「ここが我らが横須賀鎮守府、執務室だよ」
川内が勇次郎と名取に告げた。
周りの建物に比べて、どこか威圧的な雰囲気を持つ建物の二階にその部屋はあった。
扉には金細工が施されており、ドアノブには流麗な凹凸が渦巻いていた。
「提督たちもすぐ来るだろうし、先に中で待とう」
木曾がノックをすると、中からどうぞーという声が聞こえてきた。
秘書艦というのは、提督の腹心のようなものだと棗は言っていた。
あの棗がそこまでいうのだから、中にいる艦娘はよほど腕の立つ者なのだろうと、勇次郎は思っていた。
「入るぞ」
木曾がドアノブを捻り、重い扉を開ける。
中は人が二十人入ってもまだ余裕があるほど広く、扉と同様に、絢爛豪華な装飾がされていた。
赤いカーペットに、小さなシャンデリア、その光をはじく輝かしい本棚と書斎用の机、素材は木製で、高価なものだということがよく分かる。
来客用だと思われる二つの皮のソファは三人掛けで、間に置かれているテーブルはガラスで、またもや金細工が施されている。
「あら、帰ったのね」
少女の声が、書斎用の机から聞こえてきた。
勇次郎が目を向けると、響と同じ帽子をかぶった誰かが机の上でモゾモゾと動いていた。背丈が足りていないのか、机の上の書類に手を伸ばして書いていたようだ。
「ただいまー。お客さんも連れてきたよー」
川内の言葉に、モゾモゾが止まった。
その後、帽子が机の上でぴょこんと跳ねたように見えた。そして机の裏から帽子を被った少女が現れ、モデル歩きとでも言うのだろうか、まるでそこに一本の線が引かれ、その上を歩くように、勇次郎たちの方に歩いてきた。
「はじめまして。この鎮守府の秘書ッ」
そこまで言って、足を躓かせたのか、盛大にすっころんだ。
「暁! 大丈夫かい?」
「暁ちゃん!」
「もう、かっこつけようとするから!」
響、雷、電が少女に駆け寄り慰める。
「っひう。痛い……」
涙目で慰められる少女を見て、勇次郎は木曾に尋ねようとすると、木曾が頭を抱えているのが見えたのでやめた。
「もう大丈夫……」
響たちにそう言うと、少女は立ち上がり、今度は転ばない様にゆっくりと勇次郎の前まで歩き、止まると、帽子を脱ぎ、勇次郎に目を合わせた。
「暁型一番艦、暁よ。この鎮守府で秘書艦を任されているわ」
エッヘンと胸を張るのはいいが、目じりに涙が少し残っていた。
響とは反対に、真っ黒な長髪で、綺麗な眼をしていた。
「……勇次郎だ」
「名取と申します。……大丈夫?」
名取の言葉に、暁は問題ないと言わんばかりに頷いた、
「あかつきー。もうすぐ提督帰ってくるよー」
川内の言葉に暁は肩を震わせた。
「……涼、ようやく帰ってくるのね……」
その言葉には怒りがにじみ出ていた。
「何かあったのか?」
こそこそと木曾に尋ねると、木曾は溜息をついた。
「いつものことだ」
「いつものことだから問題なのよ!」
暁が耳まで真っ赤にして木曾の言葉に噛みついた。
「いつもいつも、急にいなくなったと思ったら、机の上に『仕事任せた』って……。せめて事前に言いなさいよ! 暁だって響たちと学校行きたいんだから!」
どうやら、暁も普段はあの学校に行っているらしい。
「暁は頭いいんだから、別に行かなくても問題ないじゃん」
「そういう問題じゃないの! みんなと一緒にいたいの!」
暁が川内に睨みを効かせる。
怖い怖いと言いながら、川内はソファに寝っ転がった。
「こら! お客さんの前なんだから、だらしなくしない!」
暁の言葉に、木曾が凄い勢いで首を縦に振っていた。
「俺は気にしないから別にいい。というか、こいつがそういうやつだってのはここ数日で学んだ」
勇次郎の言葉に顔をしかめて、諦めたように勇次郎に向き直った。
「あなたが新しい鎮守府の提督ね。連絡は来ているわ。あなたの村の人たちが協力的だって、建設員が喜んでいたわ。この分だと、一か月くらいで最低限の設備は整うわ。それまで、ゆっくりしていってね」
「分かった。ありがとう」
そこまで話したところで、ノックが響いた。
返事を待たず、棗と扶桑が部屋に入ってきた。
「ただいま、暁」
「……おかえり」
暁を見た棗は、嬉しそうに暁に近寄り、その頭を撫でた。
「ちょっと! 撫でないでよ! 子ども扱いしないでっていつも言ってるでしょ!」
「まぁまぁ。あ、お土産があるんだよ」
棗の巨体と暁の小学生ほどの身体では、かなりの身長差があるのだが、そんなことは気にならない程、二人の姿はその場に馴染んでいた。
「そんなこと言って、ごまかしはきかないからね。今回の不在中に、守中将と陸奥さんがいきなり来て、対応が大変だったんだから。他にも整備部でソナーが一個消えたり、明石さんがトラブルで横須賀に来るの遅れたり、間宮さんの新作が即売り切れで買えなかったり、陽炎と不知火が喧嘩したり大変だったんだから!」
「わかったよ。話は全部、後で聞こう。ほら、暁の好きなお菓子と……」
棗が扶桑にウインクをして、扶桑は手に持っていた紙袋の中から、あのよくわからない動物のぬいぐるみを取り出した。
「これ、暁が気に入るかなと思って」
暁はすぐに扶桑のもとに走って、ぬいぐるみを受け取り抱きしめた。
その笑顔は、歳相応の可愛らしいものだった。
「暁、お仕事ごくろうさま。今日はもう休んでいいよ。しばらく遊べなかった分、響たちと遊んできていいよ」
「子供扱いしないで……って言いたいけど、そうするわ。れでぃーはそろそろティータイムの時間だしね。それじゃ、勇次郎さん、名取さん、また明日」
暁はお菓子とぬいぐるみを両手で持って、響たちと執務室の外へ出て行った。
「彼女が、ここの秘書艦なんですね」
名取がぽつりとつぶやいた。
「あぁ。駆逐艦が秘書艦を務めているのは珍しいと思うよ。でも、彼女は強いからね。ほら座って」
棗は、ソファで寝ている川内を優しく抱きかかえ、カーペットの上に転がした。
三枝家でもよく見られた光景なので、だれも気にしなかった。
片方のソファに勇次郎と名取、もう片方に扶桑、棗、木曾が座った。
「まずは長旅ごくろうさま。一か月ぐらいはここで過ごしてもらうことになるが、我慢してくれ。今日は疲れただろうし、明日からの予定を軽く説明して終わりにしよう」
棗は勇次郎に、説明している間、名取は先ほどの棗の言葉を反芻していた。
『彼女は強いからね』という言葉を。