ISー王になれたかもしれない少年は何をみるか   作:nica

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私の小説を読んでくれている方々。
お待たせいたしました。
IS、漸く投稿です。



第六話:『王』と『蒼き雫』

 少女から逃げるように去った稟は、十分程走り続けた後で漸く足を止めた。

「…はぁ、はぁ、はぁ……ここまで来れば、もう、大丈夫かな?」

 荒れた息を整えつつ、周囲を確認して一息吐く稟。

 セシリアの姿が見えなくなった事に安堵の息を吐きつつ、ふと、自分は何故彼女から逃げるようにして別れたのだろうかと疑問を浮かべる。

 別に名前を訊かれたからと言って、逃げる必要などなかったのだ。もう会う事もないだろうから、普通に別れればよかったのだ。なのに、何故だろう。

 そんな自分に首を傾げつつ、稟は再び歩き出そうとして、

「…………此処、どこ?」

 自分がどこにいるのか分からない事に気付いた稟は、顔を引き攣らせながら呻くようにそう溢してしまう。

 イギリスに来たのは今日が初めての為、当然だがイギリスの地理を把握している訳がない。地図も持っていないから現在地など分からないし、そもそも束とアレンがどこにいるのかも分からない。ネックレスに通信機能と発信機の機能があるとはいえ、連絡をしても場所の名前が分からなければ合流も難しいだろう。それに、束達に見つけてもらうとしても彼女達には用事があってそちらを優先している。少なくとも一時間やそこらで終わるような用事ではない事は聞いていたし、ネックレスから聞こえてきた声からして、多分アレンは冷静な状態ではないだろう。それでは通信機能で通信してもすぐに合流できまい。

「…………どうしよう」

 迂闊な自分に呆れつつ、途方に暮れてしまう。今はまだ昼だからいいが、このまま何時間も束とアレンと合流できなかったら。見知らぬ土地に自分一人。寂しさと孤独に震える自分の姿。助けなどなく、時間が無駄に過ぎて…。そんな嫌な想像を一瞬浮かべ、慌ててその思考を振り払う。

 大丈夫。そんな事にはならない。あの二人ならば必ず見つけてくれるだろうし、自分も行動を起こせば大丈夫。と自分を励ましつつ、取り敢えずこれからどうするかを考える。この場に留まるにせよ否にせよ、これからの行動を考えなければならない。

 稟は一呼吸し、再度周囲を見渡す。時間は昼過ぎだというのに、周囲に人影はなく薄暗い。道幅もそこまで大きくなく、人二人が通れるくらいのものだ。恐らくはどこかの路地裏だろう。

「……移動するか」

 下手に動けば余計に迷ってしまうが、路地裏で待ち続けるのはよくないだろう。変な輩に絡まれる可能性もあるし、どこか淀んだ空気を持つこの空間では不安が増してしまう。とにかく、人通りがある場所まで向かわなければ。

 稟は自分が走って来た方向へと向き直り、もと来た道を戻っていく。

 

 

 歩く事数十分。最初こそ不安な気持ちで歩いていた稟だが、特に何かが起こるわけでもなく、次第に街特有の喧騒がきこえてくると安堵の表情を浮かべるようになった。このまま歩けば、数分もしないうちに人通りのある場所に出るだろう。少しばかり早歩きになり、稟は歩を進める。

 そうして歩き続ける事数分。漸く明るい街へと出てこれた稟は顔を綻ばせる。微かに残っていた不安も消え、後は見晴らしのいい場所を探して彼女達を待つのが無難だろう。ここからは下手に動かず、彼女達を待てばいい。

 そう考えたところで、稟はふと思い出した。セシリアと別れる際にはネックレスから聞こえてきていた凄い声が、今は聞こえてこない事に。

 ネックレスから聞こえてきた声から察した、あの状態のアレンがすぐに冷静になるとは考えられない。寧ろ、落ち着かせようと説得するであろう束を巻き込んで、二人して暴走するのが目に見える状態である事が察せられた。なのに、気付けば無言を貫いている。

その事に首を傾げ、一体どうしたのかと考えようとした時。ネックレスが微かに発光し、微かな音が聞こえてきた。

『……ん…………あぁ~』

「……ん?」

 その音は、よく耳を澄まさなければ聞こえない程に小さなもの。この街の喧騒に掻き消されて、普通ならば聞こえない筈の大きさの音。

「…今、音が聞こえた?」

 この喧騒下では、そこそこに大きくないと身につけている物からの音でも聞こえない。ならば、先程聞こえた音は気のせいだろうかと戸惑い、ネックレスを見つめる稟。しかし、ネックレスから音は聞こえず、やはり気のせいだったのだろうかと首を傾げた時。喧騒が一際大きくなり、何やら怒号と悲鳴が聞こえだしてきた。

 一体何事かとその方向へ顔を向けた稟は、顔を思いっきり引き攣らせた。

 稟が見た方向。そちらには、何やら物凄く不穏な雰囲気を纏った女性が、描写するのが難しい程の物凄い形相で、人間には到底出せない速度で稟に向かって走ってきていたからだ。その人物との距離は相当離れている筈なのに、何故か稟にはその人物が誰で、表情まで分かってしまった。

 その人物は一直線に稟に向かって走ってきており、女性の進行方向にいる人達は慌ててその場から離れる。この速度でぶつかられては、ピンボールのように弾き飛ばされる未来が脳裏に映ったのだろう。現に、女性の後方には逃げ遅れて弾き飛ばされた犠牲者が何名かいるのだから。尤も、奇跡的に怪我人がいないという摩訶不思議な状態ではあるが。

 稟としてもこの場から逃げたいのだが、その女性が誰であるか分かっている為に逃げられない。稟は引き攣った顔のまま、徐々に迫り来る女性を見つめる事しかできなかった。

 この場から逃げた方が被害が少ないのでは?という思考も浮かんだが、それもみるみるうちに距離を詰めてくる女性を見て無理かと諦めてしまう。

 そして、気が付けば目と鼻の先に女性が接近していて。

「り・ん・さ・まああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 女性―アレンは、筆舌し難い表情で稟の前まで来ると、彼の腕を掴んでそのまま何処かへと走り去って行った。なんの抵抗もできない稟は、風に揺れる旗のように靡きながら身を任せるしかない。

 彼女が去った後には、アレンが走り去った場所を呆然と見つめる街の住人達が残されていた。

 

 

 アレンに拉致(かいしゅう)された稟は、どれくらいの時間引っ張られ続けたのだろうか。随分と長い距離を走っていたような気がする。

 周囲の状況は一転しており、今までは住宅街だった周囲が、どこか物々しい雰囲気を漂わせる建物が目につくような場所になっていた。その中でも、一際大きな建物。一般人には近寄り難い雰囲気を放つ、何かの研究施設と思しき建物。

 アレンはその建物へと向かっていた。暫くアレンに身を委ねていた稟だが、建物が徐々に近付くにつれアレンが減速し、その建物の前まできたところで解放された。

 解放された稟はアレンとその建物を見比べ、

「……此処は?」

「イギリス政府直下のISの研究・開発を行う研究所です。創造主は今、此処で稟様を待っています」

「……つまり、束さんがイギリスへ行くと言った理由は此処に用があったから?」

「はい。コアネットワークを通じて、彼女から私に連絡がありまして。研究者達の言葉を理解した彼女が私を通じて創造主にコンタクトをとってきたのです。創造主は暫く悩んでいましたが、気になるからとこの地へ赴いたのです」

 アレンの言葉に、稟は何かを考えるように研究所の入り口を見つめる。

 他人嫌いの束が、わざわざイギリスの施設まで赴く理由とは何か。気になる事と言っても、彼女からすれば別にこの地に来る必要はあるまい。自分の研究所で調べれば済む話である。というか、指名手配扱いを受けていながら人前に姿を晒す等となにを考えているのか。

「……アレン、束さんは一体何を考えてるのかな?わざわざ人前に姿を晒すなんて」

「さて、何を考えているのでしょうか。創造主の思考は人には理解し難いものですから」

 身も蓋もないアレンの言葉。

 その言葉には納得してしまうが、それでも考えずにはいられない。

「あの束さんがわざわざイギリスに来た理由……此処で開発されているISって」

「…お察しの通り、第三世代型です。BT兵器を搭載した試験機でした。まぁ、創造主にとっては誰がどんなISを造ろうがさして気にはしませんが」

 言葉の後半部分には反応せず、アレンが発した兵器という言葉。稟はその言葉に顔を顰める。

「兵器か……。君達は兵器なんかじゃないのに」

「……王」

 稟は悲しそうな表情を浮かべ、そう呟く。

 稟のその表情は、ISを兵器としてではなく、一つの意志ある存在として。対等の存在として捉えているからこそ浮かぶ表情で。

 今では、束が望んだ方向とは別方向に捻じ曲げられた方向へと向かっているIS。その事に、言い様のない悲しさを覚える稟。

 束からISを造った理由を聞き、彼女の夢に共感を覚えた稟だからこそ。

 アレンと触れ合い、彼女にも意思があると、心があると理解しているからこそ。

 ISを兵器として扱われる度に、言われる度に悲しくなる。

 だが、ISが兵器として扱われてしまう理由も解っている。ISの機体性能(スペック)が、数年前に起こった白騎士事件が。その要因である事も。

 その事を変えたいと思っても、稟にはその力がない。いくらISは兵器ではないと声高に叫んでも、鼻で嗤われるのが現実だ。夢と現実を区別できない子供の妄言だと切って捨てられるのが現実なのだ。

「王、創造主と彼女が待っています。行きましょう」

 稟が自身の思考にこれ以上囚われない為に、アレンはそう声をかける。

「……ん。分かった」

 それで思考の渦に落ちそうになった事に気付いた稟は頭を振り、意識を切り替える。今は、稟を待っている束に会うのが先決だと。

 アレンが研究所の扉を開けてその中に入り、稟もその後に続いた。

 

 

 稟とアレンが研究所に入る数分前。

 束はイギリス政府が開発した第三世代型のISの調子を見ていた。

 特に異常は見られず、何もおかしなところはない。謎の発光現象を除けばだが。

 本来なら、束がイギリスへ来る必要性などなかった。アレンが言った通り、彼女の研究所から調べればそれで事は済んだ。わざわざ凡人共の前に姿を晒す必要などなかった。それでも此処に来たのは此処で開発されているISが気になったからだ。彼女から伝えられた言葉が。

 束とアレンがこの研究所に現れた瞬間。研究者達は大いに慌てた。ISを生み出した天災が、世界中から追われているあの天災が突然現れ、あまつさえ開発しているISを見せろと言ってきたのだから。

 研究者達は当然渋った。いくらISの生みの親だろうが、自分達の理解が及ばない天災であろうが、そう易々と自分達の技術を見られたくないからだ。

 だが、束が二言三言研究者達に呟き、彼等はISを束に見てもらう事にした。彼女の言葉は、行き詰っている自分達にとって渡りに船だったから。勿論葛藤はあったが、この先の展望が見られなかった彼等にはそうするしかなかった。

 ISの調子を見ている束を遠巻きに見ながら、研究者達は話し合う。突然現れた天災の事を。今後の事を。

 そうしている内に、束が見ているISが再び輝きだした。それも今までの発光とは比べ物にならない程の輝きだ。研究者達は思わず腕で眼を庇い、至近距離で見ていた束は眼を細め、

「この反応。やっぱりあーちゃんと同じ……」

 彼女の呟きは、研究者達には聞こえなかった。

 束は徐々に強まっていく輝きを微動だにせずに見続け、

「稟様を連れてきましたよ、創造主」

 輝きがピークを迎えそうになった瞬間。稟を後ろに連れたアレンが部屋に入ってきた。束が開いた扉に振り向いたその瞬間。部屋は白く塗りつぶされ……

 

 

 

 

 ――貴方が、アレンが言っていた我等が『王』なのですね。

 

 急に真っ白になった部屋。傍にいたアレンを見失ってしまう程に眩い輝きに眼を瞑った時、稟の頭に声が響き渡った。

 この現象を、彼は知っている。これは、アレンとの初対面の時に起こった現象だ。

声がしたであろう方向を見ようと、稟は白く塗りつぶされた部屋を見渡す。

眩い光により視界が白一色に染まった状態では、物を見る事は出来ない筈だが何故だか彼には見えた。隣にいたアレンの姿がいつの間にかなくなっている事を気にする事なく、部屋の奥にいる一機のISを見つめる。鮮やかな青色をした、どこか王国騎士のような気高さを感じさせるISを。

 束が稟を呼んだ理由を何となく察した稟は、青いISに近付く。

 彼女が稟をここへ呼んだ理由は、恐らくこのISと会話させる為だろう。

 何故そうしたいのかは分からないが、彼女はそれが必要だと考えたのだろう。稟は青いISと会話する為に、そっと触れた。

瞬間。ISが淡く輝き、

 

――…成程。彼女が言った通りの方なのですね。『王』よ、貴方という方は……

 

 アレンと同じく、彼の過去を見たというのか。彼のこれまでの軌跡を知っているような口ぶりだ。

(……アレンにも言ったけど、ボクは王と呼ばれるような人間じゃないよ。自分の身勝手なエゴで周囲の人を苦しめた愚か者。自分が寂しくなりたくなかったから、人の人生を弄んだ罪人……)

 数年前の自分の所業を振り返り、吐き捨てるように呟く稟。その顔は自嘲に歪んでいた。

 

――ですが、それでも貴方は護り続けた。生きる意思を失った一人の少女を救い続けたではありませんか。どれだけ傷付こうとも、弱音を一切吐かずに護り通してきたではありませんか。それは、他人には真似できない事。貴方は、『王』は確かに一人の少女を護ったのです。

 

 ISの言葉に、稟は苦しげに顔を歪める。

 アレンといい、束といい、このISといい、何故こうも稟の所業を肯定するように言うのだろうか。

 結果的には少女の命を救ったが、その過程で周囲を巻き込んだ罪は無くなりはしない。自身の浅はかな嘘で人々を苦しめたのは消えない事実なのだ。少女の命を救ったという結果が免罪符になっていい訳がない。

なのに、どうして、彼女達は……

(君は……)

 

――私は蒼き雫(ブルー・ティアーズ)です。お好きなようにお呼び下さい。我が、我等が『王』よ。

 

(…………王なんて呼ばないで。ボクには土見稟って名前があるから)

 

――でしたら、稟様とお呼びさせていただきます。稟様。貴方の意思は、魂の輝きは、アレンが言っていたようにとても尊い。機械である私達にもそう感じさせるのです。ですからご自身を責めないで下さい。貴方の魂の輝きは、私達が護りますから。

 

 こんな自分を肯定するのか……

 どうして否定しないのか……

 罪深き人間だと、断罪しないのか……

 偽善者だと、蔑まないのか……

 優しさで包み込もうとするのか……

 彼女達の優しさに身を委ねれば、この苦しさから解放されるのかもしれない。

 彼女達の厚意を受け取れば、何も悩まなくてもいいのかもしれない。

 甘えてしまえば……

 逃げてしまえば……

 だが、それでは駄目だ。

 彼女達が何と言おうと、自分で自分を否定してはいけない。過去は変えられないのだ。時は戻らないのだ。どれだけ悔やんでも、その道を選んだのならば突き進むしかないのだ。自分が自分である為にも。

 この罪を、愚かさを、無かった事にしてしまえば、土見稟という存在そのものが消えてしまう。

 未だ過去に囚われ続けている稟。

 その事を知った『蒼き雫』は、彼を想いながら言葉を送り続ける。

 

 

 部屋が白く塗りつぶされてから数分後。

 部屋を覆い尽くしていた輝きは消え、今では元の明るさに戻っている。

 アレンは束の下に向かうと、『蒼き雫』に触れて眼を閉じている稟を見つめながら彼女に問いかける。

「どうでしたか、彼女は?」

「あーちゃんと一緒だったよ。りっくんの事しか頭になかったあーちゃんとね」

「やはりそうでしたか。彼女から通信が来た時からもしやとは思っていましたが…」

「どうやら君達は、どういう理由でかは知らないけどりっくんがこの世界に来た事を感知していたみたいだね」

 稟と『蒼き雫』を見つめながら話し合うアレンと束。

「そうですね。私も彼女もそうですが、稟様の存在を感知できたと同時にうっすらと感じた。あの御方こそが我等が『王』であると。それは、彼に触れた時に確信へと至った。恐らく、此処にはいない彼女達にも同じことが言えるでしょう」

「……つまり、全世界のISがりっくんの事を?」

「全機かは不明ですが、少なくとも何機かは稟様の事を感知しています」

 アレンの言葉に束は考える。

 彼女の言葉が確かならば、彼女達ISは土見稟が自分達の『王』であると言っているのだ。この世界とは別の世界から来た、少年の事を……。そして、その存在を感知している。

 俄かには信じ難い事だ。

 別世界の少年を『王』と呼ぶなどと。搭乗者(パイロット)としてではなく、仕えるべき『王』と認めるなど。ISとは何の関係もない少年を、彼女達が感知するなど。

 一体、彼の何がそうさせるのか。

 稟と出会い、共に生活をするようになってから二年程経過しているが、彼に特別な能力があるように感じた事はない。どこにでもいるような普通の少年だ。ただ、造られた存在であるアレンを機械だからという理由で扱いの対応に差はつけていない。束と同等に対応し、人間と機械という区別をせずに対応している。その点を見れば、普通の人と違うだろうが、だからと言って『王』と呼ばれる理由にはならない。

 ならば考えられる理由は……

 彼女達と会話ができるという点。

 ISの産みの親である束でさえできない事。彼女達の思考を何となく感じる事ならば束にも出来る。彼女達の意思が何らかの媒体を介して文章となったり、波長として現れれば会話らしきものをする事も可能だ。しかし、彼女達の声を直接聞く事は束には出来ない。

 だが稟は、それが出来る。今まで、ISという存在がなかった世界にいた少年が。

 何故、彼はISの声を聞く事が出来るのか。その事が、アレン達ISが稟を『王』と呼ぶ理由になるのかは分からない。情報が少なすぎる。

 そこまで考えたところで、束は一度思考を止める。この次を考えるのは今でなくてもいいだろう。それより優先すべき事が目の前にあるのだ。

 今優先すべきは、実験動物を観察するような視線で稟を見ている凡夫共(けんきゅうしゃたち)に釘をさす事。彼を利用しようなどという考えが浮かばないように脅迫(おはなし)をしなければ。

「創造主。彼等にはしっかりと脅迫しておきましょう。稟様に害が及ばないようにしなければ」

「そうだね。束さん達の生活に関わる事だからね。彼等(ぼんじんども)にはその点をしっかりと理解してもらわないと」

 束とアレンはお互いに笑みを浮かべる。その笑みは、男が見れば顔を赤らめてしまう程に美しく可憐な笑みであるのだが、見る者が見れば恐怖によって顔を引き攣らせるだろう程に怖ろしいものでもあった。

 彼女達は、そんな怖ろしい笑みを浮かべて凡夫共に近付く。

 

 

(どうして君達は、こんなボクを肯定するんだろうね……)

 『蒼き雫』と会話をしていた稟は、自身に纏わりつく複数の視線を感じ取っていた。実験動物を観察するような不快な視線を。しかし、彼にそれを気にするような余裕はなった。

 

――稟様の想いが眩しすぎるからです。確かに、稟様の行いは否定されるべきものかもしれません。ですが、一人の少女を救いたいと願った純粋な想いは否定されるものではありません。

 

 彼女の言葉が、彼の胸に突き刺さるから。

 

――自身を犠牲にしてまでも、誰かを救う。それは誰にも真似できない事です。人は誰だって、自分が傷付く事に恐怖を覚えてしまう。助けたくても、それで自分が傷付く事を良しとしない。他人よりも、自分を優先してしまう。なのに貴方は、躊躇う事なく己の身を投げ捨てた。十歳にも満たなかった子供がです。その意思の強さ、魂の輝き、どうして否定できましょうか?

 

 彼女の、彼女達の言葉はどうしてこんなにも心を抉るのか。

 稟を想っての言葉は、彼の胸に深々と突き刺さる。

 彼女の、『あの言葉』と同じように……

「さてさて、もう満足したかな~?ここからは束さん達も混ぜてもらわないと」

「そろそろ、稟様を一人占めするのは止めていただきましょうか。稟様との会話も十分に堪能した事でしょうし」

 稟と『蒼き雫』の会話を断ち切るかのように、束とアレンが二人の会話に割って入る。稟が思考の海に溺れてしまわない内に。『蒼き雫』も二人の意図に気付き、彼女達が会話を断ち切るように割り込んできた理由に納得する。

しかし、折角の稟との会話を邪魔された事は腹立たしい訳で。そんな二人に抗議するように、『蒼き雫』は淡く発光する。

 

――何を言っているのですか?私は全然満足していませんよ。貴女方は二年もの間稟様といたのでしょう?ならば、漸く逢えた私にもっと融通をきかせるべきです。

 

「貴女こそ何戯けた事を言っているのですか?貴女には稟様と二人きりでという、うらやまけしからん状況を作ってあげたのです。それで満足しなさい!」

「全くだよ。束さん達だって、りっくんと二人っきりなんておいしい状況は滅多にないのに。贅沢を言っちゃいけないよ」

 

――常に稟様といられる貴女達にそんな事言われたくはありません。寧ろ貴女達が贅沢でしょう。何ですか。稟様と生活を共にするなんて。稟様と逢えない私達に喧嘩を売っているんですか?

 

 何やら三人で盛り上がり出す束達。束は『蒼き雫』の言葉を直接聞けない為、アレンが通訳をしている。そんな彼女達の話題の中心が稟である事に、彼は苦笑するが、先程までの神妙な空気はどこへ行ったと言いたくなる変わりように少なからず安堵していた。あれ以上『蒼き雫』と二人っきりだったら、どうなっていたか分からないから。また、彼女達に心配をかけさせてしまっていたかもしれないから。

 意図してこの空気を作ったのかはわからないが、空気を変えてくれた彼女達に内心で感謝しつつ彼女達の会話に混ざる事にする。これ以上、稟を話の中心にしてもらわないために。

「話題の中心の当人を置いてきぼりにして、盛り上がらないでくれるかな?」

 呆れつつも、どこか嬉しげな表情を浮かべて稟は会話に加わる。

 

 

 

 

 

 

 イギリスに滞在してから数か月。

 束があの研究所に用がある時以外は、常に三人で行動を共にしていた。束が忙しくなければイギリスの名所を観光したり、彼女が研究所に用があれば手伝いをしたりして過ごしていた。手伝いと言っても、『蒼き雫』と会話していたぐらいだが。

 イギリスに滞在していた間に、ナンパから助けたセシリア・オルコットという少女を、とある街で遠巻きに見た事があった。その時の彼女は、親と思われる大人二人と笑顔で歩いていた。彼女の中にあった問題は無事解決されたらしい。それを見て稟は無意識に顔を綻ばせていたが、そんな稟を見て束とアレンが顔をムッとさせ、稟をあっちこっちへ連れ回すという一幕もあった。

 それは、とても楽しい数か月だった。こんなに楽しくて本当にいいのだろうかと思える数か月だった。

 罪人である自分が己の罪を償う事もせず、何もかもを忘れたかのように笑って過ごしてよかったのだろうかと、そう思ってしまう数か月だった。それを表情(おもて)に出してしまえば彼女達に心配をかけてしまうので、当然表情には出さない。稟の事を想って行動してくれている彼女達の想いを無駄にしたくないからだ。

 そんな数か月を過ごし、いよいよイギリスを発つ日となった。

「さて、イギリスを満喫する日々が終わり、いよいよフランスへと旅立つ日がきましたね」

「此処じゃ思う存分楽しめなかったけど、あっちに行ったら思いっきり楽しむよ!」

「十分に楽しんでたと思うけど?」

「りっくんは何を言っているのかな?あんなのじゃ束さんは満足しないよ!折角りっくんと楽しむ計画を練っているところに、あの凡夫共が邪魔してから……」

 私不満です!と身体全体で表現する束に、稟は困った表情を浮かべる。

 こうなった束は稟が何かしらのお願いを聞いてあげないと中々治まらないのだ。しかし、お願いを聞いたら聞いてあげたで今度はアレンが臍を曲げるという困った状況に陥る。二人の間で板挟みとなり、彼女達が満足するまで稟が辛抱強く耐え抜くしかないという事が何度あった事か。どこか遠い眼をしてしまう稟だった。

「まぁ、いいではありませんか、稟様。折角の国外なのですから、呆れ果てるぐらい楽しみましょう」

「そうそう。頭の中を空っぽにして、思いっきり楽しもう!りっくんにはそれが必要だよ」

「稟様は色々と考えすぎなのですから、たまには年相応の子供らしく遊ぶ事だけを考えてください」

 事ある毎に過去を思い返し、辛そうに表情を歪める稟を助けたいアレンとしてはそう言う以外に術がない。二年前と比べれば大分マシになっているのだが、それでも彼の奥底には深い深い哀しみが渦巻いているのだ。その哀しみを晴らそうと、束とアレンは二年間色々と頑張ってきたが効果はない。未だに彼を癒せる未来が視えてこない。

 だからこそ。この国外旅行では子供らしく遊んでほしいと願っているのだ。稟はまだ、親の愛情が必要な子供で、子供らしく自由気ままに過ごすべきなのだから。

「……ありがとう」

 アレンの言葉にしない感情。その想いに気付いているのか。

 小さな声でお礼を言う稟。アレンはそんな稟に微笑み返し、

「…ん?稟様、創造主。『蒼き雫』から通信がきました」

「ティアから?」

 彼女から通信がきた事が意外だったのか、思わず聞き返す稟。それが、彼女達の琴線に触れるとは気付かずに。

「りっくん?」

「稟様?」

 優しく、ふんわりと彼を包み込むような声音で問い掛けてくる二人。

 なのに。何故だろう。その声に、妙な迫力を感じるのは。

 稟は額に嫌な汗を浮かべながら、二人の表情を窺う。その表情はとてもいい笑顔で、稟が思わず顔を引き攣らせてしまうものだった。

「一体いつから彼女の事を」

「愛称で呼ぶほどの仲になったんですか?」

 漫画であればゴゴゴゴゴ!という擬音が浮かび上がるであろう雰囲気(オーラ)を放つ二人に後退る稟。そんな稟を逃がすまいと、束とアレンは稟の肩に手を置いて。

「さぁさぁ、素直に教え(はい)ちゃいなよ!」

「そうですよ。大人しく白状し(ゲロっちゃい)ましょう」

「あ、あはははは……」

 有無を言わせない二人の圧力に屈し、稟は乾いた笑いを漏らすしかない。

 顔は笑っているが眼は笑っていない二人の笑顔。これに勝てる人はいるのだろうか?と現実逃避しながら、稟は『蒼き雫』を愛称で呼ぶ経緯を話すのだった。

 

 

「私の特権だったものを、あの女狐!」

「あーちゃんだけじゃなく、彼女も愛称を付けてもらうなんて!」

 経緯を聞いた二人の最初の反応がそれだった。

 非常に悔しそうに顔を歪める二人。稟が絡むと相変わらずの二人である。

「稟様から愛称を付けていただくなど、ご寵愛を受けるも同義!おのれ『蒼き雫』!味な真似をしてくれますね」

「あーちゃんなら百歩譲ってよしとしていたけど、まさか彼女もとは……。束さんは愛称で呼ばれていないのに」

 稟としてはどう反応すればいいのか分からない。下手な事を言えば、火に油を注ぐかの如き状況に陥るのは明白。しかし、このまま放置していても話が進まない。

 困った二人だと内心で思いながらも、稟は嬉しさを感じてしまう。度が過ぎているが、それも彼の事を想っての言葉だと分かっているから。

「そ、それよりアレン。彼女は何て言ってきているのかな?」

「む?稟様に問い質したい事もあるのですが、そうですね。彼女の言葉を伝えましょう」

 ジト眼で見てくるアレンに頬が引き攣る稟だが、完全に自分の世界に入っているわけではないらしい。束も咳払いをして自分を落ち着けるとアレンに視線を移す。

「ゴホン、では。『稟様。貴方とお逢いできて良かったです。貴方と共にいられないのが残念で、そこにいる二人が妬ましいですが、私はこの地で稟様を想い続けます。離れていても、貴方を想い続けています。何時の日か、貴方と再び逢える事を願って』。だそうです」

「……そっか」

「あーちゃんといい、彼女といい、本当に一途だね。どうしてそうなったんだか」

 『蒼き雫』からの伝言に稟はしみじみと呟き、束はどこか呆れたかのようにそう言った。

「どうしてでしょうかね。ともあれ、そろそろ行きましょう」

 アレンはそう言うと稟の右腕に自身の腕を絡め、それを見た束も稟の左腕に自身の腕を絡める。

「あの、二人とも?」

 それはいつもの事と言えばいつもの事。

 しかし、どうしても慣れない女性特有の柔らかい部分が腕に当たっていて稟は赤面してしまう。

「今回は『蒼き雫』に稟様を少なからず譲っていましたが」

「ここからはいつも通りだからね」

 稟の反応を楽しみながら笑顔を浮かべる二人。

 そんな二人に挟まれている稟は赤面こそしているものの、その顔には笑顔が浮かんでいる。

「それじゃあ」

「いざ、フランスへ!」

 三人は、仲睦まじく歩きながら空港を目指す。

 


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