有栖とアリス   作:水代

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悠希と姫君

 

 

 西野(にしの)(くだる)はガイアーズだ。

 

 元々彼はとある中学に通う平凡な学生だった。否、平凡と言うには御幣があるかもしれない。

 気弱で体も細かった彼は、学校でとある男子グループに目を付けられ、毎日のように苛めにあっていた。

 殴る蹴るの暴行は当たり前、鞄を便所に捨てられたり、教科書をズタズタに切り裂かれたり、弁当をゴミ箱に捨てられたり、時には犯罪行為を強要されることもあった。

 辛かった。どうして自分がこんな目に遭わないといけないのか、そう何度も思った。

 過ぎ行く日々を嘆き、自身を苛める男子たちを恨み、けれどもこの時はまだ確かに常人の範疇であった。

 彼が道を踏み外したのは、強要された犯罪行為…………万引きが見つかり捕まった時だ。

 彼は言った、強要された行為であり、自身はこんなことしたくなかったのだと。

 けれど駆けつけた教師は言った。

 

 いつかやると思ってたよ、やっぱりな。

 

 さらに呼び出された両親は言った。

 

 この恩知らずの恥知らず、お前なんてうちの子じゃない。

 

 この日、初めて彼は世界を呪った。

 

 

 この世界には穴がある。

 それは目には見えない、世界を構成する情報と言う存在にぽっかりと空いた穴。

 それは異世界と言うものに繋がった決してあってはならない世界の欠陥(バグ)

 けれど普段は問題無いのだ、その穴は世界が薄い膜を張って塞いでいる。まるで傷口にできたカサブタのように血が滲み出ることも無い。

 だが、一度世界を呪えば…………世界を穿てば、薄氷のように薄いその膜はいとも容易く破れ、一番近くにいる存在…………つまり、穴を穿った存在へと異世界の情報を流し込む。

 世界の特異点。そう、特異点存在とはこうした世界を穿ち、開いた穴から異世界の理を手に入れた存在のことを言う。

 かくして彼は、異能者となった。日常とは混ざり合えぬ異常。世界の理を侵す異能と言う力を手にいれ、彼は狂った。否、逆だ…………恐らく、狂ったからこそ異能を手に入れた。

 重力を操るという他の誰にも真似できない力を手に入れた彼は、自身の両親を殺した。全身をゆっくりと圧壊させると言う残忍な殺し方、吐き気を催すようなオゾマシイ死体と成り果てた両親を見て、けれど彼は嗤う。

 次に殺したのは教師だった。両手両足を紙切れのごとく薄く薄く押し潰し、教師は痛みのあまり恐怖の表情のままショック死した。その死体を学校の玄関に投げ捨て、次の日には大パニックが起きた。両親、そして教師と立て続けにあり得ない死に方をし、接点のあった彼は警察に疑われたが、そのあまりにもあり得ない死に方に彼には不可能だとされ、釈放された。彼の浮かべる暗い笑みに、けれど警察は気づくことはなかった。

 次に殺したのは、自身の苛めていた男子生徒たち。一人一人心臓を潰し、頭を潰し、肺を潰し、胃を潰し、腎臓を潰し、膵臓を潰し、肝臓を潰し、腸を潰し、精巣を潰しと手を変え品を変えて、けれど一人足りとて生かすことなく殺していった。

 けれど彼は疑われても、捕まることは無かった。何故なら異能の存在を知らない警察に、彼の反抗を立証することは不可能だったからだ。

 どんな方法を用いればこんな殺し方が出来るのか、頭を悩ませ、証拠も無く、彼は無罪放免となる。

 

 そうして自身の関わる全てに復讐を遂げた時、彼が再度嗤った。

 

 今まで自分が信じてきた世界の薄氷のような脆さを知った。

 今の自身が手に入れた異能の絶対的な力を知った。

 元々狂っていた精神から理性のタガがあっけなく外れるのは、わかりきった話であった。

 

「どこに行ったのかな? …………やれやれ、あまり手間取らせないで欲しいんだけどねえ」

 

 こつん、こつん、と紅闇の世界を西野は一人歩く。

 足を止めれば、静寂だけが辺りを包み込む。

 

 西野降はガイアーズだ。

 それもガイアーズの中でも幹部と称される人物の一人だ。

 レベル的にはまだ四十にも満たない西野だが、一切の情けも躊躇も無い残忍さと、必要ならばどんな犠牲も厭わないその非道さを買われ、異例の出世を遂げていた。

 だが所詮はガイアーズ。忠誠心など欠片も持ち合わせていない。

 今回彼に与えられた指令は、聖女を殺すこと。

 それは彼以外の他のガイアーズにも与えられた指令だろう。

 だが彼は聖女を…………上月詩織を殺すつもりなど欠片も無かった。

「どうして彼女を殺す必要があるのか理解に苦しむね…………もし邪魔ならこのボクの物にしてしまえば良いだけだ」

 どうして聖女が邪魔なのか、その理由すら彼は考えない。

 だから………………ソレを招き寄せてしまった。

 

「………………それは困るわね。聖女はこちらとしても確保したい駒だもの」

 

 自身の真後ろから聞こえたその声に、面倒そう振り返り。

「グラダイン」

 手をかざし、そう呟く。

 だが。

「きひっ」

 ソレが嗤う。

 嗤い、重力塊をその太刀で切り裂く。

 そうして。

「………………えっ?」

 返す刀で、彼の首を撥ねる。

 それが、彼の最後であった。

 

 この世界は自分を中心に回っている、そんなことを本気で考えていた男の…………あまりにもあっけない最後であった。

 

 

 * * *

 

 

「私は警告する、今すぐに移動すべきだと」

 出会って早々のその言葉に、自身も詩織も面食らう。けれどすぐに自身は思考を切り替える。

 それはこの二週間の付き合いの成果と呼べるものかもしれない。

 ナトリがそう言っているのなら、本当に緊急の話なのだと、こんな時に余計な話をしないと、そう知っているから。

 だから、一つ頷き…………詩織の腕を取る。

「詩織、急ごう…………ナトリ、どうやったらここから出れるんだ?」

 その自身の問いに、ナトリが僅かに目を細める。

「私は答える、極めて難しい、と。朔良がいなければ不可能に近い」

「朔良…………?」

 どこかで聞いたような覚えのある名前だと思う。それを察したかのようにナトリが呟く。

「私は告げる、葛葉朔良は悠希たちの通う学校にいる」

「あ…………」

 その言葉に、詩織が声を上げる。視線をやると、あーうん、と少しだけ躊躇いながら告げる。

「前に有栖と一緒にいた髪の長い先輩じゃないかな、その人」

「………………ああ、あの人か。ていうか葛葉って…………あの人もなのか?」

 そう尋ねると、ナトリがこくりと頷く。

「私は肯定する。葛葉朔良もまたデビルサマナーであると」

「そうか………………その朔良って先輩はどこにいるんだ?」

「私は返答する。彼女はこの異界の中心を探しに行った」

 そう言って、ナトリがこちらに背を向け歩き出す。どうやらついて来いと言う意味だと受け取り、詩織の腕を掴んで引いて歩く。

 どうか西野とも…………他の敵とも会わずにその朔良と言う人のところへたどり着きますように。

 そう祈った悠希だったが、その祈りがあっけなく裏切られるまで…………それほど時は必要無かった。

 

 

「ナトリ、一つ聞いていいか?」

 それまで無言だった道中で、暗い夜道を歩きながらぽつり、と口を開く。

 どうした? と無言で尋ねてくるナトリの反応を見ながら、逡巡躊躇い、そして尋ねる。

「今回のこれ…………一体原因は何なんだ? 一体どんなやつがこんなことをしたんだ?」

 上空を見れば、そこにあるのは紅い月。血を滴らせたように紅く染まったその月に、無性に不安が掻き立てられる。

 空を覆い尽くすほどの、月の色を染めてしまうほどの、そんな異界。今まで見てきた異界がそれほど多いわけではないので、判別はつき辛い…………が区別は付けれる。

 

 これは異常だ。

 

 明らかな異常。今まで見てきたどんな異界よりも凶悪で禍々しい。吐き気がするほどに。

 けれど、今まで見てきたどんな異界よりも澄んでいて美しい。残酷なほどに。

 これを作ったやつというのはどれほど狂っているのか。

 これを作ったやつというのはどれほど純粋なのか。

 ()()()()()()()()()()

 

 けれどナトリはそれに沈黙で返した。

 答えないのか、答えられないのか。今の悠希にそれを判別する術は無く。

 黙々と歩くナトリの背を、詩織の手を引いて歩くことしか出来なかった。

 

 頭の中では飲み込みきれないもやもやがぐるぐると渦巻き、思考をかき乱す。

 

 だから、悠希はソレに気づけず、ナトリは即座に反応した。

 

「きひっ」

 

 聞こえた声に、背筋が凍った。

 それはどこかで聞いた声だった。

 

 気づいた時にはもうすでに、悠希の背後まで迫っていて…………悠希の背後にいた詩織に、その刃が……………………伸びた。

 

 門倉悠希はそれを前に動くことすら出来なかった。

 注意深く周囲を観察し、いつでも異常に対して動くことできれば、悠希でもまだ対処できたかもしれない。

 だが、思考をかき乱し、注意散漫になった悠希は、自身の背後に…………親友へと伸びる刃を前にただ見ていることだけしか出来なくて。

 

 だから、葛葉ナトリが動いた。

 

「斬」

 

 素早く悠希と詩織の間に挟まると、手に持った鋭く大振りなナイフで迫り来る刃を切り払う。

 攻撃を防がれたそれが一旦後方に下がり…………その姿を見せる。

「………………………………あ」

 男だ。二十代後半と言ったとこか。時代遅れな着流し、そして腰には帯刀。まるで時代劇の中から飛び出した来てような、そんな印象を受ける。

「きひっ、きひひっ…………きひひひ」

 嗤う、嗤う。狂ったように嗤う。そしてその後ろからカラ、カラと音をさせながら一人の女性が現れる。

「初めましてかしら? まあ取りあえず、こんばんわ、と言っておきましょうか」

 男と同じく、着物など来て足取り軽く歩いてくるその様は、この異界と言う状況もあってか、どうにも奇妙で、端的に言えば気味が悪かった。

 美しい女だった。その場にいるだけで、男のみならず女までも自然と目が惹かれていくような、そんな一種の魔性を持った女。

 ザッ、とナトリが悠希たちの盾になるように一歩前に出る。

「…………………………姫君(クイーン)

 ぽつり、とナトリが呟いたその言葉に、女の口元が弧を描く。

 詩織は先ほど自身に届きそうになった刃に腰を抜かし、座り込んでしまっている。

 悠希は、目の前の光景に圧倒され、動けずにいた。

「本当は…………彼と戦いたかったのだけれども…………残念ね、ジョーカーが動いてしまった以上、もう私たちの出番はないわ」

 つまらなそうな声で、女が…………姫君が呟く。その横で、男がきひっ、と笑う。

「それでも、これで私たちの目的が叶うと言うならば…………いいわ、露払いでも使い走りでもしてあげるわ」

 一体それは誰に告げた言葉なのか、少なくとも自分たちではないこと、それだけは悠希にも分かっていた。

 姫君の視線がこちらを向く。正確には、自身の後ろにいる親友に向けられる。

「来てもらいましょうか…………聖女。その身柄、利用させてもらうわ」

「………………私は告げる、それは阻止させてもらう」

 その視線を遮るようにナトリが移動し、姫君に向かってナイフを突きつける。

「………………きひっ」

 それが合図だった。一つ嗤い、ソレが動き出す。

 たった一歩、足を動かしただけでナトリとの間を詰め、振り上げた刃を…………振り下ろす。

「っ」

 その刃をナイフを使って軌道をずらし、いなす。即座に横に薙いだナイフをけれどソレは後退して避ける。

「きひっ…………姫様(ヒィサマァ)

「何かしら、ヒトキリ」

 ヒトキリ、と呼ばれたソレが姫君に向かって何か呟く。そして女王が、そう、と呟き。

「なら、許すわ…………()()()()()()()()()

 ヒトキリと呼ばれたソレに向かって、そう告げる。

 

 瞬間。

 

「きひっ、きひっ、きひっ」

 

 ソレの雰囲気ががらっと変わる。

 

「我は人斬」

 

 凶悪だったその雰囲気は一変し。

 

「我は処刑人」

 

 まるで清浄なものであるかのようなものへと変わり。

 

「我は断罪者也」

 

 それが嗤い、刃を真横に向け。

 

「“断罪者”ヒトキリ…………ここに」

 

 一文字に振るった。

 

「処刑を始める」

 

 

 * * *

 

 

 葛葉朔良は目を瞑っていた。

 視覚と言うのは…………五感と言うのは第六感の妨げになりやすい。

 物理的なものを感じる五感が動いている時は、物質的なものに焦点が合っているせいか、霊的なものを視る第六感が働き辛くなるのだ。

 勿論、訓練すれば両方をこなすこともできるし、極限状態に入れば同様のことができる場合もある。

 まだ未熟であると自覚のある朔良だがその程度の初歩は当然出来る。というか葛葉の召喚師ならば誰でもできる程度のことだ。

 だが精度、となるとそこからさらにいくらでも奥が見える。どれほど精密に感じ取れるのか、どれほど遠くのものまで感じ取れるのか。そう言う話になると、やはりより集中したほうが良いに決まっている。

 特に目は人間の得る情報において大きなウェイトを占めている。視力を失った人間が見えないはずのものを見る、と言うのは昔から良くある話であり、目を閉じると言う行為は第六感の精度を大きく上げる。

 

 葛葉朔良が探しているのはこの異界の元凶…………ではない。

 

 朔良が探しているのは民間人だ。仮にもライドウの候補である、魔を打ち払うことは葛葉の宿命。そして人を救うことはライドウの役目である。それこそが守護者葛葉ライドウなのだから。

 だから一人、異界の中の吉原高校の屋上で静かに式を飛ばしていた。

 

 式、式紙とも呼ばれるソレは、転じればシキガミと言う悪魔にもなるが、朔良の作る式にそこまでの力はない。

 式の名の通り、シンプルに与えられた命令をこなすだけの存在で、今は術者の…………朔良の目となり、耳となって街中を飛び回っている。

 ナトリと分かれてかれこれ三十分以上こうして式を飛び回らせて分かったのは、この街に民家人はいない、と言うことだった。

「意図して選別した? やっぱり取り込まれるには何か条件があったみたいね」

 だとすると、相当に強力な悪魔だ。そんな器用なことが出来るなど、それこそ相当な力を持った悪魔でないと不可能な芸当だろう。

「…………まあいないならいいわ」

 それなら次に意向するだけだ。即ち、この異界の解除。

 ただ闇雲に壊すだけではダメだ。異界の原因を突き止め、それを正確に排除しなければ、壊した時にどんなことが起きるか分かったものではない。

 と、その時、街へ向かわせた式の一体の視界にソレが映る。

「……………………………………あれは」

 見覚えがあった。忘れられるはずも無かった。

 

 目つきの悪い表情、ラフなTシャツによれよれになったジーパン。片目を隠すように伸びた髪。

 

 知っている、朔良は、知っていた、そいつを。

 

 あの日、あの時、自身と有栖の前に現れたソイツを。

 

 あいつの名は。

 

「独立個体」

 

 騒乱絵札のジャックが街を歩いていた。

 

 




西なんとか君…………キミもういらないからここらで死んでもらおう(ゲス顔

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