光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
光弾が迫ってくる。
幾重にも折り重なった神の弾丸が、侵入者を打ち倒さんと迫ってくる。
それを避ける事も防ぐ事も出来ずまともに受けたマリウスは、消え去りそうになる意識を懸命に保ち、崩れ落ちながらも冷静に現状を把握した。
随伴していた精鋭──確か、ビックスとウェッジ、それからジェシーといった筈だ──は、神々の攻撃にやられ戦闘不能……自分が無事であるのは、間違いなく
血が滲み出る唇を、マリウスはきつく噛み締める。
神々は
神々の討伐を謳い、神に反逆した首謀者に対して、あろうことか手心を加えたのだ。
ビックスとウェッジが戦闘不能になっているのに、マリウスがなっていないことがそれを証明している。
果たしてそれは余裕からくるものなのか、あるいは慈悲深さからくるものなのか、はたまた傲慢さからくるものなのか──マリウスは別に知りたくも無かったが、酷く屈辱的であったのは間違いなかった。
全身の隅々が激痛を訴えてくる。たが、意識を失うほどじゃない。
忌々しいことだが神々の攻撃は、マリウスが意識を保てるギリギリの威力で調整されて放たれていた。
わざわざそれをした訳は、どうせ碌でもない理由に違いない。
マリウスは屈辱と激痛で顔を歪ませながら、ひっそりとほくそ笑んだ。
無駄に高レベルな調整力を見せる神々は憎たらしく忌まわしいことこの上無いが、相変わらず、最後の詰めが甘いのは変わりがないようだった。
無駄な手加減などせず一思いに皆殺しにしてしまえば、まだ違ったかもしれないというのに……。
マリウスは、その神々の余裕ぶりと傲慢さを心の中で嘲笑いながら、激痛から身を屈める演技をし、項垂れ、自身の指に嵌めている指輪と、その先端に付けられている魔石に手を添える。
そして、魔石を摘まむ様に僅かに力を込めた。
外部から圧力を掛けられた、一瞬発光し、秘められた効果を発現させる。
同種同様の効果を持つ魔石が、同じようにウラノスとレヴィスの指に嵌めていた魔石が、同調するように音を立てて破裂した。
それを己の神座で見た
*
かつて無いほどに険しい顔をして、一筋の汗水さえも流しながら、ウラノスは己の中指を見つめていた。
そこには真鍮製の指輪が嵌まっている。その先端に装着されているべき魔石は、もう既に無い。
つい先程砕け散り、霧散したばかりだ。
これが砕け散ったと言うことは、そういうことなのだろう──そうウラノスが思考した途端、彼の全身に緊張が走り、指先がカタカタと震え始めた。
ウラノスは震える指先を強ばった表情のまま見つめると、もう片方の腕で強く握りしめ、深く息を吸いそして吐いた。
「企みが失敗して、神々に自分の秘め事がバレるのが恐いのかい? 大神ウラノス……」
「その声は……
神座に座り声の方向に一瞥すら加えずに、ウラノスは声の主を言い当てた。
「コソコソと嗅ぎ回っていたのは、そなただったか……」
「あぁ、ロキの指示でね。ずっと君達の事を探っていたんだ……」
大神ウラノスの御前であっても物怖じせず、堂々とした態度を見せるフィン。
フィンは、この態度こそがウラノスに、この裏切り者に、相応しい態度だと思っていた。
この神は、もはや敬うべき神じゃ無い。オラリオ転覆を企んだ反逆者だ。そんな神に払うべき敬意を、フィンは持ち合わせていない。
「そなたが、ここに現れたと言う事は……」
フィンの態度を全く気にせずに、まるで空気の様に扱いながら、押さえつけていた己の指を凝視して言うウラノス。
そのフィンの存在を少しも意に介していないウラノスの様子に、フィンは訝しんだ表情を浮かべ、途切れたウラノスの言葉を引き継いだ。
「そうだ、君達の企みは
フィンがウラノスの前に姿を現したという事は、そういう事だった。
隠れ潜んでいた刺客が姿を見せるという事は、己が勝利を掴んだ時以外に無い。
「そうか、我々は
驚くべきほどにあっさりとした単調な口調で、ウラノスはそう答えた。
やけに諦めの早い大神の様子に不穏な空気を感じ取ったフィンは、念を押すように付け加える。
「君の共謀者、マリウス・ウィクトリクス・ラキアのところには、神々が待ち構えている。もう、君達の負けは確定的だ……」
「そうか……マリウスのところには、
まるで壊れたレコーダーの様にフィンの言葉を繰り返すウラノス。
そして、ずっと見つめていた指を下ろし、初めてフィンへと視線を向けると、老神らしい威厳を放って続けた。
「──なるほど、それは実に
*
シュリーム平原で戦いが行われている。
赤く燃える太陽の下で、『人の子』と『神の子』の意地と誇りを懸けた戦争が繰り広げられている。
そして、黄昏が差し込む
「実際のとこ、最後まであんた等の企みの全貌はよう分からんままだったんや……」
頭を垂れ押し黙るマリウスに対し、神々の中心で王者の様に座すロキは、勝ち誇った顔をして話し始めた。
「──いっくら探っても、調べても、捜しても、ちっとも尻尾を出さりゃへん。もう完全お手上げ状態の手詰まり状態や。せやけど、あんた等が怪しい事だけは間違いなかった。それだけは分かっとった。せやからウチ等は一つ、賭けに出たんや」
そこまで言ってロキは一度、マリウスの方を見た。
血反吐を吐き、己の敗北に絶望し、己の失敗に挫折している哀れな王が、神の前にひれ伏している。
どちらが勝者でどちらが敗者であるか、それを見れば一目瞭然だった。
「そんで……まぁ、結果をみれば分かる通り、賭けはウチ等の勝ちって事みたいやな……」
あそこまであからさまな
あの戦いは、争い好きの『神』を誘い出すための巨大な『囮』だ。
神を陥れ、欺き、罠に嵌め、死に誘う、陰湿なトラップだった。
「我が儘な神共を説得すんのは、“アレ”のお陰で楽勝だったわ……」
顎をクイッと動かし、ロキは彼女の言う“アレ”を指し示した。
ロキの言葉にマリウスは震えながら顔を上げると、その場所に視線を動かす。
「『神の鏡』、か──」
「せや、ウラノスにバレんように用意すんのはかなり骨が折れたが、ウチ等を集める為に、“ホルン”を鳴らしたんのは失敗やったな……」
ギャラルホルンは神々の最終戦争を告げる笛の音だ。
それは神々の集結もそうだが、同時に、神に課されていた制限を緩和する合図の意味も含まれていた。
『神の鏡』に代表される千里眼の力も、その一つである。
つまり、戦場の様子も、戦況の推移も、マリウスの行動も、ウラノスの動向も、ここにいる神々には全て、お見通しだったと言うわけだ。
「全て、筒抜けだったという訳か……」
「せや……でも、あんた等を監視できても、あんた等の目的まではよー分からんままやった。結局、あんた等は何がしたかったんや?」
神々はマリウス達の企みを見抜いたが、未だその目的までは解明出来ずにいた。
わざわざマリウスを生かしたのは、それを聞くだけのためだ。
愚かな人間と愚かな老神が仕組んだ謀の答え合わせほど、興味深いものは無い。
「まるで裁判でも始めるみたいだな……」
失意からか顔を俯いた状態で、愚かな人の王がそう言った。
その様子からロキは、この場所で同じ様に神が裁いた英雄の事をふと思い出した。
完膚なきなでに敗北した哀れな青年と、神殺しの英雄の姿が一瞬ダブって見える。
途端に襲ってくる畏怖の念を下唇を噛みしめて堪えると、ロキは一切の感情を押し隠して言った。
「そうや……これは、ウチ等があんた等にする『神の裁判』や。勝者が敗者に課す『聖なる審判』や。ウチ等には聞く権利がある。せやから、吐けや──」
ロキの審問が
不気味な程に静まり返った
顔を伏せ震えるマリウスが、ゆっくりと声を発する。
「お前達を……いや……
それは差し詰め、決して開けてはならない、決して明かしてはならない、禁断のパンドラの匵だった。
知ってはいけない秘密。
分かってしまってはいけない秘密。
ひとたび知ってしまえばもはや希望さえも残されず、世界に絶望がばら撒かれる禁忌の回答。
「ロキ……君は……私の、私達の策略を見抜いたが、計劃までは分かっていなかった……」
追い詰められていたはずのマリウスから、とてつもない気配が放たれる。
それは絶望的に強く、恐ろしい程に暗い底知れぬ、果ての無い、神への、人の、人間の悪意の塊だった。
「“お前”を倒すのに……神を殺すのに……何故、私がここを目指したのか、何故ここに私が来たのか、分からなかったのか?」
マリウスは人とは思えぬ邪悪な笑みを浮かべると、顔を上げ、そして
恐怖の色に染まる神々と、動揺の色に染まる神々がいる、その先を……
「私はここに辿り着けさえすれば良かった。ここに来るだけで良かった……“お前”は
マリウスがダンジョンの最奥、大迷宮バハムート、竜神が眠る場所、竜の神域に思いを馳せる。
ダンジョンの奥深く、バハムート大迷宮ラグナロク級五番艦:88階層 地下8610ヤムルで、竜の神の最後の枷が外されようとしていた。
竜の巫女は幸せだった。
彼女は星の戦士では無い、竜の巫女だ。
唯一無二の主の為に、星の戦士とこれまで協力してきたが、彼女の最大の使命は主の復活だった。
それ以外に必要なものなど、何もなかった。だって彼女は神の狂信者だから。
与えられた使命が、ようやく果たされようとしている。
忌まわしき竜の最後の拘束を、巫女は解く。
深き封印から覚醒した竜の神は巫女を見ると、もはや用済みであると言わんばかりに彼女のエーテルを喰らった。
それでも巫女は幸せだった。愛する神と遂に一心同体になれるのだから……。
命を吸われ、消えかける巫女は、最後の瞬間、あの時、あの男が言った言葉の意味を、ようやく理解した。
『所詮、計劃の前では私も含め、誰も彼もが捨て石──』その言葉の本当の意味を……。
真実を理解した竜の巫女は、最後の瞬間、静かに微笑んだ。
そして、誰にも見送られる事なく巫女は消滅し、竜の巫女と地上で戦っている二万人の信者の命を生け贄に捧げ、暴虐の竜の神が再臨する──。
世界が脅威で震えだす。
異界の神の覚醒を恐れて、異界の竜の復活を畏れて、世界が震撼する。
「な、なんや?? これは!? 何が起きとるんや!? あ、あかん! みんな逃げ──」
存続の危機を感じ取った神々が、神の力を使い逃走しようとする。
だが、そんな事は分かりきっていた事だ。
「……無駄だ」
マリウスがそう言うのと同時に、都市の八方から青白い光線が放たれる。
それは、神を拘束し制御する魔科学の力。
異世界の文明の、古代アラグ文明の叡智の力。
「──なッ!?
それは人と神が仕掛けた最後の罠。
都市に密かに設置されていた『神の拘束具』。
神を拘束し、ただの無力な存在へと突き落とす人類が生み出した狂気の産物。
都市に密かに設置されていたアラグ式拘束具が、その機能を十全に発現させた。
「何故、私があんなにも簡単にベラベラと計劃の内容を吐いたと思う?」
マリウスは神々にでは無く、中央に座している巨大な水晶に向かって言った。
その大きなエーテルの結晶は──。
都市のエーテライトなどはなく。
巨大な水晶の塊でもなく。
神の栄華と栄光を示すシンボルでもなく。
神の……『心核』だった。
「お前達が何処にいようが、何をしていようが、計劃には何ら支障は無いんだ。“お前”がそこにいて、そこにあった時点で、勝敗は既に決していたのだから……」
それは、千年続く神の幻影。
それは、生命の穴を塞ぐ不浄の塔。
それは、人が願い夢見た──『
そして、その幻想の真の名は……。
──蛮神『バベル』──
「神よ、蛮神バベルよ、オマエの負けだ……計画は既に完遂している。三分五十秒前に、竜の神はもう
地の底からやって来る根源的な恐怖を感じ、神々の顔が絶望に染まった。
テラフレア詠唱完了まで……。
──10──
世界中のエーテルが燃え盛り、竜の神に収束する。
忌まわしき塔を消し去るために、神話に語られるように滅ぼすために……。
──5──
出来る事ならば、この手で“神”を葬ってやりたかった……。
──4──
でも、それはもう出来ない……。
──3──
だが……お前達の……その絶望に染まる顔を見られただけで、満足だ……。
──2──
後は……頼んだぞ……ウラノス……黒竜……光の戦士達……そして──。
──1──
“黄昏”が沈みゆき、太陽は地平に消え、世界に“夜”が舞い降りる。
そして……この日、幻想は終焉した。
『バベル』って名前が悪い。