵がかけられていたが、裏に回ると勝手口があり、そこから台所に入ることができた。台所は食器棚がひっくり返っており、割れた食器が散乱していた。奥に続く扉は開かなかったが、それは鍵がかけられているのではなく、単に古くて立てつけが悪いだけだった。力いっぱい引っ張ると、なんとか通れるスペースができ、奥の部屋に入ることができたのである。

 

 廃屋の居間に座り、鳴り響くサイレンの音を聞く恭也と美耶子。サイレンが鳴るのは、これで四回目だ。深夜〇時と、早朝六時、昼の十二時、そして、夕方六時。六時間おきに鳴っていることになる。あのサイレンはなんなのだろう? 求導女の八尾比沙子も判らないと言っていた。役場などが非常時に鳴らすものでないことは明らかだった。

 

 村の怪異は、あのサイレンが鳴った時から始まった。

 

 サイレンが鳴ったことで、村の水は赤く染まり、幻視などの特殊な能力が現れ、屍人が徘徊し、村は現在と過去が入り混じる異界と化した――何の根拠もないことだが、そう思えて仕方がない。いったい、この村はどうなっているのだ? 俺は、無事に家に戻ることができるのだろうか? 判るはずもない。

 

 恭也は、隣で膝を抱えて座っている美耶子を見た。忌々しげな表情でサイレンの音を聞いている。彼女にも、サイレンが何なのかは判らないらしい。

 

 成り行きで見ず知らずの少女を助け、ここまで一緒に逃げてきた恭也だったが、はたしてそれは正しかったのだろうか、という思いは、胸の奥で疼いている。村に起こった怪異は、美耶子が昨日の昼間、眞魚岩の広場で何かを壊していたのが原因ではないかと思う。ならば、村の怪異を鎮めるためには、一緒に逃げたりせず、教会に引き渡した方がいいのかもしれない。

 

 だが、恐らく美耶子は、自分がしたことにより村がこのような状態になることが判っていても、やらずにはいられなかったのだ。その理由が何なのかは判らない。あの夜、教会は何やら怪しげな儀式を行っていた。あの儀式に失敗したから、村は怪異に襲われたのだ。ならば美耶子は、あの儀式から逃れたかったのだろうか? 儀式とは、一体なんだ?

 

「――おい」

 

 美耶子が不機嫌そうな声を上げた。恭也は考えを中断する。「なに?」

 

「あたしを助けたこと、後悔してるんだろ?」

 

 考えていることを見透かされた気がしてドキリとした。幻視の能力で心の中を読まれたのだろうか? いや、幻視では他人の視覚と聴覚をジャックするだけであり、考えていることまでは判らないはずだ。

 

 何と答えていいか迷った恭也だったが、今の気持ちを素直に言うことにした。「美耶子と逃げて来たことは後悔していないよ。ただ、判らないんだ。美耶子とここまで来たのが正しかったのか……やっぱり、教会にいた方が良かったんじゃないか、って」

 

 美耶子は一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐにまた不機嫌そうな顔に戻る。「そう思うのなら教会に戻れ。あたしは一人でも大丈夫だ」

 

「そういうわけにはいかないよ。それに、仮に戻ったとしても同じだと思うんだ。教会だって、本当に安全かどうかなんて誰にも判らないし。だったら、思うままに行動してみてもいいと思う。それに、目が見えない娘を放っておくなんて、やっぱりできないよ」

 

「同情なんていらない」

 

「同情じゃない……とは言い切れないけど、でも、困ってる人がいれば、やっぱり助けるよ。こんな状況じゃなくてもね」

 

「あたしは別に困ってない」

 

「強がらなくてもいいよ」

 

「強がってなんかない」

 

「いーや、強がってる」

 

「強がってない」

 

 何度か困ってる困ってない、強がってる強がってないと言いあった後、恭也は思わず笑ってしまう。つられて美耶子も笑った。こんな状況で子供じみた口喧嘩をしていることが、妙におかしかった。

 

「――それより、ひとつ訊きたいんだけど?」恭也は言った。

 

「なんだ?」

 

「昼間、君が殴ったお兄さんのことなんだけど」

 

 美耶子の顔から笑みが消えた。「……あいつは、兄なんかじゃない」

 

「そうなの?」

 

「姉の婚約者ってだけだ。あたしには関係ない」

 

「じゃあ、戸籍上はお兄さんになるんだ」

 

「あたしには戸籍なんて無い」

 

「え? それってどういう――」

 

「それより、なにが訊きたいんだ?」

 

「ああ。えーっと……あの時お兄さんが俺に言ったんだ。『あっち側へ行くのも時間の問題だ』って。どういう意味だと思う? まさか、俺も時間が経てば、あいつらのように――」

 

 続きを言い淀む恭也。あいつら、とは、もちろん屍人のことだ。求導女の八尾比沙子は、屍人は死者が赤い水を体内に取り入れてよみがえった姿だ、と言っていた。そして、赤い水は生者にも影響があり、幻視や治癒能力の向上といった特殊な力を得ることができる。銃で撃たれたような大きな傷でもすぐに治ってしまうのだ。だからといって、赤い水を体内に入れ過ぎない方がいい、とも言っていた。もしかしたら、赤い水を大量に体内に取り入れると、生きている者も屍人になってしまうのではないのだろうか? だとしたら、このまま赤い雨に打たれ続けるのは危険だ。

 

「――気にするな」美耶子が、ハッキリとした口調で言う。「お前は、あいつらの仲間になんてならない」

 

「……どうして、そう思うの?」

 

「あたしがさせない」

 

 美耶子は、恭也の目をまっすぐに見ていた。屍人にはならない。言葉だけなら根拠のないただの気休めのように聞こえるが、美耶子の目を見ていると、本当にそうではないかというような気がしてくる。

 

「――寝る」

 

 唐突に背を向け、美耶子は横になった。

 

 よくこの状況で寝ようと思うな……そう思いつつも、恭也も横になる。

 

 この先どうなるかは判らない。だが、自分で言った通り、何が正しいか判らないのならば、思う通りやってみるしかない。屍人にならないと美耶子が言うのならば、それを信じよう。

 

 

 

 

 

 

 サイレンは、鳴り続けている。

 

 

 

 

 

 

 その音を聞いていると、なぜだろう? 恭也は、誰かに呼ばれているような気がした。

 

 サイレンの鳴っている場所へ行かなければならない。

 

 汚れをはらうために。

 

 神の祝福を受けるために。

 

 そんな思いが、胸の奥から湧いてくる。

 

 

 

 だが、歩き続けて疲労がたまっていた恭也は、すぐにまどろみに襲われ、深い眠りへ落ちて行った。

 

 

 

 

 

 


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