SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十一話 美浜奈保子 合石岳/蛇頭峠 初日/十九時二十七分二十一秒

 話がかみ合わない猟師と別れてから八時間以上経ったが、美浜奈保子は今だ合石岳の山中をさ迷い歩いていた。足元には、小さな石碑が置かれてある。男女が並んで立つ姿が浮き彫りにされた像。三十分ほど前にもこの像を見た。一時間前も、二時間前にも、三時間前にも見た。もう、十回以上は見ている。最初は同じ形をしたものかと思っていたが、よくよく確認してみると、痛み方や傷のつき方が同じだった。つまり同じものであり、奈保子は同じ場所を何度も何度も行き来しているのだ。あの猟師に言われた通りの道を進んでいるはずなのだが、ひょっとして、道を間違えたのだろうか? いや、どう注意深く進んでも一本道であり、間違えるはずはない。番組が仕掛けたドッキリであることも考えたが、その可能性も低いと思う。奈保子が一人で行動しはじめてからもう二十時間になる。ドッキリならいくらなんでもそろそろネタバラシをした方がいいだろう。道を間違えてなくてドッキリでもないなら、やはり、この山は一度入ったら二度と出ることはできない迷いの山だったのだろうか。

 

 奈保子は、足元の石碑をじっと見つめる。

 

 奈保子はオカルト番組の『ダークネスJAPAN』に出演するようになってから、空いている時間は(まあ、仕事などほとんど無いからいつも時間は空いているのだが)番組に役立ちそうなことをなんでも勉強するようにしていた。民俗学に関しても多少の知識がある。この像は、道祖神像だ。街や村の境、峠などに奉られ、旅の安全を祈願したり、疫病や悪霊などの災いが侵入するのを防いだりする神様である。

 

 ――もしかしてあたし、村へ入るのを拒まれてる?

 

 そんなことを思った。自分は余所者であり、村へ来たのはくだらないテレビ番組の撮影のためだ。神様に拒まれても仕方がないのかもしれない。

 

 奈保子は像の前にしゃがみ、胸の前で両手を組んだ。

 

 ――道祖神様。村へ入ることをお許しください。村は今、地震で大変なことになっているかもしれません。あたしはテレビに携わる者として、それを国民に伝える義務があります。決して、よこしまな想いで来たわけではありません。どうか、よろしくお願いします。

 

 祈った。

 

 オカルト番組に出演してはいるものの、奈保子は非科学的なことはあまり信じていない。しかし、こういった古くから伝わる風習にはなんらかの意味があるとは思っている。神様がいるかどうかは判らないが、自然を敬う気持ちは大切だ。

 

 道祖神に祈りをささげた奈保子は、再び歩き始めた。

 

 すると、五分ほど歩いただけで、今まで迷っていたのがウソだったかのように、目の前に古いビルが現れた。道祖神様に祈ったおかげだろうか? やっぱり、そういうのってあるんだなぁ。奈保子はもう一度手を組み、目を閉じ、感謝の祈りをささげた。

 

 その瞬間。

 

 目を閉じているはずの奈保子の目に、映像が浮かび上がった。どこか、暗いトンネルの中を、ライトを片手に歩いている。

 

 ――え? なに?

 

 目を開ける。目の前には古いビル。これは、ちゃんと自分の目で見ている映像だ。

 

 もう一度目を閉じると、やはり、トンネルの中を歩いている映像が。音も聞こえる。興奮気味に荒い呼吸をしており、時折、意味不明な言葉をしゃべっている。

 

 ――ヤバイな。長時間山で迷って幻覚見るようになったか。

 

 心配ではあったものの、今はあまり気にしないことにした。何の根拠もないが、幻覚を見ているという自覚があればあまり問題は無いだろう。仕事がひと段落したら、お医者さんに相談してみよう。

 

 さて。

 

 ビルの前には鉄格子式の門があったが、カギはかけられていない。中に入る。ビルの裏庭のようである。裏口のドアも開いている。裏口横には朽ち果てた古い木の看板があり、かすかに『三隅鉱山事務所』と読めた。あの猟師が言った通り、鉱山跡地のようだ。

 

 奈保子は番組でロケに出かける時は事前調査を入念に行うようにしている。羽生蛇村についてもインターネット等でかなり調べていた。三隅鉱山は、四十年近く前に閉鎖され、二十七年前の土砂災害で壊滅したのではなかっただろうか? ごくり、と、息を飲む奈保子。消えたはずの鉱山が存在している。ダークネスJAPANのネタにピッタリだ。村へ急ぎたいのは山々だが、これは素通りできない。調査しなければ。まあ、真相はたぶん、インターネットの情報が間違っていたか、迷った挙句全く別の場所に出たか、なのだろうが、番組でそこまで明かす必要はない。後日、改めて取材を行おうとしたがどうしてもたどり着くことができなかった、とかなんとか言っておけばいいだろう。これは、番組プロデューサーも喜びそうだ。奈保子は、ウエストポーチからハンディカメラを取り出した。

 

「ただ今、八月三日の夜七時三十五分。二十時間以上山の中で迷い、鉱山事務所というビルにたどり着きました。しかし、羽生蛇村の三隅鉱山は、二十七年前の土砂災害で消滅していると聞いています。これは、一体どういうことなのでしょうか? 調査してみます」

 

 カメラに向かって言い、ゆっくりと、ビルの中に入った。

 

 中は、壁や天井の至る所が崩れ落ち、床に瓦礫が散乱していた。かなり長い間放置されていたようだ。

 

 ――懐かしい。ヒットマン女豹の撮影を思い出すわね。

 

 ふと、そんなことを思った。

 

『ヒットマン女豹』とは、四年ほど前に奈保子が出演したVシネマである。アクション作品で、クライマックスはこのような廃墟での格闘シーンだった。奈保子はこの作品に悪役の一人として出演しており、クライマックスの撮影にも参加していた。出番は決して多くなかったが、落ちぶれてから出演した数少ない作品であり、Vシネマでありながらそこそこヒットしたので、今でも撮影当時のことはよく覚えていた。あの時は、監督やスタッフさんにはお世話になった。新作を撮る時は必ず声を掛けるとも言ってくれた。監督はそれから何本かの映画やドラマを撮ったようだが、出演のオファーは来ていない。まあ、それも仕方がない。映画やドラマは監督一人で作る物ではなく、監督が一番偉いわけでもない。プロデューサーやスポンサー等の意見もあり、監督だけで配役を決められるとは限らないのだ。気長にチャンスを待つしかないだろう。

 

 それより、今はダークネスJAPANの撮影に集中しなければ。

 

 奈保子はゆっくりとビルの廊下を進んだ。いくつかの部屋があるが、どこも瓦礫が散乱しているだけで、特に面白そうなものは無かった。唯一、廊下の中央に錆びついた小さな鍵が落ちていた。念のため「鍵が落ちてました。どこの鍵でしょうか?」などとカメラに向かって言いながら拾っておいた。

 

 ビルは二階建て。地下もあるようだ。奈保子は地下に下りてみることにした。

 

 地下は十メートル四方の部屋がひとつだけだった。倉庫として使われていたと思われるが、今は瓦礫が散乱しているだけだ。何か無いだろうか? ライトを照らす。

 

 ――うん?

 

 部屋の隅に何かある。ライトを向けると、女の子用の赤いランドセルだった。

 

 ――おお、いいね。そういうの、待ってたのよ。

 

 はやる気持ちをおさえながら、カメラに向かって、「何かあります。ランドセルのようです。なんでこんなものが……」と、脅えた口調で言い、恐る恐る近づいていく。そして、ゆっくりたっぷり怖がりながら、ランドセルを開けた。中からは、紙製のカードと絵日記帳が出てきた。カードを見てみる。『羽生蛇村小学校図書室』と記されてあった。どうやら、小学校の図書室の貸し出しカードのようである。借りた児童が名前を書いていくものだ。本のタイトルは『羽生蛇村民話集』。何人かの名前が書かれていたが、ほとんどは、文字がかすれて読めない。なんとか読めたのは、最後に借りた児童の名前『吉川菜美子』と、その前に借りた『八……沙子』という文字だけだった。

 

 ――吉川(よしかわ)菜美子(なみこ)

 

 息を飲む奈保子。覚えのある名前だった。撮影前に村の情報を調べた時、その名前を目にした。確か、一九七六年七月、合石岳に遊びに行くと言ったまま行方不明になった子だ。当時はかなり大きなニュースになったようである。大規模な捜索が行われたが、結局見つからず、二十七年経った今でも行方不明のままだ。奈保子が生まれて間もない頃の話だが、『神隠し事件』として、今でも未解決事件を捜査する番組やオカルト系の番組で頻繁に取り上げられる有名な事件だ。このランドセルはまさか、その吉川菜美子のものなのだろうか?

 

 ……いやいや。そんなワケないよね。タダの図書カードだもん。本を借りた人の名前が書いてあるだけだよ。

 

 そう思うが、番組的には非常においしい。奈保子はカメラに向かい、「まさかこれは、行方不明の吉川菜美子ちゃんのランドセルなんでしょうか……?」と、困惑した口調で話す。そして、絵日記も見た。表紙には、消えかけているが、黒のマジックで『吉川菜美子』という名前が書かれてあった。

 

 ……ヤバい。これ、シャレになってないわ。

 

 さすがの奈保子もドキドキしてきた。もしかしたら、本当に吉川菜美子のランドセルを発見したのかもしれない。だとしたら大スクープではないだろうか? しかし、残念ながら、これはダークネスJAPAN向けのネタではないだろう。ダークネスJAPANはオカルト番組ではあるが、ドキュメンタリー系ではなくバラエティ系だ。これを放送してもヤラセと思われるだけだろう。プロデューサーには申し訳ないが、もっとちゃんとしたオカルト番組、いや、むしろ報道番組の方がいいのでは? 帰ったらマネージャーに相談してみよう。

 

 他人の日記を見るのは忍びないが、もう三十年近く前の物であり、事件解決の手掛かりにもなる。奈保子は心の中で菜美子に謝り、日記を開いた。パラパラとめくる。最後に書かれていたのは一九七六年の七月五日だ。菜美子が行方不明になる前日である。

 

 

 

七月五日 天気 はれ

 

 今日、学校の帰り道、合石だけの山の上に、小さな光みたいなものが飛んでいるのが見えた。でも、みんなに話したけど、みんな見えないって言った。わたしにしか見えなかったのかな? あした、学校のじゅぎょうが終わったら、合石だけにいってみようかな?

 

 

 

 UFOらしきものまで絡んできた。これは、報道番組オカルト番組、両方持ち込めそうだ。そしてあたしは事件解決に繋がる情報を提供したとして、様々なテレビ番組や雑誌などに出演し、一躍時の人に……。思わず顔がニヤける。ついに再ブレイクの時が来たか。道祖神様に聞かれたらまた山の中を迷わされそうだな。もちろん、これは事件解決のための調査だ。けっして、スクープを撮って有名になりたいとか思ってるわけじゃないぞ、うん。

 

 ……などと一人で言い訳をしていると。

 

 かちゃり。上の階で、瓦礫を踏む音が聞こえた。最初は気のせいかと思ったが、その後も断続的に聞こえる。人が歩いているようだ。誰か来たのだろうか? こんな真夜中に、こんな山奥の廃墟で、一体何を? 怖い、とは思わなかった。奈保子は幽霊やUFOなどは信じていない。だから、怖い、という気持ちよりも、マズイ、という気持ちの方が強かった。こういった廃墟にも、必ず所有者はいる。撮影するには所有者の許可がいるし、そもそも勝手に入ると不法侵入だ。ヘタをするとせっかくのスクープがお蔵入りになりかねない。どうすべきだろうか? 奈保子は、階段の陰に身を隠しながら、様子を探った。

 

 ビル内に入ってきたのは、麦わら帽子にTシャツ姿の男性のようだった。「かーぎー……かーぎー……かぎ……」と、舌足らずな言葉で独り言を言いながら、ライトで床を照らし廊下を歩きまわっている。鍵を落としたのだろうか? そう言えば、さっき古い鍵を拾ったな。どうしよう? バレないように廊下に置いておけば、その内見つけて帰って行くだろう。しかし、彼はいったい何者なのか? 陽も沈んだ遅い時間、こんな山奥の廃墟に一人でいるなど、まともな人ではないかもしれない(まあ、それは奈保子も同じだが)。しかも、地下には長年行方井不明となっている少女の物と思われるランドセルまである。ひょっとしたら、事件に関係があるのかもしれない。よし、ここは、思い切って話を聞いてみよう。いきなりカメラを向けると不信感を与えてしまう。奈保子はカメラを録画モードにしたままウエストポーチにしまった。これで、音だけは録れるはずである。

 

「あのー。こんばんはー」

 

 なるべく驚かせないよう、遠慮気味に声を掛ける。

 

 男は驚いたようにハッと息を飲み、ライトを奈保子に向けた。その瞬間、奈保子の身体もビクンと震える。一瞬また幻覚のようなものが見えたが、気のせいかもしれない。それより、どうしよう? 驚かせてしまった。まあ、こんな夜中にこんな場所で突然話しかければ、どんなに気を使っても驚かせてしまうよな。

 

 奈保子は両手を前に出して振った。「ゴメンなさい。あたし、怪しい者じゃないんです。なんか、山で迷っちゃって。さっき、ここにたどり着いちゃったんです。勝手に入って、本当にゴメンなさい。あ、鍵を落としたんですよね? さっきそこで拾ったんですけど、ひょっとしてコレですか?」

 

 アイドル時代に培ったとびっきりの笑顔で話しかけた。ポケットから鍵を取り出す。これで、相手の警戒心を解き、あわよくばインタビューまでこじつけたいと思っていた。

 

 だが。

 

 ――え?

 

 男は、右手に錆びてボロボロになったハンマーを持っていた。採掘用のものだろうか? 鉱山だからハンマーくらい持っていてもおかしくはないのかもしれないが、あろうことか、それを振り上げ、こちらに向かって来るではないか!

 

「え? ちょっと、待ってください!」

 

 ぶん! 振り下ろされるハンマー。一瞬早く身を引いたのでかわすことができたが、本気の一撃だった。かわさなければ、間違いなく奈保子の脳天を捉えていただろう。

 

「あの! 落ち着いてください! あたし、ホントに怪しい者じゃないですから!」

 

 両手を上げて敵意が無いことをアピールする奈保子。しかし、男は全く聞く耳を持たず、容赦なくハンマーを振るって来る。後ろに下がりつつかわすが、背中が壁に当たった。逃げ場が無くなった。男は、ハンマーを振り上げた。

 

 ――ええい、仕方がない。

 

 ハンマーが振り下ろされる。それが脳天を打つよりも早く、奈保子は男のハンマーを持つ手を掴み、攻撃を受け止めた。そのまま男の側面に回り込みつつ左手で相手の肩を押し、体を入れ替え、男を壁に押さえつける。

 

 長年習っている護身術だった。きっかけは、四年前に出演したVシネマ『ヒットマン女豹』である。アクション映画への出演ということで、当時、奈保子はアクションを猛勉強したのである。身体を鍛え、武術を習い、様々なアクション映画も見て研究した。アクション映画でのスタントシーンは役者本人ではなくスタントマンが演じることがほとんどだが、『ヒットマン女豹』において、奈保子はスタントマンを使わず、最後まで一人で演じきったのである。それが認められ、監督から直々に「新作を撮る時は必ず声を掛ける」と言われたのだ。その言葉を信じ、今でもアクションの練習は怠っていなかった。

 

 ぐい、っと、男の腕をひねり上げる。これで、相手は痛みのあまりハンマーを落とすはずだ。

 

 ――あれ?

 

 だが、男はハンマーを握ったまま離さない。さらにひねり上げる。腕が折れてもおかしくない角度だが、それでも男はハンマーを握ったままだ。ろれつの回らない口調で意味不明な言葉をしゃべり、よく見ると顔色は土のような灰色で、目からは血のような赤い涙を流している。

 

 そこで、奈保子は悟った。

 

 ――ああ。この人、ヤバイ薬やってるんだわ。

 

 だとしたら、例え腕を折ったとしても構わず襲ってくるだろう。やっかいな人に関わってしまった。しょうがない。取材は諦めよう。奈保子は男の足を払って倒し、地面に押さえつけた。そして、パッと手を離すと。

 

「ごめんなさーい、おじゃましましたー」

 

 一目散に逃げ出す。相手が起き上がる前に表玄関から飛び出した。もうちょっと調査をしたかったが、身を護ることが先決だ。ケガをしたり、万が一にも殺されたりしたら、せっかくのスクープも台無しである。まあ、ランドセルを発見したし、謎の男に襲われて逃げたというだけで十分な収穫だろう。地震の取材もしなければいけない。ここの撮影はこれくらいにして、村へ急ごう。奈保子はポーチの中のカメラを停めた。

 

 ビルの前には鉱石運搬用のトロッコのレールが東西に延びていた。朝、道を教えてくれた猟師は、鉱山跡地から西へ進めば山を下りることができると言っていた。西にはレールが続く道と、トンネルがある。奈保子はトンネルの前を通り過ぎ、レールに沿って道を進んだ。

 

 しかし、護身術を習ってて良かったな、と、奈保子は思った。そうでなければ、あの頭のおかしな男に殺されていたかもしれない。映画の撮影にはあまり役に立たなかったけど、どこで活躍するか判らないものだ。

 

『ヒットマン女豹』での奈保子のスタントは監督やスタッフからは絶賛されたが、視聴者からの反応はイマイチだった。と、いうのも、この作品において奈保子はあくまでも悪役の一人であり、主役や悪役のボスは他にいる。所詮は脇役であり、どうしても出番は少なく、メインの役どころより目立ってしまっては、それはそれでダメなのだ。また、この映画で主役を務めたのは当時売出し中の若いアイドルの娘だった。アクションどころか演技すらまともにできず、笑顔がカワイイだけの小娘だ。アクションシーンは当然のごとくスタントマンが代行し、本人はカメラの前で笑っているだけだったが、それが視聴者には大好評。そのアイドルの人気もあり、作品はそこそこヒットした。逆に、奈保子のアクションは不評だった。必死で勉強したとはいえ、素人が数ヶ月で身に着けたモノと、本職のスタントマンのモノでは、やはりレベルが違う。奈保子のアクションはどうしても見劣りしてしまうため、「素人が軽い気持ちで手を出すな」「あの程度でアクションやった気になってんじゃねーぞ」「BBAがムリして痛々しい」と、ネットを中心に叩かれたりもした。必死に努力して身に着けたアクションが全く評価されず、スタントマンを立て自分は笑ってるだけの若いアイドルが評価されたことには大いに不満だったが、考えてみたら自分もアイドル時代はそうだったので文句は言えない。ちなみに『ヒットマン女豹』は続編も作られた。主役のアイドルの娘は引き続き出演したが、奈保子に出演のオファーが来ることはなかった。

 

 ……ああ、イヤなことを思い出してしまった。そんなことより、今は取材だ。

 

 ブンブンと頭を振り、考えを振り払う。奈保子はレールに沿って道を進んだ。

 

 ――ん?

 

 奈保子は、右の二の腕に大きな傷があることに気が付いた。横に三センチほど、パックリと裂け、だらりと血が垂れている。大きな傷だが、不思議と痛みは感じない。いつの間に切ったのだろう? さっきの男のハンマーはかわしたはずだし、例えかわしそこなっていたとしても、錆びついたハンマーではこんなきれいな切り口にはならないだろう。

 

 ひょっとしてこれは、カマイタチ現象ではないだろうか?

 

 カマイタチ現象。知らない間に身体に切り傷ができている現象の呼び名だ。妖怪の仕業とも、特殊な条件により真空状態が生じたとも言われている。

 

 そう言えばこの羽生蛇村では、『空魚』という未確認生物の伝説があるのを、奈保子は思い出した。棒に魚のヒレのようなものが付いた生き物で、高速で飛びまわり、猟師や旅人の身体に傷をつけるのだという。

 

 これによく似た話が、最近世界中で話題なっている。山奥などで撮影したビデオの映像に映り込んでいる高速で飛来する生物だ。いわゆる、スカイフィッシュである。その正体は、未確認生物とも、宇宙人とも、アメリカ政府が開発した軍事用小型ロボットとも、単にハエが通り過ぎただけだとも言われており、以前、ダークネスJAPANでも取り扱ったことがある。虫とり網とカゴを持って山の中に入り、番組が用意したニセモノを捕まえたものの、直後に川に転落し惜しくも逃がしてしまった、というシナリオだった。その回は珍しく視聴者に好評で、ネットを中心に話題になった。

 

 傷口を見ながら奈保子は考える。不思議な現象ではあるが、残念ながらダークネスJAPANで一度取り扱ったネタだ。プロデューサーが興味を持つ可能性は低いだろう。それよりも、身体に傷がついてしまった方が問題だ。奈保子も一応女優であり、傷は厳禁だ。痕が残らなければいいのだが。まあ、最近はグラビアの撮影など皆無だし、アクション女優を目指すなら傷くらいあっても構わないだろう。幸い、出血はもう止まっているようである。こういったカマイタチ現象の傷は治るのも早いという話だ。さっきまでどろりと出血していたのに、いくらなんでも早すぎるような気もしたが、だからこそ長年妖怪や怪奇現象とウワサされたのだろう。奈保子は、あまり気にしないようにした。

 

 しばらく進むと明かりが見えてきた。外灯や家の明かりではなく、誰か人がいるようである。さっきビルの中で出会ったハンマー男の件があるので、奈保子はレール上に放置されてあるトロッコに身を隠し、慎重に様子を探った。人影はこちらに近づいてくる。先ほどの男と同じく、麦わら帽子にTシャツ姿。鉱山労働者の格好だろうか? 左手にライト、右手には採掘用の大きなシャベルを持っている。ろれつの回らない口調で意味不明なことをしゃべり、顔色が悪く、目からは血の涙を流している。ハンマー男と同じだ。この辺でヤバイ薬のパーティーでもやってるのだろうか? 田舎の山奥だから取り締まりが緩いのかもしれないな。後で警察に通報しておこう。奈保子はトロッコの陰に身を隠し、シャベル男が通り過ぎるのを待った。幸い気付かれることはなかったので、そのまま走り去る。

 

 さらに進むと、左手側に下りの階段があり、その先には倉庫と思われる小さな小屋が見えた。方向的には南に位置するだろう。道を教えてくれた猟師は西へ進めと言っていたので、階段は使わず、そのまままっすぐ進んだ。

 

 だが、道はすぐに行き止まりになった。木の板でくみ上げた高いバリケードで阻まれているのである。これ以上は進めない。道を間違えたかと思い、階段まで戻り、下へ降りてみた。小屋の左側に細い道があったが、その先も高い石壁に阻まれていた。高さは二メートルほどで、頑張れば登れないこともなさそうだが、そもそもこの道は東へ向かっており、猟師から聞いた道とは違うように思う。そう言えば、鉱山事務所のそばにトンネルがあったが、あの中を進むのだったのだろうか? なら最初からそう言えよあのジイイ。心の中で悪態をつく。まあ、せっかくここまで来たのだから、あの小屋でも調べてみるか。ひょっとしたら何か行方不明の少女に関する手がかりがあるかもしれない。

 

 だが、小屋の入口は南京錠で閉ざされていた。中を調べるのはムリか。立ち去ろうとして、さっきビルの中で拾った鍵をそのまま持ってきたことを思い出した。試しに南京錠に差し込んで回してみると、かちゃりと開いた。ラッキー。もはや不法侵入に対する罪悪感も無くなった奈保子は、いそいそと中へ入った。

 

 八畳ほどの狭い小屋だった。部屋の奥に作業用の机があるくらいで、あとは古くてボロボロのシャベルやつるはしなどが置かれてあるだけだ。とりあえず机の引き出しを調べてみようとして、机の上に古びた写真立てが置かれてあることに気が付いた。大勢の鉱山労働者が集まって撮影した白黒の集合写真だ。ウラを見てみると、『東3号斜坑開通記念写真・昭和三十三年年九月十三日』とある。随分と古い写真だ。何か面白いモノでも写ってないかと、あまり期待せず写真を見てみると、左上に、何やら光る物体が映り込んでいることに気が付いた。楕円形に膨らんだ円盤の形をしている。UFOに見えなくもない。『行方不明の少女は宇宙人によって連れ去られた!?』というタイトルが思い浮かぶ。実にインチキ臭いタイトルだ。行方不明の少女のネタはちゃんとした報道番組に持ち込みたいので、これは却下だ。でも、ダークネスJAPANのネタにはピッタリだろう。奈保子は、念のため集合写真もビデオカメラで撮影しておいた。

 

 写真を元に戻し、引き出しを開ける。

 

 ――え?

 

 思わず固まってしまう奈保子。

 

 引出しの中には拳銃が入っていた。

 

 古いリボルバー式の拳銃だ。そばには銃弾も沢山ある。

 

 ――いやいや。本物のワケないでしょ。

 

 そう思い、手に取ってみるが、ズシリと重い。

 

 奈保子は『ヒットマン女豹』などの映画やドラマで、何度となく拳銃を撃つシーンの撮影をしたことがある。そういった時に使う撮影用の小道具は、映像を見ているだけでは気付きにくいが、実際は見るからにおもちゃという感じのチープな作りをしている。犯罪に使われないための処置だ。いま手にしている拳銃は、そんな小道具とは明らかに違う。『ヒットマン女豹』の撮影前にアクションの猛練習をした奈保子は、海外で実際に射撃の体験もしていた。銃の型は違うが、その時持った銃の重さ、感触とそっくりだ。

 

 ――いやいやいやいや。本物のワケないでしょ。きっと、ものすごーく精巧に作ったモデルガンだよ。

 

 そう思い、射撃訓練の時の記憶を頼りに、安全装置を外し、銃口を壁に向け、トリガーを引いてみた。ぱぁんと、耳の奥が引き裂かれるかと思うほどの大きな音がして、手に強い反動が返ってくる。同時に、目の前の壁に小さな穴が開いた。おいおいマジかよ。本物じゃないか。どうなってんだこの山は。行方不明の少女の持ち物は落ちてるし、頭のおかしなおっさんが薬物パーティーをしているし、拳銃は隠してあるし。犯罪グループが秘密のアジトにでもしているのだろうか? 早々に立ち去った方がいい。拳銃を引き出しに戻し、小屋を出て階段を上がろうとしたが。

 

 びくん、と身体が震え、また、例の幻覚が見えた。階段の上から小屋を見下ろす映像。入口のドアの前には自分と思われる姿もある。

 

 幻覚はすぐに消える。奈保子は階段を見た。シャベル男が見下ろしていた。さっきの銃声を聞いて戻ってきたのかもしれない。階段を下りてくる。思わず小屋の中に戻ってしまう奈保子。しまった。小屋の中には逃げ場も隠れるような場所も無い。とっさに引出しの中の拳銃を取った。シャベル男が小屋の中に入って来た。奈保子は、銃口を向けた。

 

「来ないで! この銃、本物よ。さっき銃声聞いたでしょ? 撃つわよ? 本気よ? どうなっても知らないからね!!」

 

 だが、男は警告に聞く耳を持たず、シャベルを振り上げ向かって来る。奈保子はシャベルを受け止め、相手の勢いを利用して投げ飛ばそうとした。しかし、小屋は狭い。壁が邪魔して投げることはできなかった。男が掴みかかってくる。なんとか逃れようともがく奈保子。そのままもみ合いになり。

 

 再び、耳を引き裂くような乾いた音が、小屋内に鳴り響く。

 

 もみ合っていたシャベル男の動きが止まり、ばたん、と、倒れた。

 

 ――え?

 

 男は、そのまま動かなくなった。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

 

 肩を揺すってみるが、全く反応がない。

 

 床に、ドロリとした赤い液体が広がっていく。これはまさか、血?

 

「……いやいやいやいやいやいや。そんなわけないでしょ。騙されませんよ。コレ、ドッキリなんでしょ? ひょっとして、昨日の夜からずっと撮影していたんですか? こんなリアルなモデルガンまで用意して、すごく手が込んでますね」

 

 震える声と震える笑顔で言った。ドッキリの仕掛け人ではなく、自分自身に言い聞かせるかのように。

 

 男は、ピクリとも動かない。

 

「もう。判りましたから。そろそろネタバラシてくださいよ。あまりしつこいドッキリは、視聴者にもウケませんよ?」

 

 もう一度、男の肩を揺する。手には、冷たい石のような感覚しか伝わってこない。とても生きているとは思えない。

 

「だから、もういいですってば! リアルすぎてヒキますよ。早く起きてネタバラシしてください! ねぇってば!!」

 

 だが、どんなに強く揺すっても、どんなに大声で呼びかけても、男は起き上がって来ない。

 

 たまらず小屋の外に飛び出し、叫んだ。「ちょっと! カメラ回してるんでしょ!? 判ってるんだから! 早く出てきなさいよ! いい加減にしないと、訴えるわよ!!」

 

 応える者はいない。声は暗闇に吸い込まれただけだった。

 

 本当に……本当に、ドッキリじゃないのだろうか?

 

 だとしたら。

 

 奈保子は、その場にへたり込む。

 

 じっと、拳銃を見つめる。

 

 人を、殺してしまった。

 

 とんでもないことになった。あたしは、警察に捕まるのだろうか? いや、襲って来たのは相手の方だ。おかしな薬をやってたようだし、これは正当防衛だ。だが、拳銃で撃ったのはさすがにマズイのではないか? 拳銃はたまたま拾っただけだ。殺意なんて無い。そう。これは不幸な事故だ。あたしに罪は無い。しかし、いかに罪がなかろうと、殺してしまったことに変わりはない。もう、今までのような生活はできないだろう。芸能人として成功していたとは言えないが、それでもこれまでガンバって来た。これからも続けていくつもりだった。それが、こんな形で終わってしまうのだろうか? そんなバカな話は無い。ならば、いっそのこと隠蔽してしまおうか? こんな山奥での出来事だ。知らん顔して立ち去れば、発覚しないかもしれない。なんならどこかに埋めておけばいい。穴を掘るための道具は沢山ある。万が一死体が見つかったとしても、通りすがりのあたしに捜査の手が及ぶ可能性は低いだろう。この鉱山は、なにやら怪しげな犯罪組織のアジトになってるみたいだし、組員同士のいざこざで片が付くだろう。よし、死体を隠そう。いや、そんなことはできない。やっぱり、素直に自首しよう。ありのままを話せば、きっと判ってくれるはずだ。罪になるかもしれないが、もしそうなっても受け入れよう。それがせめてもの償いだ。いや、しかし……。

 

 様々な思いが交錯し、もう、何が何だか判らなくなった。

 

 五分ほど、その場に座り込んでいただろうか。

 

 突然、男が起き上がり始めた。

 

 奈保子は、喜びのあまり泣きだしそうになってしまった。

 

「ああ! やっぱり、ドッキリだったんですね!? そうだと思ったんですよ! 良かったぁ。でも、さすがにこれはやりすぎだと思いますよ? まあいいですケド。放送では、イイ感じに編集して、面白くしてくださいね――」

 

 男は小屋を出て来た。

 

 シャベルを振り上げ、こちらに向かって来る。

 

 がつん!

 

 鈍い音とともに、頭に鋭い痛みが走った。

 

 一瞬、目の前が真っ暗になった。

 

 ――え?

 

 なんとか意識を保つことはできたが。

 

 頭に手を当ててみる。べっとりと、手のひらいっぱいに血が付いた。殴られたようだ。訳が判らなかった。ドッキリではなかったのか? では、なぜ男は、銃で撃たれたのに起き上がって来たのか?

 

 もうろうとする意識の中、男が、もう一度シャベルを振り上げるのが見えた。

 

 本能的に、銃口を向ける奈保子。

 

 二回、トリガーを引いた。男は、また倒れた。

 

 今度は、罪悪感は沸かなかった。倒れた男の様子を確認する。銃弾の当たった身体からは血が流れ出ている。息はしていない。脈もない。開かれた目を銃口で突いてみたが、反応は無い。どう見ても死んでいる。

 

 奈保子は、そのまま倒れた男のそばで待った。

 

 頭の痛みが、徐々に引いていくのが判った。もう一度触れてみると、早くも血が止まっている。信じられないことだが、傷が治っているようだ。そう言えば、謎のカマイタチ現象でついた二の腕の傷も、いつの間にか消えている。

 

 そして。

 

 五分ほどすると、男はやはり起き上がり始めた。

 

 ――ああ、ダメだ。これ、あたしの理解を超えている。

 

 奈保子は起き上がって来るシャベル男にもう一度銃弾を撃ち込んだ。今度は一発で倒れた。

 

 奈保子は小屋に戻ると、引出しの中の銃弾を銃に込め、ポーチやポケットの中にも詰め込めるだけ詰め込んだ。

 

 頭のおかしな男。問答無用で襲い掛かって来て、銃で撃ち殺してもよみがえる。恐らくこれは、ゾンビ的なヤツだ。バイオハザードとかアウトブレイクとか呼ばれているヤツ。映画やゲームなんかではよく見るが、そんなことが実際に起こり得るのだろうか? 判らない。ただ、とにかく危険なのは確かだ。命を護るための行動をしなくては。

 

 奈保子は拳銃と銃弾を持つと、シャベル男がよみがえる前に小屋を出て階段を上り、来た道を戻った。鉱山事務所の前でハンマー男に遭遇したが、容赦なく銃弾を撃ち込んだ。そして、ビルのそばにあるトンネルへ駆け込む。息が切れるほど走って、トンネルを抜けると、細い林道へ出た。西の方角へ下っている。昼間出会った猟師の言うことが正しければ、村へ通じているはずである。

 

 あの猟師は、村は危険だと言っていた。地震で被害が出たのかと思っていたが、まさか、ゾンビ的な事件が起こっているとは思わなかった。なら最初からそう言えよクソジジイ。心の中で悪態をつく。

 

 だが。

 

 不思議と、逃げようとは思わなかった。未知の事件が発生しているのならば、なおさらそのことを世間に伝えなければならない。それが、テレビに携わる者の使命だ。

 

 奈保子は、カメラと拳銃を手に、山を下りた。

 

 

 

 

 

 


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