SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第一話 須田恭也 上粗戸/眞魚岩 前日/九時二十八分五十七秒

 濃い霧の立ち込める森の中で、須田(すだ)恭也(きょうや)は、変わり果てた姿の愛車を前に、どうしたものかと思案していた。自慢の愛車である折り畳み式のマウンテンバイクのタイヤは、空気が抜け、無残に潰れている。パンクの修理キットは持っている。画鋲や釘が刺さった程度なら直すことはできるが、恭也のマウンテンバイクのタイヤは、鋭利な刃物で切り付けられたかのように、大きく裂けていた。それも、前輪後輪共に、である。市販の修理キットなどで直せるような状況ではない。おそらく、タイヤごと交換する必要があるだろう。自転車店に運ぶしかない。しかし、自転車店がどこにあるのか想像もつかなかった。恭也は辺りを見回した。八月の強い日差しさえ、生い茂る木々に阻まれて地表に届くことのない森の中。舗装されていない砂利道が一本、森をふたつに分断するように作られているだけだ。自転車店はおろか、人の気配さえ、まるで無い。

 

 この道をまっすぐ自転車で進めば、恐らく一〇分ほどで、目的の村に着くはずである。しかし、事前にインターネットで調べた情報によると、人口千人ほどの、本当に小さな村だ。自転車を修理できる施設があるかは疑問だ。

 

 来た道を戻れば、そこそこ大きな街がある。そこなら自転車店はあるだろうが、ここまで来るのに、自転車で二時間ほど掛かっている。自転車を押して徒歩で戻るなら、三倍以上の時間がかかるだろう。気の遠くなるような時間だが、村に自転車店が無ければ、戻るしかない。今から戻れば夕方前には着くはずである。戻るなら、早い方がいい。

 

 村へ向かうか、街へ戻るか、あるいは、他に何か良い方法があるのか……どうすれば良いかしばらく迷った恭也は、結局そのまま村へ向かうことにした。恐らく徒歩でも一時間と掛からないだろうから、もし修理できる店が無くても、それほど時間のロスにはならないはずだ。それに、田舎は都会と違い、親切な人が多いだろう。運が良ければ、自転車を車に積んで街まで送ってくれるかもしれない。恭也は自転車を押し、森の道を、村へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 須田恭也は、都立中野坂上高等学校の一年生だ。夏休みを利用し、東京から遠く離れたこの地域にやってきた。と、言っても、特に自転車旅行が趣味というわけではない。体力には自信があるし、自転車にもよく乗るが、彼の本当の趣味は、ホラー映画を見たり、インターネットのオカルト系サイトを見たりすること、そして、心霊スポットと呼ばれる場所に出かけることである。

 

 きっかけは七月末、恭也がよく利用しているインターネットのオカルトサイトの掲示板への書き込みだった。

 

 

 

《ドライブをしていたら、道に迷ってしまい、いつの間にか山奥に入り込んでいた。一時間ほど迷っていると、朽ち果てた家が何軒も並ぶ廃村らしき場所にたどり着いた。その村には、いたるところに血だらけの着物が散らばっており、そして、一軒の廃屋の中で、四つん這いの老婆が何かを漁っていた――。》

 

 

 

『血塗れの集落』と題されたその書き込みは、このようなものだった。

 

 正直に言えば、大して面白い話ではない。このテのサイトを探せば、もっと面白い話はいくらでもある。しかし、そういった話は、よくできているがゆえに、創作であることがほとんどだった。それに対し、この書き込みはリアルだった。書き込みには、実際の県や郡の地名が書かれてあり、迷った場所周辺の詳細な地図も添付されてあったのだ。恭也が調べてみると、全て実在する地名だった。

 

 さらに、別の人が、その地域で起こった事件について書き込んだ。戦時中、この地域の小さな村で、一晩で村人三十三人を惨殺する事件が起こったらしい。その村は廃村となったが、昭和四十年代に大きな土砂災害があり、村全体が土砂に飲み込まれ、消滅してしまったという。それ以来、周辺地域で血まみれの幽霊を見たとか、付近を通ると突然気を失って倒れると言った話が続出しているという。もしかしたら、最初に書き込みをした人が迷い込んだ血塗れの集落は、この、土砂災害で消えた村ではないか……というのだ。

 

 この書き込みに興味を持った恭也は、まず、三十三人殺しについて、インターネットで調べてみた。たくさんのサイトがヒットしたが、どれも、恭也が利用しているようなオカルト系のサイトだった。『事件が起こったのは昭和十三年五月二十一日だ』とか、『犯人は、学生服にゲートル姿、胸には自転車用のランプ、両手に猟銃と日本刀という格好だった』とか、様々な情報を得ることができたが、どれも信頼性に欠けるモノばかりで、噂話の域を出なかった。

 

 しかし、土砂災害に関しては本当の話だった。発生したのは二十七年前の昭和五十一年。昭和四十年代ではなかったが、この土砂災害で、実際に村が一つ消滅している。

 

 恭也は、その地域に行ってみることにした。

 

 血塗れの集落や三十三人殺しの話を、本気で信じているわけではない。だが恭也は、学校の勉強を熱心にする方ではなかったし、部活動もしていない。オカルト以外の趣味もない。要するに、夏休みは暇を持て余していたのだ。だから、その地域に行き、詳細を調べてみるのも面白いと思ったのである。もしかしたら、すべて本当に起こったことなのかもしれないし、もし単なる噂話で、面白いことが何も無かったとしても、適当に話をでっち上げて掲示板に書き込めば、それなりに盛り上がるだろう――その程度の気持ちだった。

 

 ネットでさらに調べた結果、昭和五十一年の土砂災害で消えた村は、隣の村に吸収されたようだった。

 

 ――羽生蛇(はにゅうだ)村。

 

 それが、恭也が向かっている村の名である。

 

 

 

 

 

 

 パンクした自転車を押して歩くのは、意外と体力を消耗する。舗装されていない山道なら、なおさらだろう。三十分ほどで、恭也の息は切れてきた。

 

 森は、相変わらず深い霧に包まれている。陽の光の届かない森の中は薄暗く、神秘的というよりはどこか不気味だった。そういえば、八月だというのにセミの声一つ聞こえない。ときどき聞こえてくるのは、まるで断末魔の叫びのような鳥の鳴き声だ。

 

 あとどのくらい歩けば羽生蛇村に着くのか分からない。地図は持っているが、目印になる物が何も無い森の中では、今、どこにいるのか見当もつかなかった。もしかしたら、同じ場所をグルグル回っているのかもしれない。そうなるとここは、一度入ったら二度と出ることはできない迷いの森か。

 

 ――そうだったら、面白いな。

 

 恭也は楽天的な性格だった。もし道に迷っているのだとしても、オカルト掲示板に書き込むネタができた程度にしか考えていなかった。オカルト好きではあるが、心のどこかで、そんなことがあるわけない、と、思っているのかもしれない。

 

 ――まあ、焦ってもしょうがない。のんびり行こう。

 

 恭也は一休みすることにした。道端の大きな木に自転車を立て掛け、リュックからペットボトルのスポーツドリンクを取り出し、一気に飲み干した。森の中はひんやりと涼しいが、二時間以上も自転車を漕ぎ、さらに三十分も歩けば、さすがに汗だくである。失われた水分を補給し、恭也は大きく息を吐いた。

 

 しばらく、自転車のそばでぼんやりとしていると。

 

 遠くから、何か堅いものを打ちつけるような音が、断続的に聞こえて来ることに気がついた。

 

 耳を澄ます。森の奥から聞こえてくる。なんの音かは分からないが、誰か、人がいるのかもしれない。そう思い、恭也は音のする方へ向かうことにした。自転車はその場に残し、道を逸れ、森の中へ入って行った。

 

 進むにつれ、その音は大きくなっていく。石と石をぶつけあっているような、鈍い音だ。人がいるのは間違いないだろう。白装束を着た女の人が、藁人形にクギを打ちつけていたら面白いな、そんなことを考えながら、進んでいく。

 

 五分ほどで、森の中にぽっかりと空いた広場に出た。

 

 その真ん中には大きな三角錐の岩があり、恭也は目を奪われた。高さ三メートルはあろうかという大きな紺色の岩で、表面は鏡のようによく磨かれており、まるで巨大な宝石のような姿だった。

 

 巨石の手前には一メートルほどの高さの土が盛られてあり、その上に、火の点いたろうそくが二本立てられてある。何かの祭壇のように見えた。

 

 石と石をぶつけあうような音は、その向こうから聞こえてくる。

 

 恭也のいる位置からは、陰になって見えない。恭也は音の主に気付かれないよう、ゆっくりと、回り込んだ。

 

 祭壇の向こうには、一人の少女がいた。

 

 恭也よりも年下だろう。まだ顔に幼さの残る、長い黒髪の少女だった。

 

 その右手に、握りこぶし大の石を持ち、地面に打ち付けている。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 狂ったように――そんな表現が似合うほどに、何度も、何度も、少女は石を振るう。

 

 何に向かって石を打ちつけているのだろう? 恭也の位置からは、まだ、祭壇が陰になっていて見えない。

 

 恭也は、幽霊などは怖くなかった。だからこそ、オカルトサイトの掲示板の怪しげな書き込みにつられ、こんなところまで来たのだが。

 

 その少女の鬼気迫る姿には、胸の奥に言い知れぬ恐怖を感じた。

 

 少女は、何度も何度も、石を振り下ろす。

 

 少女のそばには、一匹の白い犬がいた。少女と同じくらいの体長の、大きな犬だ。じっと、少女が石を振り下ろす姿を見ている。

 

 あの少女は、いったい何をしているのだろう? 恐怖心よりも好奇心が上回り、恭也は、もう少し回り込んで、少女が石を打ちつけている物を見ようとした。

 

 その気配に、白い犬が気づいた。

 

 こちらに顔を向ける。

 

 だが、どうやらおとなしい性格のようだ。恭也を見ても、吠えることはなかった。ただじっと、こちらを見ている。

 

 少女の手が、止まった。

 

「――誰?」

 

 透き通るような声。

 

 少女の声だ。恭也に気付いたようだ。

 

「村の人……じゃ、ないよね?」

 

 その声は、どこか怯えているようでもある。突然見知らぬ者が現れて、驚かせてしまったのだろうか?

 

「あ、えっと、俺は、その……」

 

 何と説明したらいいか迷う恭也。ここに来たいきさつを正直に話すと、変に思われるかもしれない。

 

 と、恭也は、おかしなことに気が付いた。

 

 少女は、こちらを見てはいなかった。

 

 その目は、祭壇の陰に隠れた、少女がさっきまで石を振り下ろしていた何かに向けられたままだ。こちらを見ているのは、白い犬だけだ。

 

 なのに、なぜ少女は、近づいてきたのが村の人間ではないと気付いたのだろうか?

 

 ――あのよそ者を追い払え

 

 遠くで、別の声が聞こえた。

 

 白い犬が、声のした方を見る。

 

 少女の視線は、祭壇の影に向けられたままだ。

 

 その表情が、さらに怯えたものになる。

 

 少女は、石を投げだすと、白い犬と共に走り出した。

 

「――あ、待って」

 

 恭也は声をかけようとしたが、少女の姿は、すでに森の中に消えていた――。

 

 

 

 

 

 


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