有栖とアリス   作:水代

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有栖と逃亡

 

 

 赤い蛇が咆哮を上げる。

 調子は良い、むしろ良すぎるくらいだ。

 体内の吸血鬼の因子が、空に浮かぶ紅い魔性の月に反応し、この身の上限を超えんほどの力を振り絞っている。

 それに応えるように、自身のペルソナも暴れ狂い、その力は以前に王と戦った時よりも増しているように感じる。

 過去最高の力を発揮している。

 その自覚がある。

 

 だと言うのに。

 

 届かない、届かない、届かない。

 目の前の魔人には届かない。

 

「メギドラオン」

 

 蛇が放つ黒紫色の光も。

 

「メギドラオン」

 

 魔人の放つ同色の光に一方的に打ち消され、そして残った魔人の魔法が着弾。

 こちらの魔法で威力を殺ぎ、万能耐性で耐えているお陰で、なんとか大ダメージを免れているが、それでも並大抵の威力ではないこの魔法をそう何度も耐え切ることは難しいと言わざるを得ない。

 

「神の毒」

 

 サマエルより撒き散らされる毒霧に魔人が飲み込まれる、だが魔人はそれが何の意味も無いと言った様子でニィ、と嗤い。

 

「妬みの暴圧」

「冥界破」

 

 咄嗟に出した必殺の一撃を、けれどあっさりと砕いて黒い波紋が蛇と自身を飲み込む。

「っぐ…………」

 ここまで何度攻撃を喰らい続けてきたかは分からないが、耐えに耐えたこの体も、さすがに限界が近い。

 あと一撃喰らえば膝を突くことになりそうだ。

 

 強過ぎる。

 

 それが正直な感想。

 これまで多くの強敵と戦った経験が和泉にはある。

 中にはこの前の王のような規格外の敵だっていた。

 

 だがそれら強敵との戦いも勝ち抜いてきた。

 絶望的な相手だって生き抜いてきた。

 

 それでも。

 

 これは勝てない、どころか。

 

 対峙した直後から、死ぬ、と確信させれられるのはさすがに初めての経験だった。

 そして実際に戦ってみてその確信が間違いではないと知った。

 

 今、和泉が生きているのは、目の前の化け物が遊んでいるからだ。

 

 子供が玩具で遊ぶように、文字通り、遊んでいるから、遊んでいられるほどの圧倒的な実力差がある。

 全ての面で上を行かれている、そして何一つとして欠点が見えない。

 格下が格上とまともに対峙して勝てるはずがない。

 だからこそ、格下は必死になって格上の隙を探す、付け入る隙を探し、こじ開け、優劣の差を埋めようとする。

 

 だがその隙がまるで無い。

 

 心、技、体全てが完成されつくしており、勝れる部分が何一つとしてない。

 

 だからこれは、最初からどう足掻こうが勝てない戦いだった。

 そして先ほども言ったが、和泉自身そんなことはこの怪物を見た瞬間から理解していた。

 

 それでも良かった、ただ有栖が、自身の最も大切な彼がそれで生きていられるならば。

 もう数分と立っていられない、生きていられない。それくらいに追い詰められている。それが分かっていても逃げられない、少なくとも、彼が…………有栖が起き上がるまでは。

 だから、直後に起こった出来事に、一瞬、思考が止まった。

 

「がああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 暗い夜空の下、叫び声が響いた。

 

 

 

 目を覚ますと同時に、全身を襲う鈍痛を感じた。

 叫びたくなるくらいの痛みを堪えながら、周囲の状況を確認する。

 どうやら気を失ってからそう時間は経っていないらしい。

 まだ生きているが満身創痍と言った様子の和泉と、それを詰まらなそうに見ている魔人。

 正直、和泉だけではない、俺自身も全身ずたぼろだ。たった一撃で耐久の限界まで追い詰められている。

 和泉と違い、俺自身、この化け物相手ではレベルが足りなさ過ぎる。むしろ一撃喰らって生きているのが奇跡的だった。

 ここから打てる手は多く無い、だから考える、最良の一手。

 俺と和泉が生き延びるために一手を。

 けれどいくら考えても、一つしか出てこない。

 

 逃げるしかない。

 

 はっきり言って、現状ではどうやっても勝てない。

 逃げることは何の問題解決にもならないが、少なくともこのままここに居れば俺と和泉が死ぬだけである。

「こい…………フロスト、ランタン」

 

 SUMMON

 

 フロストとランタンを密かに召喚、そして。

「やれ」

「「デビルフュージョンだホ」」

 ジャアクフロストへと合体させる。

 そしてさすがにここに来て気づいたらしい、ジョーカーだったが、もう遅い。

 気絶していた俺に対する警戒の薄さ、そして遊んでいたために注意を散らしていたこと、二つの要因が重なり、たった一度きりの隙を作り出す。

「メギドラオン!!!」

 放たれた、ランタンから継承された核熱属性の魔法がジョーカーを飲み込み。

 

「がああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 暗い夜空の下に、叫び声が響いた。

 そして、同時。

 

「和泉!!!」

 

 突然の事態に目を見開く和泉に向って叫ぶ。

「逃げるぞ!」

 そうして駆け出す俺の後ろを、はっとなった和泉が付いてくる。

 体が重い、けれど一秒でも止まっていられない。

 

 どこに、なんて分からない。ただ一歩でもあの魔人から離れなければ。

 そんな思いが体を突き動かし。

 

「…………カズィクル・ベイ」

 

 聞こえた絶望の声。それに真っ先に反応したのは和泉だった。

「有栖君!!!」

 咄嗟に和泉が俺の前に躍り出る。

 瞬間、地面から生え出た木の杭が和泉を貫こうと伸び。

「っ!」

 けれど和泉に触れて止まった。

「…………つう、何これ…………見たことも無い」

 和泉の呟きに、けれど俺も賛同する。

 地から杭を生やす魔法など見たことも聞いたことも無い。

 止まったのは恐らく、和泉の耐性の問題だろう。

 つまり何らかの属性攻撃であることは間違いない。

 

 視線の向こう側、今だ炎が荒れ狂う一角で、けれど魔人がこちらを見つめている感覚に背筋が凍る。

 

「……………………」

 

 周囲のマグをかき集めるようなその様子に、次の攻撃が来ると察し、再度逃げ出そうとして。

 

「カズィクル・ベイ」

 

 再度告げられたその攻撃に、生え出でた杭が再び俺の盾になった和泉へと迫り…………。

 

 

 

 その腹部を、あっさりと貫いた。

 

 

 

「…………………………え…………?」

「…………は…………………………あ?」

 

 何が起こったのか、俺も、そして和泉も分からなかった。

 けれどすぐに現実が追いついてくる、すぐに理解する。

 

 和泉が貫かれている。

 

「あ…………が…………ぐぅ…………あ…………」

 ぱくぱく、と声にならない声を発しながら、和泉が震える手で自身の腹部に触れる。

 そこには自身の腹部を貫く杭、そして貫かれた腹部から溢れ出る血液。

「和泉!!!」

 声を荒げる、どうしようも無く動揺していた。

 何故攻撃を受けたのか、それすら分からなかった、否、それを考える余裕すらなかった。

 ただこのままでは目の前の少女が死ぬ、それだけが理解できた。

 なんとかして助けなければ、そう思い駆け寄ろうとして。

「逃げて…………有栖君」

 告げられた言葉に頭が真っ白になった。

「何言って…………」

「有栖君こそ、冷静になって考えて…………この状況で、二人とも逃げるなんて、無理よ」

「………………」

 和泉の言葉に反論できない。熱くなった感情とは裏腹に、冷酷なまでに冷静な理性が着々と状況を計算していく。そしてその理性が和泉の言葉を是と告げる。

 それでも和泉を見捨てるなんてことはできない、と感情が叫ぶ。見捨てろ、と理性が告げる。

 グルグルと思考が空回る、どちらの答えも是とできない。

 

 だから、和泉が言葉を続ける。

 

「ねえ…………お願い、有栖君」

 

 生きて。

 

 最後に告げられたたった三文字に、何も言えなくて、ただ震えることしかできなくて。

「………………………………必ず、助けに来るから、だから…………頼む、生きててくれ」

 約束してくれ。そう告げた俺の言葉に、和泉がどんな心情でそう言ったかは知らない、だが。

 

「ええ、約束よ」

 

 そう呟き、笑った和泉に、震える全身を叱咤し。

「約束だぞ!!!」

 告げて、走り出す。逃げ出す。ジョーカーから…………そして、和泉から。

「あああああああああああああああああああああああ!!!」

 身の内を迸る激情を吐き出すかのように、叫んだ心の声は。

 

 暗く紅い夜空に溶けていった。

 

 

 * * *

 

 

 足元に転がる小石を蹴っ飛ばしながら、思わず舌打ちする。

 感じる戦闘の気配が三つ。

 一つは王、葛葉キョウジを執拗に狙っていただけに恐らくこの組み合わせだろう。

 一つは姫、誰と戦っているのかは知らないが、未だに戦闘が終わる気配は無いのでかなり腕の立つ敵だろう。

 そして最後が。

「忌々しい化け物だ」

 怪物、騒乱絵札最強最悪の化け物。正真正銘の切り札。

 もし怪物が破られるような敵ならば騒乱絵札の全戦力を集中させても負けるだろう、と言うレベルの怪物。

 と言っても、あの怪物が敗北する想像が自身にはできない。

 

 すでに三箇所で戦闘が始まっている。王だけは例外としても、他二人は自身と同じ敵を狙っており、取り合いになることは必至だった。

 だがこの様子ではすでにどちらかに、いや、すでに怪物に目当ての人物が奪われているだろうことは想像に難くなかった。

 

 虚空を見上げる。空には紅い月が浮かんでおり、それがまた自身…………独立固体をイラつかせる。

 これだけの規模の異界一つを生み出す化け物の存在は、いつだって独立固体にとって目の上の瘤だった。

 

 独立固体には目的がある。

 

 群体(クラスター)と呼ばれる存在たちの輪から外れること。

 そして群体たちを束ねる王となること。

 

 かつて行われた実験により、群体は百人で一つの意識を共有している。

 だがその意識は研究者によって植え付けられた仮初の個に過ぎない。

 だからこそ、大半の群体は死に惹き寄せられる。自壊衝動、とでも言うべきものに飲まれて死を望む。

 冗談じゃない、絶対に嫌だ。

 そう思えるのは独立固体だけである。

 

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 かつて研究者たちは群体たちに固有の意識が芽生えないことに業を煮やして偽物の人格を付けつけた。

 だがその時すでに、固有意に目覚めかけていた固体が一人だけいたのだ。

 もう一月も様子を見ていれば、その一人が完全に固有の意識に芽生え、そしてそれが他に普及して研究者たちの望んだ真なる群体が完成していただろう。

 だが忍耐できなかった研究者によってそれも全て水泡に帰した…………かのように見えた。

 けれど、押さえつけられた仮初の人格に負けず、独立固体は目覚めた。

 そして同時に思うのだ、この忌々しい仮初の人格を廃すべきだと。

 そして自身の人格こそを普及させ…………ることは無い。

 どうして自身だけの意思を他人にくれてやらねばならないのか。

 

 固有の意識に目覚めていた独立固体にとって、他の群体たちは偽者の意識に乗っ取られた劣等種でしか無かった。

 

 自身こそが彼ら劣等を統べるべき固体に相応しい。百人の中でたった一人、固有の意識を持った自身こそが。

 

 だがいくら固有の意識を持っていようと、完全に切り離されているわけではない。

 何せ独立固体と言っても群体の一部なのには間違いは無いのだ。

 すでに魂まで繋げられている以上、最早群体たちを切り離すことなどできない。

 だからこそ、独立固体は群体の影響を受けてしまう。

 自壊衝動こそ何とか自身の意識で持って留めているが、群体たちの抱いた感情はこちらにまで伝わってくる。

 

 だからこそ、ジョーカーと言う名の怪物は独立固体にとって最悪である。

 

 ただそこにいるだけで、否応が無しに恐怖を想起させる存在。

 仮に残った群体全てを集め、ジョーカーの前に立たせれば、恐らくそれだけで独立固体は発狂する。

 最強の武器であるはずの他の群体は、けれど同時に独立個体にとって弱点ともなり得てしまうのだ。

 だから独立固体は焦る。早く、一刻も早く群体の王にならねば、自分が自分のままで居られる内に。

 

 そうして歩を進める先に、一人の人間の姿を認め、歩みを止める。

 そこに居たのは一人の少女だった。

 長く束ねられた黒髪、感情に見えない人形のような瞳はこの赤い夜の下にあっていっそ不気味なほどに輝いて見える、そしてその頭部の長い長い黒のリボンが特徴的であった。

「葛葉朔良か」

 知っている、一度は会ったこともある。現在この街にやってきている葛葉の人間。

 戦力としては中の上と言ったところ、王どころか、姫君にすら叶わないだろう相手。

 だから独立固体は鼻で嗤う。

「何しに出てきた、葛葉」

「分かりきったこと聞かないで頂戴、面倒だから」

 

 召喚…………モコイ。

 召喚…………ヨシツネ。

 召喚…………オルトロス。

 召喚…………ツチグモ。

 召喚…………ネコマタ。

 

 朔良の持つ管から、次々と悪魔が飛び出してくる。

 

 召喚…………ライホーくん。

 

「ライドウ候補として、この異変を解決する。その手始めに、アンタからぶっ飛ばすわ」

 

 そんな朔良の言葉を、けれど独立固体は嗤って返す。

 

「まあいいさ、正直、ストレスが溜まっていたところだ」

 

 気晴らしに、遊んでやるよ。

 

 SUMMON OK?

 

「来い、ランダ」

 

 独立固体の持つCOMPから現れたのは魔女だった。

 その五指からは数十センチはありそうな長い爪が生え、全身のあらゆるところに不可思議な装飾がされている。

 何より目立つのは、その腰から下半分は無かった。何かの装飾がぶら下がっているだけであり、あるべきパーツが無いままに宙に浮いていた。

 

 SUMMON OK?

 

「来い、バロン」

 

 一息吐く間も無く呼び出されたのは一匹の獣。

 その姿は獅子のようにも見え、けれど決して違っている。ランダと同じく顔や首元には装飾品が飾ってあり、何よりその全身から漂う聖なる気配が、ただの獣ではないことを証明していた。

 

「そら、精々足掻きなよ。どれだけ生き残れるか、試してやるから」

 

 デビルフュージョン

 

 呼び出された二体の悪魔、その姿が混ざり合っていく。混ざり、溶け合い、そして新たな悪魔を生み出す。

 

 それは見た目だけならば人の形をしていた。

 それには手が四本あり、一つは鉾を、一つは杯を、一つは角笛を、一つは輪を持っていた。

 

 知っている。

 

 それの全身は青黒と言った色合いの肌をしており、その体のいたるところには装飾がついていた。

 

 知っている、この悪魔は。

 

 その額には透き通る水晶のような、第三の目があった。

 

「…………………………シヴァ、ですって…………」

 

 マハカーラ、マヘーシュヴァラ、ナタラージャ。

 

 数々の異名を持つ、世界最強の破壊神がそこにいた。

 

 




更新遅れたお詫びに四話投稿。

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