光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
遥か昔、黒き魔女シャトトによって体系化されたその呪法は、純然たる破壊の権化であり、滅びの魔法であった。
炎神ですら焼き尽くし、氷神でさえも凍てつかせるその魔法は『黒魔法』と呼ばれ、人々に畏れ敬われた。
おおよそ千六百年前に最盛期を迎えた黒魔法は、その類まれなる破壊力と殲滅力により幾度と無く使用され暴虐の限りを尽くしていた。
しかし黒魔法の濫用は大地を巡るエーテルの混乱を招き、その結果、世界は一度何もかも洗い流された。
後に、第六霊災と呼ばれる大洪水が引き起こされた原因となったのも黒魔法であった。
そんな破壊そのものとも言える黒魔法は、とある“呪術”を起源にしている。
己を内観し、心に秘めた力を開放させ、顕現するその“呪術”は、とある“儀式”を執り行う為に発展していった。
その儀式は多くの妖異や怪異が蔓延るエオルゼアに於いて、最も重要な儀式の一つであり、今もなお欠かすことの出来ない普遍的なものである。
エオルゼアから遠く離れたこのオラリオの地でもそれに倣い、黒魔法はかつての使われた目的そのままに、その力を顕現させていた。
黒魔法の起源である呪術、その最たる使用目的……。
それは──『葬送』──である。
*
舞い降りた漆黒の魔道士、無抵抗なままの冒険者、恒星の如く燃え盛る火炎魔法、焼き尽くされる世界、送還される仲間、その中で独り嘲笑う白い悪魔。
呼吸が停止し、身体がまるで金縛りにあったかの様に微動だにしない。
たった数瞬で創り上げられた地獄絵図に茫然自失となるアポロン・ファミリア。目の前にある光景がまるで夢か幻かの様に思えてくる。
だが、先程からひしひしと突き刺さる圧倒的な熱量が、眼前に広がる情景が幻想では無い事を執拗に訴えてくる。これは、夢幻では無い──現実だ。
誰一人としてぴくりとも動けない中、彼女だけが時の呪縛から解放されているかの様に、手に持つ杖を揺らめかせる。
その動きを見て停止していたアポロンファミリアの時間が急速に動き出す。
これは詠唱──ッ! 魔法だ、魔法がくる!! どうする? 回避か? 防御か? 反撃か? 妨害か? どうすればいい?
彼女から放たれる絶望的な死の気配により、思考が高速で回転する。
だが、どれを選択するにしても、既にあまりにも遅すぎだ。
「……あ」
諦めか、驚愕か、僅かに零れたその言霊が永遠に紡がれることは無かった。
再びシュリーム平原に地獄が降臨する。
爆炎と共に爆音と爆風が轟きアポロン・ファミリアを焼き尽くす。
「がぁあああああああ」
「ギャァアアアアアア」
仲間達の断末魔が鼓膜を震わす。
だが絶望している暇はない、嘆いている時間は無い。
気を抜くな、気を緩めるな、気を許すな──少しでも油断をすれば、次に狙われるのは自分だ。
「ヤメろッ! ヤメろぉ!! ヤメてくれえええ!!」
「うぁあああああああああ」
恐怖のあまり逃げだそうとした一団に三度、煉獄が再臨する。
燃え盛る炎、
彼女が一度杖を振るう度に、その何倍もの冒険者達が業火と共に葬送されていく。
「逃げろォォォォオオオ!!」
堪らず、誰かがそう叫んだ。
その言葉が契機となり、冒険者達は怒濤の勢いで我先にと逃げ出した。
最早そこには、戦意も、誇りも、名誉もなく、憐れに逃げ惑う子羊達がいるだけだった。
彼らは懸命に駆けた。ただただ、生き延びたい、逃げ延びたい、助かりたい、その一心でひたすら脚を動かした。
生き延びる為に、逃げ延びる為に、あの“化物”から少しでも遠ざかる為に……。
だが──
「ぐぁああああああああ」
一体、何処に逃げるというのか?
「うぎゃぁあああああ」
あの化物相手に──
「う、あ、ひっ」
最低でもあと丸三日──
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
彼女から逃げ続けなくてはならない。
それがどんなに絶望的な事か、彼等は理性ではなく本能で理解できた。できてしまった。
彼等の心の中に“諦め”と言った感情が渦巻いていく。
そうだとしても、それであったとしても、立ち止まる訳にはいかない、生きる事を諦める訳にはいかない。
万が一に、億が一に、助かる路が開けるかもしれない。自分だけは助かるかもしれない。
そんなほんの僅かな霞のような希望にすがって彼等は駈け続けるしかなかった。
それは奇しくも
だからこそ……そんな事、彼女が許す筈がなかった。
彼等が何処に逃げようが、関係ない。最初から逃げ場なんて何処にも無いのだ。
「がぁあ……あ、足が……足が動かないぃいいい!!」
「何で? 何でなのッ!?」
「ま、待ってくれぇ! 置いてかないでくれ!」
彼女は冒険者達を大地もろとも凍てつかせ。
「く、来るなぁ! 来るなぁ! 来ないでくれぇえええええ」
「足が、足が思うように動かないんだッ!!」
「だ、誰か助け──」
極限にまで冒険者の足取りを重くし。
「あ、れ? ……なんだか、すごく……眠、くぅ」
「お、おい寝るな! 寝たら死ぬ──」
「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ、寝たくない! 寝たくないのにぃいい!!」
抗うことも出来ない久遠の眠りを誘い。
「雷が……雷がッ! 迫ってくるッ!!」
「ひ、ひぃいいいいい」
雷神の如き雷撃をばら撒き。
「あ、あああ、ああああああああ」
そして、太陽を顕現させた。
「こ、ここまでくれば──きっと安全……」
彼女の魔の手から運良く逃れた冒険者がたどり着く。
この大平原で唯一の安心できる場所──シュリーム古城跡地に辿り着く。
この古城はまだ、
その堅き護りは幾積の時を重ねようとも健在であり、黒き獣の毒牙から彼等を守護するのは容易に思えた。
彼等はこの戦場で唯一無二の安息できる場所を手に入れたのだ。
だが、それは大きな勘違いであった。
そこは彼等を護る巨大な盾では無く、彼等を埋葬する大きな棺桶と変わりなかった。
何の魔術的強化や、付与がなされていないただの建造物など、彼女にとって大きな『的』に過ぎないのだから……。
「な、なっな……」
「はは、あはははは」
彼等の上方から、古城跡地の遥か上空から“それ”が呼び込まれる。
“それ”は、彼等の仲間が葬られる度に蓄積された力であり、“それ”は小さな隕石の形をしていた。
全てを飲み込む破壊の力が轟音と共に降り注ぐ。
もはやここは戦場では無く、ただただ一方的に葬送が行われる凄惨な葬式場だった。
万物を焼き尽くし、破壊の限りを尽くした漆黒の魔法使いは焼け野原で独り嘲笑う。
その姿は正に……黒き魔女だった。
*
アポロン・ファミリア所属の小人族ルアン・エスペルはその小さな身体が現す通り、臆病者で小心者だった。
だからこそだろう、彼は未だに生き延びていた。
彼女の魔の手から逃れ、なんとか辛うじて生き延びていた。
仲間達が焼かれるなか、脇目も振らず必死になって手足を動かし、あの壮絶なる葬送劇を乗り越え、命からがら逃げ延びることが出来ていた。
ここに来るまでに、一体どれだけの仲間が倒されたのか見当もつかない。でもそんな事どうでもよかった。
彼の頭の中にあったのは、彼女から逃れたい、生き延びたい、助かりたい──それだけだった。
そんな一心で無我夢中で走っていたら、いつの間にかこんな戦場の端っこの誰も来ないような場所に来ていたのだ。
彼は今、息を殺し、言葉を殺し、気配を殺し、己を殺し、ガタガタと震える身体を必死に抑え、小さな身体をより一層小さくして、ひっそりと身を潜めていた。
だがそんな彼にも終わりの時が近づいて来ていた。
破壊の化身である黒き魔女は確実に彼を追い詰めていた。
ルアンが潜む付近で彼女が立ちどまる。
彼女がいる場所からではルアンがいる場所は死角になっており、このままやり過ごせば見つかる事は無いだろう。
(このまま何処かにいってくれ、そうすれば──)
その僅かに芽生えた小さな希望は、春の夜の夢の如く儚く消えた。
一度彼女が耳に手をあてたと思った瞬間──彼女の醜悪なる赤き仮面がルアンを正確に捉えた。
「あ、ああ、あぁああ……な、なんで、どうして、ここがッ!」
魔女は答えない。ただ坦々と流れ作業の様に杖を振るのみである。
極限にまで圧縮された時間の中で、今まさに黒き魔法が放たれんとしたその時──ルアンはとある“神”を幻視した。
それはかつて、彼の種族が信じていた、信奉していた“彼女”に──
「あぁぁあ、な、なんで、なんで貴女が……貴女がここに!! フィ──」
そして──そこでルアンの意識は途絶えた。
彼の特殊魔石が発動し、彼を送還する。
後に残ったのは彼女だけ。
シュリーム平原に残ったのは彼女だけとなった。
こうして殲滅が終わった。
彼がアポロン・ファミリア最後の生き残りで、彼の脱落を以って
神の代理戦争が終わりを迎えた瞬間、戦場に神の眷属は誰一人として存在せず、黒き魔女だけが高らかに勝利を喜んでいた。
*
世界中の誰しもが言葉を失った。
あまりにも惨たらしい殲滅劇を目の当たりにして誰も彼もが圧倒されたのだ。
ただ目の前で繰り広げられた葬送劇に息を飲むばかりである。
誰一人として、こんな結末になろうだなんて想像だにしていなかった。
陽気で能天気な神々でさえも押し黙り、向こう見ずで怖いもの知らずの冒険者達が戦慄する。
この
勝敗は誰の目から見ても明らかだった。
最後には戦場に立っていたのは神でも神の眷属でもなかったが、あの魔女はヘスティア陣営の戦士だ。
それはつまりヘスティア・ファミリアの勝利を意味していた。
議論を挟む余地も無いほどにそれは明らかだった。
アポロン・ファミリアを殲滅し尽くしあの圧倒的な力を見せつけられては、否が応でも納得せざるを得ない。
完膚無きまでに、この
だが、そこまで完膚なきまでに叩きのめされても、いやこの場合完膚なきまでに叩きのめされたからこそ、往生際が悪いヤツがいた。
「は、反則だッ!! あ、あああああんな化物をををを使うなんて、は、ははは反則に決まってるッ!!」
意地も、誇りも、欺瞞も、何もかもかなぐり捨ててアポロンは力の限り叫んだ。
彼の端正な素顔が原型を留め無いほどに酷く歪んでいく。
「こ、こんな馬鹿げた話があってたまるか! わ、私の精強なる眷属達が、あ、あんな醜悪な小人族に、ままままま負けるだなんてッ!!」
彼の言葉は端から見れば、ただの負け惜しみに過ぎなかった。
「そ、そうだ! ず、ずるをしたに決っているッ!! 恩恵を受けていないなんて嘘だったんだろう!? ヘスティア!! そうに決っているッ!!」
彼は自分の栄光を、眷属達の勝利を信じて疑わなかった。
だが、現実はどうだ? 彼の眷属は根こそぎ狩りつくされ、まともに立っているものは一人もいない。
それでも、自分の敗北を認めようとしないアポロンは、どうしょうもない程に敗北者の醜態を晒していた。
「だ、だから、そ、そう……こ、この
「いい加減にしろよ、アポロン」
「ッッ!!」
心の底まで凍てつかせる冷えきった声が女神から発せられた。
「彼女が本当は
例え遠く離れた場所で、『神の鏡』越しの映像であろうともそれは変わらない。
先程から『神の鏡』に映っている“彼女”からは恩恵の気配は全く感じ取れない。
「あ、あれが“子”? あれが“子”だと?」
ルララの事を“子”と呼んだヘスティアを有り得ないものを見る様にして見つめるアポロン。
「あれが、あれが“子”であるはずがない! あんなものが“子”であってたまるか! あんなものを“子”と呼んでいい筈がないッ!!」
あれは“子”ではなく何かもっと別のおぞましい──
「ヘスティアッ!! 貴様、気でも狂れたのかッ!? あんな、あんなバケモ──」
「黙れッ!!」
女神の怒号が
「黙れ……彼女を侮辱することは許さないぞ」
彼女のあの力は常識では有り得ない。恩恵も無しにあの力はあり得ない。彼女は明らかに有り得ない力を行使している。
彼女は神である筈の僕達が忌避する程に美しく、輝かしく、煌めいていた。
彼女は、“神”の子の英雄ではなく、“人”の子の英雄だった。
それは僕達を殺す──神殺しの“力”。
僕達とは決して相容れない“存在”。
だから、僕達は無意識の内に彼女を避けていた。まるで禁忌であるかの様に見て見ぬふりをしていた、見ないようにしていた。
そうでもしなきゃ恐ろしくて夜も眠れなかった。
あの神殺しの牙がいつ突き立てられるか怖くて仕方なかったのだ。
だから彼女をいない“もの”として扱った。
彼女がそういった“存在”だって、知っていた、分かっていた、気付いていた。
気付いてなお、彼女に助けを求めた。
理不尽には理不尽で対抗するしかなかったのだ。
そして、彼女は手を差し伸べてくれた。
彼女は神々が思っていた存在じゃなかった。神々が感じていた存在じゃなかった。
何処にでもいる、普通の俗物的な冒険者だった。
だから──
「この
「──ッ」
有無を言わさぬ物言いでヘスティアは言った。
その凄まじい迫力に気圧され押し黙るアポロン。
アポロンの沈黙を無言の肯定とみたのかヘスティアは
「そういえばアポロン、
出口に差し掛かった時、ヘスティアが敗者に背を向けながら言う。
勝利者から敗北者への問答無用の要求。それは勝者の権利、敗者の義務。
「僕が君に要求するのはこれだけだ──
投げ捨てる様にそう言い残し、ヘスティアはその場を後にした。
ヘスティアの要求は彼女が受けた仕打ちに比べれば実に有情なものだった。
もはやヘスティアにとってアポロンの処遇など、どうでもいい事だった。
そんな事よりもヘスティアには優先すべき事があった、大切な事があった。
ヘスティアはどうしようもなく愛する人に会いたかった。
彼女の為に死力を尽くした眷属に一刻も早く会いたかった。
そしてもう一つ彼女をあの場から駆り出させたものがあった。
『神の鏡』に映る神々の目が──彼女達の恩人を見つめるその瞳が──まるで異形の化物を見たかの様に恐怖に染まった瞳をしていたからだ。
ヘスティアとは違っていた。彼女だけが違っていた。
神々の瞳は、ヘスティアこそが異端であると訴えていた。
だから、あんな場所にもう少しでも居たくなかった。
*
沈み行く太陽は真っ赤に燃え、都市を暖かく照らしている。
そんな中、ベル・クラネルは都市の城壁の外縁部に座り込み、黄昏を見つめていた。
目に映る太陽は憎たらしい位に燃え盛り、赤く燃える夕陽の暖かさは疲れ切った身体に優しく染み渡っていく。
彼の心の中は今、無力感と倦怠感に支配されていた。
思い起こされるのは戦争遊戯の、最後の一撃の場面だ。
何故あそこで後もう少し頑張れなかったのか? なぜ後もう少し耐えられなかったのか?
あと少し速ければ、あと少し耐えられれば、あと少し頑張っていれば──結果はもっと違っていたはずだ。なのに、どうしてあそこで倒れてしまったのか……。
もっと上手く出来たはずだ、もっと頑張れたはずだ、もっと、もっと、もっと──。
後悔の念ばかりが浮かんで来て、その度に胸を締め付ける。
「ここにいたのかいベル君……」
そんな彼の所に彼の主神ヘスティアがやって来る。
一人太陽を見つめるベルの隣にヘスティアがそっと寄り添い、彼と共に黄昏を見つめる。
二人で見つめる夕陽はまるで彼の瞳の様に赤々と輝いていた。
お互い何も語らずただ赤い太陽を見つめる。
二人の間に心地よい静寂が流れる。
「……頑張ったねベル君」
暫くしてヘスティアがそう言った。
「一人で戦うベル君はすごく格好良かった……まるで英雄みたいだった」
そう言いながらヘスティアはベルの肩に頭を寄せる。
真っ白な髪と真っ黒な髪が触れ合う。
「でも……負けちゃったね」
彼は負けた。ベル・クラネルは勝てなかった。
結局、ヘスティア・ファミリアが勝てたのは彼女のお陰だ。
ベル・クラネルは……あまりにも無力だった。
太陽がやけに眩しい。眩しくて霞んで見えないぐらいに。
「僕達は……弱いね」
惜しかった。あと一歩だった。あとちょっとだった。
そんな慰めの言葉、何の意味もない。
ベル・クラネルは……あまりにも……
その事実に彼の手がきつく握り締められる。
だから──。
「だからね、強くなろう」
強くなりたい。
「いつか僕達が隣人くんを助けられる様に、ルララ・ルラという冒険者を支えられる様に……」
いつか彼女と並び立てる様に。
独りぼっちの英雄と共に戦える様に。
「だから、ベル君──」
彼女は彼の主神。彼は彼女の眷属。
「今日ぐらいは──」
その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、その命ある限り、共にあることを誓った仲だ。
「泣いてもいいんだよ?」
少しぐらい情けない姿を見せても幻滅することなんて無い。
「ッッッッ!!」
その優しすぎる主神の言葉に歯を食い縛りながら必死に耐える。
泣かない、泣いてはいけない、戦いの勝者であるヘスティア・ファミリアが惨めに悔し涙を流してはいけない。
それは勝者の責務、勝利者の義務だ。
そして何より──彼女の前で情けない姿を晒したくなかった。
そんな姿のベルを見てヘスティアは優しく言う。
「……そっか、ベル君は強い子だね」
瞳を閉じてベルの側から離れるヘスティア。
「じゃあ僕は行くよ……」
彼女はそれ以上何も言わずその場を後にする。
去りゆくヘスティアにベルは──
「……神ざま……僕、強ぐなりまず……絶対強ぐなりまずッ!!」
そう決意した。
(ああ、大丈夫……君ならきっと、必ず出来る)
ヘスティア・ファミリア初めての勝利の味はちょっぴりしょっぱい味がした。
大会が終わった後の夕陽ほど切なくて眩しいものは無い。