水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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最前線の少女(4)

 窓の外に広がる徐々に明るくなる空を、蒲団の中から見つめながら、勇次郎はいつの間にか目を覚ましていた。

 そのまま壁に掛けられている時計に目をやると、まだ四時になったばかりだった。

 棗と会う時間まで、まだ相当の時間がある。

 再び目を閉じるが、外から微かに聞こえる波の音が、勇次郎の感覚を覚醒させていった。

「少し散歩するか……」

 ゆっくりと蒲団から這い出て、壁にかけているパーカーを羽織り、外にでた。

 勇次郎は鎮守府の中の、来客用の建物で睡眠をとっていた。

 来客用と言っても、周りの寮と変わらない建物で、入り口に管理人室があり、その奥に部屋がいくつかある構造だ。

 二階建てで、風呂もついている。

 名取もそこで寝てもよかったのだが、川内と木曾が半ば強引に軽巡寮に連れて行った。

 名取も嫌がっていなかったので、そのまま勇次郎は一人でこの建物の一室を借りたのだった。

「おはようございます」

 勇次郎が管理人に挨拶をすると、管理人もおはようございます、と返してくれた。

 管理人は少し歳を召したお婆さんだった。

 優しそうな顔で、勇次郎に笑いかけた。

「まだ起床ラッパまで時間はありますよ? どこかへ行くんですか?」

「はい。少し歩こうかと思って」

「そうですか。間宮、食堂が開くのは七時からだけど、もしお腹が空いたならあとで言ってください。私も少しなら作れるから」

「ありがとうございます」

 礼を言うと、お婆さんは管理人室の奥のテレビに目を移した。

 朝の番組を見ている最中だったようだ。

 勇次郎が扉を開けると、潮の香りが勇次郎の鼻を刺した。

 その香りは、村の香りとは少し違うものだった。

 海の方に歩いた。周囲の建物から人気は感じず、まだ多くの人が寝ているようだった。

 港のような場所に着き、コンクリートの上に座り込み、足を海に向けて寝そべる。

 腕を枕代わりにして海を見ていると、村を思い出した。

 川内はホームシックなんてからかっていたが、案外その通りなのかもしれないと、勇次郎は感傷に浸っていた。こんな風に海を見るのは、名取が記憶を取り戻したあの日以来だ。

 しばらくそのまま寝そべっていると、後ろから足音が聞こえた。

「そこの人、そのままの状態で所属部署と階級を名乗りなさい」

 少し高い声は、威圧的に勇次郎に尋ねた。

「……無所属、無階級、提督見習いだ」

 相手をなるべく刺激しないように穏やかに答えた。

「提督見習い……? 暁が言っていた人かしら」

「そうそう、その人だよ」

 言葉から警戒が薄まったので、ごろりと声の主の方に身体を向けた。

「ちょっ」

 やけに視界が暗いので、上を向くと、暗い緑色のミニスカートを笠にした、スパッツと、健康的な色の生足が目に入った。

「あ、すまん」

「すまんで済むかぁぁぁ」

 そのまま足が振り上げられたので、勇次郎は避けるために逆側にごろりと数回転した。

 咄嗟の事に反応したのはいいが、勇次郎はそのまま盛大に海に落ちてしまった。

 海の上から先ほどの場所に目をやると、相変わらずスパッツは丸見えだが、名取より幾分明るい茶髪を大きな黄色のリボン二つでツインテールにまとめ、白いカッターシャツの上にスカートと同色のベストを羽織る少女の姿が見えた。

「あ、ごめん」

 その言葉はどこか皮肉を含んでいた。

「ごめんで済むか。なんで朝から着衣水泳しなきゃいけないんだ」

「女の子のスカート覗いたんだから、それぐらい当然よ」

 少女は嫌味を込めた笑顔を勇次郎に向けた。

「あなた、名前は?」

「三枝勇次郎だ」

「そう、私は陽炎型駆逐艦のネームシップ、陽炎よ」

 中学生程の少女に見下されるという状況を、勇次郎は溜息混じりに理解した。

「あれ、勇次郎じゃん。なにしてんの?」

 勇次郎の後ろから声がしたので、振り返ると、水上を滑る川内が現れた。

「なんで朝から着衣水泳してんの? 海が恋しくなったとか?」

 この場所に来た理由はあながち間違っていないので、勇次郎は複雑な顔で川内を見た。

 一方の川内は、下着を見せることなどまったく気にしないのか、勇次郎にスーッと近づくと、勇次郎に手を差し伸べた。

「とりあえず陸に上がるよ」

 勇次郎がその手を掴むと、川内は勇次郎を海からすくい上げ、港に戻した。

 そのまま川内は海面から港に跳び、一回転の後見事に着地した。

 空中で艤装を消し、音もなく着地する姿はまさに忍者のようだった。

「あんたはまた深夜哨戒? 他の子が班で行動してるし、危ないからやめなさいって言われてるでしょ」

「哨戒じゃなくて散歩。提督もみんなも気にしすぎだよ。そんな遠くまで行かないしさ」

 陽炎は川内の言葉に呆れていた。

「で、勇次郎はなんでびしょ濡れなの?」

 ぐっしょりと濡れたパーカーを脱ぎ、大量に含んだ水を絞った。

「そこの陽炎ちゃんに蹴り落とされた」

「当たってないし、自分から落ちていったんじゃない」

 陽炎はタンクトップ姿の勇次郎から目を急いでそらした。

 その耳は真っ赤に染まっていた。

「とりあえず、風呂にでも入ってきたら? あ、でも来客用の風呂ってたしか午前九時から午後十一時までだったような……」

「え、マジで? どーしよ……」

 思いがけない問題発生に、陽炎は慌てふためいた。

「わ、私は知らないわよ。パンツ覗いてきたあんたが悪いんだから」

 実際にはスパッツなのだが、陽炎からすればパンツも同然らしい。

「あぁ悪かったよ。謝るよ、ごめん。でも塩水浴びたまま部屋には戻れないし……」

「なんならうちの軽巡寮の風呂使う? 艦娘の寮の風呂は哨戒とかの関係でいつでも入れるようになってるんだ。洗濯機もあるし」

「でもなぁ……言うなれば女子寮だろ……? そこに入っていくのはなぁ」

「他の整備師さんたちの使う風呂も、この時間は開いてないし……」

 川内と勇次郎が考え込むほどに、陽炎の方には責任という言葉が圧し掛かった。

「……駆逐寮の風呂を使いなさい。私にも責任の一端はあるし」

「え、でも……駆逐寮も軽巡寮も変わらないだろ?」

「今日の哨戒班は長良、球磨、天龍だったと思うから、軽巡寮の風呂を使ったら鉢合わせするかもしれないでしょ。駆逐艦の大半はこの時間にお風呂使わないし、私が見張ってるから入ってもいいわよ」

 陽炎の顔には、断腸の思いが垣間見える。

 現状それが一番良さそうな案だったので、それにすることにした。

「ちぇ、勇次郎が入ってるところに乱入しようとしたのに」

「恐ろしいことを口走るな」

 川内の冗談に勇次郎が呆れる。

「それじゃ行くわよ。あと一時間もしたら起床ラッパでみんな起きるわ」

「じゃあ私は寮で寝るから。おやすみー」

 眠そうに欠伸をする川内と別れ、勇次郎は陽炎と共に駆逐寮へと向かった。


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