「……どうしてだ?」
勇次郎は、そうか、と言って、話を流すことを第一に考えた。勇次郎は自身が深入りしてもなにもできないということがよく分かっていたからだ。
しかし、勇次郎は疑問を胸のうちに留めておくことができなかった。そうしようとした時、名取の顔が浮かんだ。
名取は、艦娘に生まれたことをどう思っている?
まるで小学生が小学校にいくことが当たり前のように、艦娘は深海凄艦と戦うことが当然だと思っていた。それを彼女達が望んでいることを前提に考えていた。
勇次郎が川内に投げかけた疑問は、そういった意味を含んでいた。
「ただの鉄の塊だった時、私は何も考えず、ただ提督の指令通りに動く艦で、それだって操舵手の手に頼って、ただ動くだけだった」
川内は靴を脱ぎ、海に進んでいった。腰が海に浸かったところで勇次郎の方を振り向いた。
「艦娘になった時、艦だった時の記憶が激流のように流れ込んできた。その時、気が付いたら、泣いてた。私に乗ってた人を想って、申し訳なくなって、行き場のない感情が私の心を突き刺して、殴って、締めて、踏みにじって、最後に、去っていった」
川内の顔に、暗い何かが覆いかぶさったような気がした。
「そうやって、自身を見失っている時に、この海に出逢った」
川内は空を抱き上げるように手を振りかざし、愛おしそうに抱きしめる。
でもその瞳の暗い光が消えることはない。
「この静かで、広くて、途方もない海に一人で立ってるとさ、私が艦だった頃みたいに、私の中の感情が消え去っていく。それに気づいた時、私の心はようやく平穏を取り戻したの」
川内が瞼を閉じ、再び開いた時にはその瞳はいつもと同じように悪戯っぽい性格が見え隠れするものに戻っていた。
「夜戦は好き。敵を倒して、シンと響く無音を身体に染み込ませる。でも他のみんなと話してると、またあの感情が影を落とす。こんな気持ちになるなら……」
川内は勇次郎に背を向けた。
「艦娘になんて生まれたくなかった」
勇次郎は、その後ろ姿が名取に重なった。
無意識のうちに、勇次郎は川内の後を追って海に入っていった。
川内の背を目の前にして、その小さな背中が暗闇の中で鮮明に移る。
その背中に、重すぎる感情を背負っているのだ。
「俺は」
川内の頭を抱え込むように抱き寄せる。川内の髪から凝縮された甘い香りが勇次郎の鼻を刺した。
「俺は、お前に会えて良かった。お前が艦娘になってなかったら、俺はお前に会えなかった」
「……なに当たり前のこと言ってるの?」
川内は驚いた様子も見せず、淡々と答えた。
「当たり前のことだけど、人と人の出逢いってのは当たり前だけど特別なものなんだ」
「艦娘は、人じゃないよ」
川内の言葉に胸を痛めた勇次郎は、同時に棗に言葉を思い出した。
『物事、人間を見る時には、多面的にみなくてはいけない』
「お前が背負ってる感情は、艦としてのものだ。例え当時お前に心と呼ばれるものがなくても、それは艦としてのお前のものだ。今は同時に、『人間』としてのお前もあるんだ。二つの面が重なり合って、お前がいるんだ」
理性的に綴られていた言葉は、徐々に感情が溢れんばかりの言葉になった。
「俺の実家で、月子や俺、親父、棗さん、みんなと過ごしていた時、お前は楽しそうだった。その気持ちに間違いはないはずだ。二つの感情に押しつぶされそうになってる。必死に戦ってるんだお前は」
最後は叫ぶような声になって、抱きしめる力を少し強くした。
「だから負けるな。お前がいないとつまらない。そんな、闘うことをやめて、感情から逃げるような顔をしないでくれ。生まれたくなかったなんて、言わないでくれ」
懇願するような勇次郎の声は、悲痛なほど川内の心に響いた。
「でも、苦しいよ」
「俺も、一緒に背負うから。言葉だけだし、実際にはなにもできないけど、お前の感情、俺にも背負わせてくれ」
川内は勇次郎の言葉に、静かに頷いた。
「勇次郎……」
「……なんだ」
「苦しい」
首に回された腕をつんつんと突かれ、勇次郎は慌てて離れた。
「あぁ、すまん!」
川内は苦笑いで振り向いた。
「勇次郎、ありがとう。気が楽になったよ」
勇次郎はバツが悪い顔でそっぽを向いた。
「――というか、なんでその話を俺にしたんだ? 棗さんに言うのが筋だろう?」
川内はバシャバシャと音を立てて、陸に向かって歩いて行った。
勇次郎とすれ違う時、小さな声で川内が言った。
「勇次郎になら、話してもいいかなと思ったからだよ」
暗くてよく見えなかったが、その耳は赤く染まっていたように見えた。