光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
メレンへの旅は実に順調であった。
海へと続く雄大なロログ湖の湖岸にある港町──メレン──は、オラリオから南西に三
街には真っ白な石製の建物が軒を連ね、その白色の石壁が、照りつける太陽の日差しを眩しく反射させ、街全体に明るい印象を与えている。
大通りには露天商や出店、屋台といった小売店がところ狭しと並び、採れたばかりの新鮮な魚介類や珍しい商品を、これでもかという勢いで、半ばやけくそになって売りさばいていた。表示されている値段も、恐ろしい程に激安である。どうやら、随分と『大漁』があったようだ。
道行く人々の人種も種族も実に多種多様で、異国情緒溢れる雰囲気が醸し出されている。
「凄い……」
地平の果てまで続く大洋に、つい感嘆の声を上げるヘスティア。
記憶の中では確かに海を見た事はあるはずだが、まるで初めて見たかの様に、ヘスティアは感動を覚えていた。おそらく、この地に降臨してからこの目で海を見るのが、初めてになるからなのだろう。
塀に囲まれたオラリオの中では、決して見ることの出来ない壮大な大自然を前にして、ヘスティアはただただ感激するばかりであった。
ふと、隣を見ればベルも同じ様な瞳をしている。きっと彼も“海”を見るのは初めてなのだろう。
見渡すばかりの圧倒的大自然を前にして、ヘスティアは『世界はこれ程までに広かったのだ』と、今更ながらに思った。それはきっと、オラリオに居ては一生抱くことの出来なかった思いである。
「ヘスティア様。感動しているところ悪いですが、やるべき事をやってしまいましょう」
ロログ湖とその先に広がる大海原に言葉を失っているヘスティアに、リリが進言する。
リリも初めてメレンに来たので、感動する気持ちは十分に分かるが、彼女達はここに観光しに来たのでは無いのだ。
「あ、ああ。そうだね、そうしよっか」
リリの言葉にヘスティアは名残惜しそうに答えた。
「えっと、メレンに来た事のあるのは──」
まだ若干惚けた声でヘスティアが言う。
「俺と、エルザと、あとレフィーヤだったけか?」
「はい、学生の時に友達と良く来ました」
学生時代の──あの無垢だった頃の自分──を懐かしく思いながらレフィーヤが答える。
その時一緒だった友達は、今も元気にしているだろうか。おそらく出番は一生無いだろうが、もし今のレフィーヤの現状を知ったら、きっと度肝を抜かれることだろう。
リチャード、エルザ、レフィーヤ──この三人が、パーティーの中でメレンに来た事のある者の様だ。
「──じゃあ、三組に分かれて情報収集しようか。とりあえず、エルザ君は──」
そう言うとヘスティアは眷属達の方へと目を移した。
視線の先では、太陽に照らされて黄金色に輝く髪を盛大に揺らしながら、赤毛の少女の腕を掴み上げている犬娘が映っていた。
盛大なエルザのアピールに、やれやれと溜息を一つ付くとヘスティアは、『分かっているよ』と心の中で頷いた。期待に胸を膨らませる少女の想いを裏切るなど、ヘスティアには出来なかった。
「──まぁ、アンナ君とだね」
「やったー!」
両手を上げて全身で喜びを表すエルザ。
分かりきった結果であろうとも、全力で喜びを表現する彼女の姿を見ていると、なんだか微笑ましい気分になってくる。正に可愛いは正義であった。
とは言え、これではまるでデートに来たようである。「そんな事をしにメレンに来たんじゃ──」そう注意しようとした時、ヘスティアの脳裏に電撃が走った。
熱い海、照りつける太陽、開放的になる気持ち、夕陽が沈む浜辺、良い感じになった二人の距離は自然と近づき、そして────グヘヘヘヘ、これはもしかして、もしかするとベル君と仲良くなるチャンスではないだろうか!? そんな悪魔的な閃きがヘスティアに舞い降りていた。
ヘスティアは、妄想で破顔しそうになる顔を必死に堪えながら、冷静に思考を巡らせた。
落ち着け、落ち着くんだ、ヘスティア。まだ慌てる時間じゃない。心を平静にして考えるんだ。リチャード組か、レフィーヤ組か、どちらに入るべきか、見極める必要がある……。
(レフィーヤ君は、今のところベル君になびいている様子は全く無い。でも、今後、天然ジゴロ体質のベル君と一緒にいたら、どうなるかは分からない。純正エルフの彼女がこの戦線に参加するのは、かなり危険だ! レフィーヤ君のあの容姿は、僕が思うにベル君のど真ん中だし。それに比べリチャード君は──)
ちらりとヘスティアはリチャードを見た。
視線を感じ、ヘスティアがこちらを見ていることに気付いたリチャードは、少し考えると、白い歯を煌めかせてサムズアップをした。流石察しの良いことに定評のある男である。
ヘスティアは神生で初めてリチャードに感謝した。君がこのパーティーにいてくれて良かった!
「それじゃあ、リチャード君組には、僕とベル君が──」
「ちょうど二-三ですし、男女で別れましょうか。ね、ヘスティア様──」
ヘスティアの言葉を無視し、リリが強硬に提案してきた。
まるで名案であるかのように、にこやかに言うリリの言葉は、ヘスティアには「抜け駆けなんか許さんぞッ!」という風に聞こえた。
突然の裏切りに激しく動揺するヘスティア。だがそれは必然の裏切りであると言えた。
忘れてはならないがこの
普段であれば、信頼できるパーティーの
しまった、コイツそういえば恋のライバルだった! と思っても、もう手遅れである。
言葉が詰まり、二の句を告げられないヘスティアに対し、リリは容赦無く次の句を繰り出した。
「まさか、ファミリアの主神様ともあろうお方が、眷属達の風紀を乱す様な男女混合チームなんて公序良俗に反したふしだらな提案、しませんよね? ね? ヘスティア様?」
畳みかけるかのような正論の嵐に、ヘスティアはぐぅの音も出なかった。
ヘスティアの今の気分は、まるで断頭台の前に立たされた無実の咎人の様な気分だ。
神の審判にかけられた隣人君も、こんな気持ちだったのかな? いや、そうでもなさそうだったなぁ。等と、この場では全く無関係な事を想像し、現実逃避を始めるヘスティア。
(い、いや僕には最後の味方がッ!)
藁をも掴む思いで、最後の望みとばかりに唯一の味方であったリチャードに目を向けるが──ササッ──目が合った瞬間そらされた。おのれ、リチャード、貴様もか! 君がパーティーにいて心底がっかりしたよ!
「う、うん。も、勿論そうだよ……主神である僕が、そ、そ、そんな事、提案する筈が、な、な、無いじゃないか……じゃあ、リチャード君は、ベ、ベル君とで、レフィーヤ君とは、リリルカ君と僕とで、行こう、か……は、ははは、はぁ」
なんとか言葉を捻り出してヘスティアは言った。
ヘスティアに残された選択肢はもうそれしかなかった。心の中で血涙を流しながら、断腸の思いでリリの提案を肯定する道しか……。
「分かりました、神様! じゃあ、早速行きましょうか、リチャードさん!」
そして、その提案に真っ先にベルが応えた事で、ヘスティアの姑息な秘策は息の根を絶たれた。
「お、おぅ。しかし、これで良かったのか?」
ヘスティアの気持ちを毛ほども気にしていなさそうな、元気一杯の返事をするベルの姿は、今のヘスティアには眩し過ぎた。ああ、もう、見てらんないって感じだ。
颯爽と走り去るベルとリチャードを見届けると、ヘスティアの膝がガクッと折れ、地面に項垂れて、がっくりした。
「抜け駆けしようとしても、そうはいかないんですからね? ヘスティア様」
「ぐぬぬぬぬぬ」
愕然とするヘスティアに対し、強かに勝利宣言するリリ。だが、結局どっちもベルと同じ組になれなかったので、結果はどう見ても痛み分けである。
それに気付かず、ヘスティアは悔しがり、リリは勝ち誇っているのだ。端から見れば『どっちもどっち』の結末だと言えた。
そんな、恋敵同士の斯くも低レベルな争いを横目で見ていたレフィーヤは、「この二人、本当に大丈夫かなぁ」と先行きに不安を覚えていた。
*
レフィーヤの心配をよそに、ルララ・ルラの情報は驚くほど簡単に入手する事が出来た。
何だかんだ言っても一緒の釜の飯を食べる者同士であり、同じ人を好いている同志である両者は、直ぐに何時もの調子を取り戻し、仲直りをした。
その後、女三人寄れば姦しいという諺の通り、頻繁に観光と言う名の寄り道を敢行しながらも、順調にルララの情報を集めていくレフィーヤ一行。
と言うか特に意識しなくても、ルララの情報はスポンジの様にドンドン吸い込まれてきた。これは別に、レフィーヤ達が何か特殊な能力に目覚めた訳では無い。
どうやらルララはこの街でもその傍若無人っぷりを遺憾無く発揮していたようで、「ねぇねぇ、白髪赤目の
因みに十人中十二人とは、話を聞いた十人の内、十人がそう答えて、聞いてもいないのに話して来たのが二人いた、という意味だ。
聞けば、「道行く人々の悩みを片っ端から解決した」、「街を乗っ取ろうとした海賊団を一夜にして殲滅した」、「その裏で一心不乱に釣りをしていた」、「そのせいで街の経済が一時的に混乱した」、「でも、湖に住むヌシを釣り上げたから逆に魚の量が増えた」、「お陰で結婚ラッシュな今は助かっている」、「だけど魚は腐るほど余っているので、あんた等も何か買ってくれ」等と、実にやりたい放題、好き放題やっていたそうだ。
道理で道の露天商達が半ば投げやりになって、嘆く様に客引きをしていた訳だ。
「あ、相変わらず壮健そうですね。ルララさんは……」
若干引きつった顔を浮かべながらレフィーヤは言った。ルララ・ルラの無茶苦茶ぶりは、外に出た今でも健在の様だ。
むしろ、解き放たれた猛獣の如く暴れ回っている印象すらある。
「『昼夜を問わず出没し続ける』、『あらゆる職業を使いこなす』、『やたら無感情』、『ほとんど喋らない』等の特徴から、まずルララ様で間違いないでしょうね」
集まった情報からは件の冒険者の名前までは判明しなかったが(本人があまり名乗ろうとしなかったらしい)、その特徴的過ぎる容姿と、無尽蔵の行動力を持つこの謎の冒険者は、ルララ・ルラと見て間違いだろう。
こんな自由すぎる冒険者が彼女以外に存在していたら、それこそ世界の終わりである。
「まるで竜巻の様だね……」
「あるいは、
通った後にペンペン草も残らないという意味では、どちらの喩えも正しいと言えた。
「目的である『世捨て人風の商人』さんも、直ぐ見つかりましたしね……」
レフィーヤの言う通り、探し人である『世捨て人風の商人』も、捜索を開始し程なくして直ぐに見つかった。
発見しづらい街の片隅で住む、正に『世捨て人風の』といった感じの商人であったが、レフィーヤとリリの「あれ? 何となくこっちの方じゃない?」という謎電波の活躍もあって、大した苦労も無く発見出来た。
聞けば、彼女達の前にも二人組の男女が、彼のところに訪れていたらしい。どうやら他の二組も、ここまで辿り着けていた様だ。
「ベオル山地の隠れ里──エダス村──か……」
ヘスティアは商人から入手した情報を反芻する。
ベオル山地はオラクルの北部に高々とそびえる山脈地帯だ。
古代の時代、オラリオから這い出たモンスター達がそこに棲みつき、今では魑魅魍魎が蠢く魔境と化した危険地帯であるとも知られている。
何でも商人は、その昔、近道をするためにベオル山地に入り込み、そしてお約束通り道に迷うと、これまたお約束通りモンスターに襲われ、最後もお約束通りその村の住人に助けられたそうだ。
それ以降、商人はその恩に報いるために、エダス村に新鮮な魚介類を届ける──という仕事を請け負っているらしい。
しかし、近年、高齢のためか足腰を悪くし、思うように身体が動かなくなってきて困っていたところ、丁度良いタイミングでルララが現れ、【わかりました。】と代行を請け負ってくれたという事だ。
「その情報提供の為に、隣人君と同じ『新鮮なうまい魚を村に届ける』なんて依頼を引き受ける事になったのは、都合が良かったかな?」
「まぁ、『その情報が欲しけりゃ、いったん村に魚を運んで報告しに帰ってきて貰おうか?』なんて、二度手間でしかない理不尽な事言われなかっただけ、マシだったと思いますよ」
レフィーヤの言葉にヘスティアは「なんじゃそりゃ、それは流石に理不尽過ぎでしょ」と笑い飛ばした。更に、「でも、そんな依頼でもルララさんならやりそうですよね」と言うレフィーヤの台詞に、「確かにやりかねないね、隣人君なら」とお腹を抱えて笑い飛ばす。
事実あの冒険者なら、物凄く嫌そうな顔をしながらも、せっせと依頼をこなしそうであった。
「兎に角、一度戻りましょうか。目的は、もう果たせましたし」
リリの提案に異を唱える者は誰もいなかった。
*
「青い空、白い雲、眩しい太陽、輝く砂浜。そして、目の前には──」
燦々と照りつける太陽光を手で遮りながら、リチャードは思った。オラリオを、ガネーシャ・ファミリアを抜けてここまで来て良かった、と。
我ながらアラフォー冒険者にしては、中々に思い切った決断をしたというのが正直な感想だ。
実の事を言えば、ノリと勢いで決めた感が否めないのが本当のところだが、この光景を見られただけでも、その価値があったと断言できるだろう。
それは正に、地上の楽園とも言える光景だった。
予想以上の早さで情報収集を終えたヘスティア達御一行は、当然の事ながら、暇を持て余す事になった。良い感じの流れだ。
今の時間は午後二時──宿泊する予定の宿は、午後四時にならないと入室出来ない仕組みになっている。随分と不便なシステムで、本来であれば文句の一つでも言いたいところだが、今回に限ってはグッジョブと言わざるを得ないだろう。正に追い風が吹いているというやつだ。ありがとう高級宿屋のポリシー。
極めつけは受付の、「お時間があるのでしたら、当店自慢のプライベートビーチで暫く過ごすのは如何でしょうか?」の一言だ。これぞ、理想的な展開と言える。
しかも「水着が無い」と断ろうとする女性陣に対し、「勿論、水着の貸し出しも行っていますよ」と先んじて言う用意周到ぶりだ。なんでも、やたらと魚を釣り上げる冒険者から大量に買い取ったらしい。
これぞ
そんな訳でヘスティア達は時間が来るまで、ビーチへと繰り出す事になったのだ!
寄せては返すさざ波に、滴る水と流れる汗、下着程の守備範囲しかない水着からはあられもなく肌が露出され、彼女達が激しく動く度に、そのこぼれ落ちそうなたわわな果実も激しく揺れた。
小っこいくせに無駄にデカい神様に、小さな身体にしては破格のボディを持つ
エルフのくせに無防備な肢体を晒す美少女と、恥じらいなど無く天真爛漫にはしゃぐ
「右を見ても美少女、左を見ても美少女……美少女よ、あぁ美少女よ、美少女よ──」
おもむろに偏光グラスを取り外す。
照りつける太陽が直接瞳にそそがれ、思わず目を細める。
「──って、
憎たらしく輝く太陽に向かって、リチャードは今の気持ちを叫んだ。
噂に聞いていた大量のアマゾネスは何処行ったの!? 俺の純真な気持ちを返せ!! と言わんばかりの咆吼である。
確かに彼女達は美形だ。神が認めた美しさを持っていると言っても過言では無い。
だが、流石のリチャード君も一回り以上歳の離れた、ともすれば「娘」とも言える年齢の子達に対してよこしまな思いを抱くような、世間的に見れば変質者と言われる危険人物じゃ無かった。
そうでもなきゃ、彼がこのパーティーでここまでやってくる事は不可能だっただろう。或いは“そう”調教されたのかもしれない。真相は闇の中である。
それに彼の好みは、彼女達のようなちょっと幼さが残る女性というより、いわゆる大人のお姉さん的な妖艶な色気を持つ女性であった。ちんちくりんな小娘など、お呼びじゃないのだ。
それを察しているからこそ、女性陣も無防備というか無遠慮な態度で、彼と接する事が出来ているので、結果オーライであると言えばそうなのであるが。
彼のパーティー内ポジションとは、俗に言う「ウザいお父さん」であった。
楽しそうに遊ぶ娘達を見ていると、まるで家族に連れられてバカンスに来たお父さんになった気分になる。
この宿の宿泊費は、
ファミリアは家族だと良く言われるが、もし結婚して、子供がいたら、こんな感じだったのだろうか? 楽しそうと言うか大変そうというか、そんな複雑な思いが湧き上がってくる。
ふと、リチャードは女ばかりの
リチャードと同じ様に砂浜に腰掛け女性陣が遊んでいるところを見ているが、リチャードとは違ってその顔はほんのり赤く染まり、視線はキョロキョロとしチラチラと彼女達を視姦している。
どうやらウチの大将は年相応に思春期真っ盛りの様だ。どっかの物語の主人公みたいに、性欲が消滅していないようで大変喜ばしい、とリチャードはベルの様子を見て思った。
少年らしい若々しさに微笑ましい気持ちになるリチャード。そんな少年を少しからかってやるのも良いかもしれない。
「なぁ、ベル……」
「な、なんですかリチャードさん」
突然声をかけられてドギマギとするベル。
あたふたとするベルを見てリチャードは益々微笑ましい気持ちになった。
「パーティーの中だと、誰が好みだ?」
鼻の穴を膨らませながらリチャードが下品に聞いた。
「えっ、え、えっ、えッ? エェェェェェェ!?」
思いもかけなかった下世話な質問に、ベルは赤かった顔を更に赤く染め動揺する。
慌てふためくベルを気にせずリチャードは強引に話を進めた。
「アンナか? エルザか? レフィーヤか? リリか? それとも──」
指で女性達を指し示しながらリチャードが言う。それにつられベルの視線も移ろう。
長身でスレンダーなアンナ。
豊満で魅惑的なエルザ。
白い肌を惜しげも無く晒しているレフィーヤ。
小さいながらもしっかり自己主張した肉体のリリ。
そして……。
「──ヘスティアか?」
リチャードがそう言った瞬間、ベルの顔面赤面度が過去最高に達した。
カァァっと顔を染める初々しい反応だけで、全てを察せられる程にあからさまに分かりやすい態度であった。
「なるほど、ベルのタイプは「ロリ巨乳」か」
うんうん、悪くないぞぉ、と頷くリチャード。
小さな身体に、パーティー随一のたわわなお胸。幼い雰囲気の中にでも無限の母性を醸し出す処女神は、なるほど確かに初心な少年にはドストライクだったのだろう。
献身的で、慈悲深く、愛嬌に満ち溢れて、心優しい、そんな理想の女性とも言える女神と数ヶ月一緒に暮らしていたのだから、まだ無垢な少年である彼が骨抜きにされてしまうのも無理もない事だった。
聞けば毎日のように同衾していたらしいから、むしろよくぞ今日まで耐えきったと褒め称えたいくらいだ。
そんな事を日常的にヤっていたのなら、もっと退廃的で自堕落的な関係になっていても可笑しくは無かった。
両者の、高いんだか低いんだか良く分からないモラルに乾杯である。
「べ、別に僕はそんなつもりは……」
何やら納得した様子のリチャードに、慌てて否定の言葉を口にするベル。
「まあまあ、そんなに恥ずかしがることでもないだろう。むしろ、ベルくらいの年頃なら普通の事だ」
リチャードもベルくらいの歳の頃には、ちょっと一緒に冒険したりダンジョンに潜ったりしただけで誰かを好きになっていたものだ。年上のお姉さんから、年下の女の子まで手当たり次第に恋をした。思春期特有の無限の欲望に従うがままに。
結果的に、その全てが叶わなかった訳だが、それも今となっては良い思い出である。
「喩え相手が誰であろうとも、怖じ気づく事は無いさ。先人からのアドバイスだ。当たって砕けるがいい、若人よ。ウジウジしていても始まらんぞ?」
「そ、そうなんでしょうか……」
やや困惑した様子でベルは言った。
当たって砕けてはダメな様な気がするが、倍以上歳の離れたこの男の言うことは、不思議とベルの心の中に溶け込んでいった。
ベルが抱いているこの気持ちが、果たして恋心なのか、それてもただの尊敬や敬愛の念なのかはまだ分からない。
それでもベルは、芽生え始めたこの気持ちを大切にしたいと心から思った。
「──そういえば、リチャードさんはどうして冒険者に?」
ベルには無い不思議な魅力と経験を持つ歳の離れた友人の事を、ベルはあまり良く知らなかった。
冒険者同士のシキタリで『過去の事はあまり深く詮索しない』という暗黙の了解があるが、彼等はもう
ベルの言葉に、一瞬きょとんとするリチャード。しかし直ぐに気を取り直して朗らかに答えた。
「そりゃあ、決まっているだろう──」
ベルの突然の質問に対し、不敵な笑みを浮かべる。
「──モテるため、だ」
リチャードの答えは至極単純であった。
所詮、男なんてそのために生きているようなものだ、と言わんばかりに清々しい解答であった。
分かりやすく、実にリチャードらしい理由であった。
「……プッ、プハハハハハ」
リチャードの返事に思わず笑うベル。
それは、その答えは──。
「ちょっ、そんなに笑うことないだろう、ベルぅ」
「い、いえ……フフフ、すみません。ただ──『一緒だな』って思いまして」
──僕と一緒だ
リチャードの理由は、ベルがオラリオに来た理由と一緒だった。
世界の中心で、世界中のありとあらゆるものが集うあの街に、ベルがやって来た理由と全く同じだった。
ハーレムを作るなどと言うしょうも無い理由と一緒だった。
ベルは、幼い頃、祖父に聞かされた物語に憧れて、祖父が言った「男だったらハーレムだ!」の言葉を胸に抱いてオラリオを訪れていた。
結局のところ、ベルの動機はそんなしょうも無いものであった。
ずっと他の人は崇高な使命や目標があって、オラリオを訪れていると思っていた。だけど、本当はみんな誰しもが、そんな『しょうも無い理由』でオラリオを訪れていたのだろう。
ベルも、リチャードも、そして多分、彼女も──。
「僕も……僕も、リチャードさんと一緒です。女の子にモテたいから、モテモテになりたいから、オラリオに来たんです」
オラリオに行けば何かが変わると思っていた。
多くの英雄が集い、生まれたあの街の空気を吸えば何かが変わると思っていた。
神の恩恵を受ければ英雄になれると思っていた。
でもそれは違っていた。
オラリオに着いても何も変わらず、英雄と同じ空気を吸っても強くはならず、神様に会っても弱いままだった。
それを変えたのは小さな冒険者と、きっと自分自身の“意思”だった。
大切なのは、『どうなりたい』かじゃなくて、『どうしたい』かという己自身の意思だったのだ。あの時、
だからベルは自らの意思で神の恩恵を捨て、オラリオを出る決意をしたのだ。確固たる自身の決意で以て、英雄と同じ道を歩むために。
「んじゃあ、
リチャードの視線の先には楽しそうに遊ぶ、彼等の大事な仲間達が映っていた。
それにつられ、ベルも彼女達の方へと視線を動かす。
ヒューマンの女性に、シアンスロープの女性、エルフの女性に、パルゥムの女性。そして──
(神様……)
ヘスティアは
本来では絶大な力を持っているとされているが、今の彼女は全くの無力な存在になっている。
冒険者であるアンナ達とは違って、正真正銘の『力の無い』存在であった。誰よりもか弱く、誰よりも儚い存在。それがヘスティアだった。
そんなヘスティアを、ベルは命に代えてでも守りたいと密かに思った。
独りぼっちで途方に暮れていたベルを見つけてくれた女神様を、街を出る事を心優しく受け入れてくれて、何も言わず付いてきてくれた愛しの女神様を──必ず守ってみせると。
「お~い、二人とも~、座ってないで一緒に遊ぼうぜ!」
ベル達の視線に気付いたヘスティアがそう声をかけてくる。相も変わらずも元気な神様だ。
ブンブンと振られる腕に合わせて、彼女の黒髪と、ある大きな一部分が激しく揺さぶられる。
恥ずかしそうに物凄い勢いで目をそらすベルと、これ見よがしに凝視するリチャード。あんな話の直後だったせいで、ベルはかなり意識してしまっている様だ。
「どうしたんだーい、ベル君? そんなに顔を染めて……あっ、さてはリチャード君。また、ベル君に何か変な事を言ったな!?」
そんな何時もとは違った大袈裟なベルの反応に頭を傾げるヘスティア。
「またって……まぁ、間違っていないのが、なんだか無性に空しいな……」
「な、なんかすみません、リチャードさん……」
赤くなり始めた太陽の方を見て、リチャードは悲しんだ。
「……まっ、気にするな、何時もの事さ。それに、『命短し恋せよ少年』ってな。悩め、悩め、そして、煩悩に支配されるがいい、うら若き少年よ!」
「煩悩に支配されたら駄目な気がしますが……頑張ります──神様、大丈夫です! 変な話なんてしてませんよ」
そして、ベルは「本当かーい?」心配そうにするヘスティアに、「本当ですよー、今そっちに行きますね!」と言って立ち上がった。それに合わせてリチャードも立ち上がる。彼等の先に待っているのは、愛しき“神”と大切な“娘”達。
そんな優しい光景を前にしてリチャードが言う。
「次の目的地は「北」──ベオル山地──、だ」
彼等はもはや
これまでの彼等であれば屁でも無い場所であっただろうが、今の彼等では命懸けの場所になるのは間違いない。
仲間を探す為の旅で、仲間を失うわけにはいかない。
「俺達が頑張らなくっちゃ、だな」
「……そうですね」
赤く燃える夕陽に彼等は誓った。
*
隊列が行進する──女ばかりの国を。
戦列が進軍する──神に愛される街に向かって。
兵隊が蹂躙する──魔術の神が治める魔法の国を。
戦士が暗躍する──無力な神の寝首を狙って。
ただの「人」だと侮る神々を、狂おしい程の信仰心と圧倒的武力で以て飲み込んでいく。
山を越え、谷を越え、砂漠を越え、森を越え──世界の中心へ、世界の大穴へ、ただひたすらに。
*
ラキア王国国王の、神アレス殺害という凄惨な宣戦布告から数日後、それに対するオラリオは直ぐさま
自国の神を殺害し、全世界の神々へ行われたと言っても過言では無い、前代未聞の宣戦布告をしたラキア王国に対し神々は──
「いや、今回も適当でいいでしょ」
「そうそう、相手は
「だなだな」
「それにしても、戦争するのに
「まぁ『神の支配から脱却』とか意味不明なお題目で攻めてくるみたいだから、当然まともじゃないのだろう」
「すげー演説だったらしいな。俺達言われたい放題だったらしいぜ?」
「なにそれ、ちょーウケる」
「でもなんか一応、テルスキュラには勝ったらしいぞ」
「何それ、テルスキュラって超ド田舎じゃん。そこに勝っても全然威張れねぇし。それにそれって、カーリーが死んだ直後だったんだろ? 結局空き巣狙いとか、大したことないじゃん」
「まぁ、それもそうだな」
「まっ、今回もちょちょいってやって、パパッで終わりでしょ。なんせあれだろ?」
「だなー」
「そうだなー」
「そうなんだよなー」
「「「『
──碌な対策を講じていなかった。
「というかさ、いっその事賭けでもしねぇ? そうでもしなきゃ盛り上がらんでしょ」
「おっ、良いね。やろうぜ、やろうぜ」
それどころか、やる気もなさげに駄弁りながら、どのファミリアが一番戦果を上げられるか賭けを始める始末である。どの神も緊張感は全く無く、危機感なんて毛ほども感じられない。自分達の勝利を少しも疑っていないようであった。
しかし、それも当然の事であろう。
過去五度行われたラキア・オラリオ侵略戦争は、その全てがオラリオ側の完全勝利で終わっている。喩え、大陸随一の大国ラキア王国であろうとも、世界の中心であり、世界最高の戦力を有するオラリオ相手では、結果は火を見るよりも明らかであった。
しかも、それが
ラキア王国の総人口と総兵力数は、オラリオよりも極めて多い。だが、それでも万に一つにも勝ち目は無い。
戦いはもはや『量』よりも『質』の時代になったのだ。いくら『一』を集めて『万』としても、神に祝福を受けた『一』の豪傑を打ち倒す事は出来ない。
それが神々が作り上げた、世界の摂理であると言えた。
だから、その“当事者”である彼等が勝利を確信するのも致し方ない事なのである。
神々は皆一様に思った。今回の戦い
オラリオ最強のファミリアを持つ二柱の神でさえも、そう思っていた。
息を切らしながら
それが、唯一この会場に入室を許された“彼”の使命であった。大した実力も無く、ただ真面目だけが取り柄の名も無き伝令である彼は、その与えられた仕事を実直に遂行しようとしたのだ。
息も絶え絶えでようやく辿り着いた神聖な扉を前にして、それを迷うこと無く開け放ち、伝令役の男は叫んだ。
「も、申し上げます!」
楽勝ムードが漂う
騒がしかった神々が一斉に静まり返り、男の方に視線を送った。
男から見える神々の表情は様々だ。不機嫌な者、驚きに染まる者、好奇の顔をする者──様々であった。
その集められた視線に物怖じせず、男は精一杯の声を張り上げて叫んだ。
「魔法大国がッ!! アルテナがッ──!!」
一度息を溜めて男は吼える。
「──オーディンが、墜ちましたッ!!」
その瞬間、
まるで世界の終末を知らせるようなホルンの響きは、戦士達を呼び覚まし、神々に古き盟約を思い出させる。
それは太古に交わされた神のみぞが知る古き盟約。名前すら無く、記録さえもされていない、彼等の記憶と本能の中にのみ存在する最古の約束。
それは──神族集結の知らせ、神族団結の知らせ、神族招集の知らせ、神族進軍の知らせ──全ての神族の結集を意味する『大号令』。
因みにこの小説は、ヘスティアさん×ベル君 をメインに据えています(´・ω・`)
リリルカさんには申し訳ない。