「提督は執務室から動かないんですね」
勇次郎と棗は、執務室で無線を手に待機していた。
「そうだね。前の君と名取君みたいに、海上で連絡を取りながら交戦できれば僕も安心なんだけど、いかんせん危険が伴う。だからほとんどの場合、彼女たちが送ってくる位置情報や戦況をもとに、無線で指示を出す」
無線の一つを勇次郎に手渡した。ぎこちない笑顔を浮かべていた。それは普段の余裕のある棗と大きく異なり、勇次郎を不安にさせた。
「こういうことは、よくあるんですか?」
「まぁ、たまにね。そのたびに、心臓が握りつぶされるようだ」
重い溜息を零す棗の背中は小さく見えた。
「僕は元来臆病者なんだ。提督っていうみんなの命を預かる立場なんて似合わない、現場で汗を流しているのが性分なのさ。ただ、優しいところ、筋を通すところを買われてこの仕事についた」
「そうだったんですか……。でも、すごく頼りになるっていうか、提督っていう仕事がよく似合っていますよ」
勇次郎の言葉に、棗は乾いた笑いを返した。
「それはたぶん、彼女のおかげなんだ」
そういって、棗は机の引き出しからバッジのようなものを取り出した。
「Ⅲ……なんのバッジですか?」
「特Ⅲ型駆逐艦、暁型のバッジ。暁からもらったんだ」
棗は襟にそのバッジをつける。銀色に光るそれは、襟に飾られている他のものと比べると地味だが、棗はそれを一等大事に撫でる。
「駆逐艦が旗艦を務める艦隊は少ないって話したよね? 僕がなんで暁をその立場に置いてるか分かる?」
「強いから、じゃないんですか?」
勇次郎は戸惑い混じりに答える。
「そう、強い。でも火力は戦艦に負け、対空も負け、雷装も雷巡や潜水艦に負ける。そんな彼女のどこが強いんだい?」
そういわれ、勇次郎は昼の演習を思い出す。確かに、暁は旗艦を多く務め、勝利もしたが、他の艦娘と比べなにかが特別凄かったわけではない。
答えあぐねる勇次郎に、棗は答えを告げた。
「彼女は自分で物事を決断し、実行できる行動力がある」
勇次郎はその答えに首を傾げる。それはあまりにも当たり前で、地味な特性だ。就職活動でそんな言葉を口に出せば、多くの人が顔にこそ出さないが内心苦笑するだろう。
「勇次郎君は、それがどうした、って顔してるね」
「……もっと、特別な何かだと思ってました」
棗はアハハと笑った。その声には、先ほどの渇きは無く、ただ純粋な笑い声だった。
「君の言う特別というのは、空を飛べるとか、竜に変身できるとかそういう類のものだったかい?」
「そこまでじゃないですけど……そういう類だったことは間違いないです」
正直に本心をさらけ出す勇次郎の肩を、棗は軽く小突く。
「確かにそんなものと比べたら、暁のものは錆びついたメダルのようなものだろうね。でも、僕は君に前言ったと思うんだけど、提督の存在理由について」
勇次郎はハッとして、その言葉を思い出した
『艦娘には、『弾』が必要なんだ』
『戦う理由という『弾』がね』
「思い出したかい。彼女たちを義務で戦わせてはいけない。理由を与えないと、それは彼女達を『兵器』として扱うも同然だ。それはやってはいけない」
厳しい眼を勇次郎に向け、言葉を続けた。
「多くの艦娘は、それぞれ複雑な想いを抱いて戦っている。それは淡いもので、息を吹きかければ消えてしまいそうな弱い火だ。それが消えた時、彼女達はきっと……」
そこで一度言葉を止める。棗は苦虫を潰したように顔をしかめる。
「僕が暁に出逢った時、それは着任して間もない頃だった。彼女は僕にこう言ったんだ」
『みんなを守る方法を教えて』
シンプルな言葉だが、それゆえに想いが余すことなく伝わる。
「僕は彼女のような艦娘を見たことがなかった。皆一様に、戸惑いを見せるからね。だから暁の艦歴について少し調べた」
「なにか分かったんですか?」
「ごく普通の駆逐艦だが、最期が印象的だ。夜戦で敵の位置が掴めないなか、探照灯を照射。おかげで仲間が敵を攻撃できたが、暁は格好の的となり、あっという間に沈められた。当時としては特別なことではないのかもしれない。それでも、響や雷たちを置いて、一番艦である自分が真っ先に沈んでしまったことは暁に大きな影響を与えていると思う。自身を犠牲にして得た戦果など、残されたものが背負う悲しみに比べれば軽すぎることを、今の暁はよく知っている」
「……この鎮守府で響達と再会できたことは、暁にとって」
「そう。いい意味でも悪い意味でも、奇跡が起きた。普通、残したもの、残されたものが再開するなんてことは、あの世でのお話だ。それが現実に起きた。神様の贈り物にしては刺激が強かった」
勇次郎は自然と拳を握りしめていた。自分の中に湧き上がる感情の波が溢れない様に。
「暁は沈まない。そして仲間も沈ませない」
棗は無線のスイッチに指を置いた。
「彼女の『弾』は、何者にも弾くことはできない」