棗の机の上に置かれたトランシーバーのような無線通信機がノイズの混じった音を響かせた。
「哨戒班の木曾達かな。でも帰ってくるには早すぎると思うけど……」
棗がソファから立ち上がり、ゆっくりと立ち上がり無線に手を伸ばした瞬間、ノイズと共に確かな砲撃音が聞こえた。
すばやく無線を取り、暁に目配せをする。
暁は頷き、別の通信機を手に取る。
「こちら執務室、なにがあった」
「提督か? こちら木曾、鎮守府沖を哨戒中、敵の待ち伏せにあった。小さい島に隠れてたんだ」
通信機の向こうの木曾は悔しそうな声で報告する。
「了解した。被害状況、敵の数、艦種はわかるか?」
「敵は恐らく六隻、軽巡二隻、重巡三隻、戦艦一隻だと思われる。被害状況は……」
一息間を置いて、木曾はさらに苦しそうに言った。
「島風中破、木曾中破、……霞が大破だ」
暁の顔から血の気がサッと引いた。
棗は顔色こそ変えないが、拳を固く握り震わせている。
「今なんとか霞を曳いて撤退している。敵も追ってきている。……すまない、提督。俺が付いていながら」
「謝るな木曾。すぐに向かう。なんとかそのまま逃げてくれ」
「……私は置いて行きなさい」
木曾の隣から小さな声が聞こえた。弱り切った霞の声だ。
「そんなことできるわけ」
「そんなこと俺が許さん!」
木曾が言い切る前に、棗は怒声を飛ばした。
「ちゃんと帰って来なさい。帰ってこなかったら怒るからな」
「……分かったわよ」
霞が渋々了承し、勇次郎は暁に指示を出した。
「暁、出撃できる艦は?」
「涼……!」
暁は幼い眼を鋭くして、首を振った。それを見た棗は無線の通話口を押え、暁を促した。
「ほとんどの子が演習で疲労して今すぐには動けない。今ここから招集をかけてたら間に合わない」
事実だけを淡々と告げた暁は、歯を食いしばって必死に思考を張り巡らせていた。
棗も同様に考えを張り巡らせ、ある一つの考えに至った。
「……今から言うメンバーを集めてくれ」
暁も一瞬遅れて棗と同様の考えに至った。
「川内、長波、扶桑、比叡」
それは今日の演習に参加していないメンバーだった。
「私も行くわ」
その言葉に勇次郎は驚いた。疲労で言うなら、今日の演習で一番疲労しているのは暁に間違いなかったからだ。
「行けるのかい?」
「もちろんよ。暁に任せなさい」
胸にトンと拳を打ち、自信に満ちた顔を棗に返した。
「……任せるよ。これで五人、あと一人……」
棗は勇次郎に目を向け、その隣にいる少女に視線を続けた。
「名取君、大変心苦しいんだが、行ってもらえないか?」
名取は苦しい顔を上げた。その肩は小さく震えていた。
「勇次郎君、名取君は君の鎮守府の艦娘だが、今回の戦闘、彼女の力が必要だ」
「でもなっちゃんは撃てないんじゃ」
「これが荒療治だ。これで治らなかったら、もう後は時間に任せるしかない」
「俺はなっちゃんを護るために提督になりました。戦える状態ならともかく、今の状態のなっちゃんを戦闘に向かわせるのは、反対でず」
棗は頭を抱えるが、勇次郎の言い分も理解していた。
「……五隻で出撃す」
「名取、あなたはそれでいいの?」
棗の言葉を遮り、暁は震える名取に厳しい言葉を投げかけた。
「あなたは艦娘として、この状況を見過ごしてもかまわないの?」
「おい暁!」
勇次郎が暁に食ってかかろうとするのを、棗が止めた。
「あなたがどういう理由で戦闘を行うのか知らないけど、仲間が沈むのを黙ってみていられるの?」
「それは……」
名取は言葉を続けることなく、ただ首を横に振った。
「だったら、行かなきゃだめよ。一生後悔するわ」
暁の眼の奥に、激しい感情の昂りが見えた。
「勇次郎さん、私」
名取はそれを見て、感じて、心臓が不思議な鼓動を打った気がした。
「――なっちゃん?」
「私、行きます」
名取を見た勇次郎は、前の戦いで名取が見せた、迷いが消えた雰囲気を感じた。
「いけるんだな?」
「行きます。そして、帰ってきます」
「……暁、棗さん、なっちゃんをお願いします」
勇次郎は頭を下げた。それを見た棗は肩を叩く。
「こちらこそ、ありがとう。木曾、艦隊を編成して向かう。なんとか持ちこたえてくれ」
無線の向こうの木曾に棗が伝える。その言葉には強い意志が溢れていた。それは木曾にも伝わっただろう。
「了解だ」
無線が一度途切れ、棗が目を配らせる。
「いやぁ、良い話だねぇ」
開いた窓の外から、静かな夜だと言うのに、やけに明るい声が聞こえた。
「川内、あんたいつの間に」
「最初の方から聞いてたよー。夜戦の香りがして」
ニシシと笑う川内を見て、暁は溜息をつく。
「じゃあ、出撃も問題ないわね」
「もちろん、夜戦だー!」
「あとは長波と扶桑、比叡か……」
棗は無線を手に取った。
「扶桑と比叡にはさっき戦艦寮に無線で連絡したわ。すぐ来るって」
「ならあとは長波か、駆逐寮に連絡しないと」
「長波なら今ここに来てるよ」
川内は窓枠に腰掛け、主砲を愛おしそうに撫でながら言った。
「さっき下歩いてるの見たから声かけといた」
その言葉を言い終わらないうちに、執務室の扉が大きな音を立てて開いた。
「島風達が……危ないって……」
息を切らしながら絶え絶えに言葉を紡ぐ。
続いて比叡と扶桑も現れる。
「比叡、気合十分です!」
「扶桑、いつでも出撃できます」
そして執務室に出撃のメンバーが全員そろった。
「夜分遅くにすまない。哨戒中の木曾達が敵の奇襲にあった。これを迎撃する。第一目標は木曾達の保護、第二目標はお前たちの帰投だ。頼む!」
棗の敬礼に、全員が敬礼を返し、執務室から慌ただしく去っていった。