鬼神西住   作:友爪

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 彼女らのそれは、怒りや哀しみより、もっと確かで愉快なものである。


鬼神西住27

 中学生の時、神に成ろうと思った。

 神聖不可侵。天にも匹敵する絶対的な存在として君臨することで目標へ到達しようと考え、実行に移した。

 失敗した。

 新旧の戦車乙女たちに須らく崇め奉られる事には成功したが、話はそれまでだった。皆は思考を止め、どんな重大な決断をも他者に丸投げする様になった。

 全く好みでない骨抜き(・・・)を量産しただけに終わった。

 

 高校生の初期、指導者に成ろうと思った。

 強固な人間的意志、鉄血の絆を用いて主従関係を形成する事で目標へ到達しようと考え、実行に移した。

 失敗した。

 指導者を失った群は速やかに崩壊した。強い主従の絆は、友と友とを繋ぎとめる役割を果たさなかった。ただ強い権力を手にしても、より強い権力に睨まれてしまっては何の意味も無かった。

 居場所を追われ、全てを失った。

 

 では、次は?

 次は何に成ろうか。

 

 ◆

 

 敵の様子が変わった──生徒会長、角谷杏は持ち前の過敏性で、いち早く感づいた。

 生徒会長チームの38(t)は町の海鮮料理屋付近に潜伏しており、現場の状況は断続的な無線でのみ知る所であったが、研ぎ澄まされた第六感にも匹敵する危機察知能力が働いたのだ。

 

 直後、歴女チームのⅢ突が撃破されたという凶報が舞い込んだ。直ぐに無線が混乱し、杏の危惧が的中した事を示した。

 敵の様子が変わった。果たして、この気付きを隊長に──西住ちゃんに知らせるべきか。

 

 いやだ。

 

 杏は、奥歯で舌を噛んだ。これは、周囲に知られないよう不安を押し殺すうちに身に付いてしまった習慣だった。度を越すと口の中が血の味で一杯になり、その度に杏は自分の性分を嫌悪するのだった。

 

 そうなるのが嫌だったので、杏は隊長に無線を入れる事に決めた。何もかも負の感情に突き動かされた行動であった。その自覚があったので、やっぱり杏は自分の事を嫌悪した。

 

「西住ちゃん、聞こえる?」

 

 意を決して咽喉マイクに手を当てると、暫くしてⅣ号に繋がった。

 

『はい、聞こえますよ』

「今大丈夫かな」

『この通話以外をカットしました。どうにも騒がしくってしょうがない』

「いや、忙しいなら」

『会長から繋いでくるなんて、よっぽどの事でしょうから』

「本当にどうでもいい事なんだけれどさ」

『聞きましょう』

 

 これ以上の有無を言わせぬ響きを感じたので、速やかに話すことにした。

 

「……敵の様子がおかしいよ。さっきまでの、迸る様な怒りを全然感じない。今もⅢ突の策が看破されたでしょ? これは怒りと言うよりは、その──」

殺意(・・)

 

 杏が表現に迷った所を、みほは容赦無く、どこか楽しそうに断言した。じわり、と杏の口中に鉄の味が滲んだ。

 

『感情任せにあらざる、極めて純粋な敵意。必殺の心構えを感じます。許容も容赦も躊躇いも無く、全能を殺しに傾ける──敵さんも、ようやくしゃん(・・・)としたようですね』

「に、西住ちゃん。それって大丈夫なの」

『大丈夫じゃありません。とても(まず)い』

「何とか、なるよね」

『それを考えるのが指揮官ですから』

「もしも負けちゃったら」

 

 みほは少しの間黙って、不思議そうに尋ねた。

 

『会長、何をそんなに心配するのですか? 勝敗に固執するとろくな事にはならない、さっきも言ったでしょう。敵はそれを捨てたのです。ならばこちらも気持ち良く迎え撃とうではありませんか』

「でも西住ちゃん……」

でも(・・)。でも、何ですか』

 

 先程から歯切れの悪い杏に、みほは少々焦れた様だった。杏の喉奥が変な音を鳴らした。

 みほは非常に温和で、滅多な事では腹を立てない。だが、一方で煮え切らない態度を取られるのを嫌っている事は周知の事実である。

 無論、杏も良く知っている。

 故に杏は何度目かの腹を決める事となった。

 

「西住ちゃんはさ、未だかつて負けた事がないんでしょ? だから、もし、今日この試合で負けちゃったら。私たちのせいで無敗伝説が終わっちゃうのかな、なーんて……」

 

 返ってきたのは長い沈黙。

 やはり西住ちゃんといえども、かのジレンマからは逃れられないのだろうか──杏は、常勝の裏に隠された苦しみを知っていた。

 勝ち続ける事で、周囲は期待する。次はどうか、また次はどうかと。そして期待に応えられなければ失望されるのだ。

 他人というのは何時だって無責任な理想を押し付ける。

 

 杏は何より他人に見放されるのが恐ろしかった。自分が独りで生きてゆけぬ、独りの弱い人間である事を自覚していたからだ。

 それに、期待をかけてもらっているのに応えられないのは、卑劣な裏切り行為であるかのような気持ちがした。

 

 故に強者を演じた。

 

 杏は確かに有能だったために、何度も期待に応える成功を収めた。そして、必然他人の期待も膨らんでいった。

 他人は更なる成果を求める。際限はない。君はもっとできる、あなたはもっと頑張れる、もっともっと!

 

 恐怖から逃れるために、更なる恐怖を積み上げる。杏がこの自己矛盾に気が付く頃には全て手遅れになっていた。

 飄々として軽く仕事をこなす、頼れる生徒会長──今やそれが杏の評価であった。

 他人は杏を評価する。際限はない。

 苦しみに終わりはない。

 最早何もかもが追いつかなくなって、破綻するのを待つだけだ。きっとその日は遠くないと、杏は震えて待っている。

 

 まして、西住ちゃんはどうだ?

 正直言って、杏とは比べ物にならない名声を勝ち得ている。学内どころの話ではない、みほは全国の戦車道関係者にとっての星だ。

 

 西住流直系の後継者。

 全日本戦車道大会十連覇達成。

 潜った戦場は数あれど、常勝無敗。

 桃李成蹊、圧倒的な求心力。

 そして『軍神』の再来。

 

 その伝説が、終わる。

 もしも自分がその立場だったなら──杏は身震いした。きっと無意識のうちに舌を噛み切ってしまうだろう。

 

 果たして彼女は具体的な敗北を想定しているのだろうか──そもそも常勝の人生を歩んできた人間が、敗北など想定出来るものなのか。

 積み重ねた栄光が大きい程、挫折の反動は大きいものだ。

 もしもみほが、未熟な大洗チームのせい(・・・・・・・・)で負けたと人間的(・・・)な逃避に走った時、矛先は何処に向くのだ? 自暴自棄になって、何もかも滅ぼそうとするのではないか?

 

 だったら私が一身に受け止めよう。

 

 その覚悟だけは、とうの昔に決めていた。

 杏は学園艦を愛している、生徒会長である事に誇りを持っている。それに反して保身をするくらいなら、胸を張って破滅へ進もう。

 その一点だけが、何もかもに懐疑的であった自分が、柚や桃に出会って得られた成長であると信じている。

 

 きっと杏が本当の意味で破滅するのは、大切なもの全てを裏切って逃亡する時に他ならないのだ。

 

 自分自身の業に殺されるのは心底恐ろしい。けれど、愛するもののために立ち向かって殺される事に躊躇いの欠片も無い。

 だが、これすら必ずしも尊い勇気に基づく覚悟とは言えない。

 少なくとも頼れる生徒会長(・・・・・・・)として、評価を落とさぬまま消え去る事が出来る反面があるからだ。その後に待つ安息を求めないと言えば、それは嘘だ。

 何処まで行っても臆病が付きまとう、己の性分に嫌気がさした。本当に、こんな歪に捻じ曲がった自分が大嫌いだ──

 

 長らく沈黙を保っていた無線から『くすくす』という、押し殺したような声がした。

 杏の首筋に鳥肌が立つ。みほの笑いというのは、あらゆる負の感情をほじくり返すのだ。

 果たして西住ちゃんの回答や如何に──奥歯で舌を噛んで杏は待った。

 

『会長は可愛いですね』

「かっ……ぁ゛いだっ!?」

 

 口の中でがりっ(・・・)っと嫌な音がして、とんでもない痛みが杏を襲った。

 余りに、余りにも予想外の答えだった。

 

『全員、落ち着いて聞いてください』

 

 みほは生徒会チームに限定していた回線を、突如チームに向けて開き、杏との会話は強制的に中断された。

 怒声や悲鳴で混乱を極めた全体無線がさっと静まり返る。みほの声は常時穏やかだったが、そこに込められた聞かせる(・・・・)力というのは誰よりも強かった。

 

『敵の様子が変わりました。会長が(・・・)気付いたんです。今や激情は去り、敵は極めて冷静です。理由は定かでありませんが、何かしら精神的な切り替えがあったようです。つまり我々は、ようやく強豪・聖グロリアーナ女学院を相手に得る』

 

 大洗女子たちは思い出した。

 こそこそ作戦の本質は、文字通り逃げ回って隙を窺う事にあらず。まともに相手をしない(・・・・・・・・・・)という点に肝があるのだ。

 強敵に対し、まともにぶち当たっていたのでは玉砕必至である。であるから、あの手この手で敵の戦意を削り、ぼやかし、煙にまくことで優位を得たのだった。

 それが消えたという事は──つまり、拙い。

 兵法に疎い彼女らでも、そのぐらいは判断できた。

 

「に、西住隊長どうしましょう……」

 

 副隊長の梓が、不安そうに聞いた。誰もが同じ気持ちであった。

 逃げでも攻めでもなく、ひたすら判断の丸投げである。余りの消極性に、みほは多少気分を害した。

 こういう点でやはり、十分に義務を果たす優秀な副官が恋しくなる。せめて戦意鼓舞の一つや二つ出来ないものか。

 一つ叱り飛ばしてやりたいところではあるが、機が悪い。後輩の叩き直しを密かに誓いながら、みほは命令を下した。

 

どうもこうも(・・・・・・)ありますか? 戦況これに至りては、徹底的な迎撃あるのみ。戦場に在って向けられた殺意には、更に上乗せした殺意でもって返礼せねばならない。それが礼儀、作法というものでしょう。よって、こそこそ作戦を破棄。もっとこそこそ作戦(・・・・・・・・・)を発動します!』

 

 みほは敵に現在の潜伏位置が完全に読まれている事を断言した。それに対抗するために、地元(ホーム)の利を活かし絶えず潜伏場所を変え、居場所の特定を阻止するための詳しい経路を、各車輌へ向け微細に命令した。

 その命令は余りにも高度であり情報量が多かったので、各車長たちは混乱して何度も聞き返した。その度にみほは丁寧に説明し直したが、遂には諦め「随時状況報告を聞き、逐一新たな命令を下す」という形を取らざるを得なくなった。

 

 それで車長たちはほっとしたが、一方で隊長の負担は尋常ではない。つまり車長たちの思考を逐一代行しなければならないのだ。全ての戦闘状況を完全に把握しなければ到底不可能な芸当であるが、それでも何とかなってしまう(・・・・・・・・・)のが、西住みほという指揮者であった。

 

 虚しいかな、彼女たちは隊長の卓越した能力に気が付く事すら出来ない。それを判断するための経験値すら足りていなかったのだ。

 ただ隊長に寄りかかれたという、無責任な安心感が胸にあるのみであった。

 独り戦車に見識のある優花里だけが、隊長を誇らしそうに、また心配そうに見ていた。

 一方でみほは苦労をおくびにも出さず、一通り命令を下し終えると、最後に言った。

 

『それと会長。あなたの察知能力は私ですら及ばない鋭さがあります。ですから、何か勘付いた時には遠慮せずに言って下さい。必ず聞き入れましょう。通信終わり!』

 

 それだけ言うと通信を切った。

 頬をさすって舌の痛みに耐えていた杏は、危うくまた同じ箇所を噛みそうになった。

 

「凄いですね、西住さんにも認められましたよ。会長には戦車道の才能もあったんですね」

「当たり前だ。何と言っても生徒の中で一番偉いのだからなっ」

 

 柚と桃が、無邪気に喜ぶ。

 杏の本性を知っていて、配慮も出来る二人であったが、如何せん他人を疑う事を知らなかった。

 きっと、他の車内でも同じ様な会話がなされているのだろう。

 また一つ他人による杏の評価が上がってしまった──杏は「ひと思いに殺せ」と叫びたくなった。

 

 ◆

 

 大洗の戦車隊を撃滅せんと、優雅さをかなぐり捨てた聖グロリアーナ部隊は無類の強さを発揮した。

 ダージリンより彼女らに下された命令は単純明快『見つけ次第殺せ(サーチ・アンド・デストロイ)』である。

 

 分かり易いのは良い──部隊の一輛を任され、また『ルクリリ』の名を与えられた少女は、むしろ少年らしく口端を上げた。

 聖グロに入学して以来、一度も無かった滾りに満ちているのだ。

 確かに聖グロの戦車道は美しい。見惚れたからこそ入学したのだ。しかし、そこに熱狂は存在しなかった。賢く優雅であっても()が無いのでは、土壇場で根負けしてしまう。何代も前から改善すべしと言われ続けた聖グロの弱点──それが今、唐突に打ち破られたのだ。

 

 全戦車乙女の憧れ、西住みほの敵対によって!

 

 ダージリンは歴代で突出して優れた指揮者ではない。けれど、とんでもなく愚か(・・)異風者(・・・)だ。如何に取り繕っても、周囲にはばればれだったから、隊長として持ち上げられたのだ。

 これはルクリリの私見だが、どうも聖グロリアーナ女学院には猫かぶり(・・・・)が多い。特に戦車道部というのは、そんな連中の吹き溜まりな気がする。何処かの誰か(ローズヒップ)の様にあからさまなのも居るが、それは例外だ。

 本当はもっとはしゃいで腕を振り回したいのに、周囲を憚って自粛しているのだ。

 

 聖グロ戦車乙女はヤワ(・・)じゃない。抑圧されれば、当然反発するだろう。

 そうして溜まりに溜まった欲求が、ダージリンがティーカップを叩き割ったのを発端に爆発した!

 

 新しい聖グロが始まる予感があった。

 歴史と伝統のみを口実に戦うのでは、戦車に苔が生えてしまう。熱い闘志を秘めてこそ、英国を魂の故郷とする我々の面目躍如というものだ。

 それにこっちの方が、どうやら肌に合っている。

 

 ルクリリは不敵に歯を見せ身震いした。

 新たな旋風をもたらす、今代隊長ダージリンと軍神西住みほ。この二人が同じ時代に相対する事自体が奇跡であるように思えた。

 その瞬間に立ち会う事が出来たのは、一人の戦車乗りとして全く幸運であり、恐らく後々まで自慢の種になるだろう──

 

 不意に、数十メートル先の交差点を一輛の戦車が横切った。一見して軽戦車と見まごう小柄な体躯、ルクリリは即座に大洗の八九式であると判断した。

 

「早く追え! 射界に捉えたら即時発砲せよ。早く、早く」

 

 ダージリンの『見つけ次第殺せ』の命令を遵守せんと、太い三つ編みをぶるんぶるんと振り乱し、大声で煽り立てる。

 先の交差点を折れると、八九式の姿形は失せていた。否、この短時間で距離を稼げる道理はない。何処か物陰に隠れているのだろう。ただでさえ目立つ外装(バレー部が何とかいう舐めたペイント)なのだ。

 

 不意の奇襲を警戒しつつ辺りを見渡すと、あるではないか。ちんけな戦車が潜むにはおあつらえ向きの、立体駐車場が!

 逃げ回る子鼠には相応しい隠れ場所だと、ルクリリはほくそ笑みながら、八九式とは対照的に大柄のマチルダIIを駐車場出口の真ん前に堂々陣取った。直後、立体駐車場が稼動するサイレン音が響き出す。

 

 来い。シャッターが開いた瞬間、ズドンと一撃をお見舞いしてやる──と見せかけて!

 

「馬鹿め、そんな手に騙されるかっ!」

 

 ばっと背後(・・)を振り向いたと同時、予め砲塔を旋回させていたマチルダIIは発砲した。ルクリリは、正面の立体駐車場と同時に背後から湧き出て来る車庫(スペース)の存在を看破していたのだ。

 正面から撃ち合って八九式がマチルダIIを抜ける(・・・)訳が無い。故にその可能性は容易に排除出来た。

 

 我ながら何と冴えていようか──砲煙の向こうで白旗を上げる八九式を透視して、ルクリリは得意気な笑みを隠そうともしない。

 然して微風に砲煙が流された時、そこ有ったのは空白(から)であった。

 

「え、なにっ」

 

 理想と現実とがにわかに解離して、ルクリリから馬鹿の様な声が出たのと同時、そいつ()は現れた。

 正面でも背後でもない──両脇(・・)から敵が出現したのだ!

 

 地元民でもなければ気が付かないような曲がり角、意外に広い塀の裏──八九式とM3リーは、こそこそ(・・・・)と息を潜めていたのだ。敵が自らキルゾーンに入って来るまでを。

 

「この軽戦車がぁ!!」

 

 一杯食わされた事を知り、激昴しつつもルクリリの退避命令は素早かった。しかし、前後を立体駐車場に阻まれ、左右から敵が迫って来るこの状況、逃げ場が有るとしても上しかない。

 まさか戦車が空を飛べる訳もなかった。

 背後を向いていた砲塔の旋回も間に合わぬ。左右から突っ込んできた二輛の戦車は、容易くマチルダIIへと密着した。

 

「アターック!」

「撃てえ!」

 

 典子と梓の号令と共に、左右よりの零距離、同時三発射撃が敢行される。如何に装甲に優れる英国戦車と言えど、これにはひとたまりもない。

 甲斐なく煙を噴いて、マチルダII──とルクリリは速やかに沈黙した。

 

 ◆

 

「やった、やりました西住隊長。これで残り二輛です!」

 

 沈黙した敵戦車の両脇を挟んだまま、M3リー車長、澤梓は歓喜の報告を行った。

 梓たちDチームを含め、典子たちBチームも、これが初撃破である。しかも相手は強豪、聖グロリアーナ女学院。彼女たちの喜びもひとしおだ。

 鬼の首を取った様な──とは正にこの事であった。

 

『はい、分かりました。早くその場を離れて下さい』

 

 打って変わり、みほの対応は何処か冷めていた。梓の視界の端には、ガッツポーズで喜ぶ典子が入っている。

 どうやら、今のファインプレーが西住隊長には上手く伝わっていないらしい──なので梓は隊長にも喜んでもらおうと、このすごさ(・・・)どうにか伝えようと努力する事にした。

 

「とにかく凄い音でした! 戦車が三発同時に撃つのって音が大きくて……そう、磯辺さんのタイミングもバッチリでした! 私たちの戦車こんな色ですから、隠れていてもばれちゃうんじゃないかってドキドキしていたんですけれど、相手は全然気が付かなくて」

『梓さん、そこを離れて下さい』

「分かりました。それにしても西住隊長の作戦はすごく、凄いです! これなら聖グロにだって遅れません。やっぱり西住流って本当に凄いですね!」

副隊長(・・・)、早く、そこを離れ──』

 

 突如爆音が響いた。

 みほの荒らげた声は梓に届く事はなかった。それよりも、撃破した敵を挟んだ向こう側で、無惨に吹き飛ばされる八九式の姿に目を奪われていた。

 

 吹き飛ばされた八九式を更に押し退けて、硬直する梓の前に姿を現した一輛の戦車。

 重装甲にして鈍重、しかし確実に地面を走破し、敵を撃ち抜く性能を持った戦車──チャーチルMK.Ⅶ。

 聖グロ隊長、ダージリンの搭乗する指揮車輛であった。いつの間に接近されていたのか。ともかく、今現実に砲をこちらに向け、徐に迫り来ていた。

 

「てっ、たい……てったぁい!!」

 

 半ば悲鳴じみた号令であった。そこまで至り、梓はようやくみほの命令を実行する気になったのだ。

 操縦手が焦燥した様子で「あい」と叫び、M3リーは尻に帆を掛け逃げ出した。

 

 梓は猛烈に悔いていた。

 同時三発射撃が凄い音だったと自分で言った。なれば当然、敵にも聞こえている(・・・・・・・・・)という事実に何故気が付かなかったのか。

 西住隊長の発動した『もっとこそこそ作戦(かわいい)』とは、一撃即離脱が肝要であると何故忘れていたのか。

 

 私のばかばか、と梓は頭を激しく掻き毟った。

 だが幾ら自分を罵った所で事態は好転するものではない。今にも敵が追いすがって来よう。

 恐る恐る背後を振り返ると、敵の隊長車は撃破された味方の車体に阻まれ、即座の追撃が出来ない様だった。

 梓はほっとした。逃げ出した尻を撃ち抜かれるという、浅ましさ極まりない終わりを迎える事は無さそうだ。

 

 それも今だけだ。

 じきに味方の死体をも押し退けて、あの巨体がやって来る。そう思うと、梓の背筋は震えた。

 西住隊長に泣き付くか? いや、それでは余りにも情けない。梓にも、副隊長を任されたというささやかな矜持はある。

 命令を直ぐに聞かなかった挙句の様なのだ。自分たちで何とかするべきだろう。

 思えば此処は大洗町。自分たちの地元(ホーム)ではないか。撒こうと思って出来ない事は無いはずだ。

 

「よし、逃げるよ。このまま真っ直ぐ行けば入り組んだ場所があったはず。そこをジグザクに走って、撒いてしまおう」

 

 幾ばくか平静を取り戻した調子で梓は言った。

 この時点では、正しい判断であった。

 しかし、梓は再び背後を見て身震いしてから、付け加えてしまったのだ。

 

「そ、そうだ。スモーク展開! 敵の視界を塞いでから逃げよう」

 

 名案だと梓本人は思っていたし、車内の仲間もそう思った。それに、敵の視界を塞ぐだけではなく、自分たちからも敵を見えなくしてしまう事で、少しでも安心を得られるとも思った。

 だから、市街地で煙を焚く(・・・・・・・・)事に一切の抵抗は無かった。

 それが、致命的な判断ミスであるとも知らず。




 失敗を恐れて行動しないのは臆病者であるが、元より失敗に気が付かないのは愚か者である。

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