楓ファンの皆様。
ごめんなさい!!
物語の展開上、楓の扱いがこうなってしまい誠にすいません!ただ、一つ言っておきますと、作者は別に楓が嫌いなわけではありません。
物語の都合上、こういう役回りにせざるをえなかったので。本当にごめんなさい。
其ノ壱:真実ヲ知ッタ時、全テハ手遅レ
少年ー土見稟を河へと突き落とした少女ー芙蓉楓は、暫く稟を落とした河を眺めていた。
彼女の母親の仇ー稟を河へと突き落とした事で復讐が出来た楓は、本来であれば気持ちが清々する筈であった。自身の母親の命を奪いながらものうのうと生きている稟に、漸く裁きの鉄槌を下せたのだから。なのに、何故だろう。今の自身が抱いている感情が、その真逆の感情なのは。
どうしてこんなにも胸が苦しくなり、悲しみが込み上げてくるのか。こんな事を望んでいなかったという感情が込み上げてくるのか。
特に、稟のあの表情を見てからは胸が張り裂けそうになったほどだ。
今まで彼が浮かべてきていた自嘲の笑みでも、全てを諦めてしまったかのような表情でもなく。彼を憎むようになる以前、彼女が好きだった彼の笑顔を見た瞬間、楓は思わず涙を流しそうになった。
何故、自分がそんな気持ちにならなければいけないのか。稟は母親の仇だ。楓から大好きな母親の命を奪った罪人なのだ。だから、自身が悲しみに、罪悪感に囚われる必要なんてない。彼は罪人。それ以外の事実なんてあってはならないのだ。
「……っ」
楓は、胸中に溢れる感情に無理矢理蓋をして走り出した。自身の中にある認めたくない感情と、拠り所にしている事実。その二つの狭間で揺れ動きながら、全てを誤魔化すかのように、走り去った。
その姿を、一人の少女が見ている事に気付かないまま……
楓が稟を河へと突き落とし、逃げるようにその場を去った頃。芙蓉家では、楓の父親である芙蓉幹夫が珈琲を口に含みながら、帰りの遅い娘と稟を心配していた。
「こんな時間だというのに、楓も稟くんも遅いな。雨も酷いし、一体何処で何をしているのやら」
芙蓉幹夫。芙蓉家の大黒柱であり、楓の父親。彼は、今は亡き稟の父ー土見鉢康の親友であり、両親を失い身寄りのなくなった稟の保護者代理となった男。しかし、保護者代理と言っても、光陽町の住人のほとんどから敵視されている稟を助ける事が出来ず、彼の意思に負けて今の現状を作ってしまった人物でもある。
幹夫も最初こそは今の状況を何とかしようと稟を説得していたのだが、稟はその説得に応じずに嘘を貫き続け、結果として状況は変わらずに続いていた。幹夫は稟の現状を救えない自身の不甲斐なさに憤慨しつつ、今の状況を享受してしまっている自身を呪っている。彼の優しさに甘えん坊、自身がすべき事を放棄してさまっている。
「しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいかないだろう。稟くんには悪いが、そろそろ楓に真実を話さなければ…」
だが、いつまでもこの状況に甘んじるわけにもいかない。五年もの間。稟に甘え続けておきながら、状況を改善させる事を放棄しておいて何を今更だが。もう、これ以上は限界だ。稟も、自分も。このままこの状況が続けば、いずれりんは……
幹夫が言葉を溢した時。玄関が開く音がした。
漸く楓か稟が帰ってきたのかと思い、玄関へと向かうと。そこにはずぶ濡れになっている楓の姿があった。
「楓、どうしたんだそんなずぶ濡れで!早くお風呂に入ってきなさい!」
楓がずぶ濡れで帰ってきた事に驚いた幹夫は、慌てて浴場からタオルを持ってくると楓に風呂に入るように促す。楓の様子がどこかおかしいが、今は早く温めるべきと判断した幹夫は詮索するような事はしなかった。
「ところで楓。稟くんがどこに行ったか知らないか?こんな時間だというのに、まだ帰ってきていないんだよ」
しかし、稟の事は訊いておかなければならない。未だに帰ってこない稟。夜も遅く、外は大雨。心配しない方がおかしいだろう。
その言葉に楓は、浴場に向けていた足を止めて。
「あの人は、もう帰ってきませんよ」
思わず呟いてしまった。
「楓……?」
その言葉に。その声に。嫌な予感を感じた幹夫は娘に問いかけてしまう。
「もう、いいじゃないですか。あんな人の事なんて放っておいて。私達から大切な人を奪った人を気にするなんて、馬鹿馬鹿しいじゃないですかっ!」
そう叫んで振り向いた楓の表情は……
何かを誤魔化そうと、ぐちゃぐちゃに歪んでいて。
自身の感情と、縋り付いているナニかとの間で揺れ動いていて。
泣いているようにも、笑っているようにも見えて。
「……まさか、楓、おまえ……」
普段の楓らしくない態度。
何かを誤魔化すかのような叫び声。
未だに帰ってこない稟。
外は大雨。
幹夫の脳裏に、認めたくない事実が浮かび上がってきた…
「お前、稟くんを……」
掠れる声で、幹夫は楓に問う。
そんな事はありえないと思いながら。
自分の娘が、そんな事をする筈ないと思いながら。
いくら稟を憎んでいようが、そんな事だけは、する筈ないと思いながら……
しかし、幹夫の想いも虚しく。
現実は、残酷な真実を伝える……
「……えぇ。河へ突き落としてやりました。お母さんの命を奪っておいて、のうのうと生きているなんて許せないから。きっと、無事ではないですよ……」
幹夫は自分の目の前が真っ暗になったような気がした。
稟が自身を犠牲にしてまで救いたかった少女は、あろうことか稟を……
楓の命を救ってくれていた恩人に、やってはならない、惨い事をしでかしてしまった。
確かに。稟にも非がある。いくら楓を生かす為とは言えど、彼女に嘘をついたのだから。その嘘で、彼の周囲の人達を狂わせたのだから。
だか。だからと言って、こんな残酷な仕打ちを受けていいものだろうか。寧ろ、大人である自分が。何も出来なかった自分こそが報いを受けるべきではなかったのか。彼の両親を奪ってしまった自分達こそが、裁かれるべきではなかったのではないか。
幹夫は、自分が立っている場所が崩れるような錯覚を覚えたが何とか堪えた。
そして。
ーーパシン!!
「…………ぇ?」
楓の、娘の頬を叩いていた。
楓は突然の事に、何が起こったのか理解できていない。呆然とした表情で自身を叩いた父親を見ていた。
「お父、さん……?」
普段親バカである筈の幹夫が、自分には決して見せたことのなかった表情で自分を見ている。
滅多な事では怒らなかった幹夫が、うっすらと涙を流しながら、楓に対して怒っていた。幹夫自身に対して、怒っていた。
その理由が、楓には分からない。いや、分かりたくない。だって、その理由を分かってしまったら……
幹夫は自身を落ち着けるように深呼吸すると、何かを決心したかのように楓を見つめる。
本当ならば、今すぐにでも稟を捜しに駆け出したいがこの状態の楓を放置するわけにもいかない。稟を捜し、彼を連れ帰った上で、楓に真実を伝えるべきなのだろう。なのに自分は、娘を優先して恩人である稟を捜しに行く事を……
「薄々気付いているとは思うが、楓。稟くんに止められていた真実を話す」
心が締め付けられる感覚がするのを無視して、言葉を発してしまう。
そしてその言葉に、楓は思う。
ソレハイッタイ、ドウイウコトナノカ……と。
楓が知っている真実と、幹夫が語ろうとしている真実。
真実は 一つしかなく、それは、楓が知っているものこそが唯一の真実であるべきもの。
なのに。どうしてこんなにも心が揺れ動くのだろう。
まるでそれは、楓が知る真実が……
「お母さん達三人を失ったあの事故だが……。あの事故の原因になったのは稟くんじゃない。私達なんだよ」
偽りのものであると、言わんばかりのようで……
「あの時お前は風邪を悪化させ、母さん達が出掛けた後で倒れてしまったんだ。稟くんはその事を私に伝えてくれて、一生懸命にお前の事を看病してくれたんだ」
父の言葉に、楓の脳裏に一つの光景が浮かび上がる。
それは、彼が、稟が自分を必死で看病している光景で。彼は心配そうに、楓の事を必死に看病してくれていて。
父から伝えられた真実に、心の底でやっぱりと、どこか納得している自分がいた。そして、伝えられる真実の先には、残酷な現実が待っていて……
「私達なんだよ。私達三人が、稟くんから両親を奪ってしまった……」
その真実は何と残酷で、愉快な話なのだろう。
被害者面で稟を貶めていた張本人が、実は加害者側だなんて。
悲劇のヒロイン気取りが、裏を返せば罪人だったという事実。
これほどに可笑しな話もあるまい。
彼に生かされていた自分は、彼に数えきれない程の傷を付け、恩を仇で返してしまったのだ……
「それが、真実なんですね……」
楓が自嘲の笑みを浮かべかけた時。
幹夫のものでも、楓のものでもない第三者の声が聞こえた。
その方向に二人が眼を向けると。
「さく、らちゃん……」
「桜ちゃん……」
稟と楓のもう一人の幼馴染みー八重桜がいた。
「勝手に家に入ってごめんなさい、幹夫おじさま。楓ちゃんが稟くんを河へと突き落としところを見て、居ても立ってもいられなくて……。あれから稟くんを必死に捜していたけど、結局見つけられなくて……」
あの場を見られていた事に、楓の表情が苦しそうに歪む。
よりにもよって、大切な友人である桜にあの場を見られてしまったのだ。周りの人間が稟の敵になっても、彼の味方でい続けた桜に。彼に恋心を抱いていた、彼女に。
楓が稟を突き落とした後。彼女は必死で稟を捜していたのだろう。傘をさす事を放棄して、一心不乱に。彼女の姿が、それを物語っている。雨に打たれ続けてずぶ濡れになっている、彼女の姿が。一体、どれだけの時間をこの大雨の中捜していたというのだろうか。
「稟くんがどうして、自分を犠牲にしてまで楓ちゃんを守り続けていたのかの理由が知りたかったけど、そんな理由があったんだね…」
「さくら…ちゃん……」
「何も言わないで、楓ちゃん。何か言われたら、多分私、抑えがきかなくなるから」
そう言って俯いた桜の肩は微かに震えていた。まるで、何かに耐えるかのように。
「すまない、桜ちゃん。私が不甲斐ないばかりに、稟くんにも桜ちゃんにも辛い想いをさせてしまった…」
「今更謝らないで下さい。それに、私に謝られても…困ります」
桜の足下に、透明な雫が落ちるのを幹夫と楓は確かに見た。
桜の気持ちが痛いほど分かる二人は、何も言えずに黙るしかない。
謝罪の言葉は、確かに今更であるし的外れだろう。その言葉を言うべき人物は、今此処にいないのだ。それどころか、もう……
全ては手遅れ。
致命的に遅すぎた。
楓は真実に気付くのが。
幹夫は真実を娘に伝えるのが。
あまりにも、遅すぎたのだ……
過去には戻れない。どれだけ悔やんでも、刻の針は戻せないのだ。
「私……これから先、楓ちゃんを許せないかもしれません……」
ぽつりと零される桜の言葉。
それは当然の言葉だろう。
余程の大馬鹿者でもない限り、楓を許せる者はいないだろう。桜は言葉を続ける。
「でも、それと同じように自分自身も許せません。無理矢理にでも稟くんを止めていれば、こうはならなかったのかもしれない。稟くんは、今も此処にいたのかもしれない。それを止められなかった私も、楓ちゃんと同罪です」
必死に涙を堪えつつも、堪えきれずに零れる涙を拭う事もせず、桜は言葉を紡ぐ。
自身を奮い立たせるように。
残酷な結末なんて認めないように。
「だから、私は…………」
桜から語られる想い。
それを聞いた楓は、その瞳から涙を溢れさせて床に膝をつく。
「ごめん……なさい……」
そこから楓は、その一言だけを繰り返し続けた。
それは一体、誰に向けられた言葉なのか。
幹夫と桜には分かっていたが、二人は敢えて何も言わない。
涙を流しながら謝罪の言葉を続ける楓と、涙を流しながら己を律しようとする桜に背を向け、幹夫は何かを堪えるかのように天井に顔を向けた。
「稟くん……鉢康……」