西住みほというのはおおよそ転校生らしくなかった。
普通転校生というものは注目を集めるものだ。けれど西住みほは全く目立たなかった。どころか、彼女が転校生だという事をクラスの面々が知っているのかも怪しかった。
いつも席に座って本を読んでいた。本の表紙のローテーションから察するに、大変な読書家であるようだった。
ならば内気な性格かと思いきや、朝は「おはよう」夕は「さようなら」とにこやかに挨拶をしてくれる。
ちょっとした日常会話では可愛らしい口ぶりで話し、けれども自分から会話をしようとはしない。
不思議な娘だ。
新学期当初、武部沙織は西住みほをそう評していた。
しばらく時が経つと、ちょっとした評判が立った。
というのも、みほは困った人を見れば「大丈夫ですか」と声をかけていたし、大変そうな人を見れば「手伝いましょう」と献身していた。
そういう訳で、みほに助けられたという人が学校内外に沢山いて、あの風紀委員にも覚えが大変めでたい(らしい)。
いつの間にやら『A組の良心』なぞと呼ばれ始めていたが、当の本人は暇さえあれば読書に勤しんでいたので自然話しかけづらく、友人と呼べるようなクラスメイトは未だいなかった。
こんな娘を放っておく訳にはいかない、仲良くなればお互いに生活が素敵になるはずだ……というのが武部沙織である。
ある日、沙織は親友の五十鈴華と共に西住みほに話しかけ、自己紹介をしようとしたが、先んじてみほは言った。
「武部沙織さん、6月22日生まれ。五十鈴華さん、12月16日生まれ」
あちらは、こちらをよく知っているようだった。
◆
副隊長であるみほが転校してからというもの、黒森峰女学院戦車道部はあわや解散の危機に瀕していた。
学校のエースが居なくなったことで、上層部が落胆を隠さずに文句を言ってきたということは大した問題ではなかった。
今、戦車道部は退部志願者が続出していた。
外部からではなく、内部からの崩壊が深刻だった。
退部の理由としては「西住副隊長が居なくなってしまった」「これから誰の為に戦っていいのか分からない」「黒森峰女学院に失望した」等々。言い回しは様々だったが根本は一様だった。
みほが人に及ぼしていた影響がどれほど大きかったか、皮肉にも居なくなってから判明したのであった。
黒森峰女学院には全体として口下手な風潮がある。
これはドイツの流れを汲んでいるものだったが、その分、芯に熱く質実剛健で結束力の高い事が特徴だった。
ある種、みほが異質だったのである。
みほはこの風潮をも利用し、洗脳的口上で鉄の結束を作り上げていたのだ。
だが、結束の要が居なくなってしまったらどうか。
これほど脆いものは無い。
まほは、自分が黒森峰に典型的な口下手であることを自覚している。妹の真似など出来ることではないし、そもそも
だから、退部すると進言してきた仲間を説得し、引き止めることが叶わなかった。
隊長としてどれほど人望があるか、試されるのは非常時であると言う。今、自分がどれだけ不甲斐ない隊長であったのか、まほは覚った。
そして失意の底に沈んだ。
誤解が無いように言っておくと、別にまほが頼りない隊長だと皆が本気で思っていた訳ではない。むしろ尊敬を集めていたと言ってよい。
だが物事には順序というものがある。
そういう事だった。
もはやこれまでか……そう諦めかけた時、救世主(まほにはそう思えた)が現れた。
逸見エリカである。
エリカは辞めようとする隊員たちを必死に説得して回った。
決して丁寧な言い回しではなかったし、器用な立ち回りでもなかった。彼女も一種の口下手だった。
けれど、その熱意が隊員に伝わるには十分だった。
辞めると言っていた隊員の半数以上がこの説得により思い留まった。
間違いなく黒森峰女学院戦車道部は逸見エリカによって救われたのである。
まほはエリカの戦車道における実力に加え、この功績を加味し、新副隊長に任命した(単純に嬉しかった、というのもある)。
エリカは恐縮しながらもこれを受けた。
状況がひとまず落ち着いた後、まほはエリカに聞いた。
「隊長たちは頑なだった。一体、どうやって説得したんだ?」
エリカは恐縮して答えた。
「大したことは私には言えません。ただ……」
「ただ?」
「『西住副隊長がいつか黒森峰女学院にお戻りになった時、この有様をご覧になったらお嘆きになることでしょう。あなたたち、恥ずかしくはないの?』……とか、そんな事を言いました。そうすると殆どの隊員達は泣き崩れて『私が間違っていました』と後悔していました。やはり皆、本気で辞めたかった訳ではなかったんですね」
「…………」
「いつかあの人が戻ってきた時に強いチームであること、今ではそれが私たちの使命だと思っています」
「……そうか」
この逸見エリカ隊員が《西住みほ親衛隊長》でなければ本当に良い娘なのに……とまほは思った。
エリカはみほが転校した直後、ショックで学校を二日休んでいる。
《西住みほ親衛隊》とは所謂追っかけの比喩ではなく、ガチの親衛隊である。