「おつかれさま」
暁がお茶を運んで執務室に入ってきた。
昼過ぎに演習は終わり、昼食会の後、すぐに守は大湊に帰っていった。守は名取に何か言いたそうな顔をしていたが、肩を落として食事会の隅にいる名取に話しかけることはできず、勇次郎の肩を叩いて、船に戻った。
今日は皆が、特に駆逐艦が、多くの演習を行ったせいか、夜八時を過ぎた頃には、ほとんどの艦娘は睡眠についていた。鎮守府全体に訪れる静けさは、祭りの後のような雰囲気を残していた。暁もお茶を机に置きながら欠伸をしている。
「悪いね、暁。こんな遅くまで」
「別に遅くないわよ。まだ八時じゃない。……ただ、今日は疲れたわ」
お茶をすするのは勇次郎、名取、暁、そして棗だった。
「名取君、君、撃つのを躊躇っていたよね」
名取は肩をびくりと震わせた。
「別に怒っているとか、そういうことじゃないんだ。結構いるんだよ、トラウマや色々な原因で戦えなくなる艦娘が。でも君はそうじゃないと、僕は思っている」
棗は柔和な笑みをいつもと変わらず浮かべているが、声色は少し曇って聞こえた。
「……砲塔を敵に向けた時、前に戦闘で戦った子の姿が浮かぶんです」
「それは、軽巡のフラグシップのことかな?」
名取はこくりと頷く。
「それで、どうして撃てないんだい?」
「彼女の、悲しい顔が見えるんです。それを見たら私……」
名取が今にも泣き出しそうな顔で俯く。
勇次郎は隣に座る彼女に、声をかけるどころか、そのか弱い肩に触れることもできなかった。隣にいるはずの彼女が、どこか遠い存在のように思えた。
「暁は、そういったことは感じたことがあるかい?」
「ない、といえば嘘になるわ。深海凄艦を倒すたびに、悲しい感情が泡になって暁を包むような、辛い気持ちになる。たぶん艦娘はみんなそれを感じてるわ」
「そうなのか。……僕はそれを今まで聞いたことがなかったんだけど。なんで言ってくれなかったんだい?」
「言ったでしょ。泡みたいに包むって。泡はすぐに割れるモノよ。それに涼だって、仮に人を傷つけたとしたら、同じように感じるでしょ?」
棗は目をつぶり、じっくりと考える。
「名取君の感受性が強いのか、最初の戦闘だったから印象に残っているのか分からないけど、名取君を包む泡は割れずに名取君を包んでいるのかもね」
棗は海軍帽を左右に振り、白旗を上げたように見せた。
「分からない。改善策がまったく分からない。こういう時はショック療法が一番だと思うんだけど、そんな手荒な真似もしたくないし。んーー」
棗は悩んでいるような素振りを見せるが、その動作の節々には諦めが見えていた。
「時間が解決してくれる……なんて都合のいい話はないんですよね」
ようやく口を開いた勇次郎が提案した案は、はなから誰もが考慮から外していたものだ。
「うーん、たぶんないかな。これから先、主砲を握るたびにきっと今日と同じようになる」
「それは艦娘としては致命的ね」
執務室に重い沈黙が流れる。それを破ったのは、一本の連絡だった。