* 五月十一日土曜日 *
「あら…………見つかっちゃった」
屋上に一歩足を踏み入れた俺を待っていたのは、異様だった。
濃い。空間に撒き散らされたマグネタイトの濃度がここだけ一際濃い。
「お前が呼んだんだろ」
歌。そう、歌に導かれ俺たちはここにやってきた。
呼んだのは少女だ、自身の視線の先で佇むこの少女が自身たちをここに呼んだ。
「俺たちと来ないか?」
一歩、足を踏み出し、少女を見据え、尋ねる。
その言葉に、少女の瞳が揺れる、揺れている。
その反応で、何となく、理解した。
少女はすでに理解していたのだと。
いくらトモダチを作ろうと満たされることの無い空虚感の意味。
ただの悪魔ならそんなもの抱かなかったかもしれない。
恐らく少女を
「寂しい、よな」
呟いた言葉に、少女がぴくり、と反応した。
「虚しいよな」
きゅっと、唇を固く結び、何かを堪えるかのように、少女が俯く。
「死んだ人間をいくら操ろうと…………それはただの人形だ、
恐らく、だが…………この少女がこうなったのはそれほど昔のことではないのだろうと予測する。
出なければもっと早く破綻していただろうから。
少女を生み出した悪魔たちがいくつの次元を超え、いくつの魂の欠片を集めたのかは知らないが。
なまじ力が増しただけに気付いたのだろう、理解したのだろう、分かってしまったのだろう。
人間だった頃の感情と言うのを、僅かなりとも思い出してしまったのだろう。
かつて少女が完全だった頃に、それでも耐え切れず捨ててしまったそれを、目の前の少女は自らの欠片を取り戻すことで僅かなりとも取り戻してしまった。
彼女を生み出した悪魔たちがどれほど頑張ろうと、けれど意味は無いのだ。
何せ、彼女が耐え切れなかったその原因が何も解決されていないのだから。
目の前の少女は、このままでは遠からず破綻する。
それを、少女自身は理解していて。
そして彼女を生み出した悪魔たちは理解できない。
どれほど人を…………少女を慈しもうと。
一歩。足を踏み出す。少女が動かない。
「一緒に行こう」
さらに一歩。
「俺たちと一緒に」
そうして。
「迎えに来た、これからはずっと一緒だ」
その手を取った。
――――――――瞬間。
パリン、とガラスが割れるような音がして。
少女が砕け散った。
* * *
ビルの屋上から見える空は、地上で見えるそれよりもはるかに近い。
手を伸ばせば届きそうで、けれど届かないそれは、遥か昔から人が焦がれてきた決して届かないはずの領域だった。
そう、だった。過去形だ。人は空を飛ぶ、飛行機と言う機械の力を使い、ついに大空と言う届くはずの無かった世界へと羽ばたいた。
それはかつての人の見果てぬ夢の一つ。
闇に覆われた夜の空に手を伸ばす。
夕暮れ時を過ぎた新月の空は墨を塗りたくったような黒に染まっている。こんな都会では星すら見えないほど地上は明かりに満ち溢れている。
「お前は…………ここから何を見ていたんだろうな」
手の中にあるソレを一瞥し、そうして誰にとも無く呟く。
水晶、と言った感じだろうか、見た目だけならば。
よく見れば半透明なその内側に炎のようなものが渦巻いているのが見える。
魔晶。
そう呼ばれる物の一つ。
それは文字通り、悪魔の力の結晶。
砕け散った
これは少女の思いの欠片。篭められた思いは、寂しさ。そして充足感。
どうやら最後の最後、俺たちは間に合ったらしい。
兆候はあった。
アリスにとってトモダチであるはずの死人たちを捨てるような真似をしていたのもそうだし。
それを倒した俺たちに何の憤りも見せなかったこともそう。
俺がアリスと契約をしたあの日のことを未だに覚えている。
あの時、アリスは両親の遺体を取り戻そうとした俺の行為に、激しく抵抗を示した。
つまり、あのゾンビどもをトモダチを思っているアリスにとって、それが通常の反応なのだ。
だからこそ、比較すれば一目瞭然だ。
あの少女は、最早死人たちをトモダチだと認識してしない。
その理由を考えてみればすぐに分かる。
何らかの理由でそれをトモダチとは思えなくなってしまった。
まるで人間のような感性だ。とても悪魔のものじゃない。
だからきっと、人間のような感性を取り戻したのだろう、そんな予測。
だから鎌をかけてみた。
『俺たちと来ないか?』
と。
あの時、少女の瞳は揺れていた。
迷っていた。
少なくとも、即断できない理由があった。
まあだからと言って俺の予想が絶対に当たっているなんて勘違いは起してはいないが。
だから、後は賭けだ。
もしかしたら、俯いて泣いているフリをして、近づいた俺を殺す可能性もあったかもしれない。
可能性、可能性の話。
けれど、どうしてか、確信があった。
大丈夫だ、と言う確信。
どうしてかは分からない、アリスと長年暮らしてたから? それとも、何か別の理由があったのか。
もしかすればただの気のせいだったのかもしれない。
それでも俺は、賭けに勝った。
なんて言うと、打算だらけのようにも聞こえるが…………。
「結局、放っておけなかっただけなんだろうな」
「…………なにが?」
呟いた独り言に返ってくる言葉。別に返事を期待したわけでもないが、それでも何となくいるだろう予想はついていた。
「あいつも結局、お前だ。アリスは
アリスはアリス、元が同じ存在なのだ、今俺の後ろにいる少女と先ほどまで目の前にいた少女が全く同じだとは言わないが、それでも突き詰めれば同じアリスなのだ。
「…………やっぱ、見捨てれねえよ」
俺の半身と同じ顔で同じ姿で同じ魂のやつが顔を伏せっているのだ。それを見過ごすのは俺には無理だった。
「ふーん」
そんな俺の言葉に、どこか不満げな様子のアリスが俺の背へとしなだれかかってくる。
「ねえ、有栖?」
ふいに耳元で囁かれる言葉。
「わすれないでね? 有栖とけーやくしたのは、わたしなんだから」
どこか感情的な声で、そう呟いたアリスに目を丸くする。
「だからね、有栖」
ぎゅっと、背から首へと回された手に強く抱きしめられる。
「ダメだよ? かってにしんだら」
そうして、その言葉に篭められた感情にようやく気付く。
「有栖は…………わたしのなんだから」
嫉妬だった。
* * *
「初めまして」
言いたいことだけ言ってCOMPの中へと戻っていったアリスと入れ替わりになるように、ぬらり、とその男が影のようにそこに現れた。
「…………ああ、あんたがネビロスか」
「いかにも」
黒いシルクハットの紳士風の男がペコリとお辞儀をする。
いかにもサマになっているその風体だが、けれど目の前の男が強大な悪魔であることには変わり無い。
油断だけはしないよう、いつでも戦闘に入れる体勢を作っていた、その時。
「我らをキミの仲魔にしてもらえないだろうか」
発せられた言葉に、思考が止まった。
「…………どういうつもりだ?」
怪訝げに尋ねる俺の言葉に、男…………堕天使ネビロスが心外だ、と言わんばかりに肩をすくめる。
「それほど不思議かね? 私たちが長年この場所にいたのはアリスを匿うためだ。そのアリスがキミと共に行くと決めたのなら、私たちにこの地に留まる理由も無い」
「俺と共に来る理由は?」
「アリスが心配だから、ではダメかね?」
自身が助けた子が心配だ、確かに不思議な理由でもない。
「ああ、不自然だな」
「まあ別に心配だって言うその思いそのものが嘘だとは言わねえよ」
そこまで親身になれなければ、そもそもアリスなんて悪魔は生まれていなかっただろうから。
だからこそ、そこは別におかしいとは思わない。
では、何がおかしいのか。
「悪魔が自分から契約を求めるのが何よりも不自然なんだよ」
そして、何よりも。
「俺と契約することに何の利がある?」
それが一番引っかかる部分だ。
ただアリスが心配だと言うのなら、適当な監視でも置けばそれだけでも良いし。
今まで自分たちが顕現するだけのマグネタイトに加え、さらにアリスの分まで集めていたのだ、アリスを俺が引き取った分、余裕は出るはずなので、強さを発揮することができないと言うことも無い。
悪魔がサマナーと契約する最も分かりやすい理由は、強くなるため、だが俺はそこそこのレベルのサマナーではあるが、ベリアル、ネビロスと言った強大な悪魔と契約できるほど強いわけでもない。
つまり、何の利も無いのだ、この強大な悪魔が俺と契約しても。
俺にとっては利だらけである、だがそれだけで契約を交わすほどようなやつはただの馬鹿だ、そんなやつがいるならサマナーどころか、デビルバスター辞めてしまったほうが良い。
悪魔なんて基本的に信用も信頼もしてはならない存在なのだから。
話を額面通りに受け取っていれば、良い様に踊らされて食い物にされるのがオチ、それが悪魔と言う存在なのだから。
「はっきり言おうか、俺はお前らが信用ならない。お前らが何考えているのか分からないし、お前らが何を企んでいるのかも分からない。けどどう考えても何か腹に一物抱えている俺には制御できない悪魔…………そんなやつと契約なんてできるはずないだろ?」
こちらの制御を容易く食い破り、いつでも俺を殺すことのできる、信用できない仲魔。
そんなものただの邪魔でしかない。
俺の言葉に、男が一瞬言葉を止め…………やがて観念したかのように口を開いた。
「端的に言おう…………私たちは、キミが信用ならない」
そう言って、その空虚な瞳をこちらへと向けてくる。
人に化けているとは言え、元は悪魔、そこには何の感情も浮かんではいない。
「アリスはキミを選んだ、私たちは彼女の意思を尊重しよう。それを否定はしたりしない。だが本当にキミに任せて大丈夫なのか、分からない」
「もし、俺がアリスを従えるのに相応しくないのなら?」
「その時は…………いかなる手段を用いても、
その瞳に、ようやく浮かんできた感情は、怒り。
もし相応しくないのならば、殺す…………そんな意味を篭めて睨み付けて来るネビロスの視線に。
「っは、やってみろ、老いぼれども」
にぃ、と嗤って返した。
* * *
魔人 “■■■■■■”アリス
LV90 HP1360/1360 MP1270/1270
力85 魔115 体79 速91 運103
耐性:火炎、氷結、電撃、衝撃、万能
無効:破魔
吸収:呪殺
エナジードレイン ■■■■ 万魔の煌き ■■■■
メギドラオン コンセントレイト ■■■■■■■ 守護者召喚
備考:ファイの時報 補助スキル効果の効果時間を1ターン増加する
万魔の煌き 魔力属性魔法
守護者召喚 魔王ベリアル、堕天使ネビロスを召喚する
「…………なんじゃこりゃ」
廃ビルから戻るころにはすっかり夜遅くなっていたせいで、結局ホテルで一泊したその翌日。
駅前にあるこじんまりとしたホテルの一室で。
早速アリスのステータスをアナライズした俺の、第一声がそれだった。
大きな魂の欠片を吸収したことで、強くなっていると言う確信はあったのだが…………何と言うか、予想以上だった、色々な意味で。
レベルの上昇、ステータス値の向上、耐性の変化、この辺まではまだ予想の範囲内だったのだが。
「スキルがかなり変わってるな」
吸収以前と同じスキルが三つしかない。しかも、変わった五つのスキルのうち三つが。
「表示されてないぞ? 文字化けしてる?」
どういうことかは分からないが、COMPに表示すらされていなかった。
万魔の煌き…………魔力属性などと言う属性、聞いたことすらない。ということは恐らく、この世界には存在しない属性、と言うことなのだろう。そして守護者召喚…………昨日契約したあの二体、とてもじゃないが俺が使えるレベルの悪魔ではなかったが、アリスが呼び出す形にすることによって、召喚できるらしい。
サバトマ、と言う魔法がある、簡単に言うと、サマナーの代わりに、仲魔が仲魔を召喚する魔法だが、恐らくこれはその亜種と言ったところだろう。
呼び出されたあの二体がどれほどのスペックで動けるかは分からないが、元々のスペックが高いだけに、多少弱体化していても期待はできる。
戦力、と言う意味ならばこの時点で大分集まっている。そもそもレベル90の仲魔など世界中で片手で数えるほどしか存在していないほどの超戦力だ。少なくとも、過日の様にジョーカーに一方的に負ける、と言うことは無くなっただろう。
だが、それよりも。
「なんだこれ…………どうなってんだ」
文字化けしたスキルを見る。三つ、三つだ。八つしかないスキル枠のうち、三つが文字化けしている。
「アリス…………これ、何が使えるのか分かるか?」
傍にいたアリスにそう尋ねてみる。
ふるふると首を振るアリスに、頭が痛くなってくる。
「なんだこれ…………大丈夫なのか?」
アナライズできない、そんなものが存在するとは思わなかった。
どんなスキルかは分からない、だがCOMPが識別できない…………別世界の魔法すらも識別し、読み取り、言語化したCOMPが、文字化けし、言語化できてしないスキル。
可能性としては二つ。
一つは、潜在的に使えるだけで、まだ使用可能な段階まで覚醒していない場合。
だとすれば、しばらく今のアリスの性能を慣らせば表示されるようになるかもしれない。
そして、もう一つは。
COMPが読み取ることすらできないほど強大なスキル。
そんなものが本当に存在するのかは分からないが…………。
「……………………なるようにしか、ならねえか」
結局、世の中なんてそんなものなのだ。
自分に嫉妬するアリスちゃん、かわゆい(断言