勇次郎の耳に、人のささやき声が聞こえた。
その数はかなり多く、周囲を囲まれているようだった。
「……ッ痛」
意識が覚醒し始めると、額に痛みを感じるようになった。
顔にはタオルのようなものが掛けられており、その奥から蛍光灯の光が差し込んでくる。
「お、起きたか」
どこかで聞いたような声がして、勇次郎がタオルをめくり周囲に目をやると、長波が勇次郎の隣に座っていた。
「……ここは」
「駆逐寮のエントランスのソファ。勇次郎は陽炎の投げた風呂桶で気絶したんだ」
長波の言葉に、勇次郎は記憶を取り戻していった。服は朝来ていたものを再び身に着けており、パーカーだけが身体に掛けられていた。
勇次郎の座るソファを、多くの少女が通り過ぎていった。
玄関から差し込む光を見て、勇次郎はギクリとした。
「今何時だ?」
「十時だよ」
勇次郎の背中に嫌な汗が流れる。
「棗さんとの約束の時間過ぎてんじゃん……」
勇次郎はどんよりとした顔で俯いた。
「それなら問題ない。暁が提督に知らせて、約束の時間は午後一時からになったって」
「それならよかった」
安堵の溜息と共に、勇次郎の腹が鳴った。
「とりあえず間宮さんに行くか」
長波は勇次郎の手を引いた。
「起きるのおっそーい!」
長波の後ろから、白い長髪に黒いうさ耳リボンを付けた少女がぴょこりと現れた。
「うるさい、島風。これから間宮行くけど、一緒に行くかい?」
「行くー」
うさ耳リボンの少女は、超ミニスカートにかなりきわどい下着が丸見えで、制服のような白のシャツも相当短い。
「長波、この子は?」
「あぁ。島風、自己紹介」
「はーい。島風でーす」
「三枝勇次郎だ……」
やけに高いテンションに、羞恥の陰は見えないので、本人が気にしないなら言及するのは申し訳ないと思い、勇次郎は島風の服装については黙認することにした。
「それじゃ行こうか」
長波と島風に引き連れられ、間宮という看板が掛けられた店に向かうと、中は広かったが、十時という時間だからだろうか、人はあまりいなかった。
食券式のようで、券売機の上には割烹着を着た女性二人が描かれたポスターが張られていた。
そこには、『間宮へようこそ』という文言が添えられており、片方の女性は赤いリボンで髪を後ろで纏めており、もう一人は高校生ほどで、同じく赤いリボンでポニーテールを作っていた。
「彼女たちは?」
「間宮さんと伊良湖さん。二人とも艦娘で、給糧艦っていう艦種。食糧を艦隊に補給するのが本来の役割なんだけど、現代では艦が、艦娘が食糧補給を行う必要があんまりないだろ? だけど、料理の腕はピカイチだから、鎮守府専用の料理人みたいな仕事をしてる。定期的に鎮守府を周って、新しい料理とか、お菓子を作ってくれるんだ」
勇次郎は曖昧に頷きながら厨房を見た。
「今はいないよー。ゆーじろー来るのおっそーいから、もう別の鎮守府に行っちゃったよー」
島風はなぜか勇次郎のまわりをグルグルと小走りしていた。
「提督たちが帰ってくる少し前に、確か……大湊に行ったんだっけ。間宮さんがいない間は、間宮さんに料理を教わった食糧科の人達が作ってくれるんだ。間宮さんとは比べられないけど、すっげぇ美味しいから!」
長波が『美味しい』の部分を強調して話すと、厨房から笑い声が聞こえてきた。
「さて、あたしはカツカレーにしよっと。島風は?」
「わたしもう買ってるよ? 塩ラーメン」
長波は呆れた笑い声を零すと、勇次郎に目をやった。
「勇次郎は何にする? カレー系がおすすめだよ」
メニューは膨大にあり、その中でカレー類が二割ほど占めていた。
「じゃあ、ポークカレーで」
長波はそれを聞くと、すばやくポークカレーとカツカレーの券を買った。
「金はだすよ」
「いいって。あたしの奢りだ」
はにかんだ口から、綺麗に尖った八重歯がチラリと見えた。
「……長波、アイスは好きか?」
「え、まぁ好きだけど」
勇次郎はその言葉を聞くと、素早く券売機に金を入れ、アイスクリームのボタンを三回押した。
「俺の奢りだ」
勇次郎の言葉に、長波は微笑んだ。
「まったく、しょうがないやつだなぁ」
長波は言葉では文句を垂れていたが、その顔は満面の笑みだった。
「はやくー!」
島風は券を係の人に渡し、四人掛けのテーブル席を陣取っていた。
勇次郎と長波は苦笑しながら、そこへ向かった。
しばらくすると、カレーを二つ持ったおばさんがニヤニヤしながら机に持ってきた。
「いつも『美味しい』って言ってくれてありがとね、長波ちゃん。これ、サービス」
「いつもありがとー! おばちゃん!」
カレーの上には、卵が一つ乗っていた。
「彼氏さんと島風ちゃんにもね」
おばさんがウインクすると、長波は耳を真っ赤にして抗議した。
「ちょっと! おばちゃんからかわないで! 彼氏とかじゃないってば」
「あらそぉお? ま、ごゆっくりー」
おばさんは相変わらずニヤニヤとして厨房に戻っていった。
「まったく、おばちゃんってば……」
長波はぶつぶつ言いながら卵の黄身を崩していたが、勇次郎は意に介せず、カレーを口に運んだ。
「んん! 美味しい!」
勇次郎の言葉に、長波はパッと笑顔の花を咲かせた。
「だろ! ここ以外にも色々店あるから、こんど行こうぜ!」
「あぁ。今度はなっちゃんも一緒に」
長波の表情がピシリと固まった。
「なっ……なっちゃん?」
「あぁ。長良型三番館の名取。俺の……相棒みたいな存在だ」
勇次郎の複雑な表情を見て、長波は真顔になった後、また顔を赤くして、カレーにむしゃぶりついた。
「おいおい、あんまり焦って食うと詰まるぞ」
「いいんだ別に!」
島風はいつの間にかアイスに手を付け始めていた。
「ゆーじろーは鈍感だねー」
勇次郎が不思議そうに長波を見ている傍らで、島風は薄ら笑いを浮かべていた。