有栖とアリス   作:水代

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怪物と神霊

 

 魔人ヴラドの強さとは、つまるところ、単純な肉体と魔力の強さである。

 一応自身の伝承から生じた概念を魔法と化したスキルをいくつか持つが、けれどそれはヴラド自身、それが決して切り札と呼ぶほどのものではないことは理解している。

 魔人ヴラドの強さとは、他を圧倒する基礎能力の高さ。

 そして生成した異界によって、全てのバフを重ねがけした上で、その能力を倍化させることにある。

 

 異界“ワラキアの夜”

 

 満月の浮かぶ紅闇の夜の世界。

 吸血鬼の力を最大限に発揮できる、魔人ヴラドの領域。

 

 強大な力、だが異界は本来それほど一方的に都合が良いものではない。

 つまり、代償を持つ。

 

 火炎属性に対する強烈な弱体化。

 特に、太陽神の権能による浄火など受けてしまえば、一撃で即死してしまうほどの強烈なデメリットを代償にそれだけの力を得ている。

 

 故にその異界を、理を塗り替えられてしまえば、途端に弱体化する。

 

 確かに強大な悪魔ではある、だがそれはあくまで強敵、と言う程度でしかない。

 異界の影響下にあった時では最早勝負にすらなかっただろうが、そこまで弱体化してしまえば勝ち目だって見いだせる。

 その上で、自身の理を強いた、つまり、異界を生み出す。

 

 異界“MY WORLD”

 

 アリスの心の奥底より引き出されたアリスの理。

 生み出されたのはまさしく童話の世界。

 

 だから、勝敗はその時点で決まっていた。

 

 それでも勝負になっていたのは、アリスの異界がアリス自身を強化するものでなかったことと、そしてヴラドがそれだけ強大だった証左でもある。

 けれど、それでも、勝負の趨勢は変わらない。

 

 有栖とアリスは勝負に勝ち、そしてヴラドは負ける。

 

 そんなこと、ヴラドにすら分かっていた。

 そも、単純な総合的な力の比べあいをすれば、ヴラドは同じ騒乱絵札の王に劣る。

 それでもヴラドが最強だったのは、最凶だったのは、理を塗りつぶし、自分自身に常に有利な状況となる異界を生み出す力、つまり大罪悪魔としての特性を持っていたからである。

 

 だからヴラドは最初からこうするつもりだった。

 

 そもそも魔人ヴラドは戦士であって騎士ではない。

 竜の騎士を率いる将ではあって、けれど今はもう人ですらない。

 

 正々堂々、なんて言葉はただの傲慢だ。

 

 勝たなければ意味が無い、そのための手段なら、いくらでも講じようではないか。

 

 最初からヴラドの目には有栖など映ってはいない。そも、他者も、自分自身すらも映ってはいない。

 

 森羅万象一切合切、何もかもを、神を殺すためだけに費やす怪物。

 

 だから、読みきれなかった有栖が甘いのであり。

 

 講じきったヴラドが一枚上手だった、それだけの話である。

 

 

 * * *

 

 

 全て同時だったと言える。

 

 葛葉朔良がその場にたどり着いたのは。

 門倉悠希、そして上月詩織、それから葛葉ナトリがその場にたどり着いたのは。

 

 そして、在月有栖が死んだのは。

 

 全て、同時だった。

 

 

「………………………………あ、ああ」

 漏らした声は誰のものだったか。

 どさり、と崩れ落ち、ぴくりとも動かない少年の姿に、誰もが絶句する。

 

 例えばの話。

 

 葛葉朔良と在月有栖が戦えば、在月有栖が勝つ。

 単純に言って、サマナータイプとして在月有栖は現状の葛葉朔良の完全なる上位互換だ。

 だからどう足掻いても勝てない。

 

 葛葉ナトリと在月有栖が戦えば、在月有栖が勝つ。

 手数の差、と言うのもあるし、相性の差、と言うのもある。とにかく百回やって百回、有栖が勝つだろう。

 そこに門倉悠希が加わっても何も変わらない。

 

 河野和泉と在月有栖が戦えば、在月有栖が勝つ。

 レベル差で言えば、ほぼ互角、だが在月有栖の恐ろしさが、河野和泉には無い。

 だから、何度やろうと、有栖が勝つ。

 

 だから、誰もが絶句していた。

 

 在月有栖が死んでいた。

 誰が見てもはっきりと分かる、驚きの表情で目を見開いたまま事切れる少年のその姿に。

 在月有栖が死ぬ、そのあまりにも現実味の無い光景に。

 いや、門倉悠希だけはかつて一度だけ似た経験があった、だがそれでも、違うのだ。

 あの時はまだ息があった、消え行く温もりをなくしたくなくて懸命になれた。

 けれど今回は違う、すでに火は消え去った、残ったのは温もりをなくした冷たい躯だけである。

 

 だから、動いたのは少女だった。

 

「かえして」

 

 最初は、呟き、そして。

 

「それは、わたしのだから、かえして!」

 

 自身が持つ最大威力である黒紫色をした破滅の光を、惜しげもなく放った。

 

 けれど。

 

「く、あは、あはははははは」

 

 片手をかざす、それだけで。

 あっさりと、光が消し去った。

 そしてサマナーの存在無く全力を振り絞った少女の姿が崩れ落ちていく。

 

「かはっ、かはははははははは、あははははははははははははは」

 

 怪物が笑う。

 

 そうして。

 

 変化する。

 

「……………………なんだよこれ」

 悠希の呟く声に、力は無い。

 当たり前だ、門倉悠希はかつてここまで圧倒的なものを見たことが無い。

 魔人ヒトキリ、あれが悠希の知る最強だったのだ、それをはるかに超える化け物など、完全に悠希の理解の外である。

 

「オオォォォォォォォォォ!!!」

 

 怪物が、その身を変化させていく。

 人間大だったその体が、ぼこぼこと膨れ上がり、あっという間に全長十メートルは越すだろう巨体へと育つ。

 辛うじて人の形をしていると分かるが、最早その外観は完全に異形のそれである。

 膨れ上がり隆起した腕、足、胴、首、顔はびくびくと痙攣を起し、その表皮には文字の連なりにも似た文様が体をぐるりと回るように描かれていた。まるで肉の塊を黒い帯で全身をグルグル巻きにしたようなその姿は、見ているだけで吐き気を催す。

 顔らしき部分に目は無く、鼻も無い、糸で縫いとめられたような口、そして頭部から伸びる二本の角が特徴的といえば特徴的だった。

 

 ぶち、と何かが千切れるような音がする。

 

 音の出所を探せば、それは、怪物の口元。その醜悪な口を縫いとめる糸が一本、切れていた。

 

 ぶちん、ぶちん、ぶちん、立て続けに糸が切れていき。

 

 ぶちん、最後に一本が切れる。

 

 そして。

 

 その醜悪な口が開かれると同時に。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 怪物の咆哮が轟く。

 

 瞬間。

 

 ぞくり、とその場にいた全員の背筋に寒気が走る。

 

 死、その気配がはっきりと感じ取れた。

 このまま座して待てば、死が訪れる。

 その予感だけが、彼らを突き動かす。

 

 そうして絶望が始まった。

 

 

 * * *

 

 

 落ちていく、どこまでも。

 

 深い、深い、闇の底へと。

 

 落ちていく。

 

 死。

 

 そう、死だ。

 

 在月有栖は死んだ。

 

 それだけが事実だ。

 死んだ人間は蘇らない。

 神代の時代よりの不変の理。

 それを覆すことの出来る存在など、神以外に存在はしない。

 

 だから、在月有栖はここで終わる。

 

 それが、定められた理。

 

 

 その、はずなのに。

 

 

 手を伸ばす。

 

 けれど虚空を切る。

 当たり前だ、死出の旅路、共にいる者などあろうはずも無い。

 

 それでも、手を伸ばす。

 

 届かない先へと。

 その先に、誰かがいると信じて。

 

 手を伸ばす。

 

 その手を、一体誰に取っ手欲しかったのだろうか。

 有栖には分からない。思い出せない、思考することすら出来ない。

 それでも、手を伸ばす。

 

 何も考えなくとも、何も覚えずとも。

 

 魂に刻みついた契約は決して途切れないから。

 

 死が二人を別つとも。

 

 繋いだ手は、結んだ指は、決して切れたりしない。

 

 だから二人は。

 

「有栖」

 

 また会えるのだ。

 

「アリス」

 

 伸ばした手が…………掴まれた。

 

 

 * * *

 

 

 ノーライフキング。

 不死なる者どもの王。

 不死なる王。

 

 魔人ヴラド(ドラキュラ)の慣れの果て。

 

 それが、怪物の名である。

 

 

 ()()ノーライフキング。

 

 

 文字通り、四文字の生死の権能を持った、最悪の怪物。 

 

 生かすは我也、殺すは我也。

 

 だから、それに歯向かう彼らの運命はすでに決定されている。

 

 ――――ダンスマカブル

 

 怪物が咆哮を上げると同時に、その場にいた全員が崩れ落ちる。

 

 簡単に言えば、イメージを植えつける、そう言う精神に作用する魔法である。

 

 死、死、死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

 

 強烈で、凶悪で、鮮烈な死のイメージ。

 

 脆弱な人間の精神がそれに耐えられるはずも無い。

 

「ぐ、が………………く」

「………………っ…………ゆ…………き…………」

 

 本来ならば。

 葛葉と言う異能の里で、人外と戦う術を叩き込まれた彼女たち二人だけが、辛うじて生き残る。

 けれど、残りを二人はすでに息絶えた。

 

 そう。

 

 あっさりと。

 

 門倉悠希と、上月詩織が。

 

 死んだ。

 

 

 ぞくり、とナトリと朔良の背筋を震わす悪寒。

 それは最初に感じたものと同質であり。

 

 そして最初よりも強い予感。

 

 近づいている、と言う確信。

 

 もうすぐやってくる。

 

 死が。

 

 

 震える体を、けれど無理矢理に起す。

 視界の端に倒れる二人。

「………………………………っく」

 思わず歯噛みする。

 

 守れなかった、また、護れなかった!!!

 

 先ほどまで憧れていた人と一緒だっただけに、余計にその差を思い知らされる。

 けれど彼は今は居ない。

 巻き込まれた民間人を探すためにまた動き出した。

 最終的にはここにもやってくるだろうが、それがいつかは分からないし。

 

 そのいつかがやってくる頃には、葛葉朔良は死んでいるだろう。

 

 今日二度目の死の予感。

 

 否、最早予感などではない。

 確信だ。

 

 明確なまでの死を刻み付けられただけに、余計にそれを実感する。

 

 怖い、そんな感情を初めて明確に抱いた。

 手が、足が、体が震える。

 

 召喚した仲魔十体、その全てが最初の一撃で殺し尽くされた。

 

 当たり前だが、仲魔を復活させるためのアイテムなども持っている。先ほどの破壊神との戦いでは、そんな隙を見せれば一撃で殺される状況だったので使えなかったが、他に仲間もいる現状なら使える…………はずだった。

 

 死神に狩られた魂が戻るはずも無い。

 

 どんな道具を使おうと、魔法を使おうと、仲魔たちの誰一人として復活することは無かった。

 つまり、この戦闘中、葛葉朔良は完全に無力化された。

 その上で、護らなければならなかった二人の人間…………有栖の友人も殺された。

 そして…………有栖自身も。

 

「………………………………っ」

 

 明確に、力が欲しいと願ったのは初めてだ。

 いつか強くなる、いつかライドウに為る、そんな曖昧な願いで戦ってきた代償なのだろうか。

 何もかも失くし、そうしてようやく本当の熱が生まれる。

 

 欲しい、強さが、力が。

 

 熱い、熱い、煮え滾るマグマのような熱く強い意思。

 

 けれど、踏みにじられる。

 

 神霊、と言う名の。

 

 正真正銘の怪物によって。

 

 そんなちっぽけな願いは。

 

 あっさりと、踏みにじられるのだ。

 

「…………ここまで、ね」

 

 呟き、そして。

 

 腹部に感じる熱。

 

 あっさりと、あまりにもあっけなく。

 

 地より這い出た杭によって。

 

 葛葉朔良の命は、散った。

 

 

 * * *

 

 

 そこは教会だった。

 西洋に良くある、ステンドグラスの窓に、神の子の磔られた十字架を模したオブジェ。

 聖堂には長椅子が並べられ、けれどそこに座る者はたった二人だけだ。

 

 一人の少年と、一人の少女。

 

「これが、根源」

「有栖の」

「アリスの」

 

 心の奥底。

 

「けいやくはりこうされるよ」

 それは契約。

 生と死によって繋がれた契約。

「有栖はしんだから」

 在月有栖と言う少年は死んだのだから。

「だから」

 

 そう、だから。

 

「死んでくれる?」

 

 それもまた始まりの言葉。

 篠月有栖でなく、在月有栖とアリスと言う少女の始まり。

 

「……………………俺は」

 

 知っている、契約は絶対である。

 在月有栖は死んだ。ならばその死後を渡さねばならない。

 そんなこと知っていた。

 だとすれば、どうしてこんなにも言葉に詰まるのか。

 

 簡単だ、後悔を残しているから。

 

「俺はまだ…………何一つ決められちゃいない」

 

 思えば、自分で何かを決めたことなど無かった。

 生前は兄に従って生きてきた。この世界に生まれてからは、その場その場をしのぎながら他人の都合に振り回されてきた。

 有栖が決断したことなど、何一つ無い。

 

「お前との契約を除けば、な」

 

 あの日、アリスと契ったこと、それだけは有栖の決断だった。

 だから、もう一度、決める必要がある。

 

 何もかも捨ててアリスと共に、死に惑うか。

 

 何もかも拾い上げもう一度、生に苦しむか。

 

 決断する。

 

 その答えを紡ごうと口を開き。

 

 塞がれる。

 

 アリスの唇で。

 

「……………………は?」

 

 思わず呆然とする有栖に、アリスが笑う。

 

「ふふ、あのね、わたしほしいものがあるんだ」

 

 そうしてその首に抱擁するように絡み。

 

 耳元で呟く。

 

「だから、おちて? 有栖」

 

 そして世界は崩れ行く。

 

 


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