鬼神西住   作:友爪

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彼女は『大儀』を語る。


鬼神西住22

 澤梓には夢がない。

 一度とて、将来というものに対して望みを持った事がない。

 無気力という訳ではない。むしろ、同級生の誰よりも今を一生懸命に生きているという自負がある。

 それで手一杯なのだ。今に全力でぶつかって、それから先だなんて、考える余裕もない。

 生きる事に真面目であるからこそ、夢など見ないのだ。そもそも、不確定であやふやな未来について、何か要望する事自体が無責任ではないか。

 今を真面目に一生懸命に生きていれば、自ずと未来も拓ける──それが梓の昔からの自論だった。

 

 梓には妹がいる。

 妹は梓とは正反対な、破天荒な性格だった。

 何時も他人に迷惑をかけっぱなしで、片時も目が離せない子供(・・)だった。

 両親は、梓が小さい頃から頻繁に「梓は手の掛からない良い子ね」と言った。その後は必ず「それに比べてあなたは」と妹に言い聞かせて、掛かりきりで世話を焼いていた。

「しょうがない子ね」と言いながらも、笑顔で妹の頭を撫でる両親の事を、梓は大人しく(・・・・)見続けてきた。

 

 妹は常に夢を抱いていた。小さいものや大きいものを、同時に幾つも持っていた。

 それに向かって無鉄砲に走り出しては、挫折したり、成就させたり──その過程では、必ずと言っていいほど人に迷惑を掛けていた。

 梓にとっては無責任の極みだった。自分の勝手のために、他者を巻き込むのは忌むべき行為であると信じていたからだ。

 しかし、妹の周りに居る人々は笑っていた。不利益を被っているというのに、妹と一緒に笑っていたのだ。

 どうしてだろう。

 梓には、理解が出来なかった。

 

 高校進学の直前、両親に将来の夢を訊ねられた。

 梓が「ない」と答えると、両親は悲しい目をして「何かあるだろう」「どんな小さな事でもいい」と催促をした。

 何も答えられず俯いていると、両親は言った。

 

「妹を見習いなさい」

 

 自分がとても情けなくなった。

 どれだけ心の内を説明した所で、言い訳にしかならない気がしたから、黙っている他なかった。

 両親を失望させてしまったと感じた。きっと夢とやらを持っていないのが罪であって、だから叱られているのだ。

 自分が妹より劣っているから、怒られたのだ。

 

 梓を成立させていた自信は、崩れ去った。

 

 同級生たちですら、それを語った。

 仲良くなった五人の友人は、きらきら輝く目で、あれだこれだと語り合っていた。梓は本心をひた隠し、愛想笑いをするよりなかった。

 物静かな梓の姿を見て、友人は言う。「梓は大人だ」と。その度に責め立てられている気分になり、苦しくなった。

 

 妹や友人が当たり前のように持っている『夢』。けれど私は持っていない。生まれてこの方、考えた事もない。

 他人に劣らない様に努力してきた。

 立派な人間になろうと何時も願ってきた。

 信念に基づいて、生きてきた。

 

 けれどそれは、全部間違っていたのか。

 どれだけ懸命に今を生きたところで、私は何者にもなれないまま、唯々終わってゆくのではないだろうか──

 

 一度胸に巣食った自問が消える事はなく、答えが出る見込みは皆無だった。

 誰かに頼る事も出来ない。罪悪感と劣等感、そして羞恥心が、空虚な心を曝け出すのを躊躇わさせた。

 自分の人格に責任を持てない(・・・・・・・・・・・・・)というのは、誰より責任感の強い梓にとって無上の苦しみであった。

 闇の中を孤独に彷徨うも同じ不安に、梓は押し潰されそうになった。

 

 そんな時だったのだ。

 彼女が──西住みほが現れたのは。

 

 彼女は全校集会の壇上で夢を語り──そして実行した。

 ばらばらな人間を纏め上げ、一つの共通意志を持った群勢(・・)として昇華させる──それは最早、個人の夢を超越した『大義』だった。

 

 梓は直感した。彼女は人間としての大きさが──格が違う。

 それは闇の中に見つけた、たった一つの光明。

 澤梓は、西住みほの()に心を奪われた。

 

 ◆

 

 この日貸し切られた会議室には、練習試合の作戦会議と称されて、生徒会役員と各戦車の代表者が集められていた。

 昼直後の必須選択科目の時間。緊張感のある会議中であっても、締まりきらず、どことなく穏やかな空気が流れている。大洗の主要メンバーとは、そういう人間の集まりであった。

 

「──この様に一両が囮となり、聖グロ部隊を包囲する。そこを高所から全力で叩くっ!」

 

 河嶋桃は言い切ると同時、ホワイトボードを叩くと「どうだ」と言いたげな目で一同を見渡した。

 目の下には薄らクマが出来ている。恐らく、昨晩寝ずに考えた作戦なのだろう。その割に安直で、誰にでも思い付きそうな作戦であるのは、彼女らしい(・・・)と言えるだろうか。

 

「悪くないと思います」

 

 静かに聞いていたみほが言うと、桃の顔はぱっと明るくなった。

 そもそも、今回の作戦立案を是非任せて欲しいと熱望したのは桃であった。どうやら副隊長(・・・)としての意気込みがあったらしい。みほどころか周囲の誰も期待していなかったのだが、ものは試しと任せてみた結果がこれだった。

 みほは二度と作戦立案を桃に任せない事を決断した。

 

「この作戦を土台に、詰めてみましょう。聖グロリアーナ女学院にすら通用するように。結論は試合前日までに出します」

 

 こめかみの辺りを指で撫でながらみほは言う。

 遠回しに落第(・・)であり二度手間(・・・・)だと言われているのだが、桃は褒め言葉として受け取った様で、得意気に胸を張ってから着席をした。

 チームメイトたちは、生暖かい目でそれを見守っていた。

 

 とかく桃というのは、争い事に関して徹底的に、いっそ清々しいほど無能であった。卓上ならまだしも実戦となると一層それが顕著する。しかも、どうしようもない単純さを抱えているから「もしかして馬鹿者なのでは?」というのが直ぐにばれる。

 けれども、これらは桃の本質である、至って善良な平和主義と純粋に拠るものであったから、疎まれたり嫌われたりする事は殆ど無いのだった。

 

「試合の宣伝はどうなっていますか」

 

 みほは話題を変えた。

 

「ああ、西住に勧められた通り(・・・・・・・)大々的にやっている。出店も呼んだ。なかなかの集客が望めるだろう」

「資料は」

「これだ」

 

 桃が差し出した資料は宣伝ポスターや出店の内訳など、ある程度の量があったがみほは素早く目を通した(麻子程ではなかったが)。

 読み終えると、みほは打って変わって笑顔で、満足気に頷いた。

 

「この短期間でよくここまで。良い、実に良いと思います」

「ふっ、ふん。当然だ」

「特にこの学園内新聞は良い。特別号ですか」

 

 みほは資料の中から『遂に実働、大洗戦車道!』と大きく見出しの付いた新聞を取り出して見せた。

 学園内新聞とは、文字通り、学園内に配られる新聞だ。学園艦内全ての家庭に配達されるため、陸にある学校と比べたら、比較にならない程の影響力がある。

 

「ああ、新聞部には特別に予算を下ろした。新聞の出版には結構掛かるからな。そうしたら連中、やけに張り切ってな……力作だそうだ」

「学園内新聞というのは、ああこれは黒森峰の事ですけれど……どうにも角張っていて退屈なものだとばかり思っていました。けど、大洗のものは良い。自由で、面白くて、それでいて力がある! 是非筆者に会ってみたい。ええと──」

「王大河だ。放送委員兼任、二年生。メディア関連に熱心な奴でな。広報で色々と目を掛けてやっている」

「放送委員」

 

 感動したように大きく息を吸って「益々良い」と続けた。それを聞いた桃も誇らしそうだ。

 争い事については役立たずな桃であったが、本来の持ち分である広報については、全く有能であった。

 

 最も、みほはそれを期待していたから未だに桃が戦車道に関わる事を許していたのだが。

 唯々無能な人材を傍に置いておける程、戦車道は甘くない。外の敵はともかく、内の敵は真っ先に処理すべきだ。

 みほは意を決した。

 

「河嶋さんに頼みがあります」

「なんだ、言ってみろ」

「今日限りで、副隊長を辞めてもらいたいんです」

「なっ、なんだとぅっ!?」

 

 突然の解任宣言に、桃は音を立てて席を飛び上がった。

 顔を真っ赤にして、今にもみほに噛み付きそうな勢いだ。傍らの柚子に「まあまあ」と宥められたが、それを跳ね除けてみほに迫った。

 

「どういう事だ西住、私の何が不満だと言うんだ!? 私はちゃんとやってきただろう、今だって!!」

 

 ヒステリー紛いの剣幕で喚く桃の唾液が顔に掛かったので、予想していた反応とはいえ、みほは少し(・・)不快になった。

 しばらくは喚かせておいたが、やがて桃の座席を指さすと、静かに言った。

 

「座って下さい」

「聞いているのか西住っ」

「座って下さい、会議中です」

「だから、答えを」

「──座れ(・・)

 

 声量ならば、桃の何分の一に満たない低いもの──しかし、その一声はこの場の全員を震え上がらせた。

 桃は「くぅん……」と鼻を鳴らすと、あっという間に席に戻って、隣の柚子に頭を撫でてもらった。

 

「河嶋さんには、今以上に広報に専念して欲しいんですよ」

「ええと……どういう事?」

 

 桃が震えてしまって応じられそうになかったので、代わりに柚子が訊ねた。

 

「もっと手広くやりましょう。まずはこの新聞、陸でも配布を行います。町内放送もねじ込んで下さい。試合当日の装飾や、もてなしも豪華に──これだけ大切(・・)重大(・・)な仕事は、副隊長と兼任などできないでしょう。河嶋さんには、有能な働き者(・・・・・・)でいて欲しいんです」

 

 その言葉で、桃は多少持ち直した。柚子を気にしながらも、自分で応える。

 

「人と時間と予算が余計に必要だ」

「できますか」

「できる」

「では、そのように」

 

 無事に話は付いた、という風にみほは一つ手を叩いた。周囲も、ほっと息を吐く。

 しかし、それを良しとしない者がいた。

 

「待ってよ西住ちゃん」

 

 今まで成り行きを見ていた生徒会長……角谷杏が水を差した。

 

「どうしました会長」

「私は広報の仕事は今のままでも十分だと思うよ。これ以上必要なのかな?」

「必要です」みほは即座に断言した。「我々が一丸となるためには、宣伝広告は絶対に欠かせない要素です」

 

 みほの言う『我々』とは、非常に広い範囲の人々を指していた。今は良くて学園艦内の団結に過ぎない──しかし一体、その範囲を何処まで拡張しようと企んでいるんだろう?

 みほを中心とした輪が拡がる事を、具体的な根拠も無く、持ち前の臆病な警戒心で杏は危ぶんでいた。

 

「……だとしても、それは西住ちゃんが決める事じゃないよ。これは生徒会の権限であって、一生徒が進めて良い案件じゃない」

「会長、西住は学校の事を想って言っているんですよ」

「そうです、良い事ではないですか。我が大洗女子学園の活躍が広まるんですから」

 

 杏の心も知らず、桃と柚子は言う。他のチームメイトたちも「そうだそうだ」と便乗した。

 まるで杏の方が悪者扱いだ。皆のみほに対する深い信頼が、正論をねじ曲げてしまっている。

 杏はとても悲しくなった。今や、どちらがより信頼されているのかが目に見えてしまったからだ。思わず涙目になる。

 みほは「ふーん」と腕を組んで、思案する素振りをした。やがて小首を傾げ、軽く言った。

 

「やめますか?」

 

 杏は、ぞっとした。

 軽妙な笑顔の、瞳の奥に潜む思惑に気が付いたからだった。

 そうだ──この女は何時でもやめれる(・・・・)のだ。何故なら、大洗女子学園に何の思い入れもないから。良くて便利な手足か、道具くらいにしか思っていないからだ。

 西住みほにとって、学園の末路だなんて心底どうでもいい(・・・・・)のだ。

 

 それにもかかわらず、杏は、生徒会は、学園は、みほに頼らざるを得ない。それしか道がない。

 気分次第で何時背中を押されるかも分からない崖っぷちの状況──杏はそれに思い当たってしまった。

 

 まるで追い討ちを掛けられた様で、杏は涙が溢れ出ない様に唇を噛むのが精一杯になった。

 みほが嘲笑うかの如き視線で見てきたため、屈辱に顔を伏せた。

 だが、この印象は杏の誤解である。実際には、みほは嘲笑ではなく、愛しみの視線を向けていたのだ。

 

 なんて可愛い人。

 努力家で、勇敢で、仲間想いの素晴らしい人。

 けれど誰より恐ろしがりで、臆病な人。

 それ故、今にも粉々に砕けてしまいそうな人。

 可哀想に。

 優しく抱き締めてあげたい。

 でも、同じくらい背中を押して(・・・・・・)しまいたい。

 どっちが良いかな?

 私なら、どうとでもできるんだ──

 

 数秒間、縮こまった杏に目を奪われていたみほは、この感情が会議に無用であるばかりか非道徳(・・・)であると気が付いたので、強制的に思考を中断した。

 

「他には」

 

 一人一人の顔を見渡してみても、それ以上の異議の申し立ては無かった。

 沈黙は許諾である。

 話し合うべき議題はまだあった。次が一番大切なのだ。

 

「さて、そうなったので副隊長の座が空いてしまいました」

「私が続投しても良いのだが……」

「不可能です。後任を決めます」

 

 あっさり切り捨てられた桃を他所に、会議室はざわめいた。チームの代表者全員が集められているのだ。この中の誰かが選ばれるであろう事は、容易に予想出来た。

 みほは微笑んで、徐に一人を指す。

 

「澤梓さん。私はあなたに任せたい」

「ぇ……えええっ!?」

 

 まさか自分ではないだろう……無意識に可能性を排除していた梓は思わず叫んだ。

 

「なるほど、良いかもしれないな」

「納得の人選です!」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 隣に座っていたⅢ突のカエサルや、八九式の典子が合意するのに、梓は必死に手を前で振った。

 直ぐにみほに向かって問い掛ける。

 

「どうして自分なんですか」

「それが良いと思ったからです」

「無理無理無理っ、絶対に無理ですっ。私なんかが副隊長だなんて」

「それは困ります。他に任せられる人が居ないのに」

「他の人の方が絶対にマシですよ!」

「理由は」

「え……」

「無理だと思う理由を教えて下さい」

「ですから、私ごときには土台無理で……」

「やってもいない事を、根拠も無く最初から諦めるんですか」

 

 みほは眉間を寄せ、不機嫌を隠そうともせずに言った。

 

「卑屈だ」

 

 しまった──梓は己の失敗に気が付いた。

 日頃から、西住隊長を良く観察していたから知っていたのだ。

 隊長は、曖昧な態度や煮えきらない発言を好まない事を。そして特に──明確な理由もなく己を落とす行為を非常に嫌っている事を。

 きっとそれは、優しさの裏返しなのだ。自分の尊厳と同じように、他者の尊厳を大切に思っている証拠だ。

 焦っていたとはいえ、自分はそれを踏んでしまったのだ。

 

 みほは厳しい視線で見つめてきている。

 梓は何か弁明をしなければならないと思った。けれど上手い言い訳が何も思い付かない。あれこれ必死に考えたが、結局、梓はうなだれた。

 

「……本当に、私には無理なんです」

「どうして」

 

 訊ねるみほの口調は厳しいものだったが、今の梓には何故だか心地良いものに思えた。

 

「私には才能が有りません。戦車道を始めてから、まだほんの少しの間ですけれど、分かるんです。私に指揮者の素質は無い。ただ成り行きで車長をやっているだけ……お飾りなんです」

 

 己で言った言葉で、一人梓は落ち込んでいく様だった。改めて本心を言葉にしてみれば、やはり、辛いのだ。

 

「皆、一生懸命なんです。戦車道は凄く楽しいって、笑っています。楽しんでやっているから上達も早くって……私もそれに負けない様に頑張っているんですけれど、全然ダメダメで。皆に頼ってばかり、追い付いてゆくのもやっと……本当に、見捨てられないだけマシですよね」

 

 梓は笑顔を作った。

 無理矢理に愛想笑いを作るのは、もう慣れてしまった。

 

「って何言ってるんでしょうねっ。こんな事どうだっていいのに。だから、その、私には副隊長は無理だと思うので他の人にお任せします。所詮、

私には無理なんです。だって、私、には──」

 

 ──夢が有りませんから。

 声が震えて、先を話す事ができない。今にも涙が落ちそうだ。

 駄目だ、笑わなきゃ。心配させてしまう。西住隊長が困ってしまう。

 笑え。それが大人だろう。

 真面目(・・・)大人(・・)な澤梓。それだけが取り柄だろう。

 笑え、笑え、笑え──

 

「笑うなッ!!」

 

 一喝。

 みほは立ち上がり、梓に歩み寄ると胸倉を掴んで持ち上げた。

 身体は容易に宙に上がる。

 梓は潤んだ目を見開いた。

 

「己の努力を笑うな。それは絶対に許さない。許されていい筈がない。才能、才能だと? それが何だっていうんだ。いいか、はっきり言っておく。不遇の環境、身体的不利、才能の欠乏! これら一切の障碍(しょうがい)は、人の信念を阻む事など決してできない!」

 

 悔恨に歯を食いしばり、突き返す様に襟首を離した。梓はよろめいて、元の座席に落ちた。

 

「だから、そんな事を言わないで……」

「人の……信念……」

 

 人の信念。梓が信じられなくなった代物──けれど、西住隊長は誰よりもそれを信じているのだ。そして、立派にやってみせている。それに比べ、自分のなんと情けない事か。

 呆然としていた梓の瞳から、一滴が垂れた。

 それを始まりとして、溜まっていた涙がどんどん落ちてゆく。

 小さな啜り泣きだけが、会議室に響く。

 人前で泣く事は恥ずかしいと頭で思っていても、止めることは叶わなかった。

 

 みほの激昴は半ば演技である。

 情に厚い隊長(・・・・・・)をアピールするための、茶番だ。

 ただ、怒りの発端が痛い所(・・・)を突かれたのに由来するのは、間違いなかった。そこを否定する気は、みほには無い。

 そうだ、だからこそ彼女を副隊長に選んだのだ。

 

「皆が言います。西住隊長みたいになりたいって、何時かあんな風になれたら良いのにって──でも私はそう思いません、思えないんです。だって私は私だから(・・・・・・)。今を生きている私だけが、唯一の私だから……っ」

「それで良い」

 

 梓が濡れた顔を上げて、尊敬する隊長を見た。

 

「あなたは私にはなれない。その通りだよ。同じように、私もあなたにはなれない。なりたいとも思わない。そうです、私は私だから(・・・・・・)。それで良い。西住みほは、澤梓が欲しい。ありのままのあなたが欲しい」

 

 みほはしゃがみ、梓の手を取った。

 

「あなたは今の自分から逃げなかった。とても辛い事です。認めたくない自分、劣っている自分──普通なら目を瞑る。気付かない振りをして、黙殺してしまう。けれど、あなたは勇敢に立ち向かった。どうにかしようと誠実に努力した。私はその能力が欲しい。副隊長にはあなたしかいない」

「けど、隊長。私が副隊長になっても、きっと誰も付いてきません。隊長と比べて、どれだけ私が小さく見えるでしょうか」

「それこそあなたの決める事じゃないよ。少なくとも私は、あなたに背中を任せてみたいと思った。そして──」

 

 みほは、会議室を見渡した。

 感極まった仲間たちが、静かに行く末を見守っている。典子などは、号泣する所を必死に抑えて、静かにしようと試みていた。

 

「皆が決めることです。どうです、異議がありますか」

『異議なし!』

 

 口を揃えて発せられた同意の言葉は、梓の感涙を頂点に達させた。声を抑える事も忘れ、梓は泣いた。

 みほは大きく頷いて、再び真っ直ぐ梓の目を見た。

 

「もう一度聞きます。副隊長をやってくれますか?」

 

 隊長の問い掛けに、梓は勢いよく立ち上がり、敬礼をした。

 

「やります、私にやらせて下さいっ!!」

 

 この時から、澤梓は副隊長となった。

 抱えていた無上の苦しみから、救われたと感じていた。

 ようやく自分は、皆と同じ入口に立てたのだ。ならば私は、何処までも駆けて行こう。西住隊長の命があったならば、何だってしよう──

 

 そして、梓は知らなかった。

 用意された入口(・・)が、一体何処に続いているのかを。




本当に副隊長をしてもらいたかった人は、今は遠くだ。

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