SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第十四話 竹内多聞 蛭ノ塚/水蛭子神社湧水 初日/十二時二十七分〇八秒

 村に、サイレンが鳴り響く――。

 

 

 

 水蛭子神社の裏にある赤い泉のそばで、大学講師の竹内多聞はひどい頭痛に襲われていた。正午ごろからサイレンが鳴り続けている。村中に響き渡るほどの大きな音だ。どうやら、南に出現した赤い海の向こうで鳴っているようで、地形的に、この辺りが最も大きく聞こえるだろう。だが、サイレンの音は大きいが、耐えられないほどではない。竹内を襲っている頭痛は、別のことが原因だった。

 

「先生、この音どうにかしてください! もうあたし、頭が変になりそうです!! 疲れたしお腹も空いたし喉も渇いたしケータイも繋がらないしナージャもガッシュも観られないしサイアクです!!」

 

 竹内の後ろで、サイレン以上に大きな声でわめき散らしているのは、教え子の安野依子だ。そういうことを言わない約束で同行を認めたはずだったが、すっかり忘れてしまっているようだ。もうずっと、この調子である。

 

 十時間ほど前、突如目の前に現れた大字波羅宿の集落を調査中した竹内達。その途中、子供が助けを求めるような放送を聞いた。おそらくは村にある唯一の小学校・羽生蛇村小学校の折部分校からだと思われた。生存者がいる。放っておくことはできず、助けに向かった竹内達。明け方には小学校に着き、校内をくまなく探索してみたが、残念ながら子供を発見することはできなかった。幸い子供の屍人の姿も無かったので、何とか脱出したのかもしれない。結局、竹内達にできることは何もなく、そのまま学校を後にするしかなかった。

 

 小学校を離れた竹内達は、村の調査を再開するため、蛭ノ塚までやって来た。ここにある水蛭子神社は、眞魚教よりも歴史が古く、かつては村人の信仰のよりどころになっていた。しかし、村に眞魚教が普及するとともに廃れて行き、二十七年前の土砂災害で消滅した。事前にインターネットなどで調べたところ、現在は再建された水蛭子神社くらいしかなく、後は県道が通っているだけの地域だった。しかし、竹内達が訪れてみると、ところどころに古い家屋が立ち並び、屍人たちが生活をしている。どうやらここも、二十七年前の蛭ノ塚のようである。さっそく竹内は調査をしようとした。屍人に邪魔される可能性は高いが、調べなければならない。しかし、調査を始めた途端、屍人ではなく教え子が邪魔をしてきたのである。

 

「――ああ。もうあたし、ガマンできません。これ以上水を飲まないと死んじゃいます。もう、この水でいいです」

 

 安野は、誘われるように、赤い泉に向かっていく。

 

「よせ!」竹内は慌てて安野の肩を掴み、泉から引き離した。「ここの水は決して飲むなと、あれほど言っただろう!」

 

 安野は、ケロッとした顔をしていた。「もう。そんな青筋立てて怒らなくてもいいじゃないですか。冗談ですよ、冗談。あたしだって、黄泉戸喫(よもつへぐい)くらいは知ってます」

 

 ほう、と、内心感心する竹内。なかなか面白いことを言う。

 

 黄泉戸喫(よもつへぐい)とは、黄泉(よみ)の国で食事をすることだ。黄泉の国は死者の国であり、そこで食事をした者は国の一員と見なされ、二度と現世に戻ることはできないと言われている。世界中の神話や昔話で見られる概念で、日本では、古事記に登場するイザナミノミコトが有名だろう。火の神カグツチを産んだことで死んでしまったイザナミを迎えに行くため、夫のイザナギノミコトは黄泉の国へ向かった。しかし、イザナミは黄泉の国で食事をしてしまっていたため醜い姿に変貌しており、現世に戻ることはできなかった。

 

 つまり安野は、この羽生蛇村を黄泉の国であると捉えており、そこで何かを口にすれば醜い化物となり、二度と現世に戻ることはできない、と考えているのだ。なかなか面白い仮説である。実際、赤い水を体内に取り入れると屍人になり、二度と元に戻ることはできない。

 

「まあ、判っているならいい」竹内は、安野の肩から手を離した。「疲れたならここで待っていろ。私は、少し周辺を調べて来る」

 

「ええー。こんな所にカワイイ教え子を一人残していくんですかぁ? 先生サイテーです」

 

「なんとでも言え。ずっとそばでギャーギャー騒がれては、私の精神がもたん」

 

「あたしはずっと静かにしてますよぅ」

 

 ぷくっと頬を膨らませる安野。貴様が静かにしているのなら、私は生まれてから一言もしゃべってないことになるな。

 

 まあいい。コイツに構っていたら、いっこうに調査が進まない。竹内は安野を置いてその場を離れようとするが。

 

「あ、先生、待ってください」

 

「なんだ? ちびまる子ちゃんとサザエさんなら録画予約してあるから安心しろ」

 

「違いますよ。えっと、別行動するなら、これから十五分おきに、お互いを視界ジャックすることにしませんか?」

 

 視界ジャックとは、幻視の能力に安野が勝手に付けた能力名である。十五分おきにお互いを幻視する? なぜそんなことを。

 

 安野は続ける。「あたしたち、視界ジャックって呼んでますけど、実際この能力、視覚だけでなく、聴覚もジャックできるじゃないですか? と、いうことは、お互いに視界ジャックを行えば、携帯電話みたいに、離れていても会話できるはずなんです」

 

「確かに、その通りだな」

 

「はい。でも、ケータイと違って、呼び出し機能はありません。なので、十五分おきにお互いを視界ジャックして、連絡を取り合うんです。そうすれば、お互いの無事を確認できますし、何かあった時にも、すぐに伝えられます」

 

 安野のアイデアを吟味する竹内。悪くない考えだ。

 

「判った、やってみよう。だが、幻視が使える範囲はせいぜい二、三キロと言ったところだ。連絡が取れないからと言って、慌てることはないぞ」

 

「わっかりましたー。では先生、行ってらっしゃいませ」

 

 右手をおでこに当て、敬礼する安野。うるさいヤツだが、たまにこういった役に立つアイデアを出す。勘も鋭く、要領もいい。こんなことは本人には口が裂けても言えないが、なかなか優秀な教え子だ。うるさいのを何とかしてくれれば、頼もしい助手となるのだが。まあ、安野がうるさいのはいつものことである。考えてみれば、それはとてつもなく重要なことなのだ。この、いつ命を落とすかも判らない極限の状況において、いつも通り振る舞うことができる安野。よほど強い精神力を持っているか、よほど何も考えていないかのどちらかだろう。後者の可能性が高いのが残念な所ではあるが、どちらにしても、恐怖のあまり発狂したり、絶望してすべてを投げ出したりしないのは、非常に心強い。

 

「……先生、何か言いましたか?」

 

「何でも無い。とにかく、ここで大人しくしているんだ。もし屍人が来たら、うまく隠れろ。いいな?」

 

「はーい」

 

 手を挙げて返事をする安野。イマイチ信用できないが、まあ、コイツのことだから大丈夫だろう。竹内はその場を離れた。

 

 先ほど、まるでサイレンに導かれるように、屍人がその身を赤い海に沈めているのを見た。

 

 羽生蛇村には、『海送り』という民俗行事がある。海の向こうにあるという不老不死の理想郷へ向かうために、海に身を沈め、現世の罪を祓うのだ。

 

 しかし、羽生蛇村は山々に囲まれた内陸の村だ。海など存在しない。なぜ、そのような儀式が存在するのか謎だった。

 

 今、村は赤い海に囲まれている。それが関係していることは、間違いないだろう。

 

 

 

 

 

 


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