水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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水平線の少女(13)

数時間後、名無しは慌ただしい人の動きで目が覚めた。

 どうやら、ババ抜きをしている最中に寝てしまったらしい。

 時計の針を見ると、二時を指していた。

 隣では、月子が可愛い寝息を立てていた。

「俺もいく」

 勇次郎が冴子に伝えると、冴子は厳しい顔で断った。

「あんたが行っても、なんにもならない。ここで、月子となっちゃんを見ていて」

「でも」

「でももへちまもないよ。父ちゃんが言ってたろ。もしものことがあったら」

「何が、あったんですか」

 二人は名無しが起きたことに気づいた。冴子は一瞬戸惑いを浮かべたが、すぐに表情を引き締める。

「父ちゃんの船から、救難信号が届いた。他の船からも一斉に。無線は通じないらしい。今、港の漁師組合から連絡があった」

 名無しの顔から血の気が引いた。

「海軍基地から救助船が出たらしいけど、急に海が荒れて、到着まで一時間近くかかるらしい」

 冴子は要点を的確にまとめた。

 それはまるで、自分自身に言い聞かせているようだった。

「アタシは、漁師組合に行ってくる。あんた達は、家で待ってな」

「待てよ、母ちゃん」

「いいから! こんな時くらい言うこと聞いてくれ!」

 冴子は、悲鳴に近い声で叫んだ。

「……今、船を出せる人間は、この村にいないんだろ?」

 その言葉に、冴子はビクリと震えた。

「だったら、母ちゃんが行っても何も変わらない」

「それでも! 父ちゃんに何かあったんなら、アタシが行かなきゃ!」

「俺も行く」

 勇次郎は冴子の眼を睨むように見た。

「俺が『海に出る』」

 勇次郎の手は震えていた。冴子は息子が言っていることが信じられず、呆然とした。

「よし、ならさっさと支度しちゃおう。三十秒で支度しな、ってやつだね」

 いつの間にか起きていた月子は、パジャマから普段着に着替えていた。

「みんなで行けば、問題ないでしょ?」

 月子の言葉に、勇次郎は笑って返す。

「その通りだ。さぁ、行こう」

 勇次郎の言葉に、名無しと月子が頷いた。

「ほんとに……頑固な子達だよ」

 冴子は小さく溜息をついて、表情を引き締めた。

 名無しも急いで着替えた。

 その服は、名無しがこの村に流れ着いた時のものだった。

 

****

 

「俺が行きます」

 勇次郎の言葉に、組合に集まった多くの人が驚いた。

 そこには、漁にでている漁師の家族が大勢集まっていた。

「でも、勇次郎君、海に出れないんじゃ……」

 誰かが呟いた。

「出ます。そして、親父たちを助けてきます」

 勇次郎は覚悟を決めた眼で、周囲を見渡した。その表情を見た者は、誰も勇次郎を止めようとはしなかった。

「あたいも行く」

 人混みの中から、春江が現れる。

「春姉……」

「言いたい事はたくさんあるが、後回しだ」

 春江も勇次郎と同じく覚悟を決めていた。

「ありがとう……それじゃ、行ってくる」

 そう言って、二人は足早に外に出て行った。

 多くの人々は、その場に残った。

 ある人は祈りをささげ、ある人は大丈夫だと周りの人間を励ましていた。

 色々な人が、色々なことを考えていた。

 しかし、誰一人として、絶望していなかった。

 それを見ていた名無しの胸に、熱いなにかが込み上げてきた。

 懐かしい、どこかで見た記憶。

「行かなくちゃ」

 名無しの呟きを、傍にいた月子だけが聞いていた。

「なっちゃん?」

「月子さん、私、行ってきます」

「なっちゃん? どうしたの? ねぇ!」

 月子の言葉に応えることもなく、名無しは港に駆け出していた。

 外は生暖かい風が強く吹き付けていた。

 風が吹くたびに、名無しの胸は締め付けられていった。それは目を逸らしていた記憶が、叫びが風に混じってその姿を徐々に現していくようだった。

 風が止んだ瞬間、顔を上げた名無しの眼には、美しくも荒々しい海が映し出された。

「なっちゃん?」

 小型の漁船が港に一隻残っていた。

 その脇には、勇次郎と春江が立っていた。

「わたしも行かせてください」

「ナナ、海は危険だ。組合で待ってな」

 春江は名無しを一瞥して、船に飛び乗った。

「そうだ。来てくれるのは嬉しいが、なっちゃんは戻れ」

 勇次郎は名無しの頬を撫でた。

「行かなくちゃいけないんです」

「だからなっちゃん――」

 勇次郎と春江の言葉をものともせず、名無しは強い意志のこもった言葉を返した。その眼を見た勇次郎は、言葉をつぐみ、頷いた。

「……わかった。乗ってくれ」

 勇次郎は名無しの眼に見覚えがあった。

「おい! 勇次郎!」

「俺からもお願いだ、春姉」

 勇次郎は、名無しのその眼を見た。

 前に見た、自分の中の何かと向き合っている時の眼だった。

 勇次郎は、荒れ狂う海を見つめた。

 すると、自然に足が震えてきた。

 目には、涙があふれてきた。

 それでも、海を見た。

 ふと、誰かが勇次郎の手を握った。

 手の主を見ると、在りし日の夏海が写った。

「夏海――俺、行くから」

 誰にも聞こえないくらい、小さな声でつぶやいた。

 深く息を吐き、目を閉じた。

 深く息を吸い、目を開いた。

 手の主は、名無しだった。

 荒れ狂う海に、恐れはなかった。

「いくぜ、なっちゃん」

 勇次郎と名無しは、船に飛び乗った。

 二人とも、同じ眼をしていた。


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