* 五月十一日土曜日 *
「ランタン!」
「マハラギオンだホ!」
ランタンの放つ火炎に飲み込まれ、ゾンビの群れが一掃される。
「アリス」
「メギドラ」
残ったゾンビたちもアリスの魔法で吹き飛ばされ。
そしてすぐに次が来る。
「走れ」
仲魔たちを引き連れ、薄暗い廊下を疾走する。
薄汚れた埃まみれの廊下に、はっきりと残る靴跡を辿る。
建てられた当時のまま、一切手を付けられていない廃ビルは、けれど二体の悪魔の引き起こす異界化によって、その内部構造はまさしく迷宮と化していた。
そんな迷路には
そんな中を走った。
だって俺は。
鬼ごっこの、鬼なのだから。
* * *
廃ビルに一歩踏み入れた時。
一瞬俺は、五、六年ほど時間を遡ったかのような錯覚に陥った。
廃ビルの玄関を抜け、そして正面ロビー。
そこにいたのは一人の少女。
そして無数の
「あら?」
赤と黒、二つの人形を抱いた少女は、入ってきた俺を一瞥し、首を傾げた。
「お兄さんだあれ?」
金の髪の少女はそう言って、笑みを浮かべる。
「有栖…………俺は、有栖」
そう告げると、きょとん、と少女が目を丸くし、そして微笑んだ。
「あら、奇遇ね、私もアリスって言うの」
「知ってる」
そう返すと、少女がまた目を丸くし。
「ふふ、お兄さん面白いヒトね」
そう言って笑う少女を他所に、俺はCOMPを操作する。
SUMMON
呼び出された悪魔は…………目の前の少女と瓜二つ。
さすがにこれには少女も驚いたようだった。
俺が呼び出したアリスは目の前にいるもう一人の自分に向って笑いかける。
「ねえ、
「アリス、お前を迎えに来た」
そうして。
「いっしょにいきましょう?」
「一緒に来い」
そんな俺たちの言葉に。
「どうしようかなあ」
少し悩んだ風の少女。そうして数秒考え、くるり、と身を翻して。
「なら、鬼ごっこしましょう。お兄さんと
少女が笑う、哂う、嗤う。いっそ残酷なほどに、凶悪に、悪魔の笑みを浮かべ。
「捕まえられなかったら私の勝ち、その時は」
そしてこう言う。
「死んでくれる?」
瞬間、少女の周囲にいた死人の群れが動きだす、明らかにこちらへと襲いかかってくる。
かくして、互いの命を賭けた鬼ごっこが始まった。
* * *
「どんだけ殺してんだこいつら!!」
倒しても倒して沸いてくる
ジャックランタンで焼き払い、アリスで滅する。
そうしてもう軽く百程度は倒したはずだが、それでも死人たちはどこからとも無く次から次へと沸いてくる。
だいたいこれだけの数、どうやって維持しているのだ?
このビル内の有力な悪魔は恐らく3体。そしてこの死人の群れはその中でも目前を走る少女、アリスの作ったものだろう。
アリス曰くのトモダチ。二度目の邂逅の際も、アリスは死人の群れを連れていた。分かたれたと言えど、元は同じアリスと言う悪魔なのだ。やっていることは確かに良く似ている。
だからこそ、分かる。アリス自身にこれだけの死人を維持するだけのマグネタイトを集めることは不可能だ。
必然的に、どこからか足りないマグネタイトを補っている、つまり。
「…………それが赤おじさんと黒おじさん、ってことか」
いつからアリスたちがこの六本木に居たのかは知らない。だが、ゆっくりと、静かに、そして密かに潜み続け。
そうしていつの間にかこれだけの数の死人を作っていたと言う事実に驚愕する。
恐らく、ここ一年二年と言うことは無いだろう。
確かに日本だけで見ても毎年行方不明になっている人間と言うのは多くいる。
世界規模となればもっとだ。あの魔王たちがどこまで動けるのかは分からないが、ここ東京都内だけで見ても毎年何人何十人といる。毎月一人か二人、気付かれない程度に人間を喰らっていても、ほとんどの人間はそもそも気にもしない、ましてや気付くはずも無い。
行方不明と家出の区別は難しい。財布や携帯、と言った必需品が残っているならともかく、それが無いのなら警察は余程の証拠が無い限り事件性無しとしてまともに相手にされない。
そして警察はある意味ヤタガラスの尖兵である。警察のほうで不可解とされるケースの事件がヤタガラスに回され、そこで悪魔が関連しているかの調査が始めて入る以上、警察が動かなければ、例え悪魔が関係していたとしてもほとんどの場合、気付かれることが無い。
だから悪魔が現代に潜むのは意外と難しくないのだ、ただし書きで、知恵があり理性が働くのなら、と言う一文が付くが。
大抵の悪魔はこれが満たせない。
何せ悪魔にとって人間とは
本能のままに暴れまわり、そして多少の知恵をつけたところでそれは狡猾になるだけで、悪知恵でしかない。
姿形を隠したところで、同じ場所で何人もの人間が居なくなればそれはすぐに異常として察知される。
知恵をつけた悪魔のほとんどがここに当てはまる。
だからこそ、油断ならないのだ。
人の社会を乱さず、壊さず、ひっそりと生きている悪魔。
それは理性が働いている証左でもある。
それは人の社会に溶け込んでいる証でもある。
一度紛れ込まれてしまってはそれを見つけるのは難しい。
そして排除するのはもっと難しい。
テリトリーに触れない間は見つけることすら難しい。
何故なら理性を働かせ、領分を守っているから。
そしてだからこそ、その領分を侵せば、テリトリーの中で砥いだ牙を向けて襲い掛かってくる。
そしてそう言う悪魔は大抵強い。はっきとして個があるほどの強大な悪魔なことが多い。
そう言う意味ではこのビルの二体はとびっきりだろう。
何せ。
「魔王ベリアルに堕天使ネビロスね」
どちらもこの業界ではビッグネーム。特にベリアルなど、並どころか、ほとんどのサマナーは一生かかってもお目にかかることは無いだろう。
「ランタン」
「マハラギオンだホー!」
視界内の残った最後の死人を燃やし尽くすと、大分遠くに行ってしまった少女を追いかける。
そうして少し走ってすぐに気付く。
「出なくなったな死体ども」
死人たちが出てこなくなった。それ故に、少しずつだが少女へと追いついてくる。
本来の悪魔の力を発揮すればすぐに引き離すこともできるだろうに、あくまで人間レベルでの動きしか行わない少女、だとすれば普通に走っても歩幅の問題で自身のほうが速いのは自明の理である。
本気を出さないのは恐らく、これが少女曰くの“鬼ごっこ”だからだろう。
だからこそ、付け入る隙はある。
一段ギアを上げる。
こちらはこちらで、死人たちのせいで全力疾走はできなかったが、それも最早無くなった。
レベルの高いデビルバスターは常人離れした動きができるが、自分だって相応のレベルのサマナーだ。
仲魔を使わない前衛タイプのデビルバスターたちには劣っても、並の人間をぶっちぎる程度の速度は出せる。
ぐんぐんと詰まる差、少女が振り返り、目を丸くする。
そうして笑って。
すぐ傍にあったビルの一室へと姿を消す。
「逃すかよ」
すぐ様その後を追って、部屋の扉を開き…………。
「なっ!?」
思わず足を止め、目を見開く。
部屋には何も無かった。剥き出しのコンクリートに覆われた何も無い部屋。
視界の先にいたはずの少女は忽然と姿を消し、どこにも見当たらない。
「異界だから空間が歪んでるのか?」
一つ言えることは、これで少女を完全に見失った。
「くそっ」
思わず毒づき、そうして隣でアリスが首を傾げている事に気付く。
「さまなー…………まだ、居るよ?」
「なに?」
俺が疑問符を浮かべた次の瞬間。
「ふふ…………見つかっちゃった」
ぬるり、と空間から溶け出すように、少女が姿を現す。
「ふふ、楽しかったわ、お兄さん」
少女、アリスがにこにこと笑いながら言う。
「じゃあ」
一緒に来てくれ、そう言おうとして。
「次はかくれんぼね。私とっても得意なのよ?」
俺の台詞を遮るように、少し得意げな表情で、少女が告げる。
「じゃあ、十数えたら探してね」
そう言って、少女が部屋から出て行こうとして、直前、立ち止まる。
「ああ、そうそう言い忘れてたわ」
まるで楽しくて仕方ないと言った様子のまま、少女が笑みを貼り付けて。
「こわーい鬼さんたちがお兄さんを探してたから、見つからないようにね?」
そう言い残し、そして部屋から出て行った。
「さて、どうするかな」
部屋に残り、そう呟く。
一つ疑念がある。
「なあアリス」
「なあに?」
「このままかくれんぼに付き合ったとして、本当に満足すると思うか?」
そんな俺の問いに、アリスが珍しく目を丸くする。
そうして噴出すように笑い。
「するわけないじゃない」
そう言って、嗤った。
* * *
空は灰色の雲に覆われている。
太陽は遥か古来より、魔除けの象徴だ。その光は魔を退ける力があるとされ、だからこそ、魑魅魍魎の類と言うのは夜に現れる。
と言っても、今はまだ日が沈むには幾分か早い。灰色の雲の向こう側には眩しいほどに陽光が輝いているのだろう。
「――――――――night」
吹き曝しの屋上はいつも風が強い。夏を前にする今の季節だと、むしろ涼しくて良いのだが、冬に入ればそれはそれは寒いだろうことは簡単に予想できた。
「――――all is bright」
びゅうびゅうと屋上に吹き荒ぶ風に乗って、声が聞こえた。
「Round yon Virgin――――」
それは歌だった。
「――――so tender and mild」
おいで、おいで、と。少女は歌う。
からっぽなビルの屋上で。
一人孤独に。
おいで、おいでと。
少女は歌う。
* * *
「良いのか?」
黒い執事服にシルクハットを被った男が、自身の正面に立つ紅い服を着た巨漢の男へと尋ねる。
黒の男の問いに、赤の巨漢は数秒考え込むかのように押し黙り。
「…………仕方あるまい、お譲ちゃん自身が望んでいるのだから」
搾り出すかのような声で、そう答えた。
「確かに…………あの子をこのままにしておくわけにもいくまいが…………さりとて、本当に託しても良いものか」
黒の男の言葉に、赤の巨漢が一つ頷く。
「だからこそ、試している。もしお嬢ちゃんが拒絶するのなら、その時は」
「良いのか? あの少年、あの御方の…………」
「例えそうだとしても…………我はやるぞ」
「…………ならばもう是非も無い。こちらも付き合おう」
「「全ては
* * *
「よんでる」
ふと、上を見上げながら、アリスがそう呟いた。
「呼んでいる? 誰が?」
「
その視線の先はどこに届いているのか。一つ上の階か、二つ上に階か…………それとも。
「どこにいる?」
「ずっとうえ…………たぶん、いちばんうえ」
アリスのその答えに、僅かに目を細め。
「…………屋上か」
すぐに動き出した。
最早廃ビルの中にこちらを邪魔する存在は居ない。
さすがにエレベーターなんてものは無いが、それでも階段を使えば良い。
無言で黙々と階段を進む。その中で気にかかることがあった。
死人たちのことである。
アリスにとって、死人とはトモダチである。
少なくとも、俺の知るアリスはそうだった。そして同じ存在である以上、このビルの主である少女もそうなのだろうことは予測がつく。
だからこそ、理解できない。このアソビで、どれだけのトモダチをすり減らしたのか。
最早一人も居なくなったトモダチと、それらを焼き殺してきた俺たち。
そんな俺たち相手に、少女が一体何を考えているのか、理解できない。
死んでくれる?
いつかも聞いた言葉である、それは俺とアリスの契約の始まり。
次に聞くのはきっと、契約が果たされるその時だと思っていたが、思わぬところで聞くことになったものである。
そう尋ねると言うことは、少女の孤独は埋められていない。少女はさらなるトモダチを欲している。
だと言うのに、今ある
「どういうことだと思う? アリス」
だから、本人に聞いてみることにした。
「さあ?」
そんな俺の問いに、アリスが答える。
「わかんないよ」
笑っているな、泣いているような、そんな表情で。
「…………そうか」
そんなアリスの表情に、どうしてか、胸が締め付けられるような錯覚があった。
「…………気のせいだろ」
吐き捨て、そうして記憶の彼方に追いやる。
どうしたの? と言った様子でアリスがこちらを見ている、その表情に先ほどまでの哀愁の色は無い。
「何でもない」
そう、本当に何でもない、ただの戯言、気の迷いだ。
心に秘め、そのまま蓋をし、鍵をつける。
それで何もかも忘れる。
忘れなければならない。
だって。
「着いた」
もう目の前に屋上の扉があるのだから。
アリスに確認を取る、ここか、と。
アリスが頷く、ここだよ、と。
扉の取っ手を掴み、ゆっくりと、扉を開いていく。
「あら…………見つかっちゃった」
楽しそうに、嬉しそうに、愉快そうに。
笑い、哂い、嗤う。