水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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最前線の少女(17)

「おつかれさま」

 暁がお茶を運んで執務室に入ってきた。

 昼過ぎに演習は終わり、昼食会の後、すぐに守は大湊に帰っていった。守は名取に何か言いたそうな顔をしていたが、肩を落として食事会の隅にいる名取に話しかけることはできず、勇次郎の肩を叩いて、船に戻った。

 今日は皆が、特に駆逐艦が、多くの演習を行ったせいか、夜八時を過ぎた頃には、ほとんどの艦娘は睡眠についていた。鎮守府全体に訪れる静けさは、祭りの後のような雰囲気を残していた。暁もお茶を机に置きながら欠伸をしている。

「悪いね、暁。こんな遅くまで」

「別に遅くないわよ。まだ八時じゃない。……ただ、今日は疲れたわ」

 お茶をすするのは勇次郎、名取、暁、そして棗だった。

「名取君、君、撃つのを躊躇っていたよね」

 名取は肩をびくりと震わせた。

「別に怒っているとか、そういうことじゃないんだ。結構いるんだよ、トラウマや色々な原因で戦えなくなる艦娘が。でも君はそうじゃないと、僕は思っている」

 棗は柔和な笑みをいつもと変わらず浮かべているが、声色は少し曇って聞こえた。

「……砲塔を敵に向けた時、前に戦闘で戦った子の姿が浮かぶんです」

「それは、軽巡のフラグシップのことかな?」

 名取はこくりと頷く。

「それで、どうして撃てないんだい?」

「彼女の、悲しい顔が見えるんです。それを見たら私……」

 名取が今にも泣き出しそうな顔で俯く。

 勇次郎は隣に座る彼女に、声をかけるどころか、そのか弱い肩に触れることもできなかった。隣にいるはずの彼女が、どこか遠い存在のように思えた。

「暁は、そういったことは感じたことがあるかい?」

「ない、といえば嘘になるわ。深海凄艦を倒すたびに、悲しい感情が泡になって暁を包むような、辛い気持ちになる。たぶん艦娘はみんなそれを感じてるわ」

「そうなのか。……僕はそれを今まで聞いたことがなかったんだけど。なんで言ってくれなかったんだい?」

「言ったでしょ。泡みたいに包むって。泡はすぐに割れるモノよ。それに涼だって、仮に人を傷つけたとしたら、同じように感じるでしょ?」

 棗は目をつぶり、じっくりと考える。

「名取君の感受性が強いのか、最初の戦闘だったから印象に残っているのか分からないけど、名取君を包む泡は割れずに名取君を包んでいるのかもね」

 棗は海軍帽を左右に振り、白旗を上げたように見せた。

「分からない。改善策がまったく分からない。こういう時はショック療法が一番だと思うんだけど、そんな手荒な真似もしたくないし。んーー」

 棗は悩んでいるような素振りを見せるが、その動作の節々には諦めが見えていた。

「時間が解決してくれる……なんて都合のいい話はないんですよね」

 ようやく口を開いた勇次郎が提案した案は、はなから誰もが考慮から外していたものだ。

「うーん、たぶんないかな。これから先、主砲を握るたびにきっと今日と同じようになる」

「それは艦娘としては致命的ね」

 執務室に重い沈黙が流れる。それを破ったのは、一本の連絡だった。


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