水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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水平線の少女(11)

「どうする? 帰るか?」

 勇次郎が名無しの髪を優しく撫でながら訊いた。

「いいえ。今話したいです」

 名無しは勇次郎を見上げた。

「春姉から、どこまで聞いた?」

「夏海さんが……勇次郎さんが、帰ってこない夏海さんを、いつまでも探している。というところまでです」

 名無しは、言葉を慎重に選んだ。

 少しでも言葉を間違えたら、勇次郎はきっと、壊れてしまう。そう思って。

「そうか。じゃあ、もう知ってるんだな。夏海が……死んでるって事」

 勇次郎の言葉に、名無しは息を飲んだ。

「夏海さんのこと……」

「たぶん、春姉とか月子は、俺が夏海の死を受け入れてなくて、それが原因で海にも入れないって言ってたろ」

「……はい」

「実際、それも半分当たってんだよ。あの防波堤に行ってるのも、夏海がまだあそこで倒れてる気がするからで、海に入れなくなったのも、夏海が死んだ海に入るのが怖くなったからだ」

 勇次郎は、星が輝く空を見た。雲一つない、綺麗な夜空は勇次郎の背中を押しているようだ。

「防波堤で釣りしてる時、夏海は今寝てんのかな、とか、今日はどんな話しようかな、とか本気で考えてる。でも、釣り糸をジッと見てさ、太陽が昇るの見てたら、分かっちまうんだよ。あいつが、もういないってこと。もう、会えないってこと」

「勇次郎さん……」

 勇次郎の頬に、一筋の涙が流れた。

「みんなに心配かけてんのも、みんなが気を使ってるのもわかる。だけどさ、ダメなんだよ」

 勇次郎は、唇を噛み締める。

「夏海のこと、今でも好きなんだよ」

「……私は、夏海さんの代わりになれますか?」

 名無しの言葉に、勇次郎は目を見開いた。

「私は、勇次郎さんが苦しんでいる姿を、泣いてる姿を見たくないです。もし、私が夏海さんの代わりになれるなら」

「それは違う!」

 勇次郎は名無しを強く抱きしめた。

「なんで、ダメなんですか? 私のこと、嫌いですか?」

「なっちゃん、そんな風に考えないで欲しい。そんな、辛い顔しないでくれ」

 名無しは自分が今どんな顔をしているのか、分からなかった。

 でも、自分が零した言葉に、自分が一番傷ついていることは分かった。

「今でも、夏海のことは好きだ」

 名無しの胸に、その言葉は深く刺さった。

 それが身体に染み込んでいくようで、気持ちが悪かった。

 吐き気で、身体が震える。

「だけど、なっちゃんのことも好きだ」

 名無しの震えがピタリと収まった。

「……今なんて」

「なっちゃんが、好きだ」

 勇次郎は、名無しの耳元にささやいた。

「初めて会ったとき、本当に夏海かと思った。だけど、全然違う子だった。それに記憶喪失とか言い出すから、これからどうしようかと思った」

 名無しは、その言葉に耳を傾ける。

 心地よい声色で、自分の全てを委ねても構わないと思えた。

「月子がなっちゃんって名付けた時、胸が苦しくなった。俺の中でも、どこか重ねてしまうことが何度かあった」

 勇次郎は申し訳なさそうに、顔をゆがめた。

「だけど、一緒に過ごすうちに、惹かれていった。他人を気遣うところ、誰も見ていなくても頑張ってるところ、……自分の中の『何か』に、向き合っているところ」

「え……」

「海を見つめてるとき、なっちゃんの眼は、その『何か』と闘っていた。その眼は、俺にないものだ。その眼を見た時、俺も頑張らなきゃって思った」

 勇次郎の声が、切ない程小さくなる。

「だから、夏海の代わりとか、言わないでくれ。なっちゃんは、俺にとってのなっちゃんは、ここに確かにいる」

 もう一度、強く抱きしめる。

「……記憶喪失ですよ?」

「未来には関係ない」

「名無しですよ?」

「なっちゃん、って立派な名前があるじゃん」

「引っ込み思案ですよ?」

「そこも好きだ」

「臆病ですよ?」

「思慮深いだけだ」

「……夏海さんじゃ、ないですよ」

「……あぁ。知ってる」

 勇次郎は、名無しをゆっくりと離した。

「これ、受け取ってくれ」

 勇次郎は胸元から、あるものを取り出した。

「これは……カチューシャ?」

 真っ白のカチューシャが、月明かりに照らされていた。

「昨日、街に行ったとき見つけた。なっちゃんに、よく似合うと思って」

 名無しは、それを受け取り、身に着けた。

 名無しの茶髪が、綺麗に纏められ、より一層儚さが増した。

 その姿はまるで、妖精のようだった。

「うん、よく似合う」

「あ、ありがとうございます」

 名無しは恥ずかしそうに俯く。

 勇次郎はベンチに座る名無しと目が合うように膝をつく。

「勇次郎さん?」

「なっちゃん、改めて、俺と付き合ってくれ」

 そう言って、勇次郎は右手を差し出した。

「はい、よろしくお願いします」

 名無しは左手をその右手の上に置いた。

 名無しの浮かべる眩しい笑顔は、夜に咲いたヒマワリのようだった。


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