「子供とは実に良いものだ…………そうは思わないかね」
慈愛に満ちた目で遊具コーナーで遊ぶ子供たちを見ながらそんな台詞を呟くのは細身の紳士風の男だった。
さすがにシルクハットは目立ちすぎるので脱いでいるが、タキシードのようなそのシックな服装は周囲からの人目を集めていた。
そしてそんな男が手に持ったのは買い物カゴ…………いや、別に言い間違いではなく、真実として買い物カゴを持っている。カゴの中に入っているのは大量のお菓子類。
「…………全部返して来い」
「何ということを言うのだ?!」
思わず呟いたその一言に、男が驚いたように返す。
そしてタイミングを測っていたかのように、紳士風の男の隣に大柄な男がやってくる。
「待たせたな、いや、我としたことが中々手間取ってしまってな」
紳士風の男と同じその片手に買い物カゴに大量のお菓子を詰めて…………。
「…………返して来い」
「なんだと?!」
本日何度目になるか分からないほど繰り返した台詞に、これまた同じように何度と無く繰り返した反応を男が返す。
その男…………赤いコートのような服装の長身で大柄な男がずいっとこちらに顔を近づけてくる。
「あの子が欲しいと言ったのだぞ! それを返して来いだと?!」
「お前らは孫にねだられた老人かよ、だいたい欲しいなんて言ってねえよ、面白そうって言っただけだろう」
「あの子が興味を持ったのなら、与える以外の選択肢があろうか、いや、無い!!!」
「何を反語まで使って語ってやがるこのアホ魔王!」
全く…………勘弁して欲しい。
何故日曜日…………休日の昼間にデパートに買い物に行くのに、超高位の魔王と堕天使が付いてくるのか。
「アイツに買ってくならこれで良いだろ…………ほら、いくぞ、
そうしてアイツ曰くの“赤おじさん”と“黒おじさん”の名を呼んだ。
* * *
本日は非常に珍しい日と言える。
何せ六年近く、ずっと共に生きてきた片割れと別れて行動しているのだから。
朝のことである。
本日は日曜日。つまり学校が休みだ。学生の本分は勉強とは言うが…………まあ何と言うか、それを気にするようなことが滅多にないので忘れそうになるが、自身は生前に高校は卒業している身である。残念ながらすぐに就職の道を取ったので大学などには行っていないが、それでも真面目に勉学はしていたのでそれなりまでの大学に受かる程度の学力は今でも残っている。まあつまり、高校の、それも一年生のやるような勉強は今更過ぎてやる必要も無い。
ま、そもそも進学するかどうかも未定だしな。
なんて心の中で呟きながら、朝食をテーブルに並べる。
この家の住人は
とは言ってもその
良かった…………かった、過去形である。
元々自身の半身とでも呼べる少女は時折自身と一緒に食卓を囲もうとすることがあった。
ただその回数は気まぐれであり、食べてもさした量でもないので、気持ち大目に作っておけば大丈夫、程度の量だったのだが。
「…………ごちそーさま…………でし、た」
皿に並べられた少量のサラダをもさもさと口の中で咀嚼し、コップに入ったオレンジジュースで押し流す。そうして一口サイズの小さなパンを齧りながら刻んだハムの入ったスクランブルエッグをスプーン一杯分ほど口に含むと彼女はそう呟いて手を合わせた。
…………別にそれを習慣付けた覚えは無いが、自身がやっているうちに自然と身についたらしい。
量が量だけにその程度で大丈夫なのだろうか、とも思うが多分大丈夫なのだろう。
まあ見た目だけで言えば完全に幼女である。輝くようなプラチナブロンドに燃えるような赤い瞳。
髪の色は完全にどこかの喫茶店のマスターと一致しているが、瞳の色だけが違うのは恐らく
先に言った幼女は悪魔だ。だが悪魔ながら驚くことに生身の体を持つ。
ルイ・サイファーの特別製悪魔。それが彼女、自身がルイと名づけた幼い少女だった。
生身、と言っても悪魔の本体、と言う意味ではない。
言うなれば
故にその体はマグネタイトによって構成された他の悪魔たちよりも脆い人間の身であり、けれど同時に悪魔としての力も持つと言う歪な存在となっている。
根本的な部分を言えばそれは悪魔だ。故にマグネタイトが無ければその命を保つことはできない。
だが同時にその身は人だ、だからこそ、人の食べる物も摂取する必要も出てくる。
ある程度までは片方を片方で補うことは可能だ、しっかりとマグネタイトを供給してやれば食事などほとんど必要ない程度に。それでも完全に無くすことはできない。だったら最初から決められた分だけ食べれば良い、と最近はもっぱら朝食と夕食を一緒に食べさせるようになった。
と言ってもこの幼女、基本的に無口である。と言うか、まだまだ言葉を知らない、と言うべきか。
だから何を口にしても美味しいも不味いも言わない、黙々と機械的に口に運び、咀嚼し、嚥下し、そしてごちそうさまと自身の真似をして口にし、それで終わる。
そして感情も知らない。だから動かない。
ルイ・サイファー曰く“何も無い”少女。
力も無い、知恵も無い、心も無い、意思も無い、名前すら無い空虚な少女。
そしてその空虚を埋めるための隙間も無い変化の無い…………無かったはずの少女。
だから名前を与えた。変化を与えた。日常を与え、生を与えた。
隙間が無いなら外装をつければ良い。変化が無いなんて有り得ない。生きている以上、無限に変性し続ける。
例えそれが、悪魔であろうとも。
思いは生まれる。心は育まれる。意思は宿る。
生きていく限り、それは必定なのだから。
* * *
自身と同じ名前の少女がいる。
少女は朝から機嫌が良さそうに自身の後ろをちょこちょこと付いてきていた。
少しだけ珍しい。自身と少女は基本的にどこに行くにも一緒にいるが、それでも家の中でくらいは離れて行動することもある。と言うか、同じ部屋にいることは良くあるが、それでも部屋を出る時に一々付いてくることは余り無い。
まあ気まぐれだろう、と考える。多分そんなに間違っても無い、そんな確信はある。
同時に少しだけ昔を思いだす。初めてあった時、少女はずっとそんな感じだった。
別にそれがどう、と言うわけでも無いのだが。
自身の生前にはまだ土曜日、と言うのは学校のある日だったはずなのだが、今生では週休二日と言う名で完全なる休日となっている。一人暮らしにとって休日とは普段できないことをする…………否、やらなければならない日だ。
だから放課後は下校途中の駅前商店街で済ませてしまうものを休日はビジネス街のほうにある大型デパートのほうにまで足を伸ばす。
とは言うものの、必要なことはほぼ土曜日にやっておいたので、だいたい日曜日と言うのは時間が空いている。
だから今日一日はほぼフリーと言って良かった。
だからやることは。
「…………寝るか」
自室に戻り、布団を被り…………やはり起き上がる。
特に誰かと会う予定なども無いし、必要なことはだいたい昨日やった。本なども今は読む気分ではないし、だったら寝てしまうくらいしかやることが無かった。
「…………なんか趣味くらい持ったほうがいいか」
さすがにやばい気がする。学生が休日にひたすら寝ているだけと言うのはかなりやばい気がする。
まず最初に思いつくのは誰かを誘って遊びに出る、と言うこと。
携帯を開く、そこに登録されている番号の数を数えて自身の交友の狭さに思わず顔が引き攣るが、気にせずぽちぽちと動かしていく。
まあ自身が誘える相手など二人くらいしか居いないのだが…………言わずもがな、悠希か詩織である。
ただ詩織はあれで割りと忙しい身だ、家の方針で習い事をいくつもやっている。日曜日も確かいくつか習い事をやっていたはずだ。
と、なると誘えるのは悠希くらいか。
と、言うことで悠希に電話をかけてみる。通話を押し、短縮ダイヤルに従って番号が入力されていく。
だが。
つーつー、と耳元で聞こえる。電源が入っていないのか、それとも電波が届かないのか。
まあ前者だろうと予想する。まあどちらでも換わらない
さて問題はこれで電話をかけることができる相手が尽きた、と言うことである。
他にも幾人か登録された番号はあるが、どちらかと言うと仕事のほうの関わりであり、向こうも忙しいのはほぼ確定だろうから余り気軽に呼び出せない。
「…………どうすんだこれ」
と、なると途端にやることが無くなる。と言うかもう他にかけれるやつがいない以上誰かを誘って、と言うのも不可能になった。
さて、どうするか、と考え。
ふと気付く、あいついねえな、と。
先ほどまで自身の後ろをちょこちょこついて来た少女がいつの間にか居なくなっていることに気付く。
別にそれ自体はどうでも良かったのだが。
「他にやることもねえしなあ」
二階の自室から出て、目の前の階段を降り一階のリビングへ。
入るとすぐに少女が見つかる、別に広くも無い家なので不思議でも無いが。
ただ珍しい光景が広がっていた。
少女がテレビを見ていた。
何かのドラマだろうか、内容を理解しているのかしていないのか、頭とその金色の髪を左右に揺らしながら少女は見入るように画面を見ている。
何か声をかけようかと一瞬悩み、けれど止める。
それは明確な変化だった。ここ数年の中で初めて見た少女の変化。
音を立てずに玄関の扉を開き、外へと出て行く。
朝から眩しいほどに日差しが差しており、絶好の日和だった。
何の気無しに足を動かしていく。目的地は無い、ただぶらぶらと歩くだけの話。
寝ているのと変わらないくらい時間を無駄に過ごしている感覚はあったが、それを勿体無いとは思わなかった。
ただただ平和だな、とだけ思う。別に他意は無い、本心からそう思っている。
ついこの間まで本気で死んだり死に掛けたり、殺したり殺されたりの日々だったのだ。
それを考えれば恐ろしくゆったりとした時間が流れていると思う。
とは言っても、本当はこれで全部解決だなんてこと無いのは知っている。
考えるべきことがまだ多くあるのは知っている。
自身の意思の有無に関わらず、これから起こるべくして起こるだろう騒動に巻き込まれていくだろうことも理解している。
ただ今ぐらい、この平和な時間を過ごす贅沢も許されるだろう。
それは結局、勝ち取ったものだけに与えられる特権なのだから。
* * *
気まぐれに歩いていると、いつの間にかビジネス街のほうに来ていた。
ここまで約一時間と言ったところか。確かにそこそこの距離はあるが、それ以上に回り道が多かっただけにそれなりに時間がかかっている。
折角ビジネス街にまでやってきたのならば、大型デパートにでも寄っていくか、とようやく目的地を設定する。
比較的駅に近づけるように建てられているので、程なくして目的のデパートにたどり着く。
一階は食料品、薬局、フードコートなどがあり、二階には服飾、家具など、三階が玩具やゲーム、他にも携帯ショップなど。屋上にはレジャー施設もある。
品揃えも悪くなく、割となんでも揃うのだが、住宅街から見るとやや遠いのも事実であり、やってくる客数の半分くらいは北のほうの隣町から来ている。
「さてと…………どうするかねえ」
目的地に設定してみたはいいが、別に欲しいものも必要なものも無いので、特に用事も無い。
まあその辺りをぶらぶらとしていればいいか、とまずは一階から歩いてみることにする。
と、食料品売り場の一角に、自身の知っているスイーツショップの名前を見つける。
「ほー…………最近二号店出したって聞いたが、流行ってるんだな」
引退した元デビルバスターの開いた店であり、いつぞやも世話になった相手だけに素直に関心する。
売っているのはパックに詰められた焼き菓子やシフォンケーキなど。
土産に買っていくのもいいか、と思いながらそちらに歩いていると、ふと視界の端に男が二人映る。
良く見れば行く先のスイーツショップの会計の列に並んでいるらしいのが分かる。
男の片割れはなんと言うか…………紳士風とでも言うのだろうか。
黒のタキシードの上下に、何故かシルクハットを被っている。割と細身でありながらそれなりに高身長であり、全体的に細く見えるのが印象的だった。
もう一人の男は黒い男とは対称的に赤いコートのようなものを着ていた。黒の男を超える身長とその身長に負けないほどのがっしりとした筋肉質な体つきをしており、老年の一歩手前とでも言うべき成熟した雰囲気が伝わってくる。
とりあえず言いたいことは一つ。
「…………何やってんだこの
呟きと共に、とび蹴りで