(もうどれくらい時間がたったのだろう…?)
会議室から逃げるように出て行った私は、自分の部屋に閉じこもり、着の身着のままベッドの中で丸くなっていた。布団の中でむせび泣き、今は涙も枯れ果てている。
――悔しくて、悔しくて……そして不安だった。
私は自分が期待されているのを知っていた。空母が加賀さんしかいなかったこの鎮守府において、戦力増強のために建造されてできたのが私だった。だから、数々の激戦を潜り抜けてきた加賀さんとは大きな差はあるけれども――、すぐに追いついて活躍してやるんだから!…そう意気込んでいた。
それがどうだ。反省会で加賀さんから『五航戦』と罵られた時は腹が立ったが、そのあと指摘されたことについてまったく反論できなかった。反論できないほど自分が弱いことをまざまざと実感してしまった。加賀さんに馬鹿にされたこともそうだが、それよりもなにより自分の弱さが悔しかった。
そして――
『これが実戦だったら味方艦隊は全滅……殺したのはあなたよ』
旗艦としての責任、空母の役割の重要性、その認識が甘かったことを気づかされた。空母の少ないこの鎮守府において、今後、空母(わたし)の出番は増えていくだろう。旗艦だって恐らくまた任される。それなのにこんな私でいいのだろうか?こんな弱い私では味方を窮地に追いやってしまわないだろうか?私が空母としての重責に耐えられるだろうか…?そんな不安が頭の中をぐるぐる回っていた。
しかし、それを断ち切るように、コンコン、とドアからノックの音が聞こえてくる。
「瑞鶴さん、吹雪です、いらっしゃいますか?」
いるにはいるのだが、泣き疲れたけだるさと、今はあまり人と会いたくないという気分から私は返事をしなかった。しかし吹雪は「失礼します」と一言断りを入れた後、部屋に入ってきた。
――ああ、そういえば部屋に入るときに鍵を閉めていなかったっけ…。
「瑞鶴さん、やっぱりいたんですね。演習…お疲れ様でした。間宮で新作の最中買ってきたんです、一緒に食べませんか?」
最中という単語にピクリと反応してまう。そういえば今日はまだお昼を食べてなく、痛烈なほどの空腹感を体が感じていることに気付いた。お腹もそれに反応してか『ぐぅぅぅぅ』と音を鳴らす。恥ずかしい…どうしてこう食い意地だけは一人前なのか…。恥ずかしさのあまり、私は余計に布団の中で丸くなった。
「…別に笑ったりしませんよ。戦闘はAMS装置をフル稼働しますから脳への負担がすごくかかります。特に、数多くの艦載機を操作しなければならない空母の方々は他の艦船の方に比べて負担が大きいんです。だから、これは今の瑞鶴さんに“必要な補給”なんですよ、ですから……お願いです、食べてもらえませんか?」
ここまで気を使われて食べないほうが恥ずかしいと思い、私はのそのそと布団から出て吹雪の隣に座る。
「……あ…りが…とう、吹雪…」
さっきまで泣いていたせいか声がかすれてうまく出なかった。しかし吹雪はそんなこを気にせず、私が出てきたことに安堵の笑みを向けてくれた。
「…お茶いれますね、ポットお借りします。瑞鶴さんは先に食べちゃっててください」
そういうと吹雪は部屋に備え付けの台所へ向かっていっていく。私はお言葉に甘えて…実際お腹も限界だったので…先に最中をいただくことにした。
一つ手に取り、口へ運ぶ。パリッと心地いい皮の触感とともに、餡の優しい甘みが口に広がっていった。
――美味しい、すごく…。
気づけば私は一つ目の最中を平らげ、二つ目に手を伸ばしていた。
「フフッ、そんなに焦らなくてもまだまだいっぱいありますよ」
台所から戻ってきた吹雪は私と自分用のお茶をテーブルに置き、最中を一つ手に取っていた。私は早速淹れてもらったお茶をいただき、最中の皮に水分を取られた口を潤す。そして再び新しい最中へと手を伸ばす。
お茶で水分を補給したからか、最中の甘みに安心したからか……目には再び涙があふていた。それでも一心不乱に最中を食べる。これが私の人生初めての『ヤケ食い』だった。
お腹も膨れ、落ち着きを取り戻した私に吹雪がお茶のおかわりを注いでくれていた。
「落ち着きましたか?瑞鶴さん」
「うん…本当にありがとう、吹雪」
「いいんですよ。……瑞鶴さん、あまり自分を責めすぎないでください。今回の演習、私も色々至らない点がありました。もっと私もしっかりしていれば…、すいません瑞鶴さん」
「えっ!?そんなこと言わないでよ、吹雪…、あなたには色々助けられたわ、いてくれなかったらゾッとするくらい。加賀さんの言うとおり…ダメだったのは私よ…」
加賀さんに言われたことを思い出し、気分がうつむきだす。吹雪をはじめ、味方艦隊だったみんなに本当に申し訳ない戦いぶりだったと思う。再び不安に思考が支配されそうなっていく。しかし、それを否定するかのような口ぶりで吹雪が話し始める。
「…確かに今回は瑞鶴さんも至らなかった部分はあったと思います。ですが、加賀さんは無駄だと思ったことは言わない人です。加賀さんが瑞鶴さんに厳しいことを言ったのは、瑞鶴さんならできると思っているからですよ。……うちの鎮守府で、瑞鶴さんを一番気にかけているのは他ならぬ加賀さんです。瑞鶴さんが飛び出ていっちゃったあと、私にフォローを頼みにくるぐらいですから」
「加賀さんに言われたから吹雪は来てくれたの…?」
「言われなくても来るつもりでしたよ、先ほどの謝罪もしたかったですし。でも…この最中は加賀さんのおごりです」
(正確には加賀さんが提督の財布から出させたものですけど…)
「…あんなに私ことボロクソに言ってたのに?」
「あの人は不器用な人ですから。……実は瑞鶴さんに言っていたことは、前の鎮守府の時に加賀さんが演習相手から言われたことなんです。あ、そうそう……」
吹雪は何かを思い出したようにゴソゴソとポケットから何かを探り出す。出てきたのは緑色のウサギが表紙に描かれたかわいらしいメモ帳と、それのペンホルダーにぴったり収まるサイズの淡い緑のペンだった。
「これ、わたしから瑞鶴さんへプレゼントです。それでさっきの話の続きなんですが…、加賀さんも瑞鶴さんと同じように、演習相手に言われたことですごく落ち込んでいたんです。それをどうにかしようって、……赤城さんという空母の人と一緒に…色々考えて……」
赤城という名を出したとき、少しだけ吹雪の声のトーンが下がっていた。私が建造される前に大規模な戦闘があったことは聞いていたが、その時もしかして…。なんであれ、なんとなくだがその人はもういないのだということは察した…。
「――それで“演習や任務の反省点とかをメモに書いてまとめてみよう”って話になったんですよ」
「そのためのメモ帳が…これなの?」
「はい。書き方は特に気にしなくていいんです。書くことでグチャグチャになってる頭の中を整理するためのものですから。結構効果的なんですよ、これ。書いているうちに客観的になれて、冷静にああすればいい、こうすればよかったって対策とかが浮かんでくるんです。今でも私や加賀さんは続けてます」
そういうと吹雪は自分の手帳を見せてくれた。そのメモ帳は端々がちょっと汚れていたり、付箋がいっぱい貼ってあったりしていかにも使い込んでいるようだった。
「参考までにちょっとみせてもらってもいい?」
「え~、反省点以外にも色々書いてるんでちょっと恥ずかしいんですけど…」
「いいじゃん、お願いッ」
「……少しだけですよ、あまりじっくり見ないでくださいね」
「りょうかい、りょうかい」
そういうと私は吹雪からメモ帳を受け取りパラパラと中身を見させてもらう。中には色々なことが書いてあった。
“魚雷を撃つ時は何頭身先に撃つ”といった技術的なことや、“慢心ダメ絶対”といった格言?的なもの、そして……なにかに濡れたようにシワがついた紙に“くやしい”と何度も殴り書きしてあるページ…。
そこまで読んだところで吹雪に「もうここまですッ」とメモ帳を取り上げられてしまう。見させてもらったのは三分の一にも満たないところで、まだまだ先はありそうだった。吹雪が積み重ねてきたものの片鱗が少しだけ見えた気がする。
「もう、あまりじっくり見ないでって言ったのに…。ともかく、瑞鶴さん、こういうのは言われたことを忘れないうちにやっちゃったほうがいいです。どうです、やってみませんか?」
「そう…ね、早速やらせてもらうわ!」
私はもらった新品のメモ帳に向かってペンを走らせた。
――30分ぐらいたっただろうか。
「はあ…こんなものかな?」
メモには加賀さんに指摘されたことや、次はどうするといった自分なりの対策、そして最後に――
『いつか加賀さんにギャフンと言わせてやる!!』
と決意をつづった。
それでも、結局文字がメモ帳を埋めたのはたったの一ページだけ…。たったこれだけのことにさっきまであんなに落ち込んでいたのかと自嘲し、テーブルに突っ伏してしまう。吹雪のと比べてなんと薄っぺらなことか…。自分はようやくスタートラインに立ったのだと実感した。
「まだまた…、これからですよ、瑞鶴さん」
「吹雪にそう言われたら敵わないわ」
お互いニカリと微笑みあう。とりあえず、このメモにつづるやり方は私の性に合っているようだ。気づけば私は完全に立ち直れていた。
「さて、十分に反省も済みましたし…、お風呂に入りませんか?次に向けて休息を取ることも反省と同じくらい大切です。それに……」
吹雪は苦笑いしながら私を見ていた。窓にうっすらと映る自分の姿を見てそれに納得する。ベッドでうずくまって泣いていたため、髪はボサボサ、目は真っ赤、おまけに磯と汗の臭いもしていた。年頃の女の子がしていい格好ではない。
「……一緒に入らない?吹雪」
「はい!いきましょうか」
私たちは共同の大浴場へと向かっていった。
◇ ◇ ◇
吹雪と大浴場へと来た私は、浴槽で羽を伸ばしていた。風呂は魂の洗濯とはよく言ったものだと、その時は幸せだった…。
――が、今は見たくない人たちを見つけてしまう。それは演習で私を物理的にボコボコにしたマギーさんと、精神的にボコボコにした加賀さんだった。
「げッ、一航戦ズ…」
思わず口から言葉が漏れる。
「げッ、とはなんですか、げッとは…」
体を洗い終えた加賀さんとマギーさんがそのまま浴槽に入ってきた。というか、なんで私の横に来るの!?
「なにか不満がありそうね、瑞鶴」
「…なんで私の横にくるのかな、と…」
「自意識過剰じゃない?私と加賀は洗い場からまっすぐ浴槽へ入っただけよ」
「マギーの言う通りです。それに不満なら、あなたがここから動けばいいわ」
「ぐぬぬぬ…」
確かにその通りだが、私から動くのはなんだか負けた気がして嫌だった。
――なに、無視してお風呂を楽しんでいればいいのだ、そうしよう。そう心を決めようとした矢先、加賀さんから不意打ちを食らう。
「ところで瑞鶴…目が赤いようだけど大丈夫?」
いや、あなたのせいなんですけど?あなたの指導で泣いていたせいなんですけど!?
思わずそうツッコミたくなってしまったが、同時に加賀さんが心配してくれたことがちょっと嬉しかった。しかし、その思いはすぐさま打ち砕かれる。
「あの程度でへこたれてもらっては困るわ。あと百回はあなたをコテンパンにするつもりですから」
私は絶句した。ドSなのか、この人は…?さすがに見かねたのか、吹雪が加賀さんに話しかけるが……
「あの、加賀さん…いくらなんでもそれは…」
「心配には及びません吹雪、五航戦など鎧袖一触です」
「いえ、そうでは…いや、いいです…」
それだけ言って吹雪は会話を断ち切った。
――え、もしかしてさじ投げたの?
思わぬ友人の諦めに、私の絶望は加速する。しかも、マギーさんより容赦ない追撃が始まった。
「大丈夫よ瑞鶴…いい話をしてあげるわ。(´神`)様は人間の可能性を知りたかった。だから人間に試練と、ある言葉を与えた。“死んで覚えろ”と…」
「そんなダークなソウルが満ちてるような世界の神様は結構です!!」
「それくらい練習して覚えろということよ。なんなら演習の時に私も協力しましょうか?これでも私はオペレーターをやっていた経験がある。今度から私がアドバイザーとして横に立ってあげてもいいわよ。早く錬度を上げて私を運用できるぐらいになってもらわないと」
「それは良い案ですね、マギー。さすがに気分が高揚します」
加賀さんを相手にしながら、横からマギーさんの叱咤がとんでくる。考えたくもなかった…。
「私は心が折れそうです…」
――ん?待てよ、そもそも…
「…そもそも、マギーさんって私の後輩ですよね?なのに、なんで自然に上から目線なんですか!?」
そうだ、この人は今日着任したばかりじゃないか。マギーさん自身の只者ではない雰囲気と、なぜだか妙に加賀さんと親しくなっているので違和感がなかったが…。
「瑞鶴、それはあなたがマギーより下だからよ。演習で直接中破にまでされて何を偉そうに…。悔しかったらさっさと強くなりなさい」
はっきりと言われた…。いや、まあ…確かにその通りだ。私は先ほどメモ帳に書いた『ギャフンと言わせてやる!!』という決意を改めて固める。
「まったく、これではどちらが空母か……」
なぜだか加賀さんは喋るのをやめ、何かを見ていた。その視線の先を見ると、私とマギーさんのある部分――もうちょっと正確にいうと胸部装甲的なものを見ていた。
そして改めて言い直す。
「フンッ、これではどちらが空母かわからないわね」
――鼻で笑いやがった!!
これはッ、こればかりは我慢ならない!!!
「胸の大きさは関係ないでしょぉぉぉおおおおッ!!!」
思わず立ち上がり私は叫んだ。しかし二人はそんなこと意に介していないように淡々としていた。
「別に私は胸のことなど一言も言ってません」
「そうよ瑞鶴、胸なんて関係ないわ。あっても邪魔なだけだし」
そう言いながら、二人は豊満なバルジを水面に漂わせている。あ、あれってこのサイズだと浮くんだ…と、その立派さに思わず感心してしまうほどだ。いけない、いけない、また二人に飲まれている。
状況は二対一、これ以上関わっても私の胃がマッハで蜂の巣になるだけ…。私は戦略的撤退を選択した。
――戦略的なので決して負けではない、はずだ。
「もういいですッ」
二人を睨み付けながら浴槽を後にしようとする。しかし、よそ見をして歩いてはいけないことを直後に実感した。
「瑞鶴さんッ前ッ!!」
「え?ふぶ…」
「きゃッ」
ガインッ、と頭に強い衝撃が走る。私はどこかの世界のタンクに轢かれた軽量二脚のごとく半回転していた。かろうじて視界の端にとらえたのは愛宕さんだった。どうやら彼女の豊満なタンクに突っ込んでしまったらしい。そのまま浴槽へ再びインする…。
水面にプカプカと浮かび上がった私の頭に、柔らかい感触が当たる。見上げると、それはマギーさんの胸部装甲だった。マギーさんが優しい目で私を見ている。
「瑞鶴…、軽量機にだって需要はあるわよ」
――ただのトドメだった。
「うわああああんッ、このオッパイお化け共ォォッ!!!」
「オッパイ垂れ下がっちゃえェェェッ!!!!!!」
私は反省会の時のように逃げ出した。
そのまま自分の部屋へ行き二時間ねむった…そして……目をさましてからしばらくして帰りの更衣室で会った秋月が私より胸があったことを思い出し………泣いた…。
◇ ◇ ◇
一連の流れを見ていた吹雪は違和感を感じていた。それはいつもと比べて明らかに加賀さんが上機嫌だったことだ。しかし、その疑問はすぐに解けた。
初めてマギーさんを見たとき、服や体型が似ているな、としか思わなかった。しかし、お風呂がそんなに気に入ったのか、ご満悦といったように頬を緩ませている表情がソックリだったのだ。かつて加賀さんと共に戦場を渡り歩き、パートナーといえる存在だった…赤城さんと……。
思えば前の鎮守府の時からだが、加賀さんはその性格と強さから対等に話せる人が少なかった。今では秘書艦という立場と、同じ空母が瑞鶴さんしかいないことがそれに拍車を掛けている。だからマギーさんの存在が――加賀さん自身はあまり自覚してないかもしれないが――嬉しいのだと思う。
――このままマギーさんが、加賀さんにとって大切な人になってくれたら…。
赤城を失ったころの加賀を知っていた吹雪は切に願った……。