水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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最前線の少女(8)

 同日午後一時、執務室の前に名取と勇次郎の姿があった。

「遅れたことを詫びないとな」

「そうですね」

 名取は先ほどから妙に素っ気ない態度を崩さない。

 長良に伝えた通り、一時十分前には部屋に来てくれたのだが、その時から最低限の会話ばかりだ。

 勇次郎はそれを気にしつつ、目の前に横たわる不安を取り除くため、もとい棗に謝るために、執務室の扉をノックした。

 中から、暁の声でどうぞ、と返事が来た。

 恐る恐る扉を開け、怒声を覚悟しつつ中に踏み入ると、そこでは棗がカレーを頬張りながら、こちらに笑顔を向けていた。

「やぁ勇次郎君。こんにちは」

「遅れてすいませんでしたッ」

 棗の言葉に被せるように、勇次郎は謝罪の言葉を棗にぶつけた。

 棗の隣では、暁がうるさそうに耳を塞いでいた。

「気にしてないから、かまわないよ。それより、はやく座りなさい。お昼はもう済ましたかい?」

 棗の言葉に従い、勇次郎と名取はソファに腰を降ろした。

「え、えぇ。長波と島風と一緒に、間宮に行きました」

「……わたし『は』まだです」

『は』の部分を強調した名取を、棗はクスクスと笑って見た。

「暁、名取君にもカレーを」

 暁は頷くと、執務室を出て行った。

「遅れた理由も聞いているよ。色々忙しかったそうじゃないか」

「はい……。陽炎には嫌われてしまったようですし」

「そうかな? 君を気絶させた後、彼女はここに来て、君は悪くないということを熱弁してくれたよ。男嫌いの彼女があそこまで言うんだから、君のことを嫌っているわけではないと思うよ」

 棗は相変わらず柔和な笑みを浮かべている。

「まぁ妹、厳密には姉妹艦ではないのだけれど、妹分である長波の裸を見られて、気が動転していたのだろう。まぁその話はあとで陽炎本人としてほしい。それじゃ、今日やることについて説明しよう」

 裸、という言葉に、名取の頬がピクリと動いたのを、棗だけが見ていた。

 棗が最後の一口を口に運んだところで、暁が戻ってきた。その両手にはカレーが二皿あった。

「暁も今食べるわ。これから忙しくなりそうだし」

 カレーをテーブルに置くと、棗の隣にちょこんと座り、カレーをパクパクと頬張り始めた。

 その姿は子リスを見ているようで、和やかだ。

 それを見ていた名取も、慌ててカレーを頬張り始めた。

「今日は主に艦娘がどのような仕事をどのようにこなすのかを、暁と共に鎮守府を周りながら見てほしい。明日以降には提督の仕事を教える。と言っても、ほとんどは資料にサインしたり、今後の作戦を練ったりだ。昨日も言ったけど、提督は艦娘と共にあらなければいけない。彼女たちをよく見てあげてほしい」

 勇次郎は神妙にうなずいた。

 勇次郎は名取が闘う姿や、海上をスキーのように滑る姿、艤装をどこからともなく身に着ける彼女たちの姿を数度見ただけで、それがどのようにして起こるのかはまったく知らなかった。

「このカレー、暁が作ったのよ」

 共にカレーを頬張る名取に暁が言った。

「へぇ、すごい。暁さんは強いだけじゃなくて、料理もできるんだ」

「まぁね。ここの秘書艦ですから」

 暁は唇にカレーを纏いながら胸を張った。

「すごく美味しいし、食べてると元気が湧いてくるよ」

「へぇ、そんなに美味しいのか……。なっちゃん、俺にもくれよ。あーん」

「え、え。……あ、あーん」

 名取はおぼつかない手でカレーを勇次郎の口に運んだ。

「うん、美味しい! 確かに元気が出るな!」

「そ、そうですね。元気が出ました……」

 名取は恥ずかしそうに俯きながらカレーを食べ続けた。

「でも少し甘いなぁ。月子が作るのは辛口だからかな」

 その言葉に暁はピクリと反応した。

「まぁ甘口だしねぇ」

「ちょっと涼、それは言わない約束でしょ!」

 暁は憤慨した様子で棗の肩を叩いた。

「ごめんごめん。でも隠す必要はないと思うんだけど」

 ねぇ、と勇次郎に相槌を求める。

「たしかに。甘口でも全然美味しいぞ。なんで隠すんだ?」

 勇次郎は暁に尋ねた。

「だって……子供っぽいじゃない」

 暁が羞恥に頬を染め、精一杯の言葉を絞り出した。それを見た棗は、やれやれと肩をすくめ、勇次郎は苦笑いした。

「子供でも辛口が好きな子はいるし、その逆に大人でも甘口が好きな人はいるよ。それはただの『個性』で、大人か子供を決める基準にはならないと思う。そういう『個性』を受け止められるような人が、大人なんじゃないかな」

 名取が優しく諭すように言うと、暁はその言葉をよく噛み締めているように、目をつむった。

「たしかに……そうね。じゃあ暁はもう一人前のれでぃーってことね!」

 勇次郎と棗は目を合わすと、大声で笑い出した。

「ちょっと、なにを笑っているのよ。勇次郎まで! ねぇってば!」

 二人の笑い声は執務室の外にまで響いていた。


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