水平線の少女   作:宵闇@ねこまんま

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水平線の少女(10)

「いやぁ、食ったな」

「食べ過ぎですよ、勇次郎さん。でも、どれも美味しいから、仕方ないですね」

 勇次郎と名無しは、会場近くのベンチで休憩を取っていた。

 二人で色々な屋台を巡り、腹ごなしに踊って、また屋台を巡る。

 それを三回ほど繰り返したような気がしたが、二人にとっては、一瞬のことのように感じられた。

 時計の針を見ると、もうすぐ祭りの終わりの時間だった。

 遠くの屋台のいくつかは、すでに店じまいをしていた。

「楽しかったか?」

「はい、とっても」

 二人は、瞬きの瞬間を思い出し、語り合った。

 二人の話題が尽きる頃には、周囲はすっかり暗くなっていた。

「そろそろ帰るか。だいぶ遅くなっちまった」

 勇次郎がそう切り出すと、名無しは勇次郎の袖をつかんだ。

「あと一つ、お話したいことがあります」

「なんだよ、あらたまって」

 いつになく真剣な名無しに、勇次郎はたじろいだ。その真剣な表情は、防波堤で勇次郎の秘密に踏み込んで以来だ。

「『夏海』さんのことです」

 その言葉を聞いた瞬間、勇次郎の背中がビクリと震えたのを、名無しは見逃さなかった。

「春江さんから、聞きました。そのことで、話がしたいんです」

 勇次郎は、名無しの真剣なまなざしから逃げようとしたが、駄目だった。

「……わかった。たぶん長くなるから、飲み物買ってくる。少し待っててくれ」

「……はい」

 名無しも、話を纏める時間が今一度欲しかった。

 そうでもしないと、想いが溢れてしまいそうだったから。

 勇次郎は暗くなった祭りの会場の方へと向かった。

 名無しは頭の中でよく考えた。

 もし、春江や月子の言う通り、勇次郎が、勇次郎の心が現実を受け止められないなら、自分がそれを支えたい。

 きっと、これは残酷な選択なんだろう。

 恩を仇で返すことになるかもしれない。

 それでも、名無しは真実を伝えたかった。

 明確な理由は分からなかった。

 ただ、勇次郎を支える何かになりたかった。

 ザッザッと、足音が聞こえた。

 名無しが、勇気を振り絞って、顔を上げた。

「お、可愛い子はっけーん」

 見たことのない男が三人、名無しを取り囲んでいた

 

****

 

勇次郎は小走りでベンチに向かっていった。

 会場近くの自販機の飲み物は、ほとんどが売り切れで、結局会場から少し離れた自販機に向かった。

 少し待っててと言って、十分ほどが経っていた。

 それがとても気がかりだった。

「なっちゃん、俺を探してどっか行ってないといいけど」

 そう呟いて、ベンチの見える場所までたどり着くと、ベンチに人影が見えた。

 だが、それに近づくにつれて、複数人いることが分かった。

 疑問に思った勇次郎は、足早に近づいた。

 そこでは、金髪の三人が名無しを取り囲んでいた。

「なぁ、いいじゃん。俺らと遊びにいこうぜ」

「この村の子だろ? 街に行ったらもっと楽しいことがあるよぉ」

「もう帰れないかもしれないけどさ」

 そう言って下卑た笑いを名無しに吹き込んでいた。

 名無しは、震えて俯いていた。

「ねぇ、ほら、いこうよ」

 男のうちの1人が名無しの浴衣の帯を引っ張ろうとしていた。

「あっ、やめてください! 大切な物なんです」

「しーらね」

 帯がほどけ、名無しは前かがみで帯を抑えた。

「うわ、超エロい。最高かよ」

「お前天才だな」

 男たちがまた笑う。

「俺帯の着付けできるぜぇ。手伝ってあげよっか?」

「お前絶対嘘だろ」

 男たちが笑う。

 名無しは黙って震えることしかできなかった。

 頭では、たった一つの言葉が渦巻いていた。

 勇次郎さん、勇次郎さん、勇次郎さん。

「めんどくさいし、むりやり連れてこうぜ」

 そう言って、リーダー格の男が、浴衣の襟をつかもうとしたその時。

「おい、てめぇら何してやがる」

 名無しは顔をパッと上げた。

 そこには、勇次郎が立っていた。

「勇次郎さん!」

「悪いな、なっちゃん。遅くなった」

 勇次郎は名無しに笑いかける。

「なにあんた。この子の彼氏? 悪いけど、この子これから街に連れてくから」

 リーダー格の男が、勇次郎をあざ笑うように言った。

「彼氏じゃねぇよ」

 勇次郎は、さらっと言いのける。しかしその言い方は決して冷たいものではない。

「なら猶更ほっといてくれ。ほら、どっかいけよ」

 子分らしき男がシッシと手を振った。

「彼氏じゃねぇよ。彼氏じゃねぇが、その子は俺の身内だ」

「なんだそれ、田舎特有の言い回し? 俺ら都会育ちだからよくわかんねぇや」

 ゲラゲラと勇次郎をあざ笑う。

 名無しは悔しかった。

 自分の大切な人が、こんな輩に貶められることが。

「んじゃ、連れてくから」

 そう言って、リーダー格の男が名無しに触れようとした瞬間。

「ブハッ」

 リーダー格の男がその場から3メートルほど吹っ飛んだ。頬には大きな拳の痕が付いている。

 名無しが不思議そうに吹っ飛んだ男を見ていると、頬に暖かい手の平が触れた。

 一瞬、びくりと震えたが、その手が誰のモノか分かると、目から涙があふれてきた。

「は? たけし……。てめぇ、たけしをよくも!」

 子分の二人がいつの間にか目の前に現れていた勇次郎に向かって拳を構えた。その二人を勇次郎は鼻で笑う。

「お前ら、怪我したくなかったら、あそこの男連れて失せろ」

 勇次郎はギロリと二人を睨み、拳を構えた。その姿からは喧嘩慣れした雰囲気が伝わる。

「次はお前たちだぞ」

 子分たちは、ジリジリと勇次郎から離れ、リーダー格の男を抱え、どこかへ去っていった。

「ごめんな、怖い想いさせて」

 名無しの頬をくすぐるように撫で、名無しはその手に自らの手を重ねる。

「大丈夫です。信じてましたから」

 名無しは、涙をぬぐって、勇次郎を見つめた。

「昨日言ってくれましたから。守ってくれるって」

 勇次郎は、名無しの頭をポンポンと撫でた。

 そうされると、こらえていたものが抑えきれず、瞳から感情が零れてきた。

 勇次郎は名無しが落ち着くまでの間、名無しを強く優しく抱きしめた。


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