SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第十七話 恩田理沙 田堀/廃屋 初日/四時〇〇分〇四秒

 頭が割れるような酷い頭痛に襲われ、恩田(おんだ)理沙(りさ)は、その場にうずくまって動けないでいた。目を閉じ、じっと痛みに耐える。痛みは次第に引いていったが、不思議なことに、目を閉じているにもかかわらず、ハッキリとした映像が見えた。どこか、古い日本家屋の庭を歩いているのだ。庭木や物干し台に犬小屋、小さな倉庫に、離れと思われる別邸も確認できた。見覚えはない。自分の知っている場所ではないだろう。歩いているのも自分ではない。別の人物の視点のようである。視点の主は興奮しているのか、息が荒く、声も低い。男性のようだ。用心深く周囲を伺いながら、庭を歩いている。

 

 しばらくすると頭痛は嘘のように治まった。だが、映像は消えなかった。目を開けると自分の視点だが、閉じるとやはり、別の人の視点が見える。あたし、大丈夫だろうか? 十代の頃より片頭痛に悩まされているので頭が痛くなるのは珍しいことではないが、今日の頭痛は今までにないほどヒドイ。その上、幻覚のようなものまで見える。脳梗塞とかの前触れだったらイヤだな。早めに健康診断なり人間ドッグなり受けた方がいいかもしれない。お姉ちゃんに相談してみよう。そう思い、顔を上げ、立ち上がると。

 

 ――え?

 

 目の前に建つ建物を見て、理沙は驚きのあまり声を上げそうになった。古い日本家屋が建っている。さっきまで、こんなものはなかったはずだ。ここ、田堀地区は、二十七年前に発生した土砂災害に飲み込まれ、多くの人が行方不明になったと聞いている。数年前に羽生蛇村全体で大きな区画整理があり、この周辺も再開発されたが、数軒の民家が建てられただけで、ほとんど何も無い地域だ。こんな古い家屋は存在しない。いったい、どうなっているのだろう。自分は、夢でも見ているのか。

 

 理沙は家から持ってきたライトで照らしながら、家屋へ近づいて行く。門は開け放たれていた。表札はかかっていない。門の奥には玄関が見えるが、明かりは点いていない。

 

 ――誰かいるのかな……誰もいないよね。真っ暗だし。

 

 理沙は独り言を言いながら、ゆっくりと門をくぐり、敷地の中を確認してみた。いくつもの庭木が植えられ、物干し台や犬小屋、離れのような別邸も見える。

 

 あれ? これって……。

 

 それは、さっき目を閉じた時に見えた光景――今も目を閉じると見えるのだが――に、そっくりだった。

 

 なんだかイヤな予感がした。それでなくてもこんな真夜中に他人の家の庭に勝手に上り込むのは良くない。早々に立ち去った方がいいだろう。理沙は門から出ようとしたが。

 

 ビクン、と、身体が震え、一瞬、別の映像が見えた。古い家屋の門から出てくる、自分の姿。

 

 映像が消えると、理沙の前に人が立っていた。まずい。家の人が帰って来たんだ。怒られる。そう思った理沙は。

 

「ごめんなさい。あたし、なんか、迷っちゃったみたいで。道を訊こうと思ったんです。こんな真夜中に失礼かなー、とは思ったんですけど」

 

 早口で言い訳をする。通報されても文句は言えないような状況だ。なんとかごまかそうと必死だった。

 

 が、その言葉が止まる。

 

 現れた男は、両手に猟銃を持っていた。

 

 羽生蛇村は山奥にある村だ。猟師を仕事にしている人もいる。だから、猟銃を持っている人がいてもおかしくはないが、こんな夜中にバッグにも入れず持ち歩くなど、正気の沙汰とは思えない。

 

 さらに男は、あろうことか、その銃口を理沙に向けた。

 

 理沙は反射的に逃げ出した。門の中に駆け込む。背後で銃声がしたが、幸い弾は当たらなかった。

 

「助けて! 誰か!! 助けてください!!」

 

 叫びながら庭を走る理沙。あの男は強盗か、あるいは人殺しか。どちらであっても大した違いはない。助けを求めて叫ぶ。家に人がいるかどうかは判らないが、とにかくたくさんの人に危険を知らせなければ。

 

 また理沙の身体が震え、一瞬別の映像が見えた。

 

 しかし、命の危険を感じていた理沙に、そんなことを気にしている余裕はなかった。目の前に男の人の姿が見えたので、助けを求めた。

 

「助けてください! 今、門のところで、銃を持った男の人がいて――」

 

 男に駆け寄ろうとした理沙だったが、その足を止める。

 

 男は、右手に包丁を持っていた。

 

 そして、まるで獣のように空に向かって吠えると。

 

 包丁を振り上げ、理沙に向かって来た。

 

 踵を返して走る理沙。門の方へ戻ることになる。あの銃を持った男がいるが、逃げ場はそっちしかない。

 

 ――なんなの!? 何なのよこれは!!

 

 訳が判らなかった。猟銃を持った男に、包丁を持った男。いつからこの村はこんな危険な場所になったんだ。これなら、東京の方がまだ治安がいいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 恩田理沙は現在二十一歳で、羽生蛇村で家事手伝いをしている。家事手伝い。要するに無職である。二年前、高校卒業と同時に就職で上京したが、生まれてからずっとこの田舎村で育った娘が都会の生活に馴染めるはずもなく、すぐに村を出たことを後悔した。それでも生来の真面目さで何とか二年間は働いたが、結局馴染むことはできず、務めていた会社を辞め、四日前、実家に戻って来たのである。

 

 理沙には、美奈という名の双子の姉がいた。真面目な理沙に対し美奈の方はやや奔放な性格をしているが、一卵性であり、見た目は時折親でも見間違うほどに似ていた。ずっと一緒に育ってきたが、高校卒業後、美奈は上京せず、現在、村の唯一の病院である宮田医院で看護師として働いている。病院はどこも人手不足で、若い看護師など寝る暇もないほど忙しいと言われているが、のどかな羽生蛇村ではそんなことはなく、日勤夜勤共に毎日キッチリ定時に仕事が終わり、日勤の場合は夜八時までには家に帰ってきて、十二時には就寝するという、都会の看護師なら誰もが羨むような生活をしていた。

 

 しかし昨夜、美奈は、夜勤でもないのに夜の十時を過ぎても帰ってこなかった。

 

 二十一歳の大人の女性だ。普通ならば、まだ心配するような時間ではない。急遽夜勤になったか、どこかで遊んでいると思うだろう。しかし、夜勤になったのなら連絡があるだろうし、羽生蛇村には夜に遊び歩くような場所もない。さらに、その夜は村の有力者である神代家が何やら祭事を行うとのことで、なるべく外出しないようにとの通達があった。宮田医院に電話しても通じない。理沙の胸には、言い知れぬ不安が浮かんでいた。美奈に何かあった。双子の直感というものだろうか、そう感じていた。十一時になっても帰ってこない。心配になった理沙は、美奈を探すため、一人、夜の羽生蛇村へ出た。

 

 そして、深夜〇時を回った時。

 

 村にサイレンが鳴り響き、大きな地震が起こった。激しい頭痛に襲われた理沙は、意識を失い、目覚めた時、突如、目の前古い家屋が出現していたのである。

 

 

 

 

 

 

 包丁を持った男から逃れるため、門の方へ走る理沙。門の近くに人影はなかった。外に出ようとしたが、銃を持った男は門の前に立っていた。幸い、こちらに背を向ける格好だったので気付かれることはなかった。だが、包丁を持った男は追ってきている。門の外へ出るのを諦め、さらに庭を逃げる。どこかに隠れないと。走りながら庭を見回す。角を曲がったところで、家の勝手口と思われるドアが見えた。鍵はかかっていない。素早く中に入った。十畳ほどの広さの台所だ。ドアに鍵を掛けようとしたが、壊れているようでかからなかった。このままではマズイ。家の奥へ逃げようとする。廊下へ続いていると思われる引き戸が見えた。だが、鍵がかかっているのか、あるいは古くて立てつけが悪いからか、開かない。

 

 外に、気配を感じた。

 

 低く、荒い息づかい。包丁を持っている男が、すぐそこにいる。台所に隠れる場所はない。勝手口を開けられると、すぐに見つかってしまう。可能性は極めて低いが、そのまま通り過ぎてくれるのを祈るしかない。ライトを消し、息を殺す理沙。

 

 荒い息づかいが、勝手口の前で止まった。

 

 やっぱりダメだった! 諦めかけた理沙だったが。

 

 男は、しばらく勝手口の前にいたようだったが、やがて気配は遠ざかって行った。

 

 助かった……大きく息を付く理沙。なぜドアを開けて中を確認しなかったのかは判らないが、ひとまず危機は去った。その場にへたり込む。

 

 と、目を閉じた瞬間、また、別の映像が見える。

 

 慌てて目を開けると、映像は消えた。

 

 もう一度、恐る恐る目を閉じた。やはり、見える。荒い息づかいで、古い日本家屋の庭を歩いている。犬小屋や物干し台、倉庫に離れがある。

 

 ……これって、この家の庭だよね。

 

 いま逃げてきた庭と全く同じ作りだった。そして、視界の隅に包丁がちらちらと映る。どうも、さっき追いかけてきた男の視点のように思う。幻覚ではないのか? あの男の視点を見ている?

 

 何が起こっているのかさっぱり判らなかったが、今は考えている場合ではない。包丁を持った頭のおかしな人に襲われ、門の前には猟銃を持った頭のおかしな人がいる。どうにかして、逃げ出さなければいけない。

 

 目を閉じたまま、男の視点で様子を窺う。男は庭をぐるっと回っているようである。周囲を警戒しているが、倉庫や離れ、この台所まで見ることはなかった。敷地にいる男はその一人だけだった。ずっと巡回しているようなので、勝手口の反対側に行った時に、庭へ出ることは可能だろう。しかし、門の前に陣取った猟銃を持った男は、その場を動こうとしない。他に脱出できそうな場所は無く、このままではいずれ見つかってしまう。どうしよう? なんとかして、あの猟銃を持った男にどいてもらわなければならない。何か、男の注意を引けないだろうか? 台所を見回す。冷蔵庫と、その上に小さな食器棚、後は流し台と換気扇があるだけの、殺風景な台所だ。しかし、探せば役に立つものがあるかもしれない。理沙は外の男に気付かれないよう、静かに台所を探った。

 

 包丁でもあれば相手を威嚇する道具になるかもしれないと思ったが、武器になりそうなものは何も無かった。見つかったのは、流し台の引き出しの中にあった、四つ折りにされた紙と、料理用の巻糸だけだった。紙を広げてみる。スケッチブックを切り離したもので、中には奇妙な花の絵が描かれてあった。赤い花びらが放射線状に広がっており、一見すると彼岸花のようである。

 

 ――月下奇人(げっかきじん)、かな?

 

 月下奇人とは、羽生蛇村にしか咲かない珍しい花の名だ。サボテン科の多肉植物で、深夜、深紅の花を咲かせ、夜明け前にはしぼんでしまう。花言葉は『秘めたる信仰』。

 

 非常に特徴的な花ではあるが、羽生蛇村ではワリとありふれた植物である。花が咲く時間は極めて短いが、月下奇人自体は村のいたる所に自生しており、子供たちが夏休みの図画の宿題で描く絵としては定番だ。理沙も小学生の時、深夜まで起きて描いたことがある。この絵も、恐らく子供が描いたものだろう。しかし、奇妙なのは、絵は土の中まで描かれており、根の一部が、銀色のメダルのようになっている点だった。そのメダルの中央には、漢字の『生』の字をひっくり返したようなマーク描かれている。眞魚教のシンボル・マナ字架だ。さらに、花の周りには、文字とも記号とも判別がつかない小さなマークがびっしりと書き連ねてあった。何かの暗号のようでもあるが、単に子供のイタズラ書きのようにも見える。

 

 まあ、何にしても今は役に立ちそうにない。理沙は絵を折り畳み、引出しに戻した。

 

 結局使えそうなものは料理用の巻糸だけだ。これを使って、何か仕掛けを作れないだろうか? 理沙は再び周囲を見回した。流し台の上の換気扇が目に入った。これは使える。理沙は糸の片方を換気扇の羽に巻きつけ、もう一方を、冷蔵庫の上の食器棚に巻きつけた。これで換気扇のスイッチを入れれば、徐々に糸が巻き取られ、やがて、食器棚をひっくり返すはずである。音を聞いた男が調べに来れば、その隙に脱出できる。うまく行くかは微妙だが、やってみるしかない。理沙は目を閉じ、外の男の気配を探った。猟銃を持った男は、相変わらず門の前に陣取っている。もう一人の包丁を持った男は、ちょうど、勝手口の前を通り過ぎ、玄関の方へ回ったところだった。今がチャンスだ。理沙は、換気扇のスイッチを入れた。ぶうん、と音がして、勢いよく回り始めた。糸が巻きついて行く。理沙は外に出て、離れの陰に身を隠した。糸はかなり余裕をもたせてある。どれくらいで巻き取れるかは判らない。息を殺し、その時を待った。

 

 ――うん?

 

 理沙は、足元の土に園芸用の小さなスコップが刺さっているのを見つけた。武器としては心もとないが、何も持たないよりはマシだろう。理沙はスコップを引き抜いた。と、スコップのそばに、赤い小さな花が咲いていた。花びらが放射線状に広がっている。さっき台所で見つけたスケッチブックの切れ端に描かれていた花、月下奇人だ。

 

 あれ? もしかしたら……。

 

 そんなことをしている場合でもないとは思ったが、気になった理沙は、花の根元をスコップで掘ってみた。四度、土を掘り返したら、中から、マナ字架をあしらった銀色のメダルが出てきた。あの絵の通りだ。この家の子供が埋めたのだろうか? 理沙はメダルに付いている土をはらった。マナ字架の下からアルファベットが出てきた。かなり霞んではいるものの、TAKEUCHIと読み取れた。タケウチ……竹内……武内。理沙は十八歳までこの村に住んでいた。村は狭く、村人全員が顔見知りと言ってもいいほど人口は少ないが、タケウチという名には心当たりが無かった。まあ、かなり古そうだから、引っ越して行った人のものかもしれない。

 

 がしゃん! と、台所から派手な音がして、理沙は我に返った。どうやら、仕掛けはうまく行ったようである。あとは、男が陽動されるかだ。目を閉じ、男の気配を探る。

 

 猟銃を持った男は、門をくぐって庭に入り、勝手口へ向かっている。やった! うまく行った!!

 

 目を開け、離れの陰から勝手口を見る。門の方から猟銃を持った男が現れた。ドアを開け、中に入るのを確認し、理沙は走った。包丁を持った男はまだ家の裏側だ。他には誰もいない。理沙は門をくぐり、家の外へ出ることに成功した。そのまま東へ向かって走る。すぐに警察に知らせなければ。猟銃や包丁持って襲ってくるなど、ただ事ではない。放っておくと、大変なことになるだろう。

 

 理沙は、田堀の東にある上粗戸の駐在所に向かって走った。

 

 

 

 

 

 


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