インフィニット・ストラトスadvanced【Godzilla】新編集版 作:天津毬
本編の続きを楽しみにされていた方には申し訳ございません。
舞台は本編最終章から2年後の2023年12月31日午後22時台から2024年1月1日午前0時頃にかけての新宿。
つまり、時系列的には物語の中で一番最後にあたる話になります。
2023年12月31日––––––破滅から2年後
午後22時52分
東京都新宿区西早稲田
––––––白雪が覆い尽くす閑静な住宅街。
新都心と置かれている西新宿とは相対する、場所。
––––––街とは人の営みの具現。
人が起きれば街も目覚め、人が眠れば街も寝屋に堕ちる。
だからだろう。
今この辺りの街区は街そのものが明かりの無い暗い夢に堕ちていた。
そしてその街角は世界を埋め尽くさんとするかの如く積雪によって侵蝕された––––––
その
「…はぁ––––––……」
冷めた手を温めようと、そこに口から吐息を吹きかける。
それは水をかけたドライアイスのように白い霧煙を引き起こしながら、掌に僅かな熱を与える。
そしてその熱を増幅させようと、掌を合わせて擦り合わせる事で、摩擦熱を作り出す。
だが悴み過ぎた手の動きは錆びた歯車のようにぎこちなく、また皮膚は濡れたゴムのように違和に満ちていた。
––––––ふと。
蒼髪の少女––––––更識簪は、空を見上げ拝む。
––––––見上げる空は曇天。
––––––雲からは純白の雪。
––––––雲には街灯が反射する。
––––––そこにあるのは琥珀色の灯り。
「…12月の雪……もう、当たり前になっちゃったな…。」
破滅前は東京に雪が降るなんて物珍しい話だったのに、と付け足しながら簪は呟く。
––––––それは当然にして必然であった。
何しろ、怪獣と人類がこぞって地形を滅茶苦茶にした事に加えて核の冬が到来し、さらにゴジラが噴火させた世界最大の火山であるイエローストーンのばら撒いた火山灰の残滓が大気中に充満し、太陽光を遮った事による地球規模の大規模寒冷化。
人類世界破滅直後の日本では真冬には気温がマイナスに至る事なんて当たり前で、凍死者・餓死者こそ出なかったものの、極度の冷害による生鮮食品壊滅を受け、食糧の不足に悩まされる事となった。
––––––だが、まだ日本は幸福な方だろう。
貧困国が多数を占めるアフリカ大陸ではただでさえ新型伝染病が蔓延していたにもかかわらず、この大規模寒冷化まで重なってしまった。
…結果として、億単位の餓死者・凍死者を生み出した上に消滅した国家や自治区は数知れない。
––––––『地上に地獄があるなら、それはユーラシアとアフリカ、そして南米だ。』
国連軍の将官が呟いた言葉だが、それは正に的を得ていると言える。
イエローストーン噴火による直接的な被害を受けたとはいえ、アメリカ大陸は国連主導の火山灰の凝固・強制下降を誘発するG由来の気象兵器を持って窮地を脱している。
そればかりか、アメリカ合衆国はミシガン州に租借地を置いたドイツ連邦共和国とアラスカ州に租借地を置いたロシア連邦––––––それらの支援によって完全には立ち直ってはいないものの破滅前の経済力と生産力を回復させており、ある意味地上の楽園のひとつと化している。
対するユーラシアはどうか––––––。
––––––無数の怪獣が跋扈し、数多の人間が流血で満たそうと、もはや還ることの叶わぬその大地。
具体的には、数10万から数100万の怪獣がユーラシアに生息しているのだ。
シベリアに。
中国大陸に。
タクラマカン砂漠に。
中央アジアに。
中東に。
アラビア半島に。
マレー半島に。
インド亜大陸に。
旧ヨーロッパ・ロシアに。
スカンジナビア半島に。
東欧地域に。
イタリア半島に。
南極に。
南米大陸に。
北極海に。
宇宙空間にさえ。
––––––もう、地球の大半は人類の領域ではない。
対する人類は8億1920万人程度。
数では優っているだろうが、まるで力が及ばない。
今の人類が束になったところで、ユーラシアを取り戻すなんて不可能だ。
であればやる事はただひとつ。
––––––静観と徹底防戦。
情け無いが今の人類に出来るのはこれくらいだ。
反攻作戦が発動されるとしたら、おそらくそれはずっとずっと先––––––少なくとも100年以上はずっと先の未来。
そして、先に述べた地球上の8割が怪獣に支配され、世界人口が半年で9.9%にまで激減している現実。
人類に牙を剥くように発生し続ける異常気象と新型伝染病でさらに人が死ぬ現実。
さらにゴジラがその気になれば
––––––これだけ突き詰められれば、
にも関わらず––––––
世界が崩壊したのに、変わらぬ姿を維持している
だがしかし、同時に簪はその事実に安堵する。
例え
––––––ふと閑静な住宅街の中に、貫禄を感じさせる木造の武家屋敷が映る。
それこそが簪の帰れる家であり、更識家本邸であった。
––––––ここ新宿は今でこそ超高層ビルの乱立する大都会と化しているが、かつては田園風景が広がる宿町であり、同時に徳川幕府に仕える数多くの武家が屋敷を構えた地でもある。
更識家も、その武家の末裔––––––即ち、何代も続く由緒正しき武家というわけである。
…とはいえ明治時代以降、四民平等に基づく身分制廃止に伴い武士は世間から価値を排斥され、武家としての機能は喪われた訳だが。
しかして––––––門前からは確かに、かつての威厳威風を宿したまま、
たとえ政治的・軍事的に価値のない存在に失墜したとしても、決して否定出来ない
––––––それは世界が崩壊してからも変わることは無い、
ふと––––––門前にて悴む手を必死で擦り、凍えながら蹲る少女が視界に映る。
「あ––––––」
それを見て簪は思わず声を上げてしまう。
全くどうして、彼女はこんなに変なところでマジメなのか。
簪は半ば呆れ返りながら、歩みを進める。
そして––––––
「ただいま。本音。」
声をかける。
すると、凍えながら蹲る少女––––––虚本音は弾かれたように顔を上げる。
そして––––––
「…あ、おかえり。かっちー。」
…ふにゃ、と笑顔を浮かべる。
「遅くなるから出迎えは良いって言ったのに……。」
「いや〜…だって私これでもかっちーの従者だもん。」
簪の言葉に本音はふにゃ、とした笑顔を浮かべたまま言う。
「…そっか、本音は昔から律儀だったもんね。」
ふふ、と簪は微笑む。
「お姉ちゃんは…元気?」
「うん…まぁ……。」
––––––そう問うと、やはり本音の表情は曇ってしまう。
ああ、やはりダメなんだな…––––––と思わされたその瞬間。
「…何?なんだか焦げ臭くない?あとなんだか煙っぽい…。」
思わず簪は怪訝な表情を浮かべて、足を進める。
焦げ臭い匂いの源泉は庭の中から。
だから門をくぐり、庭へ足を踏み込む。
「なんだか庭の方から––––––」
––––––言いかけて、思考が止まる。
そこには、
「あ、お帰り〜かんちゃん。」
ドラム缶に詰めた薪木に火を点けてストーブとして暖をとりながらヒラヒラと手を振る見るからに元気そうな楯無––––––否。更識刀奈が一人。
" ––––––ついさっきまで心配してた私が馬鹿だったわ!! "
思わず簪は内心叫ぶ。
「ちょっと本音⁉︎」
「あはは〜ドッキリ大成功〜♪」
くわッと睨んだ簪に対して、やはり本音はポヨポヨした笑顔を浮かべて言う。
それに続くように、刀奈が微笑みながら口を開く。
「せっかく自宅に帰って来るのに、しんみりした雰囲気はあんまりでしょう?だからま、体張ってみたの。」
そう言って刀奈は松葉杖をつき、腰を下ろしていたベンチから立ち上がる。
––––––その足取りは、千鳥足のようにあまりにも
けれど顔を染めるのは、確かに本物の笑顔。
「う〜ん…なんていうか、やっぱり足が動かなくなってきてるのよねぇ…っとと…。」
やはり、ふらついてしまう足取りで簪の元に歩いて来る。
「…やっぱり、二年前の…?」
「うん、急性被曝による筋肉の凝固および壊死らしいから、そうなんじゃない?
…まぁ私は
––––––サラリと、まるで他人事のように自身の深刻な病状とその原因を告げる。
「まぁ、今そんなこと言っても仕方ないけれど。不自由だけど生きていれば大概のことはなんとかなるもの。」
そしてアッサリと未練を捨て去るように思考を切り替える。
––––––本当に、その神経の太さと
今の時代を生きるには、刀奈のような人間が不可欠だから。
「そうね。お姉ちゃん、火葬炉に放り込まれても自力で脱出してくるくらいしぶとい性格してるから、生きていけるんじゃない?」
それに、簪は簪なりの褒め言葉を吐く。
「…ごめん、かんちゃんそれ褒めてるのよね?」
「ええ、勿論。ところで虚さんは元気?」
玄関へと向かいながら、簪は聴く。
それに刀奈も続きながら応える。
「ええ、元気元気。それに仕事は虚ちゃんに手伝って貰わなくちゃならなくってさ〜…ホラ、もう私の身体能力おばあちゃんだし。」
無論、仕事とは暗部の仕事である。
以前ならばISを駆って仕事場に突入していた刀奈であるが、今となっては事務職が限界であった。
…むしろ今すぐ車椅子生活をするべき身を、なんとか松葉杖でやり過ごしている程だ。
「…ま、今に暗部の仕事は国連軍や再編中の警察に新設の準軍事警察部隊の仕事になるから、もう少ししたら事務職だけで済みそうだけどね。」
靴を脱ぎ、廊下に脚と松葉杖を下ろしながら刀奈は言う。
…つまりそれは、遠回しに暗部は前線や現場では必要とされなくなると言っている。
––––––まぁ、ある意味それは当然の摂理だろう。
暗部は対人類組織。
今後最前線国家である日本に求められるのは対獣組織であり、対人類組織は治安維持を主目的とする警察機関を除いてほとんどが不用となる。
かつて対人類組織であった政府機関も多くが対獣組織に衣替えしたが、それらは防衛省や海上保安庁などの防衛機関にそれらを支援する気象庁や国土交通省、外務省などである。
そこに暗部はいない。
そもそも、暗部は諜報機関である。
巨大不明生物に諜報活動は通用しない。
辛うじて偵察衛星による情報収集が可能だが、それは気象庁の気象衛星、国土交通省の計測衛星に搭載された光学望遠カメラでも可能だ。
そして偵察衛星を運用するだけでは独立した省庁にする必要がない。
さらには指揮系統の混乱を避ける為に極力小さな政府にしようとする。
––––––つまり、どこかの省庁の指揮下に取り込まれる事になる。
現に気象衛星を運用する気象庁は国土交通省指揮下の外局だ。
だからまぁ…良くて他の省庁に指揮権譲渡、最悪解体となるのは必然と言える。
––––––分かりきっていた事とはいえ、そこに僅かな寂しさを感じなくも無い。
今までの人生18年の中に暗部が存在しなかった時などない。
暗部が好きだったであれ嫌いであったであれ、無関心という感情を抱かなかったモノがなくなってしまう事に寂しさを覚えるのは人として普通の反応だ。
だから刀奈も簪も、僅かな寂しさを覚えていた。
––––––そんなことを思考しながら廊下を進むと、2人は居間に辿り着く。
16畳の畳が敷き詰められたそこは杉の木で作られた家具が置かれており、落ち着いた雰囲気に満ちている。
「––––––お帰りなさいませ、簪さん。」
ふと、和室に佇んでいた虚が言う。
「国連軍での勤務、御苦労様です。」
「ありがとう…虚さんも元気そうで何よりだわ。」
簪は微笑みながら虚に声を返す。
…彼女も何ら変わらない。
破滅前も、破滅後も。
刀奈の従者として支え続けた存在。
この家の中で、唯一変わらなかった存在。
「ところで簪さん、本音は…?」
ふと、本来簪の従者であるはずの本音が見当たらないからか訝しげな顔をする。
…言われてみればそうだ。
本音は玄関から全くついて来ていない。
「ああ、あの娘なら庭で雪だるま作ってるわ。」
ふと、縁側の廊下にある大窓から庭を見やる刀奈が言う。
「な––––––っ⁉︎主人がいるというのにあの子は…‼︎」
「まぁまぁ、たまにはいいじゃない。せっかくの大晦日なんだしさ。」
怒る虚。
宥める刀奈。
まるで漫才コンビというか、夫婦というか、そんな感じの2人。
" ––––––ああ、平和で暖かな場所に帰って来たんだ。"
そんな景色だけで、簪は微笑みを隠せないくらいに心が溶ける。
「全くあの子は…。簪さん、
––––––それで…どうでしたか?戦況は…?」
それでふと、虚が簪に問いかける。
それは落ち着いた声音で、心配するような表情を浮かべて。
「そう、ね…。」
溶けかけた心が再び凍る感覚––––––その中で、簪は情報と言葉を取捨選択し、構成する。
「私は極東方面軍所属だから全世界を詳しくは把握してはないけど、日本海戦域と台湾海峡戦域は安定しているみたい。
あと、純粋水爆で海峡を構築したロリシカも。」
日本と台湾は怪獣の支配するユーラシアから海で隔てられている。
またカムチャッカ半島に撤退したロリシカも半島の付け根を純粋水爆で爆砕するという苦肉の策で海峡を構築し、天然の防衛線を構築する事で国土を維持している。
海で隔てられた地域は上陸する地点をあらかじめ予測出来るため、防衛戦力の集中展開が可能だ。
対して陸続きの地域は進行ルートの把握が困難であり、戦線が広大化してしまう原因になる。
だからこそ、海で隔てられた地域では人類が優勢であり陸続きの地域では人類が劣勢と言える。
「では––––––」
「うん、北九州と佐渡島、それと北海道東部は依然警戒が必要だけど基本的に太平洋側地域は大丈夫だと思う。」
––––––現に日本は生産拠点や経済基盤を日本海側地域から太平洋側地域や再開発を行った沖縄、小笠原諸島、東南アジア地域に移転している。
無論それは太平洋側地域が安全であろうと判断されたからである。
「ところでさー虚ちゃーん…」
ふと、話をぶった斬るように緩々な雰囲気を纏った刀奈が話しかけてくる。
「おうどんマダ〜?」
「あ、失礼しました!今すぐ作って参ります‼︎」
というなり、いそいそと虚は台所へ駆けて行く。
「しんみりムードは嫌いだもの…。」
なんて、電気ストーブで暖をとりながら刀奈は口にする。
…だが正直、簪はそれに救われていた。
「それにしても、あの子たちこの雪の中お参りに行くってのよねぇ…。」
ふと思い出したように刀奈は独言る。
「…?なんの話?」
「ん?ああ、千尋くんと箒さん。
◼️◼️◼️◼️◼️◼️
午後23時47分
新宿区花園神社
––––––花園神社。
東京都新宿区にあり、古来より新宿の総鎮守として新宿の発展を見守ってきた存在。
“乗降者数世界一の新宿駅”東口から徒歩7分、新宿区役所のそばにあり鳥居から参道までの両サイドは建物という、大都会・新宿の中にポツンと佇む異界のような場所。
––––––コンクリートが四方八方を支配する世界の中に江戸より残る自然を宿した原初の姿。
そして現代と過去の時間の流れが乖離しているような錯覚さえ与える風景。
そこに、少なからぬ人がひしめいていた。
「…驚いたな。お前から誘って来るなんて。」
その人混みの中に居た少女––––––
「…約束してたからな。いつか、お参り行こうって。」
それに対して応えるのは、
お互い、凍えるように震えながら、参道を歩みを進めて行く。
「ところで箒こそ良かったのかよ、
心配気に放つ言葉。
それは確かに、箒の心を刺し貫く。
けれど––––––不思議と悲しさは無く、むしろソレに触れてくれた嬉しさを感じながら、箒は口を開く。
「…そりゃあ、久方ぶりに行きたいのが本音だ。あの家もガワを見るだけで構わないから行きたかったし––––––
表情は何かを悟るように。
声音は常時と変わらぬ声。
憂う事も悲しむ事も嘆く事もなく、ただ俯瞰するように。
「けれど、帰れないだろ?
それに––––––死者が生者の前に姿を現わすとロクな事がない。」
他人事のように、笑いながら。
––––––如何に願おうが叶わぬ願いなのだと諦めた顔をしながら。
未練がないと言えばソレは嘘になる。
だがいつまで引きずっていても、叶う事はない。
ならばいっそ、ソレと決別してこれから先をリスタートする道を選ぶ方がよっぽど楽だし人生にとってプラスに繋がる。
「…そっか。」
それは千尋も理解している思考。
だから箒の在り方に憤りも哀れみも抱かずにその在り方を尊重する。
––––––そも、それは千尋にも言えることだ。
依然として千尋は
家族も殺して自分と父を呪われた生き物にした人類を憎悪した過去は変わらない。
人への憎悪とただ自分を「終わらせられる者」を求めて破壊と殺戮を繰り返した事実は拭えない。
死に体の身体を酷使してただ1人の
––––––それらは全て過去の自分である。
極端な話、
時間が過ぎれば、かつての自分と今の自分とでは当然価値観や倫理観は異なっている。
よく「今の自分にある感性は過去の自分があるから」という話を耳にするし、それは実際正解なのだろう。
だが、それは過去の自分から良い部分だけ抜き取り、悪い部分には蓋をするか俯瞰する。
すなわち過去の自分から取捨選別を経た自分が今の自分であり、過去の自分は別人なのだと思うのも、強ち間違いではないように思う。
もっとも、今の時代ではそう考えなくては何も出来ないし、前に進めない。
囚われ続けていては
それを乗り越えるには、そんな考え方になるしかない。
薄情だが、そうしなければ生きていけない。
––––––そう理解した上で、
「そういえば覚えているか?」
ふと、箒は思い出したように口を開く。
「ホラ、八広駐屯地に住み着いていた野良犬達だよ。一時期私たちで匿っていた。」
「ああ、彼奴らか。」
千尋も思い出したように、そして少し寂しそうに呟く。
––––––破滅後、柴犬の親1匹と仔犬6匹の計7匹が八広駐屯地に住み着いていた。
もちろん餌は誰も与えていなかった。
人間が餌を与えるという狩りをするよりも容易に食糧を手に入れる手段を知れば、彼らは狩猟能力を喪失し、彼らは自然界で生きていけなくなる。
非情ではあるが、人間の自己満足で彼らの命を終わらせるよりはマシ…という思考に至り、誰も餌は与えていなかった。
––––––しかし焼け野原となった墨田区で獲れる獲物や食物はたかが知れている。
…必然的に、その親子は日を追うごとに痩せ細って行った。
––––––それを見かねた箒がついに保護してしまい、人事課と交渉した結果「屋外で飼育する」・「餌代は自己負担」という条件付きで千尋も巻き込んで飼うことになったのだ。
これが案外大変なもので、到底2人では賄いきれないが善処し続け、訓練の合間や自由時間を割いて遊んでやったり…と、それはもう仲の良い関係であった。
…だが千尋がユーラシア派遣から帰投する頃には既に姿は無く、もう亡くなったのかあるいは里親にでも引き取られたのかと思い、少し寂しげな思いをしたという話もあったりする。
「実はな…片桐一佐…ああいや、もう将補か。あの人が拾ったらしい。」
「え、光が?…でも営内は動物禁止じゃなかったか?」
「うん、だから千葉にある片桐将補の実家で飼ってもらう事にしたそうだ。」
––––––それを口にすると、面白おかしい事を思い出したように頬を緩め「ふふ」と笑うと、それはとても楽しそうに、そして年並みの少女のように笑いながら口にする。
「千尋の言った通りだったな…ヒトとは違う
––––––そればかりは、千尋の折り紙つきだ。
何しろ、
獣はヒトと違って、基本的には純粋で単純だ。
だから感情は憎悪の塊にも、慈愛の塊にも変質する。
そして純粋という事は周囲の環境から影響を受けやすい。
…ちょうど、先程述べた自分/千尋の異常のように。
「だが…犬にしても猫にしてもそうだが、どうして顔を舐めたがるんだろうな?…顔とかに美味しい匂いか何かがあるんだろうか?」
––––––なんて思っていると、箒はなんともキレているというか筋金が入っているようなボケをかます。
" いや、まず美味しいなんて発想になるワケないだろう。 "
…と思わされ、千尋はハァ…と溜息を吐くと、少し呆れた顔をして箒の顔を見ながら口を開く。
「それはなぁ––––––」
––––––好きだからに決まってんだろ。
そう口にしようとして、羞恥心が心の隅より生まれ、千尋の脳を侵す。
" …ったく、何バカやってんだよ。いつまでも初々しくさ。この間、指輪渡したとこじゃねぇか。 "
思わず頭痛がする––––––幻覚を覚えた頭を手で押さえながら千尋は内心自問する。
2人の手には––––––白銀の指輪。
8日前のイブに千尋が箒に渡した代物である。
だがしかし、それは互いの関係を象徴する装飾に過ぎない。
如何に優れた装飾であれ、それを纏う側の心が幼ければ、今の2人のような反応になってしまうのは必然である。
だから思わず赤面してしまって––––––、
「…やっぱりいい、たまには自分で考えろ。」
「?え、あ、ああ…。」
…なんというか、破滅後の箒は人として大事な部分が退化してしまった様に感じる。
雑務に過労、それらに侵される日々の中でも国民に少しでも以前の生活を提供できるようにしようと身を粉にするような努力を積み重ねて来た事には変わらない。
けれど、大局に尽くす事を選択したが故に自分の感情は欠如…否、どちらかと言えば退化してしまったのだろう。
だからこそ、破滅前の箒ならば察しのつくような事柄でも、あの織斑と似たような鈍感ぶりを発揮してしまっている。
否––––––訂正、少なくとも
「…そうだ、お前も今度行くか?片桐将補、年明けはしばし実家で過ごすらしいし、顔合わせがてらにさ。」
そんな千尋の感情を知ってか知らずか、箒はそんな事を口にする。
––––––それは別段不快なんてなく、千尋はむしろ嬉しい感情が浮かぶ。
けれど、
「別に良いよ、オレは。」
拒絶する。
別に嫌というわけではない。
けれど今は、
「俺は今お前と居るから、それで良い。」
何よりも愛おしい者と一緒に居たくて。
だからこその拒絶。
だからこその否定。
だからこその––––––告白。
「…えっ?え、えっと、千尋、その、それって––––––」
やっとそれの意味を理解したのか、思わず箒は頬を赤く紅く染め上げる。
だからそれに、千尋も釣られて頬を赤く染めて––––––、
「––––––なんでもない!」
そう言うと、箒の手を強く握り、照れ隠しのつもりか––––––参道を足早に進み始めた。
––––––脚を踏み入れればそこは大都会の景色からは反転する。
参道を挟むように、両側に鎮座し林を形成する常緑広葉樹。
樹木による緑の壁は都会の騒音やネオンの光を搔き消し、静寂と月明かりに満ちた原初の景色を形成する。
これはまるで異界のようだ。
都会の中に存在する緑の世界。
人によって街が切り開かれてきたこの時代を生き残ってきた絶対不可侵の領域。
脚を踏み出す毎に人の世界から遠ざかり、神の領域に脚を踏み入れていく。
鳥居という人と神の世界の境界にして門であるそれを潜ればもうそこは異世界。
されど来訪者を拒絶するのではなく、迎え入れるように澄んで、落ち着いた空気が辺りを包み、原始より刻まれてきた景色が歓迎する。
「––––––やっぱり、神社は周りと雰囲気が違うな…こう、なんていうか、都会なのに空気が澄んでいて、
箒が言う。
たしかにその通りだろう。
境内には参道以上に街の騒音どころかネオンの光が全く届かず、境内に置かれた照明灯代わりの焚き木と月明かりのみ。
静寂と暗闇に支配された
…闇の中だというのに奇妙なまでに明るく、不可思議な景色。
「…てか、やっぱり人が居ないな。」
ふと、白い息を吐きながら千尋が呟く。
見渡せば確かに人はいるものの、数えられるほどしか居らず確かに少ない。
自分達も含めて20人程度だろうか。
それに対して箒が口を開く。
「それもそうだろう、雪が降っていて、おまけに今日の気温はマイナス5度だぞ?そんな日の午前零時にお参りに来る猛者は都内ではそうそういるまい。」
「あ、そっか。」
すっかり失念していた––––––といった顔を千尋はする。
なにしろ、この時期のユーラシア戦線…特に北部はマイナス50度というのが当たり前の世界であり、その辺りの感覚が日常の感覚を麻痺させていたのだ。
––––––そんな戦線を経験してきた千尋からすれば、この
けれどそこにやはり、懐かしさを感じさせる。
ふと––––––響く、低い重低音の慟哭。
威厳に満ちていながらも万人を受け入れる音色。
それは紛れもなく、鳴り響く除夜の鐘。
「…年が明けたみたいだな。」
箒が言う。
であらば次にやる事はひとつ。
「よし、御賽銭のトコに行こうか!」
言うなり、箒は千尋の手を掴んで歩き出す。
" いやそれより挨拶だろ–––––– "
と、千尋は思わされる。
だが、まぁ––––––
「…いっか。」
たまには後で良いや。と千尋は考えを切り替て、歩みを進めた。
◇◇◇◇◇◇
––––––参拝を終えた後に、琥珀色の曇り空より再び降り始める雪。
皮膚を刺し貫き真皮を抉るような痛みを与える冷気が充満する深夜午前零時過ぎ。
世界は氷河期のように冷え込んで、死んでしまったように静まり返った。
「…ああ、また降ってきたな。」
際限無く、地表を埋め尽くすのではないかと思わされるくらいに降り積もる白い結晶の再来を見届けて、思わず千尋は呟く。
「…千尋、お待たせ。」
ふと、箒が湯気を蒸す紙コップをふたつ持ってやって来る。
––––––中には黄緑色の液体…ただの緑茶が入っている。
「冷えるだろうから買ってきておいたんだ。冷めないうちに飲んでくれ。」
「ん––––––。」
そういうなり千尋は緑茶を取ると、中身を喉へ流し込む。
––––––ああ、暖かい。
体内そのものが柚子湯をはった湯舟になったような––––––そんな錯覚すら覚えさせられる暖かさ。
「ところでさ––––––」
同じようにお茶を啜る箒を隣から横眼で見つめながら、千尋は声をかける。
「箒は何をお祈りしたんだ?」
「ん?…まぁ、当たり前すぎるけれど大切なことをいくつか。」
「お前の事だし、世界平和とか?」
お茶をぐい、と豪快に流し込みながら千尋は聴く。
––––––確かにそれはあり得るし、今の人類からすれば当たり前であり実現を願う最果ての願望。
そして––––––
––––––それを肯定するように、
「––––––うん、まぁそんなところだ。」
いつもと変わらぬ微笑みと共に、回答する。
「はぁ––––––だと思ったよ。」
ため息を吐いて、呆れたような顔をして千尋は言う。
––––––もう分かりきっていた話だし、今更変えることなんてできるハズがない。
そもそも、元より存在した感性を殺害して塗り潰された
それを治すことは叶わない。
––––––だから、せめて
自分に生き甲斐をくれた、箒を––––––。
「千尋」
お茶を飲み干した箒がベンチにから立ち上がると––––––、
「––––––今年も、よろしく。」
瀕死の人間に与えられた救済にも見えるような雰囲気を纏う手を差し出しながら––––––微笑みを浮かべて言う。
––––––それに応えるように、
「––––––ん。こっちも、よろしくな。」
精一杯の、明るくて––––––どこか童心に満たされた怪物は笑いかけながら、手を取り応じる。
眼前にいる少女の、終わりの無く始まりさえありもしないような夜の果てを待つこの空のような、琥珀色の瞳を見つめながら。
––––––眩むような時代の産声の
––––––永遠にさえ降り落ちて闇を埋め尽くす白い
––––––ゆらゆらと天使の羽根が空を満たす下。
––––––空は曇天が埋め尽くし、琥珀色に染まった、いつかの聖夜のような夜。
––––––崩壊した世界の片隅で、2人は手を繋ぎながら。
––––––暗く長く、遠い道程。
されど、至る終着が見えるならば話は違う。
そこに至るまで足掻き、踠き、抗い尽くすのみ。
これは、その満ち足りた道程に至るまでの物語。
そして、これは満ち足りた道程を駆け抜けた、2人に与えられた束の間の福音。
––––––この
最後に––––––2人は互いの心中で、祈りを復唱した。
《––––––どうか、
【––––––どうか、
簪「そういえばお姉ちゃんは何をお願いするの?」
刀奈「ん〜…そうね…来年こそ彼氏ができますように、かしらねぇ…。かんちゃんは?」
簪「私は………来年も、平和でありますように。あと、シャルの国籍取得が上手くいきますように、私も想い人が現れますように、早くMOGERAが直りますように、あと––––––」
刀奈「多い多い多い多い多い多い!かんちゃん欲張り過ぎ!!」
◇◇◇◆◇◇◆◇◇◇
今回はここまでになります。
本編の方は年明けに投稿しようと思っています。
…余談ですが、本編より先に結末書いて良いんかいって言われますが、ゴールを作っておかないと迷走してしまうのが自分でして…()
ですから、今回の話と昨年書いたクリスマス回は、まだまだ遠いけれど行き着くべき最期の土台作りだったりします(苦笑)。
長くなりましたが、もうゴジラISも2年目に突入していて、年明けからは3年目が始まるんですね…。
今年もこんなつまらないし駄文に付き合っていただき、本当にありがとうございました。
みなさん良いお年を……。
そして次回もよろしくお願い致します。