鬼神西住   作:友爪

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 北に喧嘩や訴訟があれば、面白いから混ぜろと言う。


鬼神西住29

 西住流の闘争哲学とは、つまり、この一言に尽きる。

 

『勝利の為には、犠牲を厭うべきではない』

 

 これは幼い頃、母親から与えられた極少ない言葉で、更にその中でも納得している稀有な言葉だった。

 母親が真の意味で理解しているかどうかは微妙な所だが──少なくとも娘は自分なりに噛み砕く努力をした。

 

 西住屋敷書庫。みほを構成する西住流の大部分は、この場所からの引用である。幼いみほは母の言葉を理解するべく、何時もの如く、崇敬する先祖の生き様に習う事にしたのだった。

 

 埃臭く、照明もまともに点かない暗がりで、みほは家系図を引っ張り出した。太い巻物の形態である。

 一々巻き直しながら読むのが面倒くさかったので、廊下の手前から奥まで巻物を勢い良く転がし、全容を開いてしまうと、端と端に適当な古書を積んで固定した。

 長過ぎていっぺんに見れないので、本棚の上によじ登って全体を俯瞰した。

 そこには、西住一族二十代の樹形図と、生年月日と没年月日、そして死因が明記されていた。

 

 呆れ返る程『戦死』の文字が多い。

 常々そうと思っていたが、やはり家の一族は馬鹿なんじゃないかと思った。

 樹形図を頭頂の初代様から下って、やがて末端に辿り着く。『みほ』と、まだ新しい墨で書かれた名前に誇りを抱いてしまう辺り、やはり自分も馬鹿の端くれなのだと合点した。

 

 一体私の死因には何と書かれるのだろう──と愉快な事を考えつつ、末端に位置する自分の名から、樹形図を三つ遡る。

 曾祖母『軍神』西住戦車隊長──彼女の名前がそこにあり、例に漏れず、戦死の記述があった。他の先祖と比べても、圧倒的に若い。弱冠二十四歳での戦死である。

 

「会ってみたかったな」

 

 本棚の上でみほは呟き『戦死』の文字をじっと見つめた。みほの一番尊敬する曾お祖母様。数多の敵を撃ち倒し、前へ進み続けた戦車隊長。生涯でただの一度の敗北も無かった無敗の『軍神』。

 一度で良いから、その強さの秘訣をご教授願いたかった──

 

「……ん」

 

 ふと、看過できない違和感が引っかかった。首を捻る。

 曾お祖母様は最後の一瞬まで闘い続け、敵の大軍を殲滅した後に、怪我が元で失血死(・・・)した。遂に敵は、曾お祖母様を正面から破る事は叶わなかったのだ。

 

 生涯負け無しだった曾お祖母様──それなら何故『戦死』しているのだ?

 

 普通、そこまで勝負に勝ち続けたなら、生きて帰ってくるべきじゃないのか。だったら私にも会えていたかもしれないのに。それが何故、失血死などという、無念の結末を迎えるまで追い詰められているのだ。

 闘いの勝利と、本人の生存が結びついていない……?

 

『戦場での勝敗が全て』という、現代戦車道の体系の中で育ったみほにとって、この現象は極めて不可解なものに感ぜられた。

 みほは本棚から飛び降りると、過去の戦記を片っ端から手に取り読み漁った。すると、曾お祖母様の様なケースが、他の戦死した先祖にも共通して見られるという事に気がついた。

 

 これは如何なる事か。散乱した本や巻物に埋もれて、みほは益々首を捻って考えた。

 勝利が最優先、という西住流の基本理念。それを忠実に実行した結果、追い詰められて戦死する。

 何処かがおかしい、理屈に合わない──電撃が駆け巡る様に、或いは林檎が不意に落ちる様に──みほの中に一つの答えが生まれた。

 

 西住の女たちは、眼前の戦闘を一心不乱に楽しむ余り、大局(・・)に敗北しているのだ。

 

 我が一族は、局地戦闘に代表される、戦術(・・)単位の争いにはめっぽう強い。ほぼ無敵とまで言って良い。しかし大局と呼ばれる、戦略(・・)単位の駆け引きは絶望的に苦手なのだ。

 些末な戦術上の勝利を積み重ねたところで、他方が二倍三倍敗北していれば、戦略的には無為ではないか!

 あの口下手極まる祖母(いえもと)や、母や姉を思い浮かべ、みほは自ずと頷いた。

 

 連鎖するように、闘争の目的と手段についても疑念が産まれた。西住流をそれ足らしむる闘争目的『闘うために闘う』──これは正である。

 闘争の歓喜とは、何物にも代え難い無上の喜びだ。西住一族にとって、理屈を超越した血脈、遺伝形質の様なものだ。

 みほは、その闘争目的に共感する一方で、過去の達成手段について批判した。

 

 彼女らは闘争の消費者であり、生産者では有り得なかった。

 例えるならば、目の前に果実がなっていたら、熟しているか確かめもせず飛び付く様なものだ。

 けれど美味しい果実だからこそ、水をやるなり肥料をやるなりして、育てるべきではないのか?

 育て、増やし、他者にも分配すべき(・・・・・・・・・)ではないのか?

 己の死がそのまま敗北だとは思わない。

 でも、生命の使い方が余りに純粋だと思った。

 

 これらは西住流が圧倒的な個の強さを追求し続けた故の弊害なのだろう。だが、みほは弊害と思っても、限界であるとは信じなかった。

 弊害があるのなら、単に破れば良い。

 

「私がいます」

 

 数多の『戦死』の文字へ語りかける様に、みほは独語した。

 彼女たちは最後まで気付きを得る事なく──或いは気付いていても実践すること無く──死んだ。

 しかし、みほはこの場に存在している。心臓を拍動させ、血流を循環させている。

 この身は誰から頂いたものか?

 答えは全て、目の前の樹形図に書いてある。

 ならば刻むべきは、その続き(・・)だ。

 

大きな(・・・)勝利の為には、あらゆる小さな(・・・)犠牲を厭うべきではない』

 

 母が教えた言葉は、娘の中で変容した。

 では、本当に得るべき『大きな勝利』とは何か。そのために必要な犠牲とは何か。目的を達成するための手段とは何か──考えなくてはならない。当面の課題は定まった。後は、達成するための才覚を磨くのみだ。

 

 与えられた言葉を自分なりに噛み砕き、答えを出したみほは満足して、開いた家系図巻物を巻き直した。

 紙がこんがらがって、上手くまとまらなかった。何度か試したが、やはり駄目だった。書庫を見渡すと、引っ張り出した古書が散乱している。

 みほは一時悩んだが、このままでも菊代さんが、まあ何とかするだろうと思って、放置して書庫を出た。

 

 上記の理解が二度目の変質をしたのは、敗北を知った後──逸見エリカに精神的敗北を喫した後である。

 中学高校と、がむしゃらに『大きな勝利』を求め、確実に成果を重ねていたみほが、あろう事か他者に停止を強いられたのだ。

 結果的に、それが良かった。勝利と敗北、それぞれの価値について客観的に見られるようになったのだ。それだけではない。心を許せる、好むべき腹心までをも得た。

 

 驚くべき革命だった。

 勝利によってのみ結果と承認が得られると考えていたみほが、敗北によって大きく前進したのだから。みほは、認識を改めなければならないと思った。

 そして、件の母親の言葉へ、今もまだ継続する答えを導き出した。

 

『大きな勝利の為には、あらゆる小さな犠牲を厭うべきではない。それが我が身であっても例外足り得ず、時によっては推奨される』

 

 戦略的勝利を得んと欲すならば、他ならぬ勝利に振り回されてはならない。場合によっては敗北すら勝利より大きい価値を持つ──思春期特有の自我の膨張も相まって、知らず知らず先祖たちと同じ様に、目先の勝利に囚われていたのかもしれない。

 そうと悟ってからは、より一層、自らを含めた犠牲を切り捨てるのに容赦がなくなった。

 

 心身を切り裂く痛みは、しばしば痛みを伴ったが『大きな勝利』の為なら、我慢出来た。自分から流れ出てゆく鮮血を見て「綺麗だ」と思う頃には、痛みを何とも思わなくなっていた。

 他者を切り捨て、自己に刃を入れて得られる勝利は、以前とは比べ物にならなかった。

 戦車道全国大会における黒森峰の十連覇は、みほの不惜身命を証明した顕著な例であっただろう。

 

 目指すべきは、前へ。

 

 みほのとって『大きな勝利』とは、西住流の発展であり、またその先(・・・)に他ならなかった──けれどまさか、家族に弓引かれるとは想定していなかった。

 

 ◆

 

 恐らく、みほが生来の戦術的天才であったなら、上記の発想には至らなかったであろう。

 しかし、彼女は天才ではなかった。強くなる為には、少なからず努力をする必要があり、才能の欠損を他物で補う必要があった。

 

 やがて彼女は、自身の闘争哲学を実行するための最強の武器『人徳』を開花さ­せた­。

 

 みほが現在の西住流を批判し『私だけの戦車道』を切り拓こうとする姿勢は、正史と何ら変わらないのである。




 10月23日のみぽりんの誕生日に次話投稿するべく、調節中……。

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