水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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勇次郎と名取は棗涼に連れられ、横須賀鎮守府へ向かっていた。
新しい鎮守府の提督となることが決定したので、棗から鎮守府の業務について研修を受けることになったのだ。
最前線である横須賀鎮守府、そこで出会う様々な艦娘たち。そして秘書艦であり、鎮守府でもっとも『強い』と言われる艦娘との邂逅。
勇次郎と名取は、そこでなにを見るのだろうか。
艦娘にとっての『強さ』とは。


最前線の少女(1)

 夏が終わりに近づくにつれ、日の長さは短くなっていった。

 つい先日までは、いつまでも照らしてくれるような気がしていた太陽も、こちらに興味が無くなったように、最近は雲の上で遊んでいる。

 いつまでもあると思うな夏と暇。

 そんな教訓じみた冗談を思いつき、勇次郎は雲の上で欠伸でもしていそうな太陽を思っていた。

「勇次郎さん、お茶いかがですか?」

 名取がボーっとしている勇次郎を見かねて、声をかけた。

「ん、あぁ。貰うよ」

 相変わらず、勇次郎は遠くに意識があるかのように、曖昧に返事をした。

「どうしたんだい、勇次郎君。体調でも悪いのかい?」

 棗の言葉に、勇次郎は首を振った。

「違いますよ。ただ、村から出るのは初めてなもんで」

 棗は得心がいったようで、ふたたび手元の雑誌に目を戻した。

「やっぱり、嫌でしたか……?」

 名取が申し訳なさそうにするので、勇次郎はその額を中指で突いた。

「別に嫌だったわけじゃないよ。だからそんな顔しないでくれ」

 名取は突かれた額をさすりながら、それでも不安そうに勇次郎を見ていた。

「ただ、感慨深いだけだよ。どうせすぐ戻るんだけど、少し不安になっただけだ」

「それ、ホームシックっていうんだよねー」

 川内が後ろの座席からこちらに身体を乗り上げてきた。

「私もまだ勇次郎の家に居たかったなー。月子の部屋、寝やすかったし」

 今日も出発の直前まで寝ていたというのに、まだ眠そうな顔で、今は無き月子の部屋を夢想していた。

「川内さん、月子さんと仲良くなってましたしね」

 扶桑が川内の隣で相槌を打った。

「いやぁ、月子はいい娘だよ。彼女に欲しいくらい」

「やらんぞ」

 勇次郎が川内に睨みをきかせた。

「お兄様」

「やめろ」

「お義兄様」

「やめろ!」

 勇次郎が頭を抱え始めたところで、川内は元の席に引っ込んだ。

「まったく。騒がしいやつだな」

 川内の向かいで、腕を組んで瞑想にふけっていた木曾が、呆れた顔で川内を見ていた。

「なぁに木曾。木曾だってあの家満喫してたじゃん」

 川内はニシシと笑った。

「満喫などしてない」

 無表情のまま、川内に返す。憮然とした態度と腰に射した刀から武士のような雰囲気を感じる。

 そんな木曾の耳に川内は顔を近づけて、こそこそと耳打ちをした。

「提督が浸かった湯に入る気分はどうだった……?」

「貴様!」

 耳まで真っ赤にした木曾が軍刀に手をかけた。

「きゃー怖―い」

 それでもからかう川内を、扶桑が止めた。

「それぐらいにしてあげなさい、川内さん。木曾さんも、他にもお客様がいるんだから、ね?」

 優しく諭す扶桑に、木曾は拗ねたようにそっぽを向いた。

「ほんと、女が三人で姦しいとは、よく言いましたね」

 勇次郎は後ろの席の喧騒を聞きながら、向かいに座る棗に言った。

「これから向かう場所は、姦しいどころの騒ぎじゃ済みませんよ」

 棗は雑誌から目を離さず、ニヤリと笑った。

 

****

 

 深海凄艦の攻撃から少しして、村に新たな鎮守府が建設されることと、勇次郎がそこの新しい提督になることが決まった。

 村人の多くは最初、海軍からやってきたという棗と、棗の提案を訝し気に見ていたが、名取が救った漁師の話や、勇次郎が提督になるという話が広まると、村はお祭り騒ぎでそれを受け入れた。

 そして今、勇次郎は、村に新たな鎮守府が建設されるまでの間、棗の率いる横須賀鎮守府で研修を受けることとなり、そこに向かうための列車に乗っているのだった。

「いやしかし、君は家族から愛されているんですね」

 棗は唐突に話しかけてきたが、依然として、雑誌から目を離さない。

 棗涼は、横須賀鎮守府を率いる提督で、階級は中将だ。

 その体躯は百八十を優に超し、肩幅や貫禄もそれに見合ったものだが、常に紳士的な態度を見せる、安心感と包容力に溢れた男だった。短い黒髪も、生真面目な彼を表しているし、柔らかい物腰は相手が殺人鬼でも受け入れそうな気概が見える。不思議な雰囲気を醸し出していた。

「なんでそう思うんですか?」

 勇次郎は相変わらず空を見ていた。

 三枝勇次郎は、一か月ほど前、記憶を失っていた名取を助け、記憶が戻るまでの間、名取をかいがいしく世話していた男だ。

 身長は百七十後半で、体格も一般的だったが、かつては荒くれの海を相手にしていた漁師なだけあって、強い胆力を身に着けていた。

 茶色っぽい黒髪で、少し癖毛っぽいところがあり、そこは年頃の青年という雰囲気があった。言葉遣いは少し荒いが、筋の曲がったことを嫌う性格は、棗に好印象を与えていた。

「そりゃ、村を出る時の厳さんと冴子さんと月子ちゃんを見ていたらねぇ」

 厳慈と冴子は勇次郎の両親で、月子は勇次郎の妹だ。

 三人とも、今生の別れというわけではないのに、まるで戦地に息子を送り出すような、実際には間違っていないのだが、そんな雰囲気で勇次郎と名取を見送った。

「月子さん、とても心配していましたよ」

 名取は月子の顔を懐かしんだ。

 名取は一か月ほど前に、勇次郎の住む村に打ち上げられた少女だ。

 その際記憶を無くしており、記憶を取り戻す名目で、三枝家に世話になっていた。

 深海凄艦との戦闘の際、すべてを思い出した名取は、艦娘とし、また勇次郎の家族として、敵を撃滅した。

 華奢な体躯と茶髪のボブカットは、今どきの女子高生のようだ。勇次郎が贈った白のカチューシャは肌身離さず身に着けていた。

 人見知りが激しく、臆病な態度だが、一度護ると決めたもののためなら、その身を挺して護る、心の強い少女だった。

「あいつが心配してたのは、土産の食い物のことだろ」

 口を悪くして答えたが、その実、勇次郎は月子が最後まで不安そうな顔をしていたことをはっきりと覚えていた。

「今まで、家を3日以上開けたことがなかったんだ。月子と俺は兄弟ってより、双子みたいな存在だったしな。それがいなくなったのが心配なんだろう」

 勇次郎の言葉に、名取は俯いた。

「大丈夫だよ、なっちゃん。美味しい土産を買って帰れば、喜ぶさ」

 そんな名取の頭を軽く撫でて、勇次郎は明るく言った。

「うん、やっぱり君に提督を任せて良かったよ」

 棗は嬉しそうに頬を緩ませた。

「はぁ、そうですか」

 勇次郎本人としては、名取の傍にいるために了承した、程度の話なのだが、棗は大層勇次郎を気に入っていた。

「うん。名取君が普通の人間とは違う、かつての軍艦の魂を引き継ぐ少女だと言っても、微塵も態度が変わらない。どこかのバカな少将のように、彼女たちを物扱いする輩が多くてね」

 棗の声は物悲しい想いを含んでいた。

 おそらく、名取を自分の所有物にしようとしていた黒岩礼二少将のことを言っているのだろう。

「まぁ、なっちゃんはなっちゃんなんで」

 勇次郎が至極当然のように言うと、ようやく棗は雑誌から目を上げた。

「そうなんだよ。彼女たちは彼女たちだ。それ以上でも、それ以下でもない。少し提督の仕事についてレクチャーしよう」

 棗は雑誌を閉じて、鞄にしまった。

「まず、彼女達、艦娘は深海凄艦に勝てる唯一の存在だ。その彼女たちは、たとえば僕の懐にある拳銃、デザートイーグルという名前なんだが、これのように、敵を殲滅する力がある」

 懐からするりと拳銃を抜いた。勇次郎たちを不安がらせない様に、目の前でマガジンを抜いた。

 この席は通路側に小さな個室のようなしきりがあるので、周囲の客からは見えないので安心だ。もし拳銃を片手に男女に話しかける男がいたら、それは通報物だったろう。

「この拳銃は、引き金を引けば、弾が出る。それは当たったものを砕き、壊し、殺す」

 棗はそれをまるで日本刀でも握っているかのような慎重さで見せた。電球の光を浴びて黒光りする拳銃は暗い夜の海を思い出させた。

「提督の仕事は、艦娘の引き金になることだ」

 棗は勇次郎の眼をジッと見つめた。

「引き金だけじゃない。標準、安全装置、なにより、それを扱う気持ちを持つ」

 勇次郎は顔をしかめた。

「でもその言い方じゃ、艦娘は兵器っていってるようなものじゃないですか」

 その言葉にはとげが生えていた。名取を兵器扱いした黒岩と同じような類の言い分はあの時の怒りに再び火をつけようとしていた。

「その通り。今、僕はそういうつもりで言った。忘れちゃいけないのは、艦娘にはそういう側面もある、ということだ」

 棗はマガジンを装填し、拳銃を懐に仕舞い、笑顔を見せた。

「でも、物事、人間を見る時には、多面的にみなくてはいけない」

 棗は名取に尋ねた。

「名取君、君に僕の拳銃を貸すから、勇次郎君を撃ってくれないか?」

 その言葉に、勇次郎は驚きを示すとともに、怒りで抗議しそうになった。

 しかし、抗議の言葉が出る前に、名取が整然と答えた。

「できません」

「そうだ。その通りだ。それが名取君の人間としての側面だ」

 棗は名取が躊躇いを見せず断ったことを嬉しく思った。

「艦娘には意志がある。自らの意志で、標準を定め、安全装置を外し、引き金を引く」

「それじゃ、提督はいらないんじゃないですか?」

 勇次郎は、棗の意図を理解し、さらに疑問を投げかけた。

「そう、結局のところ、僕ら提督は彼女達に頼りっきりになる。だけど、提督は必要だ。何故だと思う?」

 今度は勇次郎に尋ねた。

 勇次郎は首を傾げ、分からないと言った。。

「たぶん、君には分からないと思う。彼女たち、艦娘には、『弾』が必要なんだ」

 勇次郎は、自分には分からないと言われ、少し腹がたったが、続きの言葉を待った。

「ここでいう『弾』というのは、『理由』だ。彼女たちに、闘う理由を与えなければ、彼女たちは苦しむ。何のために戦い、何のために傷つくのか。提督とは、彼女たちにそれを与え、標準を合わせる時はともに敵を見て、安全装置を外すときはその震える手を支え、引き金を引く手に己の手を寄り添わせる」

 棗は名取にウインクした。

「勇次郎君は、『理由』を与える側だから、分からなくて当然だ。分からなくても、名取君に『理由』を与えた。標準を合わせ、安全装置を外し、引き金を引かせた。だから、君こそが提督にふさわしいんだよ」

 名取の脳裏には、前の戦闘で敵軽巡洋艦との戦闘時の会話を思い出された。

 生まれた理由が分からない。

 戦う理由が分からない。

 だから、何もかもが憎い。

 だから、闘う。

 それは壊れた理論で、名取にはまったく理解できなかったが、ただ、悲しいことだけは分かった。

「そんなもんですかね」

勇次郎はまだ腑に落ちないようで、名取を見た。

 名取は勇次郎の瞳の中に、強い『弾』、『理由』を感じた。

 この人を護りたい。

 それが自分の戦う理由なんだと改めて認識すると、嬉しいような、恥ずかしいような気がして、勇次郎から目を逸らしてしまった。

「あ、なっちゃん、目を逸らした。なんで?」

「なんでもありません」

 名取は恥ずかしさを誤魔化すために、水筒のお茶を勢いよく飲んだ。

 それが器官に詰まったようで、ごほごほと咳き込み、それを見た勇次郎が名取の背中をさすった。

 そんな二人を見ていると、棗ははやく鎮守府に帰りたくなった。

 彼の帰りを執務室で待つ、一人の少女に、はやく会いたくなったのだ。


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