鬼神西住   作:友爪

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類は友を呼ぶ。


鬼神西住と親衛隊長1

 それは、桜の花もあらかた舞散った春の日のことだった。黒森峰女学院の入学式は、つい先日行われ、新入生達が未来への希望を抱く季節。

 新しい教室、新しい友人……ある意味、環境への適応を試される時期であると言えるかもしれない。適応するだけで手一杯というのが、新入生の常であり、美徳でもある。

 

 この学園艦巡回バスの中も、新入生で賑わうようになっていた。学園艦内の主な公共交通機関である巡回バスは、黒森峰の生徒であれば殆どが定期を所持している。

 バスの中は、意味のない話で溢れているように見えても、女子の人間関係の構築において、それは非常に重要な意味を持っているのだ。

 

 座席に座ったある二人組も、そういう会話の最中であり、中でも一際弾んだ会話をしていた。会話というよりは、片方が一方的に語り、もう片方は聞き役に徹している様だった。

 

「──という訳でドイツには偉大な軍人が沢山いるのよ」

 

 気分も良さそうに、大声で話しているのは、長い銀髪の新入生……逸見エリカであった。聞き役に徹しているのは、赤星小梅である。

 この二人、どちらも戦車道部志望であって、同じクラスというのもあり、一緒に行動することが多くなっていた。

 

 話の発端は何時ものように戦車道の話題からだった。

 黒森峰はドイツの気風に影響を受けた学校であり、戦車道においても同様である。そのドイツの話になった時、エリカはちょっとした知識を小梅に話した。それを小梅が面白がっているうちに(聞き上手というのもあって)、エリカは良い気分になって知識の披露が止まらなくなった。

 

 実は、それらは入学前にエリカが一生懸命調べた情報であった。元々趣味で調べた知識であったが、それを誰かに話したくなる、というのは人情である。

 

「でもそれらを凌駕するような軍人が日本にもいるの」

 

 得意げに勿体ぶって、エリカは次の話題に移ろうとした。「へえ?」と小梅も続きを促す。

 

「かの軍神、西住戦車隊長っ! あなたも名前くらい聞いたことがあるでしょう?」

 

 それからエリカは、まるで自分の功名であるかのように、軍神の数々の偉業や逸話を嬉々として語った。これが最も人に披露したい知識であった。

 元々インターネットや、その手の雑誌から集めた知識である。誇張表現や面白可笑しい改変などがされている事は承知であったが、話のタネとしては優秀だ。しかも西住戦車隊長は、存在自体が冗談のような人であるから、尚更である。

 良い気分になっているので、自然に声も大きくなってゆく。周りの人間(戦車道の先輩含む)も、その気持ちは何となく理解出来たし、話の内容も興味のある人間にとっては面白かったから、それに聞き耳を立てることはあれ、誰も注意せずにいた。

 

「それでね、ここで彼女が行った作戦というのが……」

 

 エリカが早口で話していた、その時。

 ちょうど向かいの席から、()()()と指を鳴らす音が聞こえた。

 不思議に思って話を中断したエリカや小梅を始め、周りの人間も皆その場所に視線を向けた。

 そこに座っていたのは、悪戯っぽい笑顔を浮かべる少女。明るい茶色のショートカットの一年生。

 

 西住みほだった。

 

 みほの顔を、エリカは知っている。戦車道界隈では有名人であり、尊敬する人でもある。

 その人はエリカの真向かいに座っている。

 

 勿論、話も全て聞かれていた。

 まるで自分の手柄のように修飾した、みほの先祖の話を。しかもそれらは、殆ど()()()と言って差し支えない内容であった。

 

 そしてみほの表情。悪戯っぽくもあったが、同時に照れも混じっていた。ひょっとすると呆れも混じっているかもしれない。

 

 この状況の全てを理解した時、エリカは真っ赤を通り越して真紅になった。汗をだらだら流し、何か言い訳をしたそうに、唇を震わせた。

 それすらも通り越すと、今度は青くなってその場に縮こまった。縋るように小梅を見ると、既に他人の振りを決め込む様相である。

 

 みほは、二転三転するエリカの様子を面白そうに眺めていた。エリカが必死に足元を注視し続けようと、みほは真っ直ぐ先を眺め続けた。

 このバスの中で、事情を知って足元を注視していないのは、みほだけであった。

 

 ともかく、これが後の盟友同士の馴れ初めであった。

 

 ◆

 

 『西住みほ親衛隊』が組織されたのは、入部期間が終了してから数ヶ月後のことだった。

 みほが直接手を出したからではない。これは、平素から特にみほを信仰して止まない、とある隊員が立ち上げたものだった。

 

 この組織は試合において、副隊長車を護衛する目的が主であり、 普段は色々とみほの世話をするのが仕事だった。

 実のところ、仕事を目当てに志願する隊員など居らず『副隊長の傍に居られるから』という目的の志願者が多数であり、完全に目的と手段が逆転していた。

 そういう組織であったから、隊員達は皆みほに心酔していた。まさに身も心も捧げており、玉砕せよと命じれば本当に実行しかねない有様だった。

 

 設立までの数ヶ月、みほは新たな環境を何食わぬ様子で観察していた。戦車道すべての人員の、有能と無能の判断を最終的に下し終えるまでそれだけの時間がかかったのである。

 親衛隊の創設後、みほが目をつけた隊員は、皆喜んで取り込まれた。あくまで、()()()に。

 黒森峰屈指の精鋭にして、完全なる私設部隊である親衛隊は、大いにみほの()()に貢献した。

 

 だが、この時点で、親衛隊は不完全だった。

 みほが真っ先に見出し、その有能を最も求めた人員が欠落していた。

 

 逸見エリカ。

 

 平時であれば、隊長ともなれたであろう彼女の力を、未だ取り込むことが出来ていないのだ。

 故に不完全。みほの要求を、全く満たしていない。

 

 当初、逸見エリカを引き込むことを、みほは問題にもしていなかった。前提からみほを崇敬している彼女を引き込むのは実に容易であると思っていたからだった。

 

 思いがけない事態にも、みほは慌てはしない。

 自分の能力を少し割いてやれば、事は円滑に進むであろうと考えたのだ。

 よって、彼女へ何時もの()()()を実行した。

 甘く美しい口上による洗脳、特別な扱いをする事による誘導……中学時代、みほが完全にモノとした手法を存分にエリカへと注ぎ込んだ。

 そして最終段階へと至る時期を見計らって、さり気なく、しかし劇的な場を用意してやって、エリカを親衛隊へ勧誘した。

 

「あなたの力が必要なの。私の傍にいて欲しいな」

 

 皆の前でエリカの手を取り、優しく笑いかけるみほ。周囲の隊員たちは、早くも賛成の声と拍手を送っていた。

 

「勿体ない光栄です! これからは誠心誠意、あなたのために働きます!」

 

 歓喜に頬を染めて、エリカは足元に(かしず)

 みほの脳内では、そういう未来が見えていた。周りもそうだったに違いない。

 

 けれど、そうはならなかった……そうはならなかったのだ。

 

「お断りします」

 

 みほは、耳を疑った。

 エリカは恐縮しながら、しかし、はっきりとした拒絶を示したのだ。

 握っていた手は振りほどかれ、一歩後ろへと退く様子は、心の距離が離れていることを明確に表していた。

 

「どうして……?」

 

 絞り出す様なみほの問に、エリカは取り付く島もなく応えた。

 

「私は、それを好まないからです」

 

 みほの策略は、音を立てて崩れた。

 完全だと思われたそれは、逸見エリカの前に敗北したのである。

 

 ◆

 

「失礼します」

 

 エリカがドアをノックすると「どうぞ」と返事があったので、遠慮なくドアを開けた。

 みほは部屋の真ん中に据えられた、黒い革のチェアーで待っていた。

 

「ようこそ! コーヒーはどうする?」

「え、と……ブラックで、お願いします」

「分かりました。そこに、座って待っててね」

 

 にこやかな、来客へのみほの対応も、エリカの頭にはあまり入ってはこなかった。

 代わりに目に飛び込んできたのは、地図、地図、地図。壁一面にびっしりと、貼られた地図の有様だった。一枚一枚に書き込まれた、おびただしい量の矢印や文言は、一見したのみでは読み解くこともできなかった。

 異常。

 平常通り、物腰柔らかくコーヒーを準備するみほの振る舞いが、逆に異常性を際立てていた。

 エリカが副隊長室に招かれたのは、親衛隊への直々の誘いを断った数週間後のことだった。

 副隊長室への招待がかかった時、戦車道部は騒然となった。何しろ、今まで誰も入ったことがないのだ。親衛隊筆頭である隊員や、隊長でさえそうだった。

 それが、例の誘いを蹴ったことで、妬みの対象となっていたエリカが招かれたとあっては、騒然となるのは自然なことである。

 

「お待たせ。はい、どうぞ」

「ありがとう、ございます……」

 

 苦いコーヒーを飲みながら、エリカは自分が招かれた意味を考えた。十中八九決まっている。副隊長を拒絶した、そのことだろう。

 その予想を裏付ける様に、緊張した様子のエリカに、みほは語りかけた。

 

「この前の事について、話があります」

「そうだろうと、思っていました」

「なら、話が早いよね」

 

 机を挟み、エリカの向かい側に座ったみほは、やはりいつも通りの笑顔だった。

 ごくりと、エリカは唾を飲み下した。

 

「何で、私は断られてしまったのかな?」

「……前に言った通りです」

()()()()()、そう言ったよね」

「はい」

「分からないんだ。私があなたの好みに、どうしてそぐわないのか、考えても分からないの」

「それは」

 

 エリカは俯いて、回答を濁した。

 

「あれから、ずっと考えていたんだよ? 夜も眠れないくらいに。あなたの事を、ずっと想ってた」

「申し訳、ありません」

「教えてよ」

 

 エリカが顔を上げると、みほはこちらを()()()()。何時もの笑顔は消え失せて、真顔になった、みほの瞳。その中に、()()()が居た。それが、こちらを見ていた。

 

 ()()()()

 

 不定形の()()()をエリカの感覚に当てはめた時、形容すべき言葉が、それしか見つからなかった。

 知覚してしまった瞬間、一気に鳥肌が立つ。嫌な汗が、背中から吹き出た。

 此処が密室であることが、急に思い出される。

 

「ねぇ、エリカさん。あなた、()なの?」

「敵……とは」

「私の敵、黒森峰の敵、西住流の敵……どれでもいいよ。西住みほの敵、粉砕すべきもののこと」

 

 一切の情動が失われた声だった。西住みほの()()()()()が話しているのだ。

 姉や、母が『化物』と称するそれが、エリカの前に現れていた。

 

「逸見エリカ。あなたは、私の敵なの?」

 

 これは最後通牒だ。エリカは悟った。

 此処で敵になってしまえば、()()()()()()になると、直感で確信した。

 

 嫌だ。敵になるのは嫌だ。

 西住みほの敵にならないためにはどうすればいい? 決まっている。今からでも「親衛隊に入る」と言えば良いのだ。それで、目の前の恐怖からは逃れられる。

 そうしてしまいたい。

 逃げてしまいたい。

 楽になってしまいたい。

 けれど、それは──

 

 私の好みでない。

 

「──気に入らないわね」

 

 エリカは、みほの()を見て言った。

 みほは驚愕に目を見開いた。 

 

「気に入らないわ、全く気に入らない。不愉快よ」

 

 立て続けに言った。恐怖が無くなった訳ではない。

 むしろ前より恐ろしい。

 その上で言っているのだ。言わなければならないのだ!

 

「どうしてですって? なら、教えてあげるわ。私はあなたの()()()が気に入らないからよ。大嫌い」

 

 西住みほがこちら見ている。

 心臓が爆発しそうだ。本能が警鐘を鳴らしている。

 知るものか。

 

「親衛隊に入れば幸せになれるのでしょうね。正直にそう思うわ。誰でもそうだと思っているんでしょう? 心も身体も、自分のものにできると、確信しているのでしょう? だったら、あなたは間違っているわ」

 

 ()()()

 その言葉が、みほの逆鱗に触れた。

 みほはおもむろに立ち上がり、エリカを見下ろした。

 敵だ。逸見エリカは、今、西住みほの敵になった。

 

 そのことは、エリカにも伝わった。

 みほから発せられ始めた、強烈な敵意。臓腑が掻き回される感覚に、血の気は失せ、吐き気が込み上げる。

 それでも退かない。

 エリカも勢いよく立ち上がり、どす黒い恐怖そのものに対峙した。

 

「私はあなたを尊敬しているわ。親衛隊の隊員よりも、世の中の誰よりも! 初めてあったあの日から、私はあなたのことを崇敬している。だからこそ、言わせてもらう!」

 

 エリカは、己が胸に手を当てて、言い放った。

 

「私の(あるじ)は私よ! その認識を、誰にも侵略させはしない!! 例え尊敬するあなたにも、誰にも!! 私を舐めるな、西住みほ!!」

 

 絶叫。

 エリカの魂よりの絶叫は、みほの全身を打ち付けた。みほの内側の()()()が、大きく揺らいだ。明らかな狼狽が、みほの表情に現れた。

 逸見エリカの認識は、西住みほの認識を真正面から攻撃した。

 

 みほは、人生で初めて()を恐ろしいと思った。

 こんな敵は……今までに居なかった。どう対処して良いのか分からない。

 まさか……まさか、こんなに真っ直ぐに、()を見る人間がいるなんて、想像もしなかった。

 

 みほは、足元がふらついて、崩れるようにして再びチェアーに腰掛けた。

 今度は、エリカがみほを見下ろしていた。

 

「──隊長が言っていた。『妹は化物だ』って。私は、そうは思わない。あなたは人間よ……私と同じ」

 

 やはり、エリカは、何処までもみほを真っ直ぐに見て言った。

 

「西住みほ……あなた、隊長が嫌いなの?」

 

 疑問。やり返すように、エリカはみほに問うた。

 

「隊長は『みほは私を憎んでいる』と……そうも言っていたわ。本当にそうだとしたら……どうして?」

 

 あの姉は隠れて余計な事ばかり言う……やはり、卑怯者だ。

 みほは俯いて黙りながら、思った。

 

「答えなさい」

 

 エリカが怒気を孕んだ声色で言った。

 どう答えれば良いだろう。私は、西()()()()として、どう答えるべきだろう。

 私は、どう思っているのだろう。

 

「──嫌いだよ」

 

 心に浮かんだ通りに、みほは答えた。

 

「嫌いだ。お姉ちゃんなんて嫌いだ。あんな卑怯者、滅びてしまえばいいんだ」

 

 呪詛を唱えるように、みほは言葉を漏らした。

 

「嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。お姉ちゃんも、お母さんも、今の西住流も皆嫌いだ。私を認めないもの、否定するもの……私を『化物』扱いするもの、皆嫌いだ!!」

 

 いつの間にか、声が大きくなっていた。

 これだけの本心を表に出すのは、本当に、どれだけぶりのことだったであろう。みほは覚えていなかった。

 或いは……()()()以来のことかもしれない 。西住みほが『鬼』と化した、あの日以来。

 

「どうして、どうして誰も分かってくれないの!? 私は正しい、私は間違ってない!! 先祖の誇りを守るために全霊を尽くす事が、何でいけない!? その正当がどうして理解できない!?」

 

 みほの瞳に涙が溢れた。

 その身の内側に、母や姉の言う『化物』が住み着いてから、決して出ることの無かった、涙。

 自分自身、枯れてしまったのだと思っていた涙。

 それが今、()の前で、みほの頬を濡らしていた。

 

「だったら分からせてやる、先祖たちは正しかったということを! 西住みほは此処に居るということを! 私を憎むもの全てを絶滅させて、認識させてやる!!」

 

 みほは、机を拳で叩き、叫んだ。

 

「だから、だから……」

 

 だから、何だろう。

 私はどうして欲しいのだろう。

 分からない。頭が痛い。

 

 みほは、頭を抱えて蹲った。

 

 私の欲求は、先祖の誇りを守ることだ。それが西住の者としての義務であり、勤めだ。

 それだけで良い、それだけ良い筈だ。

 足りないものは何も無い。

 私は切り捨てたのだ、()()()に。弱さは全て切り捨てた。

 だから、何も要らない──

 

「見るわ」

 

 みほは、強く抱きしめられた。

 何時の間にかエリカが近付いていて、みほに被さるようにして、抱いていた。

 

「私はあなたを見るわ。誰もがあなたを否定しても、恐れても、私はあなたを真っ直ぐに見てあげる」

 

 優しい声では無かった。むしろ諌めるような、厳しい声だった。

 けれど、その言葉はみほの認識に、これ以上なく染み込んだ。

 

「素敵よ、みほ」

 

 そして、エリカの認識もみほに染められていた。

 みほの心の底からの慟哭に、この世で最も美しいものを見出したのだ。

 

 全てに否定されようと、折れない精神。

 理想を現実にするために、貫き通す意志。

 そのために執行する、誇り高き力。

 

 エリカは誤解していた。

 みほに潜む『化物』の本質は、エリカが()()であると信仰するものに他ならなかった。

 

 また、みほも気が付いた。

 自分を真正面から見てくれる他人が、存在しうるということを。

 家族にさえ否定され続けた()()を、認めてくれる者が居たのだ。

 

「ありがとう……エリカさん」

 

 西住みほは逸見エリカに敗北した。

 

 忌むべきものと断じていた敗北。

 それは、みほにとって、愛おしいものとなった。

 

 みほは笑う、何時もの様に。

 エリカも笑う、みほの様に。

 

 二人は無言で誓い合った。

 この()()()()()を、必ず完遂させると。

 それを妨げるものの、全てを絶滅させると。

 

 私達は『絶対正義』である。

 

 ◆

 

 翌日、西住みほによって逸見エリカの親衛隊長就任が皆に知らされた。

 親衛隊の創設者であり、今まで親衛隊長であった隊員は、()()()()戦車道部を退いた。

 

 新たな親衛隊長の就任は、皆に喜ばれた。

 




友の存在は人間を強くする。

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