SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第十六話 宮田司郎 蛇ノ首谷/折臥ノ森 初日/三時三十一分十七秒

 宮田医院の院長・宮田(みやた)司郎(しろう)はひどい頭痛とともに目を覚まし、一瞬、自分の置かれている状況が判らなかった。目の前には生い茂る樹々が広がっている。横を向いても、後ろを向いても、その光景は変わらない。深い森の中にいる。ここはどこだ? 一瞬考えて思い出す。羽生蛇村の北に位置する山・蛇ノ首谷(じゃのくびだに)の中腹にある折臥ノ森(おりふしのもり)だ。

 

 昨夜、宮田はある作業のため、この森にやって来た。深夜〇時を回った頃である。作業を終え、帰ろうとしていたところ、村にサイレンが鳴り響き、大きな地震が発生した。直後に耐えがたい頭痛に襲われ、宮田は意識を失ったのである。

 

 生い茂る樹々の葉に雨粒が当たる音が森の中に響く。いつの間にか、雨が降り出していたようだ。宮田は腕時計を見た。三時三十分を過ぎている。三時間以上も気を失っていたようだ。何が起こったのかは判らないが、ここでの作業は終わった。長居は無用だ。すぐに行動を起こそうとしたが、その目が、足元に釘付けになった。

 

 ――バカな!?

 

 我が目を疑う。

 

 宮田の足元には、大きな穴が開いていた。

 

 縦二メートル、横一メートル、深さ一メートルほどの穴だ。人一人がちょうど収まるほどの大きさである。

 

 この穴自体は、宮田が掘ったものだった。だが、気を失う前に埋めたはずだ。誰かが掘り返したのだろうか? あり得ない話ではないかもしれないが、いったい、誰がそんなことをするというのだ? 今夜、宮田がこの森に来ていることを知る者はいない。深夜はもちろん、昼間でさえ人がよりつくような場所ではない。

 

 宮田は、じっと穴を見つめる。中には何も無い。穴の中にあるはずのものは、一体、どこへ行ったのか?

 

 穴を見つめていた宮田は、奇妙な点に気が付いた。

 

 気を失っている間に、誰かが穴を掘り返した――先ほど、宮田はそう考えた。

 

 だが、その考えは間違いではないかと思えてくる。

 

 宮田の足元にできた穴は、誰かが外側から掘り返したものではないように見えた。内側から掘られたかのように、土が周囲に散乱している。それはまるで、地面に潜んでいたものが、這い出て来たかのようだ。

 

 いったい、どうなっている? 宮田は周囲を見渡す。そばに落ちていた懐中電灯を拾い、周辺を捜したが、誰もいない。恩田(おんだ)美奈(みな)は、どこへ行った?

 

 恩田(おんだ)美奈(みな)は、宮田医院に勤める看護師だ。宮田と共にこの森に来たのだが、あるはずの姿が、ない。

 

 宮田はその場を離れ、細い林道へと戻った。蛇ノ首谷を上る山道。この道を下ったところに車を停めてある。一度、戻ってみるか、それとも、もう少し周辺を探してみるか。考えていると。

 

 突然、宮田の身体が大きく震え、一瞬、自分が見ているものとは別の映像が見えた。今のは何だ? 周囲を見回す。林道の先に人影が見えた。こんな真夜中に誰だ? 様子を窺う。こちらへ向かって来る。農作業用の服を着て、左手にライト、右手に(なた)を持っている。その顔色は土色で、目から血の涙を流していた。生きている人間には見えない。あれはまさか、屍人か? 直感的に悟った。そう言えば、降り続けている雨は、血のように真っ赤な色をしている。

 

 それで、宮田はすべてを理解した。

 

 あの腰抜けの求導師が、儀式に失敗したのだ!!

 

 宮田の行動は素早かった。すぐに森に身を隠す。村の伝承によれば、屍人は生きてい人間を見つけると襲いかかって来るが、頭は決して良くない。森の中に入れば、ヤツはすぐにこちらの姿を見失い、探すのを諦めるだろう。思った通り、屍人は森の中に入って来たものの、木の陰に身を隠しているだけの宮田を見つけることができずにいた。やがて諦めたのか、あるいは何をしているのか忘れてしまったのか、元の場所に戻って行った。これで、ひとまず安心だろう。

 

 宮田は、これから自分はどうすべきかを考えた。昨夜、村では神代の娘を神の花嫁に捧げる儀式が行われたはずだ。儀式を取り仕切っていたのは眞魚教の求導師・牧野慶だ。宮田の双子の兄でもある。牧野は、恐らくこの儀式に失敗したのだ。

 

 二十七年前も同じ儀式が行われたと聞いている。その時も失敗し、村は、土砂災害に見舞われた。恐らく、今も同じことが起こっているだろう。一刻も早く村に戻らなくては。だが、美奈はどうする? このまま放っておくわけにもいかない。しかし、どこにいるのか見当もつかない。そこで、宮田は気が付いた。先ほど、屍人に見つかった時、一瞬、屍人の視点と思わしき映像が見えた。あれは恐らく幻視だ。他人の視界が見えるという、村に伝わる特殊能力である。恐らく、儀式に失敗したことで異変が生じた結果、能力が目覚めたのだろう。この能力を使って、美奈を探してみよう。宮田は目を閉じた。周囲に意識を向ける。何人かの気配を感じた。先ほどの鉈を持った屍人の他に、つるはしを持った屍人や猟銃を持った屍人までいる。その中に、白い靴を持っている屍人がいた。ピンク色にふちどりされた白いスニーカーだ。美奈が履いていた物に似ている。こいつか? 宮田は幻視を続けるが、その視点の主が美奈かどうかまでは判らない。直接確認するしかないだろう。靴を持った屍人は、コンクリート製の橋のそばを歩いていた。宮田が車を停めた近くにある橋のようだ。宮田は幻視をやめ、山を下りた。一〇分ほどで車に戻ることができたが。

 

 ――くそ。

 

 崖のそばに停めてあった車を見て、宮田は胸の内で悪態をつく。深夜の地震の影響からか、そばの崖が崩れており、運転席より前が土砂に埋もれていたのである。車はもう使えそうにない。不幸中の幸いか、後部座席より後ろは無事だ。宮田はトランクを開けた。中には修理用具が入っている。その中から最も重量があるラチェットスパナを取り出した。長さは五十センチほどで、十分な武器となるだろう。発煙筒も何かの役に立つかもしれない。ポケットにしまう。使えそうなものはこれくらいだ。鉈や猟銃を持った屍人相手には心もとないが、無いよりはマシだろう。屍人が何人もうろついているのに、武器も持たずに行動するなど愚の骨頂だ。

 

 宮田は再び幻視を行った。靴を持った屍人は、先ほどと同じく、コンクリート製の橋のそばをうろついている。橋はここから五十メートルも離れていないが、そのそばには古びた電話ボックスがぽつんとひとつ立っているだけで、誰の姿もない。どうやら屍人は向こう側にいるようだ。宮田はすぐに橋を渡るようなことはせず、慎重に他の気配を探る。いた。靴を持った屍人より手前。向こう側の橋の麓に、猟銃を持った屍人が立っている。そのまま進んでいたら、撃たれていただろう。靴を持った屍人の所へ行くには、この猟銃屍人をどうにかしなければならない。さすがにラチェットスパナでは分が悪すぎる。何か策を用いなければ。橋のそばまで行ってみる。電話ボックスの頼りない明かりだけが周囲をわずかに照らしている。何気なく中を覗きこむ宮田。電話の上に、テレホンカードが一枚置かれてあった。『美浜奈保子限定テレカ』とあり、水着姿の女性とサインがプリントされてあった。芸能人のようだが、宮田には全く興味の無いものだった。かなり古いものだ。使用度数0の所に穴が開いている。使用済みのものを捨てて行ったのだろう。

 

 宮田は電話ボックスの中に入ると、受話器を取り、テレホンカードを挿入した。案の定、度数表示の所には0と出た。受話器を置く。ピピーという機械音と共に、カードが排出された。宮田はカードをそのままにして、静かにその場を離れた。機械音は鳴り続けている。

 

 しばらく身を隠し、待っていると。

 

 橋の向こうから、猟銃を持った屍人が姿を現した。音の原因を確認しに来たようである。

 

 屍人は電話ボックスのそばまで来ると、そのまま中をじっと見つめる。音の原因は確認できたものの、どうしていいのか判らない様子だ。

 

 宮田は息を殺し、屍人の背後に忍び寄って行く。

 

 屍人は気づかない。ただじっと、電話ボックスを見つめる。

 

 屍人が間合いに入ったところで、静かに、スパナを振り上げた。

 

 そして、力いっぱい、振り下ろす。

 

 がつん! 鈍い音と手応え。

 

 屍人は大きくのけ反ると、その場に倒れ、動かなくなった。

 

 十分な手応えだった。生きている人間ならば、脳挫傷で即死だろう。しかし、相手は屍人だ。しばらくすれば傷は癒え、蘇るはずである。宮田は猟銃を奪おうとしたが、屍人の手が硬直しているのか、奪うことができなかった。

 

 銃を奪うことを諦めた宮田は、橋を渡った。美奈の靴を持った屍人は、まだ橋のそばにいる。すぐに見つけることができた。側の茂みに靴を隠している。ボロボロのTシャツと作業用ズボンを着た男の屍人だった。美奈ではない。

 

 靴を隠した屍人が宮田に気付いた。こちらに向かって来る。その手に握られているのは草刈り用の鎌だ。スパナよりもリーチが長く殺傷力も上だろうが、宮田は恐れはしなかった。屍人が鎌を振り上げた。それが振り下ろされるよりも早く、宮田のスパナが屍人に襲い掛かる。スパナは、屍人の左頬を捉えた。大きくのけ反り、後ずさりする屍人。手ごたえは十分だったが、あれでは顔が陥没するだけで、致命傷にはならないだろう。冷静に状況を見極めた宮田は、屍人が体勢を整える前に、さらに一撃を加える。今度は脳天を捉えた。前のめりになって倒れたところに、もう一撃。ぐしゃり、と、頭蓋が潰れる音とともに、屍人は動かなくなった。宮田は鎌を奪おうとしたが、やはり手が硬直していて、ビクともしない。どうやら屍人から武器を奪うのは無理なようだ。

 

 猟銃を持った屍人と、鎌を持った屍人を、スパナ一本で処理した宮田。特別なことではない。こういうことには、昔から慣れている。

 

 宮田は屍人が茂みに隠した靴を手に取った。宮田医院で採用しているナースシューズだ。恩田美奈の物で間違いない。

 

 ――くそ。美奈。どこへ行った。

 

 宮田はその後も美奈の姿を探したが、結局見つけることはできず、一人で山を下りるしかなかった。

 

 

 

 

 

 


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