光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
サンジョウノ・春姫は夢を見ていた。実にリアルな夢だ。
この世の中にはこれが夢であると分かる夢があると言うが、それが“そう”であるのかまでは春姫には分からなかった。
だが、まるで実際に現実で起きているかの様にリアリティに溢れる夢であったのだけは確かだ。
夢の中では四人の女と二人の男達が戦っていた。見知らぬ闇夜の闘技場で彼女達と彼等は闘争していた。
その中で春姫は姉を思う妹であり、闘いを渇望する狂戦士であり、自身の半身を恐れる戦闘者であり、憤怒に燃える女であった。
春姫は狂おしいほどの激情に支配されていた。
怒りが、悲しみが、恨みが、妬みが、僻みが、餓えが、恐れが、憎悪が、ありとあらゆる負の感情が身体の中で暴れ狂っていた。
なのに、彼女達は空っぽだった。まるで操り人形の様に空っぽで空虚な存在だった。
それがとても悲しかった。
なにも出来ない自分が無性に腹立たしかった。
見ているだけの自分が唯々情けなかった。
春姫と戦う男達は追い詰められていた。
光の粒子に包まれる春姫達によって男達は窮地に立たされていた。
この光の粒子には身に覚えがあった。それはかつて自分の中に“あった”ものだ。彼女の中で生まれ、育まれ、巣立っていった彼女だけの魔法であった。
神は言った「仲間達の繁栄と栄華の為にその力が必要なのだ」と。
春姫は答えた「仲間達の為ならばこの力、喜んで差し出しましょう」と。役立たずで足手纏いの自分にようやくやるべき事が出来たのだ。迷いなどあるはずが無かった。
でも、それは間違っていた。春姫の魔法は仲間達の為に使われるどころか、他人を傷つける為に使われていたのだ。
馬鹿みたいに浮かれて喜んでいた過去の愚かな自分を呪ってやりたい気分だった。
彼等を傷つけているのは自分だ。彼等を殴りつける拳は己のものであり、彼等を蹴りつける脚は己のものであった。
何もかも全て自分がやった事だった。女達が空っぽになったのも、男達が捕らえられたのも、みんなみんな自分のせいだった。
何もしないでただ救いを待っていた愚痴無知な自分が仕出かした事だった。
ずっと、物語のお姫様に憧れていた。お伽噺の様なお姫様に憧れていた。
ずっと、物語の様な魔法使いが助け出してくれるのを、ただ待っているだけであった。お伽話の様な夢に見た王子様が助け出してくれるのを、ただ待っているだけであった。
己の現状に嘆いているだけで何もしない卑しい娼婦の下に、そんなものが来る訳が無いというのに。それを知っていながら、分かっていながら、それでも尚、自分は
変わる勇気が無かったから。変える勇気が足りなかったから。変わろうとする勇気がまるで存在しなかったから。変わりたくない臆病者な自分に甘える事しか知らなかったから。
でも、それではもはや
立ち上がらなくてはならない。立ち向かわなくてはならない。立ち
彼女達を、彼等を──救わなくてはならない。
それが出来るのが
夢見がちな少女の時代はもう終わりだ。何も知らず、何も出来なかった少女の時代はもう終わりなのだ。
あの時語った物語の様に、あの時勇者に詠ったお伽噺の様に、己自身の力で突き進み、救い、幸せを掴み取るのだ。
そうする責任が
春姫を突き動かしたのは勇気では無かった。確かに、
空っぽで空虚な心の中で確かに”それ”がある事を春姫は感じ取っていた。
それはまるで小さな蛍火の様に儚く今にも消えそうなちっぽけな灯火であったが、決して消してはならない尊いものだと春姫は強く、強く思った。
意識が覚醒する。
そこは血の匂いが漂う闘技場では無く、暖かいベッドの中であった。さっきまでいた血生臭い闘争の地では無かった。穏やかで心安まる安息の地であった。悪夢を見て疲れ切った心を癒やすのにこれほどうってつけの場所は無いだろう。
だが、自分がいるべき場所は
春姫は駆け出した。己がいるべき場所に向かって、為すべき事を成すために。これほど懸命に走ったのは幾年ぶりだろうか。幼い頃の、あの幸せだった頃の思い出と共に彼女は疾走する。
たどり着いた場所には誰もいなかった。だが、折れた木棒と血塗られてズタボロになった布きれがそこにはあった。
夢の中で見た
そこまでいって春姫は袋小路に陥った。彼女には確固たる強い思いはあったが、それを実行する“力”が決定的に不足していたのだ。
春姫は無力な自分を呪った。力無き己を憎んだ。結局何も出来ないままの自分自身を恥じた──でも今は、それを嘆いて泣いている場合では無い。
足掻くのだ、みっともなく。
藻掻くのだ、見苦しく。
抗うのだ、はしたなく。
今こそが──今こそがその時なのだ。
そう思った瞬間、まるで閃光の様に煌めくヴィジョンが春姫を襲った。
それは、夢の中で共にあった憤怒の戦士が見せた幻想だったのかもしれない。あるいは彼女を想う心優しき”妹”が見せた空想だったのかもしれない。もしかしたら、その小さな小さな白い冒険者は追い詰められた春姫が生み出した都合の良い妄想だったのかもしれない。
でも、彼女ならば助けになってくれる。
まるで根拠は無いが、なぜだか春姫はそう確信出来た。出来るほどの“輝き”を彼女は放っていた。
導かれる様に春姫は再び駆け出していく。行くべき場所は不思議と理解出来ていた。やはりそれは夢の中で見た彼女達の想いがもたらした奇跡だったのかもしれないが、考えている余裕は無かった。
そうしてたどり着いた場所で、彼女は”英雄”と出会った。まばゆいばかりの光を纏った”英雄”と巡りあったのだ。
一瞬──彼女は躊躇した。自分の様な卑しい娼婦の様な存在が、この様な光り輝ける英雄に助けを求めて良いのだろうかと。彼女の放つ光に陰りを差すのでは無いかと思い悩んだ。だがそれは、ほんの些細な悩みであった。
小さな英雄はそんな事がどうしたと露程も気にせず微笑むと、夜よりも深い”闇”となり、全てを置き去りにして朝焼けが覗く夜の街へと消えていった。
その姿は正に英雄と呼ぶに相応しかった。春姫を長年悩ましていた問題を全て吹き飛ばす程に眩しかった。
そして──暫く呆然と冒険者を見送っていた春姫は自分が置いてきぼりをくらった事に遅まきながら気が付いた。春姫、一生の不覚である。
「ふぁあああ、良く寝た。まだ誰も起きていない……よっし! これからこっそりベル君と……って、ちょっと君は誰だい!? そんな格好で一体どうしたんだい!?」
だがそれが功を奏したのか、春姫は心優しき神様とその仲間達とも巡り会う事となった。
*
朝日が昇る夜の街に暗黒が舞い降りようとしている。
日の出と共に伸びる影の様にゆっくりと、静かに、だが確実に歓楽街を侵食していく。
それは、なんの前触れもなく突如として現れた。
自ら戦端を開いた神々は用心深く、執念深く、疑り深く夜の街を監視していた。当然の事だ。既に戦いの火蓋は切られている。警戒するに超した事は無い。万全を期して闘争に臨むために、先手を打たれる訳にはいかないのだ。
だが、暗闇はまるで最初から“そこに”あったかの様に、唐突に夜の街に出現し娼婦達に襲いかかった。
命を刈り取るカタチをした大剣を携え、漆黒を纏い、影を引き連れ、暁光の中で悪夢の様な常闇を彼女達にもたらした。
娼婦達は黒き魔道士の対策は万全であったが、暗き闇に包まれる暗黒の騎士に対しては無力も同然だった。
魔法を封じても大剣で討ち払われ、武器を封じても魔法で立ち向かわれた。
切り札であった呪詛や魔法の術者も瞬く間に発見され、執拗に追跡され、真っ先に使い物にならなくなり、闇に葬られた。そう言った意味では、たとえ相手が想定していた黒き魔道士であっても結果は同じであったと言えたが、今更どうしようも無かった。
神々は驕っていた。自らが上位者であると驕っていた。
神々は侮っていた。あの戦いで彼女の事を知った気になって侮っていた。
神々は嘲っていた。所詮は”ヒト”であると嘲っていた。
女神達は目の前にあった欲望に心を奪われ盲目となっていた。その身を愛で満たすために、その身を闘争で満たすために、神の瞳は暗闇に包まれる事になったのだ。
神々は気付かない。己が犯した過ちに決して気付く事は出来ない。
彼女達は
その絶対的な不文律が、神聖不可侵な絶対的な守護が、絶対遵守の鉄の掟が、女神達を更なる慢心へと誘っていた。
彼女が”何”で、”何”に手を出したのか理解せずに彼女に戦いを挑んだのだ。
鉄火をもって戦いを臨む者に彼女は一切容赦しない。ヒトであろうが、モンスターであろうが、それがたとえ“神”であろうが、彼女の大剣は一切の区別無く
それがましてや”友”を攫った相手ならば微塵も遠慮をする必要は無かった。
あの時の様な過ちは、もう二度と繰り返す訳にはいかないのだ。
*
夜も明けたばかりの『竈の家』では慌ただしく準備が進められていた。
「本当によろしいんですか? ヘスティア様」
仲間達の中でも最も小さい少女は聞いた。
金色の
いくらヘスティア・ファミリアが新進気鋭であるとはいえ、不用意に刃向かって良い相手では無い事は明白だ。
大問題に発展するのは間違いないと言える。
「かまうものか。僕達と彼女は一蓮托生。共に暮らす大事な家族だ。それに、その大事な仲間が攫われたなら、黙っている必要なんて少しも無いだろう? それともヒーラー君は違うのかい?」
「いえ、ただヘスティア様は偶に考えなしに行動する場合があるので万が一に、と思いまして」
もとより少女も止める気は無かった。これは、いわゆるただの事務的な質問に過ぎなかった。
そして、それは彼女達も同じみたいであった。
フレイヤ・ファミリアの剣士と弓使いも、ロキ・ファミリアの魔法使いも行く気満々であった。もちろん同じファミリアの”彼”も、だ。
魔法使いなんて「団長、何やってんですか。それは流石にダメですよ。サイテーです」なんて言ってヤる気満々である。
宴会の翌日に助けを求めに来た彼女は運が良かった。所属するファミリアの方は運が悪かったが。少なくとも彼女の声に耳を傾ける冒険者が五人もいたのは幸運だった。
「ど、どうして……?」
助けを求めて来たはずの
普通の人間だったら、そんな馬鹿な真似はしないだろう。
「何故って、そうだね……最初に君が会った子ならきっとこう言うだろう『困っている人を助けるのに理由はいるかい?』ってね。それが僕達の答えさ」
そうヘスティアが言った。まるで慈愛の女神の様だ。そういえば慈愛の女神だった。
「困っているのを助けるのに……」
そう言い切ったヘスティア達はまるで物語の様な──いや、彼女が今まで読んだどの物語に出てくる英雄達よりも──英雄だった。
*
『昔々あるところに一人の王子様と、一人のお姫様、そして悪い魔女とあと一人の社畜がいました──』
霞んだ意識の中で彼女の物語が繰り返される。
『──そして、お姫様は真実の愛に気付くと彼に口づけをし──』
彼にとって真の愛とは、本当に愛する者とは誰だったのだろうか? 覚醒しようとしている意識の中で彼はお姫様であり、そしてその相手は──
目覚めるとそこは埃臭く薄暗い石造りの密室だった。
部屋には装飾など全くなく。四方は剥き出しになった石材で囲まれており、雑な作りながら頑丈な印象を放っていた。
事実頑丈に出来ているのだろう。薄らと照らされる室内には鞭や、鎖、血糊の付いた刀剣類に、棘の付いた謎の棍棒などのいわゆる拷問器具が整然と並べられていた。
どう見ても拷問部屋だ。あるいは監獄、もしくは牢獄、だ。どれにしても碌でもない場所であるのは間違いない。
手と足の両首には大きな枷が付けられており、ご丁寧に首下にも巨大な戒めが装着され、壁に磔にされていた。この部屋には不釣り合いな青白い光線が走るこの拘束具は、彼の脳裏の中にある忌々しい記憶を想起させた。
捕らえた囚人にする対応としては順当な扱いであると言える。
「起きたか、色男。気分はどうだ?」
隣から声が聞こえた。ここ最近一番良く聞いた声だ。
「……最悪だ、よ!」
力任せに戒めを解こうとしながらフィンは答えた。
「無駄だ。でなきゃこんなところに俺達を放置しないだろう?」
彼の言う通り拘束具は
空しく響いていた金属音も次第に小さくなっていき、やがて完全に消失した。
凍える様な沈黙が密室を支配していた。どうしようもない虚無感が蔓延していた。有り得ないほどの後悔が
偉そうな事を言った結果がコレだ。馬鹿みたいに自分に酔った結末がコレだ。己の力を過信した報いがコレだ。
油断や慢心や過信が取り返しの付かない事態を招く事なんて、”あの時”、あれほど身に染みて痛感したと言うのに。
「……情けないな、僕は」
その姿はとてもじゃないが
ただの小さな哀れな男に見えた。
「ほんとにな……」
素っ気なくリチャードは言った。
巷ではこんなヤツがモテるらしいが、こんな男の何処が良いのかリチャードには分からなかった。
優柔不断で、どっちつかずで、綺麗事ばかり並べて、鈍感ぶって、いい加減なこの男の何処が良いのか理解出来なかった。
「……だが、そんなアンタの事を大事に思っているヤツもいるんだろう?」
少なくとも一人、狂おしいほどに彼を愛する者がいる事をリチャードは知っていた。狂ってしまうほどに彼に恋焦がれる者がいる事をリチャードは知っていた。
そして、その少女は傍若無人な超越者によって空虚な操り人形になろうとしている事をリチャードは知っていた。
「それは……」
脳裏に浮かぶのは彼女の顔。天真爛漫に微笑むアマゾネスの少女の顔。変わり果てた姿になって相対した大切なヒトの顔だった。
蛇を模した仮面の下で彼女は一体どんな顔をしていただろうか。それを思い出す事が出来ない。当然だ。あの時の自分は彼女の事を見ようともしていなかった。
「最初はよ……アンタは本気で嬢ちゃんの事が好きになったんだと思っていた。本気そうだったし、真剣な眼差しだったからな。でもそれは──」
まるで子供に言い聞かせるかの様に隣の男がゆっくりと語る。
「──でもそれは、尊敬とか崇拝とかそう言った感情だったんじゃ無いのか? アンタは……フィンは、本当はルララ・ルラの事は好きでも何でも無いんだろう?」
リチャードの言葉からは責める様な感情や、怒っている様子は感じ取れない。ただ純粋に事実だけを述べている様であった。そしてそれは、今まで必死に見ない様にしていた真実であった。
「じゃなきゃ、
自他共に勇気ある者と認める彼にしては不自然すぎる行動だった。
たとえ一度断られたとしても、入手困難なアイテムを要求されたとしても、それだけで諦めてしまうほど
彼の、本当の
リチャードは“彼”の気持ちを代弁するかの様に語った。
「アンタの本当の気持ちは──」
「だったらどうすれば良いと言うんだッ!!」
思わずフィンは叫んだ。それは今まで誰にも言えなかった、ずっと溜め込んでいた、彼の心からの、フィン・ディムナの魂の慟哭だった。
「彼女に本当の気持ちを伝えろとでも言うのか!? 夢も、目標も、願いも捨て去って、希望も、期待も投げ捨てて、彼女と一緒になれとでも言うのかッ!? 出来る訳が、出来る訳が無いだろう!!」
それは彼の悲願であった一族復興の願いを捨て去る行為と同義だった。
「そんな事をしたら、今まで歩んで来た道のりが何もかも無駄になってしまう! これまでの道のりが水泡に帰してしまう! それは駄目だ! それだけは駄目なんだッ!! もはやこの身は僕だけのものじゃなく、多くの同胞達が、多くの蔑まれる同胞達が僕に希望を寄せている! 僕を希望として見ている! その希望を裏切る訳にはいかない!!」
それは自ら望んでそう
「そんな時、彼女が現れたんだ……」
光り輝けるその姿を見た時、長い間秘かに抱いていた焦りや不安、恐怖心、彼を縛っていた呪いでさえも一切合切綺麗に洗い流されていった。
「彼女だったら、きっと一族も歓迎する、神々も理解する、“彼女”も認めてくれる、誰しもが納得する。それは、そう、自分自身でさえもそうなると信じる事が出来たんだ」
そうすれば密かに抱いていた本心を偽る事が出来る。そうすればずっと押し込めていた恋心を諦める事が出来る。
彼女は
彼女であるならば
「それに、彼女はアマゾネスだ。それが意味するところぐらいは君にも分かるだろう?」
アマゾネスからはアマゾネスしか生まれてこない。
一族復興の為に何としてでも
「……分からないな」
リチャードは吐き捨てる様に言った。
「……なんだと?」
「聞こえなかったのか?
今度はフィンを睨みつけて言った。
「何が勇気だ。何が
かつて、彼もそうだった。何もかも全て世間のせいにして、言い訳をして、堕落して、諦めて、偽って、適当に生きてきた。
でもそれじゃ駄目だと気付かされた。
夢も、希望も、願いも、期待も、想いも、なにもかも抱え込んで突き進む冒険者を見て、それじゃ駄目だと気付かされたのだ。
「それは……」
「アンタがどんな思いでここまで来たのかは知らない。どんな事があったのかも俺は知らない。でも惚れた女を蔑ろにするヤツはクソだってのは知ってる! でもアンタはクソ野郎じゃ無い。アンタは英雄だ! みんなが憧れる英雄だ! 英雄だったら、好きな女くらい幸せにしてみせろよ!!
その言葉をフィンは心の中で何度も何度も反芻した。
いつもこの二つ名が勇気をくれた。いつもこの二つ名が奮い立たせてくれた。臆病な自分に勇ましい想いを与えてくれた。
「だが、だが僕には……」
彼には自分を殺してでも、自分の想いを押し殺してでも成さねばならない事柄があるのだ。
彼一人の我が儘で何もかもぶち壊す訳にはいかない。彼一人の利己的な行為で台無しにする訳にはいかないのだ。
「アンタはなんでもかんでも背負い込みすぎだ。アンタ一人が我が儘言って駄目になるほどアンタ達は弱くない。俺の知っている
リチャードがそう言った瞬間、まるで計っていたかの様に天井裏から
「──こんな感じにな。遅かったじゃ無いか、ベル」
「すみません、リチャードさん。LSの応答が無かったので探すのに苦労しました」
「……そういえばいつの間にか無くしてたみたいだな」
「もう、大事な物なんですからなくさないで下さいよ」
その透明な何かは──白い襲撃者──ヘスティア・ファミリアのベル・クラネルであった。おどけた調子で言い訳をするリチャードに文句を言いながらもベル・クラネルは次々と彼等の拘束を解いていく。
最後に首輪の拘束具を解除すると、今度はこの密室の出入り口の開放に取りかかった。
「内側からしか開かない構造になっているらしいです」
そうベルは説明した。ややあって扉は開き外から春姫と──
「──ッ!? 何故ここにッ!?」
あまりにも唐突な展開に動転するフィン。それに反してリチャードは余裕そうだった。
その様子を見てベルが追加説明する。
「あぁ、殴らないで下さい。彼女は──
イシュタルの姿が一瞬揺らめくと霧の様に四散し、その代わり現れたのは小さな
──味方ですから」
このイシュタルの正体は彼女の持つ魔法の一つ『シンダー・エラ』の能力によって姿形、声までも完璧にイシュタルに化けたリリであった。
「なるほど、それで”ここ”が分かったのか」
「はい、春姫さんとリリのお陰で、思っていたよりスムーズにここを発見出来ました」
「神様に化けるのは些か苦労しましたよ。主に振る舞いとか」
「
興奮した様子で春姫が言う。
「君は──」
まさかこんな形で再会する事になるとは思っていなかったフィンは、唖然とした表情をした。
「はい、春姫で御座います。ディルムッド──いえ、フィン様」
春姫はフィンに向き合うとうやうやしくお辞儀をして言った。
「どうして君が……」
「
初めて会った時は弱々しかった春姫の瞳には、今では強い意志の力が宿っている。
「今、彼女は苦しんでいます。憤怒に燃える愛の少女は今、己を無くし彷徨っています。蛇の仮面で隠した顔の下では彼女は今、泣き叫んでいます。助けて、と。どうか、どうか、お願いです。彼女を助けて下さい。彼女を救って下さい。彼女を導いて下さい」
春姫の瞳は真っ直ぐフィンを見つけ訴えていた。その真摯な眼差しに対し僕はどんな瞳をしているだろうか? ちゃんと勇者の瞳をしているだろうか?
「……僕に、僕に出来るだろうか」
「はい。これは貴方様にしか出来ない事です。自分を信じて下さい。勇気を出して下さい。
その言葉を聞いてフィンは顔を上げた。
きっと、
*
こんなはずでは無かった。
「一体どうなっているんだッ!?」
こんなはずでは無かった。
「相手は魔法使いだったはずだろう!? なぜ、大剣で戦っているッ!?」
こんなはずでは無かった。
「人質はどうしたッ!! はぁ!? 逃げ出した!? 巫山戯るな!!」
私の計画は完璧だったはずだ。
「クソッ! こんな時に新手だと!? 何故このタイミングでッ!! 何処の──ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの冒険者、だとッ!?」
完璧に用意したはずだった。万全に準備したはずだった。完全に万端にしたはずだった。
「何故そんな事をする! そんな命令出した覚えはないぞッ!! 何ッ? 私の偽物? 馬鹿、そいつが敵だッ!!」
術者を揃え。
魔法を取り出し。
協力者を募り。
罠を仕掛けた。
イシュタルの計画は完璧だったはずであった。事実、これだけの戦力があれば、フレイヤ・ファミリアでさえも打倒できたはずであった。
彼女の欲望は満たされ、美の女神としての地位は揺るぎないものになるはずであった。
唯一の誤算としては──
「クソ、クソ、クソッ!! ルララ・ルラァァァアアア」
怨嗟の恨みを込めてイシュタルは何もかも無茶苦茶にした張本人の名を叫んだ。
イシュタル唯一の誤算としては──彼女に手を出した事だった。
大人しくコソコソと画策していればフレイヤ・ファミリアぐらいならそのうち打倒出来ていただろうが、よりにもよってそのオラリオ最強のファミリアよりも強い冒険者集団にちょっかいを出してしまったのだから、運の尽きだった。
イシュタルの計画はもうおじゃんだった。ご破算だった。修復不能であった。
彼女が支配していた夜の城はもはや墜ちた。彼女のドブ沼の様な薄汚い黒き野望は、より強い暗黒によって闇に飲まれてしまった。
「巫山戯るな! 巫山戯るな! 巫山戯るなぁああああああああ!! アァアアアアアアアアアア」
僅かに残った最後の砦──
己が築いた城を焼かれ、己が描いた野望を打ち砕かれ、己が作った街を失い……美の神は己の敗北を悟り壊れてしまった。
「全く、みっともないのぅ。これが嫉妬に溺れた女神の末路か。嫌じゃ、嫌じゃ、“こう”はなりたくないのぅ」
その様子を見てカーリーは愉悦の笑みを浮かべながら言った。
「そういうあんたは、嬉しそうだな」
間違いなく窮地に立たされているというのに逆に嬉々としているカーリーに対し、赤髪の女──レヴィス──は口を開いた。
「当然じゃ! 妾は“コレ”を見に来た! 地獄の様な”コレ”を! 悪夢の様な“コレ”を! 世界の果てから世界の中心へ! この闘争を見に来たのじゃ! これで滾らないでどうするのじゃッ!!」
カーリーは嗤う──あれこそが闘争だ。これこそが闘争だ。彼女が恋してやまない、愛してやまない、欲してやまない。愛しき闘争がここにあった。
嗤わずにはいられない。哂わずにはいられない。呵わずにはいられない。
これこそが彼女が求めていたモノであった。
「カカカカ! 問題は彼奴をどうやってこちらにおびき寄せるか、じゃが……」
そんな事をしなくても何れここまで来るだろうが、一刻も早くカーリーは彼女が見たかった。闘争が見たかった。コロシアイが見たかった。
「……だったら”コレ”を使え」
そう言うとレヴィスはカーリーに向かって何かを投げた。
「なんじゃこれは?」
それを受け取るとカーリーはまじまじと観察した。
カーリーに投げつけられたのは小さな耳に入る位の変わった形をした貝の様なものだった。不思議な材質で出来た物体であり、金属の様でそうでない謎の物体であった。
それはリチャードが無くしたリンクシェルの端末だった。
「そいつの <flag> と言う場所を押せば、ヤツをおびき寄せられるはずだ」
確かにその貝殻には小さいながらも幾つかのボタンがあり、その中の一つに <flag> という文字が刻まれた部分があった。
「お主が寄越すモノは謎が多いが……ふむ、見たところ不審なモノではなさそうじゃのぅ──」
神の観察眼をもって呪いや、罠などが仕掛けられていない事を確認したカーリーは満足そうに頷いて言った。
「──で、あるならばこれは有り難く使わせて貰う事にするかのぅ」
そうしてカーリーは歓楽街で最も高い
「イシュタルがダメになった今、アイツを打倒しうるのはあんただけだ。頼んだぞ、カーリー──」
その後ろ姿に向かってレヴィスは言った。レヴィスの声が届いたのか、カーリーは手をひらひらさせるとやがて完全に見えなくなった。
この場に残るのは哀れに嘆く美の女神と、彼女しかいない。だからこそ──
「──まぁ、無理だろうがな」
その言葉はカーリーには届かなかった。
そして、彼女は取り残された哀れな女神に目を向けた。
やるべき事はまだ終わっていない。
*
『
突如としてそんな発言がLSに発信された。その発信者と座標を見た”暗黒”は、然るべき行動へと移るため、その座標を目指した。
そして、その仲間達と、
*
イシュタル・ファミリアの
真っ平らな広大な敷地には隙間無く石板が敷かれ、その四方をまるで守護するかの様に複数の塔がそびえ立っている。
ある儀式の為に中心に設置されていた祭壇は既に不要になり撤去され、この荘厳なる庭園は見渡すばかり何も無い闘争にうってつけの
「──来たか、備えよ」
カーリーの言葉と共に、付き従う四人の眷属達が光に包まれる。
燦々と輝く光の奔流が、彼女達に纏わり付きより高い次元へと昇華させる。
戦神カーリーの求めるモノは至極簡単であった。とても単純明快で、明々白々であった。
闘争だ。闘争こそが彼女の求めるモノだった。
闘争の行く末。生死を賭けた殺戮の行き着く先にある、その最果てにある“ナニ”かをカーリーは求めていた。
それこそがカーリーが降臨した理由、それこそがカーリーの存在理由、それこそが”子供達”の願望。
テルスキュラはカーリーが訪れる前から”ずっと”そうであった。彼女が
テルスキュラは、彼女達は、自ら望んで“ああ”なったのだ。
神はただ、望まれた恩恵を与えたに過ぎない。
だからこそ、この闘争は──言うなれば“彼女達”が望んだ事であるとも言えた。血で血を洗う、情け容赦の無い、クソの様な闘争が”彼女達”の願望であると言えた。
闘争と殺戮の果てにある”ナニ”か──それは、カーリーの悲願であると同時に彼女達の悲願でもあったのだ。
そして”ソレ”が、もうすぐここにやって来る。
”ソレ”は──
死よりも冥き闇を纏い。
夜よりも深き暗を従え。
陰よりも濃い黒を携え。
暁が昇る庭園へ黄昏を届けにやって来た。
この日、この場にいる四人の戦士達はカーリーの最高傑作だ。
永遠とも思える時を費やし、長きに渡る研鑽を重ね、止まらぬ血と涙を流し、多くの同胞の屍を超え、ようやく完成した最高傑作であった。
彼女達はテルスキュラという蠱毒の壺で生き残った最強の蠱毒の王であった。共食いを繰り返し、同胞を喰らい続け、その果てに辿り着いた最強の毒蟲達だった。
アルガナは──テルスキュラで唯一『
バーチェは──死の恐怖と生への渇望、冷徹さと残忍さ、生存本能と闘争本能を見事に融合し、昇華した最も純粋な戦士であった。
ティオナは──誰よりも単純で、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも無垢で、誰よりも姉を愛している、姉の為ならば誰よりも強くなれる戦士であった。
ティオネは──愛に溢れる戦士だった。怒りに燃える戦士だった。もはや“それ”は弱り切って消えかかっているが、”それ”こそが彼女の原動力であり、無限とも思える力を彼女に与えていた。
この中の誰しもが蠱毒の王だった。最強最悪の蠱毒の王だった。史上最高の蠱毒の王だった。
剛強無双の毒蟲だった。
万夫不当の毒蟲だった。
完全無欠の毒蟲だった。
この世にこれ以上無いほどの毒蟲だった。
だが──
所詮、”彼女”にとっては──
”
“
練り上げたスキルも、鍛え上げたアビリティも、使い上げた魔法も、創り上げた呪詛も、彼女の前では
四方から同時に迫った蠱毒の王達は──地中から這い出た漆黒の牙に貫かれ、底なし沼の様な奈落の渦に飲まれ、大剣から放たれし暗闇に焼かれ、赤黒い暗球の棘に串刺しにされ──もの言わぬ屍となった。
一瞬だった。
一瞬でカーリーの最高傑作は敗北した。
一瞬で世界最強の蠱毒の王達は踏み潰された。
コレは闘争ですら無かった。殺戮ですら無かった。彼女が求めていたモノじゃ無かった。
ただの蹂躙だった。
“愛”の無いモノなど“暗黒”には通用しないのだ。
そして“暗黒”は、その赤く妖しく煌めく眼光を揺らめかせると──神を捉えた。
次はお前だ、と。
ルララさん的にはエオルゼアには"愛"が溢れているらしい(´・ω・`)
突然だが問題だ! 目の前に明らかにやばそうな冒険者がいるがどうやって倒すか?
答え①美しいカーリーは突如反撃のアイデアが閃く。
答え②仲間がきて助けてくれる。
答え③倒せない。現実は非情である。