SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二話 須田恭也 上粗戸/眞魚岩 前日/二十三時十一分〇三秒

 陽が沈み、すっかり闇に包まれてしまった森の中で、須田(すだ)恭也(きょうや)は、木の陰に身をかくし、森の中にぽっかりと空いた広場の様子を見ていた。朝、何度も石を打ちおろす少女と、白い犬を見かけた、あの三角錐の岩がある広場である。

 

 朝は少女以外の人を見かけることがなかったこの森で、日付も変わろうかという時間に、どういうわけか、大勢の人が集まっていた。広場にはたくさんのかがり火が焚かれ、昼間よりも明るいのではないかと思えるほどである。

 

 集まった人々の様子は異様だった。数人の者を除き、ほぼ全員が、顔を隠すかのように赤いベールをかぶっている。他にも、教会の神父のような黒い法服に身を包んだ男、赤い修道服を着た女性、白のワイシャツに黒のスラックスという、他の人と比べると明らかに不釣り合いな格好をした若い男もいる。こんな夜中に、こんな森の中に、一体何が目的で、集まっているのだろう?

 

 

 

 

 

 

 朝、石を打ちつける少女と白い犬を見かけた後、恭也は自転車を置いた場所へ戻り、パンクした自転車を押しながら、ふたたび羽生蛇(はにゅうだ)村へ向かった。幸い村にはそれから一〇分と掛からずに着いたが、村人の反応は冷たかった。恭也が最初に見かけたのは、田んぼで作業している初老の男性だった。失礼のないようにきちんと挨拶をし、自転車を修理できる店が無いか訊ねたが、男はそっけなく「知らん」と言っただけで、後は何を訊いても答えてくれなかった。次に出会ったのは民家の庭先を掃除する年配の女性だ。その人にも失礼のないように声をかけたが、反応は同じだった。それから二人ほど声をかけたが、みんな同じような態度だった。村人同士で楽しそうにおしゃべりをしていても、恭也が声をかけると、途端に不機嫌になり、短い言葉と共にどこかへ行ってしまう。田舎の人は人情に厚いと思っていたが、どうやら都市伝説だったようだ。これなら都会の人の方がずっと優しいだろう。

 

 村人とコミュニケーションをとることを諦めた恭也は、地図を頼りに、自転車店がありそうな地域へ行ってみることにした。上粗戸(かみあらと)という地域だ。事前に調べた情報によると、二十七年前の土砂災害で消滅した大字粗戸(おおあざあらと)という地域があった場所で、食堂や雑貨店が立ち並ぶ商店街だったらしい。土砂災害後は、区画整理により新たな商店街が作られ、今の地名になったようである。他に商店街は無いので、自転車店があるとすればここしかないだろう。村の様子を見る限りあまり期待はできないが、行ってみるしかない。

 

 しかし、実際に行ってみると、恭也の想像以上に酷かった。食品店や雑貨店など数件のお店が並んでいるが、どの店もシャッターが下ろされ、営業しているのかどうか判らない状況だ。人通りも全く無い。それでも、なんとかしてもらおうと、恭也は一軒一軒訪問して回ったが、ほとんどの店は反応さえなかった。唯一、タバコ屋だけがシャッターを開けてくれた。中から出てきたのは、腰の曲がった小柄な老婆だった。恭也は自転車がパンクしたことを告げ、近くに修理できるところはないかと訊いてみたが、老婆はぶっきらぼうに、「そんなものはない」と答えた。それでも客商売をしているからか、一応質問には答えてくれる。自転車を修理するなら、ふもとの街まで行かなければならないらしい。恭也は、どこか宿泊できる場所が無いか訊いてみた。自転車店を探すのに時間がかかりすぎてしまい、すでに夕方に近い時間帯である。今から自転車を押して山を下りると、半分も行かずに夜になってしまうだろう。昼間でも薄暗く不気味なあの山道を、夜中に歩いて帰るのは勘弁してほしい。が、自転車店さえないこの村には、当然、宿泊できるような施設は無かった。インターネットカフェや二十四時間営業のハンバーガーショップはもちろん、旅館や民宿といった施設さえ無いと言う。そして、自転車がパンクして困っている高校生を冷たくあしらう排他的な村人が、見ず知らずの恭也を一晩泊めてくれるとも思えなかった。この老婆にしても、一応恭也の質問には答えてくれるものの、いかにもめんどくさそうな口調で、村から出て行けという雰囲気が身体中から溢れている。恭也が礼を言うと、老婆は乱暴にシャッターを下ろした。

 

 その後も恭也は自転車を修理できる場所か宿泊できる施設を探してみたが、見つからず、村人たちの反応も冷たかった。すぐに夜となり、行き場を失った恭也は、眠れそうな場所を探すうちに、少女と出会った森の広場に戻ってきたのである。

 

 

 

 

 

 

 広場に集まった村人たちは、祭壇の前に二列に並ぶ。皆、神妙な顔つきをしている。何か、重要な儀式が始まるようだ。見てはいけないものを見ている気持ちになる恭也。すぐに立ち去った方が良いのではないかと思う反面、見てはいけないと思うからこそ、見てみたいという好奇心もある。恭也は身を潜め、様子を窺った。

 

 やがて、神父の格好をした男の合図で、村人たちがゆっくりと手拍子を始め、低い声で、歌を歌い始めた。離れているので歌詞はよく聞こえないが、どうやら天の神を称える歌のようである。しかし、歌の雰囲気は、歌詞の内容とは対照的に不気味だった。低く、地の底に響くような歌声は、まるで悪魔を召喚する歌のようでもある。

 

 その歌に誘われるように、森の中から、少女が二人、現れた。二人とも、礼装用と思われる黒い法服に身を包み、同じく黒のベールをかぶっている。

 

 村人の歌の韻律に合わせるように、ゆっくりと、祭壇へ向かって歩く二人。

 

 と、少女の一人が、何かに気付いたように、視線を恭也に向けた。

 

 目が合う。

 

 同時に、恭也は気が付いた。

 

 ――あの()だ。

 

 それは、朝、この場所で出会った、何かに石を打ちつけていた、あの少女だった。

 

 少女の視線に、村人も気が付いた。ワイシャツ姿の若い男がこちらを見る。

 

「――誰だ!?」

 

 若い男が声を上げると同時に、全員の視線が、一斉に恭也に集まる。

 

 まずい、と、直感的に悟る。村人たちが何をしているのかは判らないが、この村にとって重要な儀式であることは間違いないだろう。それを邪魔したとなると、余所者に冷たいあの村人たちが、簡単に許してくれるとは思えない。恭也は、とっさに逃げ出した。

 

 恭也のこの判断は正しかったが、認識は甘かった。もし捕まったら、こっぴどく叱られる――その程度に考えていたのだ。儀式の邪魔をした者は、いや、村外の者で儀式の存在を知った者に与えられる罰は、その程度のものではなかった。

 

 昼でも薄暗い森の中は、夜ともなれば足元さえ見えないほどの闇である。念のために持参していた懐中電灯の明かりを頼りに、恭也は走った。幸い、村人が追いかけて来る気配は感じない。立ち止まって息を整えようと思った時。

 

「――――っ!」

 

 強烈な痛みが、恭也の頭を包み込んだ。

 

 頭が割れるような、いや、何者かに頭を引き裂かれるような痛みだ。

 

 あまりの痛みに意識を失いかけ、地面に膝をつく。

 

 しかし、強烈な痛みは一瞬だった。鋭い痛みはすぐに鈍く断続的な痛みに変わる。おかげで意識を失うことはなかった。

 

 代わりに、恭也は奇妙な感覚に襲われる。

 

 ――誰かに見られている。

 

 そう感じた。

 

 それは、なんとなく他人の視線を感じるとか、そういったレベルのものではなかった。自分を見ている他人の意識が、脳内に流れ込んできている――言うなれば、そのような感じだった。

 

 がさり。背後で、草を踏む音。

 

 振り返ると、警官の姿。

 

 まだ二十代だろう。若い男性である。

 

 特に悪いことをしていなくても、警官と会うとなんとなく緊張するものである。まして、恭也は先ほど、村の儀式の邪魔をしてしまった。だから。

 

「――あの、ゴメンなさい。俺、泊まれる場所を探してたら、たまたま、あの場所に出ちゃって。全然、邪魔をするつもりじゃなくて――」

 

 訊かれてもいないのに、言い訳を始める。決してワザとではない。そうアピールしたかった。

 

 警官は、一歩、また一歩と、ゆっくりと恭也に向かって来る。その足取りはおぼつかない。フラフラと不安定で、今にも転びそうだ。酒でも飲んで酔っているのだろうか? そんなことを思う。

 

 次の瞬間。

 

 警官は、信じられない言葉を口にする。

 

「……りょう……かい……しゃ……さつ……し……ます」

 

 ろれつが回っていない、たどたどしい口調だった。しかし、恭也の耳には、ハッキリと聞こえた。

 

 ――了解、射殺、します?

 

 耳を疑う恭也。確かにそう聞こえたが、聞き間違いだったのだろうか? そう思わずにはいられない。きっとそうに違いない。

 

 しかし。

 

 警官は、腰のホルダーから拳銃を抜き。

 

 その銃口を、恭也に向けた。

 

 まさか、本当に撃つつもりだろうか? いや、あり得ない。自分は、たまたま儀式を目撃しただけだ。邪魔をしたのは悪かったと思うが、いきなり銃で撃たれるほどの悪事だったとは、到底思えない。たちの悪い冗談だろうか? きっとそうだ。そう思う反面、警官ともあろう者が、冗談で銃を抜き、銃口を向けることなどありえないことも理解している。

 

 警官は、ひきつったような、不気味な笑い声を上げる。

 

 その指が、拳銃の引き金にかかった。

 

「――うわああぁぁ!!」

 

 恭也は、悲鳴と共に走り出した。

 

 同時に、背後で銃声が鳴り響く。本当に撃ってきた!

 

 幸い、銃弾は外れたようだ。あるいは、あの銃はおもちゃか、空砲だったのかもしれない。そう思いたいが、そうでないことを、恭也は直感的に悟っていた。あの、おぼつかない足取りと、ろれつの回らない口調、不気味な笑い声。警官は、おかしくなっていた。それも、酒に酔っているというレベルではないだろう。明らかに、狂っていた。善悪の判断もつかないほどに。だから、無抵抗の者に向かって容赦なく発砲しても、不思議ではない。

 

 恭也は走った。ただ、狂人から逃れたい一心で、暗い森の中を走る。ライトで足元を照らす余裕など無く、ただ、走り続けた。木や岩にぶつからなかったのは、幸運だった。

 

 しかし。

 

 ずるり。

 

 右足を、何かに取られた。

 

 次の瞬間、恭也の身体は浮遊感に襲われる。

 

 だが、それも一瞬だった。強い衝撃と共に、腰に鋭い痛みが走る。

 

 何が起こったんだ? 痛みでいくらか冷静さを取り戻した恭也は、ライトで辺りを照らした。五十メートル四方の広場だった。奥にプレハブ小屋らしき建物があり、そのそばには、軽トラックが一台停められている。黄色と黒の縞々のプレートがぶら下がったバリケートやフェンスにカラーコーン、ブロックや鉄板などの資材と思われるものも置かれてある。工事現場のようだ。振り返ると、恭也の身長の倍ほどの高さの崖がそそり立っていた。どうやら、足を滑らせて落ちたらしい。幸い高さはそれほどでもない。骨が折れたりはしていないだろう。

 

 空を覆う樹々の葉が無くなったため、見上げると、煌々と輝く満月と星々が見えた。ライトが無くても月明りで行動できそうである。

 

 と、また銃声が鳴り響いた。のんきに星空を見上げている場合ではないことを思い出す。あの警官が追ってきたのだ。腰の痛みに耐え、恭也は再び走り出す。どさり、と、背後で警官が飛び降りた音が聞こえた。とっさにライトを消す恭也。月明りに照らされているとはいえ、広場は薄暗い。少し離れれば、闇に身を隠すことは可能だろう。思った通り、警官はライトで周囲を照らし、恭也を探している。

 

「おと……なしく……出て……来なさい……」

 

 相変わらずたどたどしい口調の警官。警官のいうことを聞かなければ公務執行妨害の罪になるが、無抵抗の高校生に向かって銃を撃つ警官の言うことなど聞けるはずもない。そのまま息をひそめる。しかし、このままではすぐに見つかってしまう。どこかに身を隠さなければ。恭也は気配を消したまま、プレハブ小屋に近づいた。スライド式のドアに手をかける。鍵はかかっていない。そっとドアを開け、滑り込むように中に入ると、静かにドアを閉めた。警官は、広場を探している。どうやら隠れる所は見られなかったようだ。恭也は大きく息を吐き出した。いつの間にか、呼吸をするのも忘れていた。

 

 警官の足音が聞こえる。移動しはじめたようだ。そのまま立ち去ってくれれば――恭也の願いは届かない。足音は、こちらに近づいてくる。

 

 ――しまった。恭也は、自分が愚かなミスを犯していることに気が付いた。広場に恭也の姿が無ければ、警官は、当然周囲を探し始める。このプレハブ小屋など、真っ先に目を付けられるだろう。プレハブ小屋は小さなもので、六畳ほどの広さにロッカーと机があるだけだ。ロッカーは小さくて身を隠せそうにないし、仮に隠せたとしても、すぐに見つかってしまうだろう。他に出入口は無い。窓はあるが、ドアのすぐ隣だから、ドアから出るのと大差はない。つまり、逃げ場がない場所に逃げ込んでしまったことになる。隠れるならば、他の場所にするべきだったのだ。

 

 警官の足音が、ドアの前で止まる。

 

 もうダメだ――そう思ったが。

 

 警官は、そのまま離れて行った。中を覗くことも無かった。

 

 助かった。そう思ったが、安堵よりも疑問の方が強かった。警官はなぜ、中を確認しなかったのだろう? 恭也はドアに鍵をかけていないから、簡単に開けることができたはずだ。それなのに、ドアを開けず、開けようともせず、離れて行った。

 

 恭也は窓から外の様子を窺った。警官は、ライトで周囲を照らしながら、時折、あのひきつった不気味な笑い声をあげたり、ろれつの回らない口調で投降を呼びかけたりしながら、広場を歩き回っている。恭也を探している、という感じではない。このプレハブ小屋だけでなく、軽トラックや資材の陰など、隠れる場所は沢山あるが、それらには全く注意せず、ただ、徘徊しているだけである。

 

 そこで気が付いた。あの警官は、正常な状態ではない。恐らくは危ない薬でもやっているのだろう。だから、隠れそうな場所を探す、ということまで、頭が回らないのだ。

 

 いくらか安心した恭也だったが、だからといって事態が好転したわけではない。頭のおかしな警官が銃を持って自分を探していることに変わりは無いのだ。いつまでも隠れていられるものでもないだろう。なんとかして逃げ出さなければ。恭也は慎重に外の様子を窺った。広場の出口は、プレハブ小屋の反対側だ。警官のスキを突いて走れば気づかれずにたどり着けそうだが、残念ながらフェンスで閉ざされている。恐らく鍵がかけられてあるだろう。乗り越えられない高さではないが、さすがに気付かれるだろうし、登っている途中で撃たれると危険だ。フェンスの左側は崖になっている。耳を澄ますと、大量の水が流れる音が聞こえた。恐らく崖の下は川だ。思い切って飛び込んでみようか? いや、崖の高さも川の深さも流れの速さも確認しないで飛び込むのは、あまりにも危険すぎる。何か、他に方法はないのか? 恭也は、部屋を見回した。机の上に、車の鍵が置かれてあった。外の軽トラックの鍵だろうか? 恐らくはそうだろう。あのトラックを使って、出入口のフェンスを突破できないだろうか? 名案のように思えた。工事現場を囲むフェンスが、車のぶつかる衝撃に耐えられるほど頑丈だとは思えない。よし、それで行こう。恭也は、車の鍵を手に取った。警官の様子をうかがう。しばらく広場を徘徊していた警官は、プレハブ小屋の反対側の崖の方へ歩いて行った。恭也に背を向ける格好だ。

 

 ――今だ。

 

 恭也は静かにドアを開け、外に出た。隣の軽トラックのドアに鍵を刺す。ゆっくりと捻ると、がちゃり、と音がして、回った。よし。鍵を抜き、ドアを開け、素早く中に入る。ドアを閉める音で気づかれる可能性があるので、開けたままにしておく。ハンドルを握り、ペダルに足を置いた。

 

 しかし、恭也は十六歳の高校生だ。決して優等生ではなかったが、無免許で車を乗り回すような不良でもない。車の運転経験など無かった。父親の運転する車に乗った時の記憶を頼りに、ハンドルのそばにあった鍵穴に鍵を差し込む。これを捻れば、エンジンがかかるはずである。不注意な警官もさすがに気づくだろう。だから、エンジンがかかったら、ギアを入れ、アクセルを思いっきり踏んで、フェンスを突破しなければならない。恭也は、大きく息を吸い込み、鍵を捻った。エンジンが唸り声を上げる。崖のそばにいた警官が振り返った。恭也はギアを入れ、アクセルを踏み込んだ。

 

 しかし、軽トラックは唸り声を上げるだけで、走り出さない。どうなっている!?

 

 軽トラックのエンジン音をかき消すかのように、広場に銃声が鳴り響く。

 

 同時に、フロントガラスに大きな穴が開いた。撃ってきた!

 

 幸い弾は恭也に当たることはなかったが、このままではマズイ。さらにアクセルを踏み込む恭也。しかし、軽トラックはいっこうに進む気配を見せない。銃を構えた警官が近づいてくる。早くしなければ! でも、どうして進まない? 車内を見回す。ギアのそばのサイドブレーキが目に入った。これか!? サイドブレーキを下げる。アクセルは踏み込んだままだ。急発進する軽トラック。正面には、銃を構えている警官が――。

 

 想像していたよりも、あまりにも軽い衝撃が、ハンドルを通じて恭也の腕に伝わる。

 

 すぐにブレーキを踏む恭也。軽トラックは、がりがりと嫌な衝撃を伝え、なんとか停まった。

 

 正面を見るが、先ほどの銃弾でフロントガラス一面にひびが入っているため、よく見えない。

 

 ただ、警官がそれ以上発砲してくることはかなった。

 

 

 

 

 

 


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