SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第十二話 八尾比沙子 刈割/不入谷教会 初日/七時三十八分二十二秒

 刈割の丘の上に建つ教会の礼拝堂の席に座り、求導女の八尾比沙子は、膝の上に広げたノートをぼんやりと眺めていた。教会に一緒に避難して来た須田恭也は、五分ほど前、突然外へ飛び出して行った。恐らく、幻視で何かを見つけたのだろう。外は危険だが、恭也は機転の利く少年だ。すぐ戻ると言っていたし、大丈夫だろう。

 

 膝の上に広げているのは信者帳だ。眞魚教の信者の名前や住所などの情報が記されてある。羽生蛇村ではほとんどの住人が眞魚教を信仰している。つまり、村人ほぼ全員の名がここに書かれてあった。それも、現在の信者だけではない。この信者帳には、過去五十年ほどの信者の名前が書き連ねてあった。それでも、信者の一部にすぎない。眞魚教の歴史は古く。少なくとも江戸時代より以前から続いていると伝わっている。実際に教会には、一七〇〇年代の信者帳も保管されてあった。

 

 比沙子が広げたページには、今から三十年ほど前の信者の名が書き込まれていた。懐かしい名前が多い。ここに書かれてある信者のほとんどが、すでに亡くなっている。寿命や病気で亡くなった者もいるが、大半は、二十七年前の土砂災害で命を落としたのだった。今回も、多くの信者が命を落とすかもしれない。

 

 ……いいえ。そうならないための教会よ。

 

 これから、多くの信者が避難してくるだろう。求導師様も戻って来られるはずだ。みんなで力を合わせて、この苦境を乗り切らなければいけない。

 

 比沙子はページをめくる。

 

 その手が止まった。

 

 そこには、ページ一面に、奇妙な図形が書かれていた。

 

 円や三角形、直線や曲線など組み合わせた図形だった。何かのシンボルのようにも見える。ちょうど、古代の象形文字のような形だ。それが八つ、二列に渡って並んでいる。赤黒い色をしており、まるで、血で描いたかのような色だ。子供の落書きだろうか? 大切な信者帳にイタズラするなんて、求導師様に叱ってもらわなければ。そんなことを思いながら、その落書きを眺めていると。

 

 

 

 ――目覚めよ。

 

 

 

 その言葉が、胸の奥から浮かび上がってきた。

 

 なぜ、そんなことを思ったのかは判らない。だた、その落書きを眺めていると、誰かにそう言われている気がしてならないのだ。

 

 あるいは――これは、文字なのだろうか?

 

 判らない。なぜこれを文字だと思ったのか、なぜその文字が読めるのか、比沙子にはまるで分らなかった。

 

知子(ともこ)!! 知子はいませんか!!」

 

 教会の扉が開き、村人が二人、血相を変えて飛び込んで来た。比沙子はノートを閉じた。

 

 飛び込んできたのは、羽生蛇村の役場に勤める前田(まえだ)隆信(たかのぶ)と、その妻の真由美(まゆみ)だった。熱心な信者で、中学二年になる娘の知子と三人で、週に一度は必ず礼拝に訪れている。

 

 前田夫妻は取り乱した様子で礼拝堂を見回す。夫の隆信の手には鉄パイプが握られている。教会に来る前に、すでに屍人に襲われたのだろう。娘の知子の姿はない。言動から察するに、はぐれてしまったのだろう。

 

「知子ちゃん、一緒じゃないんですか?」比沙子は、二人を落ち着かせるように、優しい口調で訊く。

 

 比沙子の存在にも気づかないほど取り乱していた隆信は、声を掛けられ、大きく息を吐いた。「はい……昨日の夜から、帰ってなくて……」

 

「ああ! あたしが、あんな事さえしなければ……」妻の真由美が泣き崩れる。

 

 隆文は、妻を慰めるように肩を優しく抱きしめた。

 

 昨日の夜は神代家が祭事を行うため、村人には外出を控えるように通達されているはずである。よほどのことが無い限り出歩いたりはしないはずだ。なのに、どうして知子は家に帰ってこなかったのだろう?

 

 だが、比沙子はあえてその理由は訊かず、諭すような口調で言う。「あたしが探してきましょう。お二人は、ここにいてください。知子ちゃんが来るかもしれませんから」

 

「え……いえ、求導女様を危険な目に遭わせるわけには……」

 

「大丈夫です。あたしには、神のご加護がありますから」比沙子は祈りをささげるように胸の前で手を組んだ。

 

 前田夫妻は不安そうに顔を見合わせる。比沙子の言うことを信用していないわけではないだろう。ただ、『神のご加護があれば大丈夫』という言葉に説得力が無いことは、比沙子自身にも判っていた。屍人は、生きている人間を襲う。それが眞魚教の信者であっても関係が無い。実際、比沙子自身も、教会に来るまでに何度も襲われている。

 

 それでも、困っている信者がいる以上、救わないわけにはいかない。まして知子は十四歳のか弱い少女だ。屍人だらけになってしまったこの村のどこかで、たった一人で恐怖に震えているかもしれない。どれだけ心細い思いをしているだろう? それを思うと、眞魚教の教えを説くものとして、見捨てることなどできるはずもなかった。

 

 比沙子は、前田夫妻を教会に残し、知子を探すため外へ出た。

 

 

 

 

 

 


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