Operation Racoon City. Scenes U.B.C.S 作:オールドタイプ
「あと30分か......」
腕時計の針は20:30を示している。次の定期便の21:00までもう少しだ。
あれから30分経つがやはり誰も戻ってこない。無線で何度呼び掛けても応答もない。全員殺られたと見て間違いないだろう。
恐らくこの街で生存者は俺達だけ。これだけの街で人間は俺達だけ。まるで神話の世界だ。
「......大丈夫か?」
俺の隣で激しく咳き込む彼女。彼女の様子がおかしくなったのはここに辿り着いて直ぐだった。風邪のような症状が出始めた。咳と体の震えが止まらない。水筒の水もレーションも口にしない。これだけの災害で睡眠と食欲には素直だったのに。
俺が心配そうに頭を擦ると決まってニコッと笑う。平気そうに振る舞っているが明らかに無理をしている。ここを出たら直ぐに病院に連れてく必要がある。
「もう少しだ。ここを出たら先ずは病院に行こう」
そう。本当にあと少し。もう少しの辛抱なんだ。この症状もきっと大したことはない。直ぐに良くなるはずなんだ。
この時から俺は彼女の症状に疑いを持っていた。だけど敢えて知らない振りをした。認めたくなかった。ここまで来て、こんなところで終わらせたくなかった。彼女はまだ若い。これからが人生だというのに。
時刻が20:30になったのを境に彼女の容態は急変しだしていく。
顔色は青ざめていき、汗が止まらない。呼吸も早く過呼吸になる。胃液を吐き出し、苦しそうに頭を抱える。体温も下がっている。
寒さに震える彼女をそっと抱き寄せ体を密着させる。抱き寄せることで彼女の体温が体に直に伝わる。明らかに異常なのは症状を見て手に取るようにわかる。
彼女も自分の体の異常には気づいているはず。耐え難い苦痛であるはずなのに、笑顔は絶やさない。こんな少女のどこにそれだけの力があるのか。俺なんかよりもよっぽど強い子だ。
俺はずっと、ずっと彼女に囁き続けた。「大丈夫だ。俺達は助かるんだ」と。
安息を迎えようとする俺達に、ゾンビ共は無慈悲にやって来る。セーフティーエリアだったこの場所も放棄し、更に奥へ行く必要が出てきた。
足が覚束ない彼女に肩を貸し、先に進む。どこもかしこもゾンビで埋め尽くされている市庁舎。弾薬も心許なく、継戦は厳しいものだ。
腰で構える小銃が火を吹く度に彼女の体が力なく揺れる。最早自分の体を支えることさえできていない。
彼女を見捨てれば俺だけは助かるであろう。そうしないのはやはり惚れているだけではない。もしここで彼女を見捨てるようなことがあれば、俺は最後の最後で真人間になるチャンスを捨てることになる。
どんな悪人もやはり死ぬ前は怖くなる。生前の行いから地獄での苦しみを考え、最後の最後で善行をする奴も少なくない。俺もその一人なだけ。
下心満載だが、下心無くして人間とは言えない。俺は生きたままゾンビになりたくはない。
弾が切れた小銃は捨てる。短時間だが、命を預け時間を共にした相棒を捨てるのは心が痛むが、彼女のためだ。
「あばよ相棒」
相棒に別れを告げ、空いた手で彼女を抱え込む。激しかった動悸も小さくなり、咳も収まっているが、変わりに彼女の命が弱くなっている。
「......行こう」
結末は変えれないのか。俺にはどうすることもできないのか。
例え人為的なモノによることでも命のメカニズムは人間の手ではどうすることもできない。助命、延命をしても長くない。人間の尊厳を保ったまま最期を迎えさせる。そのためにはここは相応しくない。
一階、二階、三階......どれほど階段を上ったのかも数えてない。ただ先へ、ただ上へ進んだ。彼女が安らかに眠れるように落ち着いた場所を求め。
そして辿り着いた。荒れてもいないゾンビもいない静かな場所に。ここがどこでどんな場所なのかはわからないし、今の俺にはどうでもいいことだ。
「さぁ、ここでゆっくり休もう」
抱えた彼女をそっと床に下ろす。絨毯がひかれた部屋だから床も冷たくなく、座り心地も、寝心地も悪くないだろう。
「疲れただろ? ゆっくり休め。もう無理をする必要はないんだ」
さらさらの金色の髪をそっと撫でる。そっと撫でただけなのに髪が何本か抜け落ちる。もう時間の問題か。
横たわる彼女はじっと青い目でこっちを見ている。徐々に白く濁り出す瞳だが、美しさは変わらない。
こんな理不尽な目にあったにも関わらず、彼女の目には恨みや、未練といったものが宿っていない。何もかもを受け入れている目だ。
戦場で死に行く者達の目はほとんどが、味方も敵も何かしらの恨みを抱いていた。死の間際未練を口にしなかったものはいなかった。
言葉を失っているからではない。彼女は例え喋れても恨み事は一切言わないであろう。
「寝ていいぞ。俺は側にいるから」
相変わらず俺の言葉には笑顔を返す彼女。今まで一番短い微笑みだが、一番可愛らしかった。
静かに、寝息を立てずに彼女は目を閉じた。そしてその目が開かれることも、俺に笑顔を向けてくれることも二度となかった。
PM20:50、彼女は息を引き取った。
名前も知らない彼女。最後まで声を聞くことがなかった彼女。
これほどまで感情が込み上げてくることはあっただろうか。たった2日の短い期間でこれほどいとおしくなることがあるのだろうか。
俺は泣かなかった。折角彼女が笑ってくれたのだから俺が泣くわけにはいかない。
死化粧をしなくても美しい顔を眺め続ける。死んでいるとは到底思えない。
命を奪う側であり続けた俺が、小さな命が消えただけのことでこうも感傷に浸るとはな。人生とは面白いものだ。
「大丈夫だ。お前一人を置いて行きはしない」
横たわる彼女のそっと口づけする。意識がないところにするのは許してほしい。
「どうせ俺も長くはないからな......」
ベスト等の装備を脱ぎ捨てる。その下のシャツには何かに引っ掛かれたような破れた傷跡があった。傷は小さいが出血はしている。
ここに来るまでに遭遇した化け物達との戦闘で不覚にも手傷を負ってしまった。掠り傷だけでも感染する。感染したら最後だ。
彼女の体には傷がないためその他の方法で感染したのだろう。今となっては手傷を負って良かったのかもしれない。このまま彼女と共にできるのだから。
もし、彼女が感染していなかったら彼女だけをヘリに乗せるつもりだった。多分ごねるだろうが。
もしかしたら彼女は俺が感染したことに気付いていたのかもしれないな。気付いていたからこそ一緒にいれると笑顔をかけていたのかもしれないな。
何を考えていたのかは分からず仕舞いだが、こんな最期も悪くないだろう。
彼女の横に俺もぐったりと横たわる。
「月曜に生まれ、火曜日に洗礼を受け、水曜日に結婚し、木曜日に病気になり、金曜日にそれが悪化、土曜日に死に、日曜日に埋められる」
現在地獄20:55。俺と彼女が発病するまであとどれぐらいなのだろうか。感染から発病までは個人差がある。出来れば二人一緒にが望ましいな。
......欲張り過ぎか。
まぁ......も......多く......まない......。......緒......にいれ......け......足。寝......か。
◆◆◆
『こちら定期便。救助ヘリだ。誰かいないのか? 市庁舎上空にいる。いたら返事や合図をしてくれ。降下する』
定期回収の時刻になり、U.B.C.S.本部からヘリが来るまでラクーンシティにやって来た。今日に至るまで、この救助ヘリで脱出した民間人、U.B.C.S.隊員は皆無であった。
当初回収ポイントの変更を進言されたが、それ以来交信がなく、本部は通常通り市庁舎周辺で彼らを待ち続けていた。帰還の燃料がギリギリになるまで仲間を待ち続けた。
『ダメだ......今回も誰も来ない』
『誰でもいい応答してくれ! こちらヘリパイロット。U.B.C.S.全部隊聞こえるか?』
どれだけ待っても応答が返ってくることはない。"返ってこないように"第三者が手を加えているとは知らずにパイロットは呼び掛け続ける。
『おい、誰か出てきたぞ!』
そんな時、ヘリに搭乗する援護兵、スナイパーが市庁舎の屋上に"二人組の男女"が姿を見せるのを確認。報告を受け、ヘリは出てきた者達がよく確認出来るように高度を下げる。
『どうだ?』
パイロットがスナイパーに問いかける。スナイパーは狙撃銃のスコープ越しに彼らの様子を伺う。
『ダメだ。あれは感染者だ』
スコープから目を離し首を振る隊員。屋上に現れたのは感染者であり生存者ではなかった。
『それに......あれは"仲間"だ』
出てきた二人組の内の男性の方は、U.B.C.S.で貸与されたシャツを着ていたため、識別が容易であった。もう一人の女性については不明だが。
『あと、奇妙なことに"手を繋いでいる"ぞ』
スナイパーの報告にヘリのパイロットも目を凝らし、二人の姿を良く見る。確かにそこにいる感染者は手を繋いでいるように見えるが、手と手が単に触れあっているだけなのかもしれない。
『どうする?』
『眠らせてやってくれ』
何かを察したのか、ヘリのパイロットは二人の狙撃を要求。狙撃兵もこれに黙って従う。仲間が無惨な姿に成り果ててしまったことに対する同情、救済なのかそれとも......
ホバリングをするヘリから7.62mmの銃弾が発射される。ヘリからの射撃は正確であり、的確に二人の脳を狙撃。その場に向かい合うように倒れる二人の感染者。
『2名射殺』
銃声とヘリの音に引き寄せられたのか、感染者達がぞろぞろと屋上に出てくる。
『......市庁舎はもうだめだな』
数分もしない内に市庁舎の屋上は感染者で一杯になる。感染者全員がヘリに向かって手を招いているが、見方を変えれば感染者達が救助を求めているように見えなくもない。
『......もうここでの救助は諦めよう』
スナイパーからの進言と目の前の感染者達を見てパイロットも決心するしかなかった。
実のところ本部からは既に市庁舎での救助は失敗に終わり、別の手段を考えているところだった。それをヘリのパイロットが無理を承知で、ほぼ独断に近い行動で時刻通りラクーンシティに来ていた。
本部も勝手な行動であるが、パイロットの仲間を想う気持ちに心が撃たれ、行くなとは言えなかったのである。
だが、パイロットの想いは儚くも叶うことはなく、残酷な現実を見せるだけである。
『......ラクーンシティには時計台があっただろ?』
『それがどうかしたのか?』
何を思い始めたのかパイロットは時計台の存在を口にした。
『紙を蒔くんだ。無線が通じなければ紙で報せるんだ。俺達がいることと、次の救出は時計台を利用することを』
彼の考えは時計台の"鐘を鳴らし"それを合図に救出するというものだった。彼の要望に応えるようにスナイパーがありったけの用紙にその旨を綴っていく。
『......上手くいくのか?』
『誰か生存者は必ずいるはずだ。濃い面子のアイツらがそう簡単にくたばるわけないだろ?』
『それもそうだな』
今回の救出は打ち切り、ヘリは一旦本部へと戻っていく。その道中で用紙を町中にばら蒔く。一人でも多く、誰かの目に入るように。その日、ラクーンシティに何百枚もの紙が雪のように舞い降りた。
その何枚かを、彼らのメッセージを受け取った一部の生存者がいるのは、彼らが去った少し後のことである。
『時間は次の夜だ』