SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第十一話 美浜奈保子 合石岳/蛇頭峠 初日/十一時〇二分四十八秒

 赤い雨が降り続く合石(ごうじゃく)岳の細い山道で、美浜(みはま)奈保子(なおこ)は道端の岩に腰掛け、どうしたものかと途方に暮れていた。かれこれ十時間近くも山の中をさまよっている。決して広い山ではないし、道も一本道のはずだが、どれだけ歩いても、どういうわけか同じ場所に戻って来てしまうのだ。一度入ったら二度と出ることはできない迷いの山――ホラーネタとしてはあまりにも使い古されたもので、今どき小学生に話しても笑われてしまうだろう。しかし、本当に身に起こったとしたら、笑い事ではすまない。

 

 奈保子の手には小型のビデオカメラが握られている。最新式のモデルで、テープではなく8センチのDVDに録画するタイプのものだ。初めのうちはこのカメラで自分の身に起こっていることを記録していたが、録画時間とバッテリーの無駄なので途中でやめた。山で迷う自分を撮影するのが目的ではない。本当の目的は、この村で行われているはずの『神代家の秘祭』とやらを撮影することである。

 

 どうしても、良い映像()を撮りたい!!

 

 昨晩、そう胸に誓っていたはずだった。しかし、その強い決意も、降り続く雨と溜まり続ける疲労によって、すっかり小さくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 美浜奈保子は都内の大手芸能事務所に所属するタレントだ。十年ほど前、当時大人気だった国民的アイドルグループに所属し、『なぽりん』の愛称で親しまれ、人気メンバーの一人として活躍していた。多くのテレビ番組や映画などに出演し、CM契約は二十社以上、視聴率30%を超える月曜九時のドラマで主演を務めたこともある、超売れっ娘アイドルだった。

 

 そんな人気絶頂だった一九九五年の三月、奈保子はかねてからの夢だった女優業に専念するために、所属しているアイドルグループを卒業。ソロで活動する道を選んだ。

 

 だが、それが失敗だった。

 

 グループ卒業後、奈保子の仕事は目に見えて減っていった。以前は何もしなくても次々と仕事のオファーが来たのだが、それがピタリとやんだ。テレビのレギュラー番組やCM契約は更新されることなく次々と終了。仕方がないのでオーディションに参加したり、企業やテレビ局、有名映画監督などに売り込んだりしたが、ほとんど相手にされなかった。

 

 それで、奈保子は気が付いた。

 

 奈保子が人気だったのは国民的アイドルグループの看板があったからであり、CMやドラマなどの仕事は、彼女自身ではなく、その看板が目的で舞い込んでいたのだ。その大きな看板が奈保子の唯一の武器であり、それを手放した奈保子には、もう、何も残されていなかったのである。

 

 仕事が激減した奈保子はあっという間にテレビから姿を消した。今では『あの人は今?』的な番組からの出演依頼すらない状態である。

 

 そんな奈保子が、現在唯一持っているテレビのレギュラー番組が、『ダークネスJAPAN』というオカルト番組である。レギュラーとは言っても、番組が放送されるのは月に一回だけで、しかも地上波ではなくCSの深夜番組だ。番組の内容は、都内の某マンションに住むと噂される五十三歳の口裂け女に会いに行く、とか、話題のスカイフィッシュを虫取り網で捕まえる、とか、非常にくだらないものばかりである。視聴者を恐がらせるよりは、笑わせることが目的の番組だと言っていい。最大のウリは、製作費が安いことだ。撮影はオール屋外ロケで行われるので撮影場所を借りる必要は無し。撮影は基本的に短時間。宿泊が必要な場合はロケバスでの車中泊。出演タレントは落ちぶれた元アイドルで格安のギャラ。など、徹底的に予算が抑えられ、視聴者よりもスポンサーへ配慮した番組だった。そのため、人気は全く無いものの、今月八回目の放送が予定されている。

 

 今回、奈保子が羽生蛇村へ来たのは、このダークネスJAPANの撮影が目的だ。テーマは、『ついに発見!! あの幻の猟奇事件の舞台にツチノコ!?』である。この羽生蛇村には、戦時中、一晩で村人三十三人を惨殺する事件が起こったとのウワサがある。また、かねてからツチノコの目撃情報も相次いでおり、そこに、番組プロデューサーが目を付けたのだ。今回もくだらない内容だが、今の奈保子に仕事を選んでいる余裕はない。こんな仕事でも、アイドル時代に一緒に仕事をしたプロデューサーに何度も頼み込んで、ようやく得ることができたのだ。やらせてもらえるだけありがたい。 

 

 当初の予定では、昼間に村で取材をし、夜になったら山の中で撮影をして、朝にはすべて終えて帰るはずだった。しかし、昨日の昼間、村で取材を進める内に、奈保子は興味深い話を聞くことができた。村の有力者である神代という家が、何やら秘密の祭りを行うというのである。

 

 奈保子は今回の撮影の前、この羽生蛇村についてインターネット等で調べていた。三十三人殺しやツチノコの話以外にも、血塗れの集落で老婆の幽霊を見たとか、UFOやスカイフィッシュが飛び交っているとか、怪しげなウワサが多い村だった。中でも奈保子が最も興味を引かれたのが、二十七年前、土砂災害で村の大部分が消滅していることである。

 

 これらの怪奇現象は、村の秘祭とやらに関係しているのではないか? そう考えた奈保子は、秘祭の正体を突き止めよう、と、プロデューサーに提案した。

 

 しかし、プロデューサーは奈保子の案に耳を貸さなかった。秘祭の謎を探る必要はない。撮影は予定通り行う、というのである。村での取材は終えたので、後は山での撮影だけだ。撮影のための小道具も用意してあった。戦時中の兵隊をイメージした衣装と、ツチノコのおもちゃである。夜、迷うはずの無い一本道の山の中で迷い、数々の怪奇現象を目の当たりにしたが、なんとか朝を迎えることができた。しかし、局に戻って撮影した映像をチェックすると、画面の隅に、軍服を着た謎の人影と、ヘビのような謎の動物が映り込んでいた。これはもしや、三十三人殺しの犯人とツチノコか? ――これが、プロデューサーの描いたシナリオだ。ハッキリ言えば、ヤラセである。

 

 ダークネスJAPANはドキュメンタリー番組ではなくバラエティ番組だ。普通に撮影して面白いことが起こればそれに越したことはないが、毎回必ずしも面白いことが起こるとは限らない。そういった場合、多少の演出やヤラセを入れるのは、番組的に必要であろう。そのことは、奈保子も理解している。しかし、面白そうなネタが目の前にあるのに、それに目をつむり、安易にヤラセへ走ることには納得できなかった。秘祭について調べるべきだ。そう主張したが、受け入れてもらえなかった。

 

 結局撮影は予定通り行うことになった。夜、山の中でさ迷う映像を撮り、小道具の仕込みもバッチリで、つつがなく終了。後は、無事に朝を迎えるところを撮影するだけである。時間は二十三時。このままロケバスに泊まり、朝になるのを待つだけだった。

 

 だが、奈保子はカメラを持って村へ下り、秘祭について調べることにした。プロデューサーたちは反対したが、一人で出かけ、朝までには戻ってくると約束して、なんとか認めてもらえたのだ。秘祭というのがどこで行われているのかは判らないが、小さな村だ。探せばすぐに見つかるだろう。もちろん、秘祭の撮影に成功したとしても、それで面白い番組になるとは限らない。ただ、村人たちが和やかにお祭りをしているだけという可能性も十分にある。それに、最終的に撮れた映像を使うかどうかの判断をするのはプロデューサーだ。徹夜で調査しても、すべてがムダに終わる可能性が高い。

 

 それでも奈保子は、少しで良い番組を作るためには、何でもするつもりだった。奈保子はロケバスを後にし、山を下りた。

 

 その途中だった。

 

 深夜〇時を回った頃、突如、村中にサイレンが鳴り響き、大きな地震に襲われた。

 

 地震はすぐに治まり、幸いケガをすることはなかったものの、直後に原因不明の激しい頭痛に襲われ、気を失ってしまった。三時間後に目を覚ました時には頭痛は嘘のように消えていたので、そのまま山を下りようとしたが、それ以降、山道をどう進んでも、村に下りることも、ロケバスに戻ることもできなかった。

 

 そのまま奈保子は、今の時間まで、ずっと山の中をさ迷っていたのである。

 

 

 

 

 

 

 奈保子は大きくため息をついた。この山はどうなっているのだろう? 番組の当初の予定では山の中で一晩さ迷うはずだったが、それはあくまでもプロデューサーが考えた設定だ。こんな番組に出演してはいるものの、奈保子は幽霊などの怪奇現象を本気で信じているわけではなかった。この山が一度入ったら二度と抜けることのできない迷いの山などとは思っていない。だから、逆に心配なのだ。十時間近くも山の中で迷っているならば、それはもう立派な遭難だ。プロデューサーたちは心配しているだろうか? まさか、置いて帰ったりはしていないだろうか? あり得ることだった。いや、むしろその方がいいかもしれない。ヘタに通報されて救助隊が出動、などという事態になる方が困る。テレビ番組で事故は厳禁だ。タレントが山で遭難し救助隊に救出される、なんてことになったら、小さな番組などあっさり打ち切りになってしまうだろう。こんな仕事でも、今では唯一のレギュラーであり、これまで一生懸命やって来たのだ。失いたくはない。そのためにも、なんとしてでも無事に生還しなければ。いや、待てよ? 遭難して大騒ぎになれば番組は打ち切りになるだろうが、それはそれで話題になるのではないだろうか? 名前が売れればそれだけ仕事がしやすくなる。遭難をネタに再ブレイクということも可能だろう。いやいや、スッフのみんなにはお世話になっている。あたしのせいで番組が打ち切りになってしまっては、さすがに申し訳ない。

 

 ……などと考えていると。

 

 がさり。草を踏む音が聞こえた。誰か来たのだろうか? 音のした方を見ると。

 

「……余所者か……巻き込まれたな」

 

 年配の男性が、奈保子を見下ろすように立っていた。その手に猟銃を持っていることに少し驚いたが、ここは田舎の村だ。猟師がいてもおかしくは無い。

 

 奈保子は立ち上がり、猟師の男に笑顔を向けた。「良かった! あたし、道に迷っちゃって。一晩中、山の中を迷ってたんです」

 

 昨日の取材で、この村の住人が非常に排他的なのは身をもって知っている。奈保子は、精一杯ぶりっ子で話しかけた。できれば村まで案内してほしい。その一心だった。

 

 しかし、猟師の男は。

 

「……あの女のせいだ。昔と寸分に違わない姿……」

 

 なんだかよく判らないことを言う。ボケているのだろうか? 見た感じ八十歳くらいだから、それも仕方がない。しかし、ボケてる人に銃を持たせて大丈夫だろうか? 絶対ダメだろう。家族は何をしてるんだ。

 

 まあいい。ボケていようと、ようやく会えた村の人だ。なんとか助けてもらおう。奈保子は、ぶりっ子を続ける。「あの、良かったら、村まで案内してくれませんか?」

 

「あれは……八百比丘尼(やおびくに)だ」

 

 猟師は独り言のように言った。どうも話がかみ合わない。

 

 ……待てよ? 八百比丘尼って、人魚伝説のヤツだよな?

 

 八百比丘尼については、以前、ダークネスJAPANでも取り上げたことがある。大昔、人魚の肉を食べた女性が、八百年以上も生きたという伝説である。番組では、実際に八百比丘尼伝説が伝わる地方に出向き、番組が用意した人魚の肉と称するただの魚の肉を食べた。いつもの通りのくだらないネタだったが、もうすぐ三十歳になる奈保子は、若く美しいまま歳を取らない女性という話に興味を引かれ、今でもよく覚えていた。

 

「えっと……この村にも、八百比丘尼の伝説があるんですか?」訊いてみる。すでに番組で一度扱ったネタだからプロデューサーが興味を持つ可能性は低いが、一応、調べておいた方がいいだろう。

 

「……村へ下りたいのか?」

 

 また、見当違いの答えが返ってくる。

 

 この人、本当にボケてるのか? それとも、ワザとやってるのかな。奈保子はだんだん腹が立ってきたが。

 

「はい。良かったら、案内してくれませんか?」

 

 なんとか怒りを抑え、笑顔でそう言った。

 

「村はいま危険だ。命が惜しければ近づくな」

 

 ようやくまともな回答を得られた。しかし、村が危険とは、どういうことだろう? 考える。

 

「え? まさか、夜中の大きな地震で、大変なことになってるんですか?」口元に手を当てて驚く奈保子。かなり大きな地震だった。二十七年前のように、土砂災害が起こっていてもおかしくはない。

 

 猟師はあごを上げた。「村を出るならついて来い。こっちだ」

 

 そのまま道を進もうするが。

 

「あ……いえ、あたし、やっぱり、村へ行ってみます」

 

 奈保子はカメラを持ってそう言った。村が災害に見舞われたのなら、テレビに関わる者としては放ってはおけない。秘祭や八百比丘尼の調査などより、よっぽど重要な仕事だ。

 

「やめておけ。死ぬぞ?」

 

 猟師は止めるが。

 

「いえ、行きます」

 

 奈保子は決意を込めて言った。災害現場に素人が踏み込むのは確かに危険だが、それでも、行かなければならないと思っていた。スクープを撮って有名になりたいというよこしまな思いもないワケではない。しかし、それ以上に、村で何が起こっているかテレビを通じて日本中に伝えることが、今、自分がやるべきことではないか。そう思う。

 

 猟師は大きくため息をつき、そして、自分が来た道を指さした。「……この道をしばらく進めば、鉱山跡地がある。そこから西へ向かえば、山を下りることができるだろう」

 

「ありがとうございます!!」

 

 奈保子は深く頭を下げ、そして、村へ向かって走った。

 

 

 

 

 

 


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